第9話 ダブル・トップ・シークレット
――勿論、いつか訪れるその日を、知らずにいたわけではありませんでした。
第9話 ダブル・トップ・シークレット
「大人2名様、こちらへどうぞ」
係員の案内に従い、雪花はマークと共に館内を進んでいく。
そもそも雪花にとっては、久々の映画館だった。
前回行ったのは、確か半年程前――妹の花菜と新宿のシネコンまで新作映画を観に行った記憶がよみがえる。「シリーズ追ってなくても絶対面白いから!」というアメコミ映画好きである妹の熱意ある説得に負けた形だった。確かに根強いファンが世界中に居るだけあり、初見でもまぁまぁ面白かったが、上映後の彼女の盛り上がりとの温度差は如何ともし難かったのを覚えている。
子どもの頃から、冷めていると言われることが多かった。雪花は雪花なりに楽しんでいるのだが、あまり周囲にはそれが伝わらないらしい。
足を踏み入れると、そこは雪花が想定していたよりも一回り小さい劇場だった。花菜と行ったスクリーンは見るからに大箱で300席を優に超えていたように思うが、ここは恐らく100席程度しかないだろう。そのこぢんまりとした雰囲気に、雪花は逆に親近感を覚える。
シートには既に先客が数名座っていた。雪花とマークも指定の席に座り、開演を待つ。その後もちらほらと客が訪れ、それぞれ間をあけつつも全体の4割程度が埋まった。
皆声を発さず静かにしているので、雪花とマークも顔を見合わせた後で、それに倣う。
――やがて、場内はその静けさの中、闇に沈み込んでいった。
画面上に時代を感じる映像が映し出される。
無理もない、雪花が生まれるよりも随分前の作品だ。それでも、当時はきっと最新の技術が注ぎ込まれたものだったに違いない。
スクリーンの中で、少年が謎の生物と出くわした。お世辞にも可愛いと言えないような造形をした『彼』は、惑星の探査中に地球に置いていかれてしまった宇宙人――そう、雪花とマークは宇宙人と地球人の交流を描いたSF映画を観に来たのだった。
少年は宇宙人を自宅に匿い、大人達にその存在を内緒にしつつ、共に時間を過ごしていく。不思議な能力を持つ宇宙人と少年達の触れ合いに、段々と雪花は惹き込まれていった。
最初は奇妙に見えたその宇宙人も次第に愛らしく感じてくる。それは、『彼』も自我を持つ一つの生命体であるからだろう。
度重なるトラブルを潜り抜け、自分の故郷に帰りたいと願う『彼』を何とかして帰してやろうと奮闘する少年達の行動に胸が熱くなり――そして、それと同時に、雪花の心にすっと冷たい感情が差し込まれた。
――そう、宇宙人はいつの日か、自分の故郷に帰っていくのだ。
スクリーン上では、いよいよ『彼』が母星に帰ろうとしている。
その『彼』の姿が、雪花の中で――マークと重なって見えた。
不意に目頭が熱くなり、雪花は慌てて手元のスプライトを啜る。口の中に広がる爽やかな炭酸は、一時頭と心の温度を落ち着かせてくれた。
雪花はラストシーンを見守りながら、何故自分がこんなに感情移入しているのか、不思議でならない。
マークが火星に帰るのは、当然のことなのに。実習が終われば、マークが地球に残る必要性など、どこにもないのだ。
それなのに――何故、それがこんなにも寂しく思えるのだろう。
スタッフロールが終わると共に、場内が明るさを取り戻し始める。その中で、雪花の感情も少しずつ現実世界に引き寄せられていった。
ふと隣のマークを見ると、彼は真剣な表情でまだスクリーンを見つめている。
どう声をかけようかと思った時――マークと反対側の席の方から、嗚咽するような声がした。
驚いて振り返ると、雪花の隣――空席を挟んでまた更に隣の席に座っている男性が、俯いて泣いている。ジャケットを羽織ったその男性は一人客のようだ。他の客達も少し奇妙なものを見るような目で、彼の横の通路を通り過ぎ、劇場を出て行く。
「あ、あの――大丈夫ですか?」
男性が泣き止む様子がないので、戸惑いつつも雪花は彼に声をかけた。すると、彼は涙を拭いながら顔を上げようとする。
