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0時1分のシンデレラ

作者: 佐野太基

 私、新藤麗羅は恋をするという感覚がわからずに今日まで生きてきた。

 子どもの頃から背は高く、両親の影響で格闘技をやっていた事で得た雰囲気のせいなのか、周囲からは「頼りになる人」というレッテルを貼っているように見えたらしい。当然だが私が自分からそのレッテルを貼っていたのではない。だが、周囲の期待を裏切る勇気もなかった事や自己主張が得意な性格では無いため、そのレッテルに相応しい人間になろうと頑張ってきた。その結果、バレンタインデーには男子よりもチョコを貰うほどの存在になった。名前をもじって「王子系シンデレラ」という何とも高校生がノリと勢いだけで考えたニックネームが近隣の高校まで響いてしまい、当時の私はちょっとした有名人になってしまったのだ。

 時は過ぎ、社会人となった私は相も変わらず「頼りになる存在」として生きている。入社して数年で重要なポストに就いた。嫉妬を向けられることやあらぬ噂を立てられる事にも嫌がらせにも、もう慣れた。大人が集まる会社でこれだけ陰湿な気持ちが渦巻くのなら、子ども達の世界からイジメという行為が無くなることはないだろう。それを正そうする気持ちを持たない私も子どもの自分が見たらみっともない大人に映っている筈である。

 そんな自分にも他人にも期待しない、諦念の中で暮らしている私が恋を知ることになるとは誰が予想しただろう。

 私の初めての恋の相手の名前は浅利義明という。彼は年上であるが、最近私の勤める会社に入社した後輩でもある。彼の教育係として過ごす時間は多かったが、仕事中は互いに無駄な話はしなかった。その点では一緒にいて気楽ではあったが、それ以上の気持ちはなかった。格闘技をしていた経験から、私は人の体つきを見る癖がついてしまっている。浅利さんは見た目は柔和で背はそこまで高くないが、恐らく格闘技か武道をやっているのだろうと体つきや歩き方を見てわかった。

 そして彼が武道をやっていると確信した出来事は私が恋に落ちた瞬間と重なった。新人歓迎会で普段は大人しい上司がその日は虫の居所が悪かったのか、お酒を呑むとそうなるのかはわからなかったが、私の勤務態度についてセクハラ紛いの暴言を吐き続けた。そしてとうとう上司が私の体に触ろうとしてきた時、散々言葉の暴力を受けてきた事から私も限界だったのだろう。部長の顔面に拳をお見舞いしようと右手を握りしめた。だが、その拳が上司の顔面に到達することはなかった。気がつけば私と上司の間に浅利さんが体を割り込んでいた。上司に気づかれぬよう、彼の左手は私の右手を優しく抑え込んでいた。突然の浅利さんの登場に上司も呆気にとられ、そこからは何事もなく飲み会は終了した。

「浅利さん」 

帰り道にお礼を言おうと思って彼に声をかけた。

「どうしてあの時、私を止めたんですか」

 お礼ではなく、可愛げもない質問をしてしまったことに後悔した。

「新藤さんが怒っているのはわかってました。殴りたい気持ちも充分にわかります。でも、誰も傷つけずに済むようにしたかったんです。ごめんなさい。僕のわがままで」

 浅利さんは深々と頭を下げた。違う。彼が罪悪感を抱くことなどあってはならない。

「浅利さん。謝らないでください。こちらこそごめんなさい。助けて貰ったのに、お礼も言わずに」

「お礼なんていいですよ。僕がやりたくてやっただけですから。あ、でも流石にまたあんな事をされたら、全力で殴っていいと思いますよ。全人類が許すと思います」

 笑いながら、そう言った浅利さんの笑顔を見て、心臓のボリュームが上がったのを感じた。もっと彼と話したいと思った。

「あ、浅利さんは今日はもう帰られるのですか」

「いえ、明日は休みだし、もう一杯飲んでいこうかなと」

「じゃあ、さっきのお礼もしたいので、良ければ一緒に飲みにいきませんか。奢ります」

 お礼をされるような事ではないからと浅利さんは私の誘いを遠慮した。でも、どうしても浅利さんと時間を共有したかった私は食い下がった。自分でもこんなに男の人を誘うのは初めてで内心は断られる不安と嫌われるのではないかという恐怖で満たされている。

「じゃあ、一杯だけ」

 私の根気に負けたのか、浅利さんの馴染みのバーに行くことになった。

 バーに向かう途中、私は嬉しさと共に焦りと後悔の念に苛まれた。私はお酒が飲めないのだ。現に今回の新人歓迎会でも一滴も飲んでいない。だが、「新藤さんはお酒に相当な拘りがあるから、飲み会で来るような居酒屋ではお酒を飲まないのだ」という尾ひれどころか、噂が一匹の魚として完成され人々の中を泳いでいる状況だ。否定しても信じて貰えない。

 悩んでいる内にバーに着いてしまった。お酒が飲めない私にとっては今日がバーのデビュー日だ。店の中には淡い光に満たされ小気味の良いジャズが流れている。お酒が好きであれば、堪らないシチュエーションかもしれない。初老のマスターと親しげに話していた浅利さんに連れられ、奥のテーブル席に腰を下ろした。

 席に着くなり浅利さんは慣れた口調でマスターに注文をした。

「新藤さんは何を飲まれますか?」

 そう聞かれた私はメニュー表を探したが、何処にも見当たらない。そう言えばバーは店によってはメニューがないと聞いたことがある。泳ごうとする目を必死に抑え浅利さんと同じものでと伝えた。

