第2話 その男、火星人につき
――あなたに出逢った日のことを、私はこの先何度でも思い出すことでしょう。
第2話 その男、火星人につき
開かれた扉の先に立っていたのは、ネイビーのスーツを身に纏った色黒の男性だった。
スーツには白いストライプが入っており、ごく一般的なもののように見える。漆黒の髪はオールバックにきちんとセットされていて、彫りの深い顔によく似合っていた。身長は浦河よりも高く、がっしりした体躯には無駄な脂肪分がついていないようだ。室内を見据えるその精悍な顔立ちは、年齢の割に童顔な雪花と比べると幾分か大人びているように感じられる。外見は20代後半から30代といったところだろうか。
そんな彼を前に、雪花と浦河は言葉を発することができなかった。
――何故なら、相手が待ち人である鈴木・マーク・太郎であるという確信がなかったからである。さすがに古典的な火星人然とした生物が来るとは思っていなかったものの、想像以上に彼の姿は『地球人』そのものだった。
黙っている二人の様子を気にすることなく、マークと思しき男は室内に入って後ろ手にドアを閉める。その所作も自然で、普通の地球人と変わりない。
ドアの閉まる音ではっと我に返り、沈黙を打ち破ったのは雪花だった。
「――おはようございます。鈴木・マーク・太郎さんですか?」
雪花の声に反応するように、男は視線を彼女の方に向ける。
その瞳は、深みのある金色に染まっていた。まるでファンタジー映画に出て来るキャラクターのようだ。雪花はその色を、純粋に綺麗だと思った。
男はじっと雪花を見つめたまま、変わらぬ表情で口を開く。
「はい、私は鈴木・マーク・太郎です。本日から総務課にお世話になります」
口から飛び出てきた流暢な日本語に、浦河が口笛を吹いた。イントネーションも全く違和感がない。彼がマークであると確定したことに安心したのか、浦河が勢いよく立ち上がる。
「無事着いたようで良かったよ。俺は課長の浦河。――で、こっちが指導員の鈴木雪花」
それを聞いたマークの瞳が揺れ、小さく「スズキ……」と呟いた。
雪花も立ち上がり、マークに向き直る。
「はい、私も鈴木といいます。なので、混乱を避けるために、私達はあなたのことをマークさんと呼びますが、大丈夫ですか?」
それを聞いたマークは、こくりと頷いた。首の動きに合わせて、頭の後ろで一つに結んだ髪が揺れる。
髪を下ろしたら、私と同じくらいの長さだろうか――実在の火星人を前にそんな他愛もないことを考え、雪花は自分の神経の図太さに改めて気付かされるのだった。
***
挨拶を済ませたところで、3人で会議室に入る。午前中はオリエンテーションを予定していたが、その実、中身は浦河からマークへの質問攻撃だった。
「――で、思った以上におまえさんの見た目が地球人でこっちはびっくりしてるんだけど、火星人ってみんなそうなの?」
浦河はすっかり普段のペースに戻っており、失礼な発言がないか雪花は気が気でない。
マークが全く気にする素振りを見せないのがせめてもの救いだ。
「そうですね。我々が地球上で生活する際には、みなさんからこのような姿に見えるよう設計されています。その方が何かと都合が良いですから」
「じゃあ、本当の姿は、それこそタコとかイカみたいに沢山足があったりすんのか?」
「地球ではそれが伝統的な我々の姿だと認知されているようですね。ウラカワ課長のご想像にお任せします」
そんなことを言われるとマークの本当の姿が気になってしまうが、まじまじと相手を見つめるのも失礼な気がして、雪花は「そうなんですね」とだけ返す。浦河は「へーおもしれー」と興味津々だ。
「同様に、火星人の名前はみなさんには発声できないものと思われますので、我々は地球上では地球名を使用することとしています」
「地球名……源氏名みたいだな」
雪花は横目で浦河を睨むが、全く効果はないようだ。
「ただ――まさか、その一部がセツカさんと重複してしまうとは思いませんでしたが……」
金色の瞳が雪花に向けられる。何故かマークに名前を呼ばれても、嫌な気はしなかった。
