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第21話 陽光、翳りなし

 ――さぁ、私にはあと、何ができる?



第21話 陽光、(かげ)りなし



 9月になっても、まだまだ暑さは続いている。

 雪花(せつか)は手元の手帳に目を落とした。見開きでマンスリーのカレンダーが刻印されているそのページの上部には、季節のイラストが(えが)かれている。浮かぶ月を見つめるウサギの後ろ姿が、愛らしくも少し寂しげに雪花には思えた。


 ふと、動物園に行った時、草を懸命に()むウサギをマークが真剣に見つめていたことを思い出す。

 「月にウサギが住んでいる」という日本の言い伝えをマークが知ったら、どんなリアクションをするだろう。「月に生物が居るという可能性を古くから検討されてきたのですね」などと真面目一辺倒に言ってくる様子を想像して、雪花は思わず微笑んだ。


「セツカさん、明日の会議資料ができたので、格納しておきました」


 向かいの席からマークが顔を覗かせる。

 雪花は慌てて笑顔を引っ込め、「ありがとうございます、確認しますね」と返した。

 しかし、そんな雪花に対して、マークは小さく口元を緩めてみせる。


「……何か楽しいことでも、ありましたか?」


 どうやら先程の表情を見られていたらしい。

 「いえ、ちょっと考え事をしていただけです」と答えると、マークは少し首を傾げてから、穏やかな笑みを浮かべた。


「そうですか――でも、セツカさんの笑顔が見られて、嬉しいです」


 思いがけない言葉に、雪花は鼓動が速まるのを感じる。

 何だか顔が熱くなってきた。頬が赤くなっていたらどうしよう。


 ――あの日、夏の終わりに訪れたプラネタリウムで、雪花はマークを好きだという自分の気持ちに気が付いた。

 誰かを好きになるということ――もう何年振りかわからないその感情は甘くあたたかく、そして一抹のせつなさを雪花にもたらす。


 ――何故なら、彼は年末にはおよそ9,000万km離れた火星へと帰ってしまうからだ。


 もしかしたら、もっと早く気付けていたはずのその想いにストップをかけていたのは、その別れを知らず知らずの内に意識していたからかも知れない――雪花はそう思うようになっていた。

 今は民間人でも宇宙に行ける時代になったとはいえ、それには莫大な費用がかかるし、そもそも火星まで到達できるようになるのは夢のまた夢だろう。

 つまり――マークが火星に帰れば、二度と彼には逢えなくなる。


 それでも、私は気付いてしまった。

 いや――気付けて良かったんだと思おう。

 その分だけ、私にできることがきっとあるはずだから。


 定時の鐘が鳴る。

 雪花が机の上を片付けようとしたところで、画面上にぽんとチャットが送られてきた。

 送信元は同期の晴山(はれやま)だ。


『おつかれ。予定通り、18時にあの店でいい?』


 雪花が『うん、大丈夫』と返すと、即座に『了解。またあとで』と画面上に文字が刻まれた。

 机の上を手早く片付けて立ち上がると、課長の浦河(うらかわ)が物珍しそうにこちらを見てくる。


「鈴木、今日は随分早いな。飲み会でもあんのか?」

「はい、ちょっと予定があって」


 そう答えて鞄を手に取ったところで、向かいの席に座るマークと目が合った。

「セツカさん、おつかれさまでした」

 穏やかな笑顔でそう紡ぐマークに、雪花もまた笑顔を返す。

「マークさん、お先に失礼します――また明日」


 ***


 ドアを開けると、オレンジ色にぼやりと灯された明かりが雪花を迎え入れた。時間が早いからか、まだ店内には空席が目立つ。

 のんびりと歩いてきた外国人の店員に話しかけようとしたところで、視界の端に手を挙げる晴山の姿が入った。


「晴山くんお待たせ」

「いや、俺が早く来すぎただけだから。飲み物頼む?」


 すっと渡されたドリンクメニューの一番上、恐らくほとんどの客が頼むであろうベトナムビールを二人ともオーダーする。ドリンクが届くまでの間、二人でフードメニューを眺めて過ごした。


