第17話 輝けるひとよ
――しかし、私の目にはいつもあなたが輝いて見えました。
第17話 輝けるひとよ
「それにしても、今日も暑いなー」
浦河が街中でもらったらしきうちわを扇ぎながら総務課の室内に入って来る。
そんな浦河に、雪花が「まぁ、もう8月ですし……」とメールを打ちながら答えた。
浦河が席に戻りがてら、マークに声をかける。
「マークはこの暑さ大丈夫か?」
「はい、何とか。ニュースを見ながら、こまめに水分補給をするようにしています」
「水分だけじゃなくて塩分もちゃんと摂れよ」
「はい、外出する時はスポーツドリンクを携帯しています」
「へー、随分地球暮らしに慣れてきたねぇ」
浦河にそう言われたマークが「お蔭さまで」と口元を小さく緩めた。その表情は何だか得意げにも見える。向かいの席のそのやり取りに、雪花も思わず微笑んだ。
動物園で浦河と娘のあおいに出逢ったのは1ヶ月程前のことだ。元々マークと浦河の関係性は悪くなかったが、あの日以来マークは以前にも増して浦河に気を許しているように見えた。
ふと、画面上にポップアップ画面が出て来る。15分後の会議を知らせるアラートだ。そのタイミングで、マークが立ち上がって雪花に微笑みかける。
「セツカさん、この後奥の会議室を使用するので、準備してきます」
「――あっ、はい。私もこのメールだけ送ったら行きますね」
「お手数をおかけしてすみません、よろしくお願いいたします」
マークの声に、雪花は笑顔を返した。
***
事の発端は、7月の中旬に部長の鳥飼が総務課を訪れた時まで遡る。
「納涼祭ですか。ありましたねーそんなイベント」
コーヒーを飲みながらははっと浦河が笑う声がした。鳥飼は浦河の席の隣に椅子を引っ張ってきて座っている。
「あいかわらず呑気だな、浦河。去年は総務課が人員減で厳しそうだったから、人事課の方から実行委員を出したんだ」
鳥飼の不機嫌そうな声が響いて、思わず雪花はちらりと二人の様子を窺った。雪花とマークは自席で作業していたが、同じ室内なので二人の声は嫌でも耳に入ってきてしまう。
しかし、そんな鳥飼を「はいはい、わかってますって」と浦河は軽くいなす。
納涼祭――聞いたことはあるものの、正直雪花にはぴんと来ない。
鳥飼の説明によると、周辺地域で納涼祭が行われるらしく、このビルにオフィスを構える雪花の会社も出店せざるを得ないということだった。とはいえ、納涼祭は8月の第2土曜日のみ、社内行事でもないので実行委員も最小限で、各部から代表者1名ずつを出して対応しているようだ。
「人数比で見れば、人事課の方が総務課より全然多いでしょ。まぁ皆さん大変お忙しいこととは思いますが」
浦河の返答に、鳥飼が顔を顰めた。
「そう言うな、浦河。私だって状況はよく理解している。ただ、人事課は今幹部直轄のプロジェクト対応にかかりきりで――」
「冗談ですよ、よくわかってます」
そう小さく笑って、浦河が「おーい、マーク」と声を上げる。
それを受けて、マークが二人の所に歩いて行った。
「トリカイ部長、おつかれさまです」
「あぁ、マークくん、元気そうだな」
鳥飼の声と表情が明らかに和らぐ。そのリアクションに、浦河が一瞬怪訝そうな顔をした。
マークへの好意を隠せない鳥飼の様子を見て、雪花は一人笑いを堪える。
そこで、はっと鳥飼が我に返ったのか、鋭い眼差しを取り戻して浦河を見た。
「――まさか浦河、マークくんにやらせるつもりか?」
その発言に、雪花も驚いて振り返る。浦河は平然と「えぇ」と頷いた。
「地球っつーか日本のお祭りを見てもらういい機会にもなりますし、十分にできるかと」
「勿論マークくんに問題があるわけではない。しかし……彼を火星人と知らない他部署のメンバーと合同で仕事をすることになるが、大丈夫か?」
鳥飼の心配は尤もだ。
しかし、その問いに答えたのは、浦河ではなかった。
「トリカイ部長」
マークが口を開く。
「ご心配ありがとうございます。ですが、ウラカワ課長にお話を伺った時から、私も是非やってみたいと考えていました。他の方々に正体が知られないよう万全の注意を払いますので、よろしくお願いいたします」
そして、マークが丁寧に頭を下げた。
「ま、俺の方でも当然サポートしますんで」