「別にマークさんが悪いわけではないので、気にしなくていいですよ」
そう優しく返すと、今度は右側から浦河の視線を感じる。どうせ「俺が呼んだらセクハラとか言う癖に」とでも思っているのだろうと判断し、雪花はそれを無視することにした。
「ちなみに、生活で困っていることなどはありませんか? お住まいは、えっと――」
「キタセンジュです」
「……北千住、ですか?」
「はい。日本滞在中、私の面倒見はNASAからJAXAに管轄が移るそうで、そちらで住居を手配して頂きました。何でも通勤に便利で、有事の際には研究所に行きやすいからだとか」
確かに北千住にはJR・地下鉄をはじめ複数の路線が乗り入れており、雪花達の会社には乗り換えなく通勤できる。つくばにある宇宙センターにもつくばエクスプレスに乗り込めば一本で到着だ。
火星人にとって、首都圏の電車事情は複雑すぎるのか――それを考慮しての、JAXAのチョイスなのかも知れない。
「北千住か。あそこ飲み屋多くていいよなー……って、おまえ食事とかはどうしてんの?」
「地球滞在中は地球のものを食べることになっています。不足した栄養素は火星から持参した薬で補えますので。昨日はJAXAの方々と近所で外食しました」
「そうですか。事前にお伝えしていたと思いますが、今晩はこのメンバーで簡単な歓迎会をしますので、よろしくお願いします。あとは――」
「――そういやマーク、体調は問題ないか?」
浦河が口を挟む。「体調ですか」と首を傾げるマークに、浦河は続けた。
「俺もそんなに火星に詳しくねぇけど、火星って地球の重力の1/3しかないんだろ。地球に滞在してて、きつくねぇの?」
そういえばそんな話を聞いたことがある。浦河は浦河なりに、マークを受け入れるにあたって火星のことを調べたのだろうか。
雪花は隣に座る浦河のことを、少し見直した。心なしかマークの表情も和らいだ気がする。
「ご心配には及びません。地球に来るまでの間に色々と訓練を受けてきましたので、今のところは大丈夫です。重力こそ火星の方が軽いですが、環境面では地球の方が生物が生活するにあたっては遥かに優れていますから」
聞けば、火星の最低気温は-140℃にもなるらしい。平均気温も-63℃ということで、かなり過酷な環境だ。大気が薄く、海もない。
それ故に、火星人達は地底の世界に活路を見出したという。独自の科学技術で地底を拓き、自分達の手で生物が息衝くための空気や水を生み出していった。「詳細は機密情報なのであまり言えない」とマークはそこまでで話を終えたが、それでも雪花や浦河にとっては初めて知る事実ばかりだ。
「そうなんですか――火星人ってすごいんですね」
素直に雪花が感嘆の念を口にすると、マークが少しだけ口元を緩める。
――もしかして、笑ったのだろうか。
あまり表情を変えないマークの感情の発露を見た気がして、雪花は内心ほっとする。住む惑星が違っても、それこそ姿形が違っても、気持ちが通じ合えば何とかなるような気がするから不思議だ。
管理職の浦河を除けば、総務課は雪花とマークの二人きりだ。育ってきた環境が違い過ぎるので今後どうなるかはわからないが、スタート地点の感触としてはまずまずといったところだろう。
浦河と会話するマークを見ながら、雪花は指導員として頑張ろうと決意を新たにした。
「――ところで、マークって何歳? 火星と地球の時間の概念が同じなのか知らんけど」
「地球とは少し周期が異なりますね。火星時間を地球時間に換算すると、火星の1日は地球より40分間長く、1年は322日長いです」
そして、マークは変わらぬ表情で淡々と告げる。
「つまり――私は地球時間で言うと、今は300歳くらいですね」
「……えっ」
――目の前の実習生は、自分より270歳以上歳上だった。
想像以上の年齢差に絶句する雪花の隣で「まじかおまえおじいちゃんじゃん」と浦河が笑う。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
そう言って丁寧に頭を下げる人生の大先輩に、雪花も慌てて「こちらこそ」と頭を下げた。
第2話 その男、火星人につき (了)