「すみません……つい、気持ちが入ってしまって――」
そして、二人の目が合った瞬間――雪花と彼の時間が止まった。
雪花が口をぱくぱくさせている間に、男性は素早く荷物をまとめ、足早に立ち去っていく。
背後からマークの「セツカさん?」という声がして、雪花は慌てて振り向いた。マークが少し心配そうな表情でこちらを見ている。
「どうかしましたか?」
「――いえ……あ、そろそろ出ましょうか!」
気付けば周囲には誰も残っていなかった。雪花とマークはそそくさと準備をして、劇場を後にする。
北千住の駅に無事に帰り着いた時には、時計の針は17時30分を指していた。
帰りの電車では、二人で映画の話で盛り上がった。映像が古かったことなどは、マークにとっては特に気にならなかったらしい。
改札を出てマークが住んでいる西口の方に歩きながらも、話は尽きない。
「あれが皆さんが思い描く宇宙人の姿なのですね。とても参考になりました。セツカさんはいかがでしたか?」
「最初は少し怖かったですが、見ている内に段々愛着が湧いてきましたね」
「はい。そして、物語も良かったです。住んでいる惑星が違う二人が互いを理解し合えた場面に、とても共感しました。共に過ごした奇跡のような時間は、たとえ離れても喪われるものではない――私はそう思います」
雪花がちらりとマークを見る。マークは口元を緩めており、楽しそうに見えた。
その表情に――雪花の心がほわりとあたたかくなる。
雪花が乗るJRの改札口の前に到着すると、マークは雪花に向き直り、頭を下げた。
「セツカさん、今日は休日にも関わらずお付き合い頂き、ありがとうございました。セツカさんのお蔭で、とても楽しかったです」
「いえいえ、こちらこそ。では、私はこれで」
「はい、また明日からよろしくお願いいたします」
口元を緩めるマークに軽く礼をして、雪花は改札の方に歩き出す。
パスケースを取り出そうとしたところで――ふと、雪花は足を止め、そして振り返った。マークは変わらず、そこに立っている。
何も言わずにいる雪花に、マークは口元を緩めた彼なりの笑顔のまま、首を傾げた。
――そう、いつか別れの日は来る。
それでも
雪花は笑って、口を開く。
「マークさん、また一緒にどこか行きましょう」
――この出逢いに、きっと意味はある。
だって――生きる惑星が違う私達が出逢えたこと、そのものが奇跡のような出来事なんだから。
雪花の言葉に、マークは少し驚いたように瞳を見開き――そして、ゆっくりとその表情を笑顔に染めた。
それはいつもの口元を少し緩めただけのものではなく、誰の目から見てもはっきりと笑顔と判別できるようなもので。
雪花はそれを確認して、改札を通り抜けた。
***
次の日、雪花はいつもよりも少し早めに出勤した。
この時間は出勤している従業員も少ないようだ。雪花はまだ電気の点いていない廊下を総務課に向かって一人歩いていく。
溜まっている仕事を片付けたいという目的もあったが、もう一つ、雪花には早く出勤した方が良いのではないかという思いがあった。
そして、総務課の扉を開けて、中に居た人物と目が合い――確信する。
やはり今日、早く出勤しておいて良かったと。
会議室に『彼』を案内し、雪花は手前の席に腰掛ける。それから暫し沈黙が流れたが――先に口を開いたのは、雪花だった。
「昨日は驚きました。映画お好きなんですね――鳥飼部長」
――そう、雪花の前には、いつも以上に気難しい顔をした鳥飼が座っている。
鳥飼は何か言おうと口を開くが――結局何も声を発さず、机の上で腕を組んだまま、黙り込んだ。重苦しい空気が雪花のメンタルを圧迫してくる。
目の前の彼が、昨日映画を観て号泣していた客と同じ人物だとは、とても思えない。
飲み物でも出した方がいいのかと、雪花が逡巡し始めたその時――鳥飼がぼそりと「一生の不覚だ」と呟いた。
「鈴木さん、昨日の件は見なかったことにしてくれないか……頼む、この通りだ」
そして、絶望したような表情で頭を下げる。思いがけない行動に、雪花は慌てて「部長、顔を上げてください」と言った。