浦河の言葉を受けて、鳥飼は考えを巡らせるように暫し沈黙する。雪花もその様子を見守っていたが、根負けしたかのように鳥飼が頷いた。
「――わかった、マークくんにお願いしよう」
それを受けて、マークが改めて頭を下げる。
「ありがとうございます」
そしてマークが席に戻ろうと振り返ったところで、雪花と目が合った。雪花が小さく手招きすると、マークが静かに近付いて来る。
「マークさん、私もお手伝いしますね。何かあったらいつでも相談してください」
そう囁くと、マークが嬉しそうに顔を綻ばせた。
「セツカさん、ありがとうございます。とても助かります。あまりご迷惑をおかけしないようにしますが、よろしくお願いいたします」
その表情は浦河や鳥飼に見せる笑顔とはまた違って、雪花の胸が少しあたたかくなる。
その時、背後で「ん?」と声が上がった。振り返ると、鳥飼が首を傾げている。
「さっき、マークくんが『浦河課長にお話を伺った時から』と言っていたが――浦河、事前に彼に話をしていたのか?」
すると、浦河が「あ、気付きました?」としれっと答えた。
鳥飼の眉間の皺が深くなる。
「……何故さっきしらばっくれた?」
「――いや、すんなり話受けるのも、何か俺達が暇人みたいで面白くないなぁと。まっ、そう怒らずにコーヒーでもどうぞ」
悪びれもせず浦河が笑い、どこからか出してきた缶コーヒーを鳥飼に差し出した。その缶コーヒーを、鳥飼はむすっとした表情で受け取る。
そのやり取りを見ながら、雪花は浦河の強かさに内心舌を巻いたのであった。
***
そして、そこから3週間程マークは他部署の実行委員達と準備を進めてきた。
雪花もサポートすると言ったものの、同行したのは最初の打合せのみで、それ以外にほとんど雪花の出番はなかった。
以前雪花が渡した社員リストをマークなりにカスタマイズしているらしく、他部署のメンバーの名前を教えると次の日には顔も完璧に覚えている。どうやら日本人の顔の見分け方のコツを掴んだようだった。
納涼祭は来週末に迫っている。
今日は実行委員が集まり、準備状況について会社のイベント事務局に報告することになっていた。事務局は納涼祭が対外イベントであるという性質上、雪花達が所属する総務課が担っている。
去年までは浦河が対応してくれていたようだが、今年は雪花も事務局として会議室の端に座って、実行委員の一人であるマークと共に出席者が集まるのを待っていた。
なお、今回の報告にはわざわざ部長の鳥飼も同席するということで、会議室に集まった実行委員達は少し緊張の面持ちだ。
無理もない。実行委員達は各部の若手~中堅社員を中心に選抜されており、人事総務部長の鳥飼とは普段ほぼ接点がなく、その上鳥飼の纏う雰囲気は決して近付きやすいものではないからだ。部下の雪花ですら、あの映画館でのアクシデントがなければ、鳥飼と積極的に話すような間柄にはならなかっただろう。
開始時間3分前に鳥飼と浦河が入室すると、会議室の空気がぴりっと引き締まる。
それに気付いた浦河が「おー、皆おつかれさん」と明るい声をかけた。浦河の声に実行委員達の表情がほっと緩む。
鳥飼と浦河も揃ったため、もう会議を始めてしまいたいところだが――まだ実行委員が1名来ていない。
自分事ではないものの、雪花は少しドキドキしながら時計を見る。鳥飼は普段通りの表情だが、その厳しい顔を見慣れていない実行委員達からすると、実に居たたまれない時間だろう。
――すると、マークがすっと立ち上がった。
「トリカイ部長、ウラカワ課長、お忙しい中お時間を頂きましてありがとうございます。出席者が揃うまで、恐れ入りますがもう少々お待ちください」
その台詞を受けて、鳥飼の表情がふっと緩む。
「――まだ開始時間前だ、構わない」
すると、鳥飼の隣に座った浦河が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「部長って、何かマークに優しいですよね。俺達にももう少し優しくしてほしいんですが」
思わず雪花が小さく吹き出す。他の実行委員達にも僅かに笑みが浮かび、それと反比例するように鳥飼は敢えて眉間に皺を寄せてみせた。
「私だってきちんと仕事をする相手には優しくしている」
「えっ、俺もちゃんとやってますよ」
「いや、もっとできるはずだ」