「懐かしいね、このお店。私ここに来たの、最初の同期会以来だよ」

「俺も。あの時、何でこの店にしたんだっけ?」

「晴山くんが『普通の居酒屋じゃつまらない』って言ったんだよ、確か」

「――あれ、そうだっけ?」


 とぼけた返事をして、晴山が笑う。雪花はそんな彼に笑顔を返しながら、内心申し訳なさを(いだ)いていた。

 ビールの小瓶が運ばれてきて、二人で乾杯をする。

 そういえば、こんな風に二人で食事をしたのも、今日が初めてだ。



『晴山くんに伝えたいことがあるんだけど、どこかで話せないかな』


 そう雪花が連絡を入れたのは、月曜日の朝のことだった。

 マークへの想いを自覚した今、晴山にはきちんと自分の意思を伝えなければならない――そう考えて打ったメッセージに返事があったのは、その日の昼休みのことだ。


『OK。今週出張多くて、ピンポイントなんだけど木曜の夜でもいい? 久々に行きたいお店もあるから、良かったらそこで』



「――よく考えたら俺、あの時初めて食べたんだよね、生春巻き」

 海老が飛び出た豪快な生春巻きに舌鼓を打ったあとで、晴山はそう言った。

「揚げたやつしか食べたことなかったけど、これはこれでうまいなって思った」

「私も。おいしくて感動したなぁ」

 そう言いながら青パパイヤのサラダを一口食べる。しゃきしゃきとした歯応えとさっぱりした後味を楽しんでいると、晴山が驚いたようにこちらを見ていた。


「えっ、鈴木も初めてだったの? 女子って皆生春巻き食べまくってるかと思ってた」

「そんなことないよ。そもそもこういうエスニック系のお店も初めてだったし」

「そうなんだ。俺、全然わかってなかったわ」


 そう言って、また晴山が笑う。

 雪花がいつ話を切り出そうか迷っていると、店員が新しいメニューを運んできた。オムレツのような黄色い生地が皿からはみ出していて、その豪快さに晴山が「おぉー、これも食べたなぁ。懐かしい」と声を上げる。


「何だっけ、これの名前」

「バインセオ。ベトナム風お好み焼きだって」


 晴山に答えながら、雪花は手早くバインセオを切り分けていった。目の前の作業に集中していると、頭の中が整理されてくる気がする。

 ――次に話が途切れたら、言おう。

 そう内心決意をして、切り分けたナイフとフォークを皿の端に置いた。


 顔を上げると――こちらを静かに見つめる晴山と目が合う。


「思い出したよ――あの時も、鈴木はこうやって黙々と皆の料理を取り分けたりしてた」

「……そうだっけ?」

「うん、鈴木は無意識かも知れないけど。よく考えてみれば――俺、あの頃から鈴木のことが気になってたんだと思う。今更だけど、もっと早く言えば良かった。そしたら、今頃上手くいっていたかも知れないのに」


 晴山から放たれた不意打ちの台詞(せりふ)に、雪花は思わず口を(つぐ)み、まじまじと彼を見つめ返した。晴山は真剣な表情で雪花を見つめたまま、言葉を続ける。


「――マークさんってさ、俺、いいひとだと思うよ」


 何も言えずにいる雪花に、晴山は小さく笑ってみせた。


「性格は穏やかだし、年上だろうけど俺達に対する物腰も丁寧でさ――頭の回転もすごく速いし。色々苦労してここまで来たんだろうけど、誰にでもできることじゃないと思う。背も高くてイケメンだし――ま、俺には敵わないけど」


 そう茶化して笑う晴山に、雪花の固まっていた表情も緩む。

 そんな雪花の反応に少しほっとした顔をして――そして、晴山は続けた。


「……鈴木は遠距離恋愛、耐えられる?」


 雪花の顔が、もう一度固まる。晴山は少し()を置いてから、もう一度口を開いた。


「マークさん、年末には自分の国に帰るんだろ。日本からどのくらいかかるか知らないけど、付き合うのは結構大変だと思うよ。日本で引続き働くとか、そういう選択肢ってあるの?」


 投げかけられる言葉は、雪花を(おもんぱか)っているものだとわかる。だからこそ、ストレートに雪花の胸に刺さった。

 ――そう、マークは年末には火星に帰ってしまう。

 ここで引続き働くという選択肢などない。

 何故なら、マークがここに居る理由は、火星における彼のポジションを決めるため――それ以上でもそれ以下でもないからだ。


 無言のままでいる雪花に、晴山が「鈴木はさ」と言いかけ――そして、覚悟を決めたように、続けた。


「――マークさんが居なくなったあと、どうするの?」


 その言葉を噛み砕きながら、雪花は静かに目を伏せる。

 ――そう、マークさんが火星に帰ったら、私達は二度と逢えなくなる。

 自分でも、どうすればいいのかわからない。


「……晴山くん、心配かけてごめんね。実は、私もわからないんだ」


 口を()いて出た言葉は、雪花の素直な心情を表していた。ふと顔を上げると、心配そうにこちらを見る晴山が視界に入る。その表情に晴山の優しさを感じながら、雪花は一人、目を閉じた。