「別に誰にも言ったりなんてしませんし、ご心配なさらないでください。マークさんも部長が居たことに気付いていませんから」
「――本当か?」
頭を上げた鳥飼の表情は、ほっとした安堵に包まれている。
鬼部長の初めて見せる顔に、雪花は新鮮な気持ちになった。
「子どもの頃にあの作品を観て、私は衝撃を受けたんだ。それから宇宙に興味を持つようになって、色々な映画を観てきたが――やはりあの作品は特別でな。ブルーレイは勿論持っていて自宅でも何度も観直しているが、たまに映画館でリバイバル上映される時には、できる限り足を運ぶようにしているんだ。やはり自宅のテレビと映画館のスクリーンでは、迫力も音響も桁違いだからな」
つまり何十回も――もしかしたら何百回も観ているということだろう。
それでもあんなに感動して号泣できるものなのか。ファンの熱量というのは想像を絶する。取り立てて趣味の無い雪花にとっては、そこまで情熱を傾けられることが、何だか羨ましくも思える。
浦河やマークが出社するまで時間があるので、そのまま鳥飼の話を聞いてみると、彼は幼少期に宇宙に傾倒してから、映画だけでなくSF小説を読み漁っていたらしい。その内宇宙そのものでなく、宇宙人に興味が移っていったようだ。
宇宙人にいつか逢ってみたい――その思いを原動力に子どもの頃から宇宙飛行士をめざしていたそうだが、とてつもなく狭き門であるため、途中で夢破れてしまったとのこと。
そして、そんな鳥飼の元に――社長から、マークの受入について相談があった。
「まさか火星人と同じ会社で働けるチャンスが来るなんて、夢にも思わなかったよ。現代の地球で普通に生活をしていて、宇宙人と接点を持つことなんて不可能だからな」
真面目にそう語りながらも、鳥飼の表情はいつもより柔らかい。心なしか、瞳もきらきらと輝いているように見える。
「もしかして、それで最近総務課によくいらしてたんですか?」
雪花の問いに、鳥飼は少しバツが悪そうな顔をした。
「――公私混同は避けるべきだが、つい彼と話したくて……」
言い淀む鳥飼の様子に、雪花は内心吹き出してしまう。いつもこんな風に感情を出してくれたら親しみやすいのに。
「公私混同なんて思っていませんよ。部長は上位上長なんですから、いつでもいらしてください。今度良かったら、マークさんも交えて食事に行きませんか?」
「ほ、本当か!?」
雪花の言葉に、鳥飼のテンションがあからさまに上がる。
その時、始業15分前を知らせるチャイムが鳴り――瞬時に鳥飼はいつもの厳しい表情に戻った。会社モードということだろう。
二人で会議室を出ると、既にマークが出勤している。鳥飼の肩がピクリと反応した。
マークが雪花と鳥飼の方に視線を向ける。
雪花が慌てて「鳥飼部長、朝から打合せありがとうございました」と言うと、鳥飼もはっとしたように「それじゃあ鈴木さん、くれぐれも頼んだよ」と返した。
そのまま鳥飼がマークの隣を通り過ぎようとすると、マークが立ち上がり、礼をする。
「トリカイ部長、おはようございます」
その瞬間――鳥飼の顔が一瞬嬉しそうに緩むのを、雪花は見逃さなかった。
しかし、鳥飼は一瞬で普段の厳しい目付きに切り替え、マークをじろりと見据える。
「あぁ、おはよう。今日も頑張ってくれたまえ」
そのまま総務課を出て行く鳥飼の背中を見送りながら――雪花は笑みを堪えることができなかった。
そんな雪花を見て、マークは少し首を傾げながらも「セツカさん、おはようございます。昨日はありがとうございました」と声をかけてくる。
「おはようございます、マークさん。昨日は楽しかったですね」
それにしても、思いがけずマークと鳥飼、二人の秘密を握ることになってしまった。数ヶ月前までの雪花には思いもよらない事態だ。
取り敢えずは、早々に鳥飼とマークの食事の席を設けなければ。
雪花は席に着いて、小さく息を吐く。しかし、その表情はどこか晴れやかだった。
第9話 ダブル・トップ・シークレット (了)