「あぁ、期待の裏返しってことですね。そりゃお優しい」
真面目な鳥飼に浦河が軽口を叩くことで、雰囲気が和らいでいく。もしかしたら良いコンビなのかも、と雪花が感じたところで――会議室のドアが開いた。
「ギリ間に合った! おつかれさまです」
そこに立っていた実行委員を見て――雪花はきゅっと口唇を結ぶ。
残る1名の実行委員は、営業部の晴山だった。
報告会は、晴山がメインスピーカーとなって説明を進めていった。
出し物は例年通りヨーヨー釣り。ビニールプール、ヨーヨーに水を入れるポンプ等の備品は書庫に置かれているものを継続して使用し、消耗品のヨーヨーやヨーヨーを釣るためのこより、フックは発注済ということだった。
「――で、今年は釣れたヨーヨーの数に応じて賞品を付けることにしました。営業部に販促品の在庫があるので、それを活用します。また、参加賞として、社名を印刷したポケットティッシュも配布予定です。折角の機会ですし、会社のPRにも活用できればと思いまして」
「成る程。ポケットティッシュは幾らくらいで手配できる? 大した金額ではないと思うが、念のため確認したい」
「はい、1,000個で10,000円くらいですね。営業部長に1回交際費使うの我慢してもらう約束したので、予算上問題ないです。費目は違いますが、財務からもOKもらってます」
晴山の明快な回答に、鳥飼の口元が緩んだ。珍しい鳥飼のリアクションに、雪花は驚く。
――やっぱり、晴山くんはすごい。
晴山に告白されてからおよそ1ヶ月、雪花は晴山と2回食事に行った。
勿論、どちらも二人きりではない、1回は同期複数人で、もう1回は先日の退職騒ぎのお礼として営業部のメンバーを交えてだ。どちらの会も、晴山のお蔭でとても楽しい時間を過ごすことができた。
そんな晴山が、何故自分のことを好きなのか――雪花はまだ自信が持てない。
晴山は同期入社ではあったが、雪花にとっては輝いて見えた。まるで違う世界の住人みたいに。
ほぼ晴山の独壇場で、報告会は無事終了した。
会議室を片付けていると、晴山が「鈴木、おつかれ」と声をかけてくる。
「この前は付き合ってくれてありがとう。部長、すごく喜んでたよ。鈴木ともじっくり話せて良かったってさ」
「こちらこそ。すごくおいしいお店に連れて行って頂いて、何だか逆に申し訳なかったというか……」
「いやいや、営業部が迷惑かけたんだから、そこ気にしなくていいでしょ。鈴木のお蔭で本当に助かったよ。また行こ」
さりげない誘いに「うん」と頷いてから、雪花ははっと我に返った。
晴山がしてやったりといった表情で「『また』ね」と言って会議室を出て行く。
雪花は小さく息を吐いて、そして少し頬を緩めた。
晴山のペースについ巻き込まれてしまうが、決して嫌な気分ではない。そんな魅力が晴山にはあった。
「――ハレヤマさんはすごいですね」
ふと、背後からマークの声がして、雪花は振り向く。そこには、マークが真面目な表情で立っていた。
「そうですね、晴山くんはうちの代のエースなので」
そう雪花は笑いながらマークを見上げる。そして、マークがじっと雪花をその真剣な眼差しで見つめていることに気付いた。
「……マークさん?」
マークが少しの沈黙の後に口を開く。
「――セツカさんは、ハレヤマさんと仲が良いですね」
思いがけない台詞に、雪花は目を見開いた。
「そ、そんなことないですよ。ただの同期……えっと、友達のようなものです」
何故か慌ててしまうことを自分でも不思議に思いながら、雪花が答える。
すると、マークが口元を少し緩めた。
「――私もハレヤマさんに負けないように、頑張ります」
そのマークの言葉に、雪花は思わず口を開く。
「マークさんは負けてませんよ。すごく頑張っているじゃないですか」
マークは一瞬虚を突かれたように雪花をまじまじと見つめ直した。
「先程の会議でもずっと議事メモ取られてましたよね。説明した晴山くんは勿論すごいですけど、陰で支えるマークさんもすごいです」
雪花の言葉を受けて、マークの固まっていた表情が解けていく。
「……はい、ありがとうございます」
少し緊張をしていたのだろうか、先程のマークはいつもとは違うように雪花には感じられて――その笑顔を見て、雪花は胸をほっと撫で下ろした。
第17話 輝けるひとよ (了)