 瞼の裏に広がるのは、一面の星空。

 果てしなく広大な宇宙。

 その光の一つ一つに、物語がある。

 そして――その中の一つ、赤く輝く惑星に、彼は帰っていく。


 ふと、マークの穏やかな表情を思い浮かべて――雪花は一つ息を吐いた。

 ゆっくりと目を開いていく。

「――でも」

 不思議なことに、その時、雪花の中で覚悟は決まった。


「どうしたらいいかわからなくても、それでも――自分の気持ちに、嘘は()きたくないんだ」


 そう言って、晴山の顔を見つめ返す。

 彼ははっとした表情をして――それから、優しく微笑んだ。


「……そっか」

「晴山くん、あの――本当にごめ」

「待って! 謝るのはマジでやめて。逆にへこむから」


 晴山の必死の静止に、雪花は思わず言葉を飲み込み、こくこくと頷く。

 手元のビールを一気に飲み干し、近くの店員にハイボールを追加注文したところで、晴山が雪花に向き直った。

 その顔には、いつものような明るい笑みが浮かんでいる。


「俺――鈴木のそういうまっすぐな所が、好きだったよ」


 その言葉の持つあたたかさは、雪花の心を優しく撫でた。

「……うん。晴山くん、本当にありがとう」

 晴山は雪花の言葉をそっと受け止めるように、穏やかな眼差しで頷く。


 店員がハイボールを晴山の前に置いた。そのまま立ち去ろうとした店員を呼び止めて、晴山がメニューを開く。


「よし、俺フォー食べるわ! 鈴木はどうする?」

「じゃあ私も食べようかな」

「すみません、この鶏肉のやつと牛肉のやつひとつずつください。それと、デザートは……鈴木、どれにする?」

「えっ、ちょっと待って」

「そしたら先にフォーお願いします!」


 その後、雪花と晴山は残る時間を、『仲の良い同期』として共に過ごした。


 ***


「ただいまー」


 結局あの後デザートまでしっかり食べた雪花は、満腹で玄関のドアを開けた。リビングに入ると、妹の花菜(かな)が真剣にスマホに見入っている。


「花菜、ただいま」

「あ、お姉ちゃんおかえりなさい」

 花菜はスマホから雪花に視線を移し――そして、ふと首を傾げた。


「お姉ちゃん、今日何かあった? やけにスッキリした顔してるけど」

 あいかわらず鋭い妹に、雪花は内心驚く。

「そう? 特に何もないよ」

 ふーん、と言いながら花菜がスマホに視線を戻した。何か動画でも観ているのだろうか。


「花菜こそ、何観てるの?」

「あぁ、これ? 大学の時の友達がたまたま変な書き込みしてたから、気になって」

「変な書き込み?」


 花菜に渡されたスマホを見ると、有名なSNSの画面が表示されている。雪花は一切使ったことはないが、様々な情報の発信源となっているこのSNSを花菜は活用しているようだった。

 そこに書かれていた言葉に――雪花は思わず目を見開く。


『何か隣の席で飲んでるやつ、自分が火星人とか言ってるんだけど』


 雪花が固まっていると、冷凍庫から出したアイスを手に、花菜が戻ってきた。


「こういう冗談とか言うキャラじゃなかったんだけどねー。まぁ、酔っ払いの言うことだから、気にする程のことでもないか。そういえば昔、火星に生物が居るとかいうニュースあったけど、あれどうなったんだろうね」

「……そんなニュース、あったっけ?」

「あったよ。まぁ私、宇宙とか詳しくないからよくわかんないけど」


 雪花はスマホを花菜に返し、「お風呂入って来るね」と足早に自分の部屋に向かう。荷物を置き、入浴の準備をしながらも、頭の中では疑問と不安が渦巻いていた。


 ――まさか、マークさんなはず、ないよね。


 支度を終えて、洗面所に入る。

 鏡の中には、少し不安げな表情の自分が居た。



第21話 陽光、翳りなし (了)

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― 新着の感想 ―
まさか、マークさんなはず > むしろダニーっぽい気がするけど、どうなんだろう?  いや、他の火星人が酔っぱらっていたり、ただの酔っぱらっいだったりする方が有り得るのか。
[一言] >「月に生物が居るという可能性を古くから検討されてきたのですね」 うん!マークさんなら言いそう。 >『何か隣の席で飲んでるやつ、自分が火星人とか言ってるんだけど』 そんな事ベラベラ言うの、…
[良い点] 夏の終わりに二人で訪れたプラネタリウムで、星を探しながら、心にみつけたマークへの気持ち。やがて離れると分かっていても、気付いてしまったそれが確かな気持ちへと変わっていくように感じました。 …
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