 よく考えたらバーとは言え、ソフトドリンクのメニューだってある筈だ。お酒が飲めないことだって隠す必要はない。だと言うのに浅利さんの前では「頼りになる新藤麗羅」でいたかった。自分を強く大きく見せたかったのだ。

 気が付くと私の目には知らない天井が映っていた。天井だと解ったのは自分が仰向けになっていることに気づいたからだ。そして額には冷たさを感じる。手に取るとそれは冷えたおしぼりだとわかった。

「あ、目が覚めましたか」

 声のする方を見ると浅利さんが安心した顔で私を見下ろしていた。何故私は仰向けになって冷えたおしぼりを額に乗せられているのだろう。必死に思い出そうとするが頭を使おうとすると頭痛が走る。それでも気恥ずかしさから私は体を起こした。まるで鉛でも流し込まれたように体は重たかった。

「無理しないでください、新藤さん」

「すみません。浅利さん。何故、このような状況になっているのでしょうか」

「新藤さん、注文したウイスキーを飲んでいて寝てしまったんですよ」

 ぼんやりとだが思い出してきた。浅利さんが注文したのはラフロイグというウイスキーで、薬と煙をブレンドしたような香りに顔をしかめそうになったが、勢いで最初の一杯を飲み込んだ。そこから世界が歪み始め、暗闇となった。浅利さんは寝てしまったと言っているが、気を失ってしまったのだろう。意地を張った虚構があっさりと崩れ、恥だけが残ってしまった。

「ごめんなさい。お礼をする筈が、またとんだ迷惑を」

「気にしないでください。それよりも、もしかして新藤さんはお酒が苦手でしたか?」

 ここまでの醜態を晒してしまったのだ。もう誤魔化すことはできないだろう。私は正直にお酒が飲めないことを伝えた。そこから堰が切ったように自分のことを伝えた。特別に優れている訳ではないのに、周囲からは何でもできる存在、頼れる存在として見られていたこと。それを否定する勇気もなく、周囲のイメージ通りに生きようとしてきたこと。最近ではそれが苦痛になり始めていることまで話したのは自分でも驚いた。その思いに気づいたのは今この瞬間だからだ。私の体の中に入ったお酒は、私の心の中に澱のように沈んていた不安や不満を掻き出してしまったようだ。

「すみません。何だか自分語りと愚痴ばかりで」

「大丈夫ですよ。色々大変だったんですね」

「みっともないですよね。自分を偽ってばかりで」

「自分を偽らない人なんていないですよ」

 浅利さんは慣れた手つきで大きな氷が入ったグラスの中のウイスキーを口へ運んだ。その所作は思わず見惚れてしまう優雅さがあった。

「例えばですけど新藤さんの前にいる時と家族や友人と話している時の僕は話し方から態度までまるで違います。新藤さんや会社の人の前では社会人としての僕として素の自分を偽っているんです」

「でも、それは…」

「はい。当然ですよね。寧ろこの年齢になると素の自分として過ごしている時間の方が短いです。このようなバーにいる時もオシャレなバーに相応しい自分を意識してますからね」

 照れくさそうに浅利さんは笑った。

「大人になると状況に合わせた振る舞いや身だしなみを求められるし、そこから外れたくもないですよね。でも、状況に合わせた振る舞いや身だしなみというのは自分の為というより、その場にいる人たちを不快にさせない為でもあると思うんです。だから偽るって文字は人の為って書くんじゃないかな」

 自分を偽るのは人の為。考えたこともなかった。自分を偽ることは本当の自分を見せるのが怖かったからだ。でも、それが人の為だったと考えると少し気持ちが軽くなる。同じ言葉でもまるで魔法をかけられたように、その言葉の姿が変わって見えた。

「ま、これは全部、師匠の受け入れなんですけどね」

「でも、浅井さんは、その言葉通りに生きているんでしょう?」

「尊敬する師匠の言葉ですからね。そう生きたいとは思っても中々難しいですよ。すぐに他人にイラついて、混じり気のない感情をそのままぶつけてしまうこともしょっちゅうですよ」

 仕事を教えていても浅利さんは素直に疑問を口に出してくれるしわからないことがあったら割と遠慮なく質問してくる。だから、あまり裏表がない性格だと思っていたし、その気持ちは今も変わらない。だが、彼も様々な場所で自分を演じ分けているのだろう。

「私は自分を偽り過ぎていたのかもしれませんね」

「それだけ新藤さんは誰かの為に生きてきたってことですよ」

「…やめてください。そう言われると何だか恥ずかしいです」

「あはは。ごめんなさい」

 会話が一段落したところでマスターが飲み物を持ってきた。2つのグラスには鮮やかな黄金色の液体が注がれている。

「これは」

「シンデレラ。ノンアルコールのカクテルです」

 マスターは私たちの目の前にグラスを置きながら、シンデレラがオレンジ、レモン、パイナップルのジュースをミックスしたカクテルだと教えてくれた。

「このシンデレラを飲んでいればお酒が飲めなくても自分がバーに相応しい存在になれたような気がしますよね」

「…確かにそうですね」

 グラスを傾けシンデレラを口に含んだ。三種類のフルーツの甘味と酸味が体に染み渡る。

「新藤さん」

「はい」

「色々と偶然が重なりましたが、自分を偽ることに疲れたらまた此処で飲みましょう。僕で良ければ話を聞くぐらいできますから」

 そう言って笑った浅利さんの笑顔はお酒以上に私の体温を上昇させた。

 とても目を合わせることができず、視線を彼から反らした。目に入ったのは店の壁に掛けられた時計。時刻は0時1分。

頼れる存在としての魔法の解き方は手に入れたが、この恋の魔法はまだまだ解けそうにない。



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