第12話 真昼の来訪者
――少しずつあなたを知っていけること、それは何よりも嬉しいことでした。
第12話 真昼の来訪者
『鈴木さん、受付です。お約束のお客様がいらっしゃいました』
「わかりました、すぐに伺います」
スマホから響いた呼び出し案内に答えて、雪花は席を立った。
向かいの席のマークが少し心配そうにこちらを見る。雪花はそれに「いってきますね」と笑顔で応えた。
総務課の部屋を出て、廊下を一歩一歩進んでいく。逢うのは2度目――緊張が全くないと言えば嘘になるだろうか。雪花は深呼吸をしながら歩いた。
そして、受付に到着した雪花の目に映ったのは――明るい色のスーツに身を包んだ、美しい女性。
「すみません、お待たせいたしました――古内さん」
雪花の声に、古内はその顔を上げ、綺麗に整った顔を艶やかに笑みで染めた。
***
事の発端は、先週のことだ。
「え、JAXAの方がいらっしゃるんですか?」
課長の浦河に呼ばれた雪花は、思わず声を上げる。
「あぁ、マークが来てからもう1ヶ月以上経つし、一度様子見に来たいんだとさ。まぁ様子を見るっつっても基本はオフィスワークだし、見てて面白いもんじゃねぇだろうけど」
浦河はあまり興味がなさそうに頬杖をついている。
「マーク、おまえの方にもそういう話来た?」
「はい、ウラカワ課長。リサ――フルウチさんからは、来週の水曜の午前中に来ると聞いています」
やはり、来るのは古内のようだ。雪花はとうきょうスカイツリー駅で古内に出逢った日のことを思い出す。とても綺麗なひとだった。そして、マークとも随分仲が良さそうだったのを覚えている。あの誰に対しても丁寧なマークが、彼女を「リサ」と名前で呼び、敬語を使わずに話していたのも印象的だった。
雪花が黙っていると、浦河が怪訝そうな顔をする。
「何、鈴木、JAXAの人知ってんの?」
「――あ、はい……以前マークさんとスカイツリーに行った時、待合せの駅にいらしてまして」
「何だ、随分と過保護だな」
そう笑い飛ばす浦河の前で、マークは「彼女、心配性なもので……」と少し申し訳なさそうな顔をした。
それを見て、雪花はふと先日マークが見せた表情を思い出す。
鳥飼部長と3人で食事した帰り、夜の路上で足を止め、マークは言った。
『――セツカさん。私は、そんな大した人間ではないんです』
――あれは一体、どういう意味だったのだろう。
その後、マークはいつもの穏やかな表情に戻っていた。以降、仕事中も変わった様子はなく、普段通り仕事に取り組んでいる。
しかし、あの時の言葉と悲しげな色が、やけに雪花の心に引っ掛かっていた。
「セツカさん」
マークの声で、ふと現実に引き戻される。隣を向くと、マークが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「お忙しい中、お手数をおかけしてすみません。あまりセツカさんのお仕事にご迷惑がかからないようにしたいのですが……」
どうやら雪花が古内の対応に手間を取られてしまうことを心配しているようだ。
マークの気遣いに、雪花は微笑みを浮かべて応える。
「マークさん、ご心配なさらないでください。マークさんが来てくれたお蔭で仕事量は減っていますし、古内さんがご希望であれば社内のご案内もさせて頂きますから」
雪花の言葉に、マークが口元を少し緩めた。
「……そうですか、ありがとうございます」
その顔を見て、雪花もほっとする。
あの言葉の意味は、また機会があれば訊いてみよう。変な詮索をして、マークを悲しませるようなことはしたくなかった。
――そして、今雪花は古内と共に廊下を歩いている。
隣を歩く彼女からは、あの時と変わらず、いい匂いがした。
「本日はお忙しい中お越し頂きまして、ありがとうございました。つくばからだと、少し遠いですよね」
「いえ、実は私は東京勤務なんです。意外と事務所も近いんですよ」
「え、そうなんですか?」
ヌードカラーで上品に彩られた古内の口唇が、にっこりと形を作る。
「はい――なので、本当は初日も一緒に伺おうと思っていたのですが、他のメンバーの初出社日と重なっていまして、マークにそちらを優先して欲しいと言われました。ご存知かも知れませんが、彼、非常に気を遣うひとなので」
『彼』という言葉に特に意味はないとわかっていても、雪花はその言葉にぎこちなく笑みを返すことしかできなかった。そして、そんな心に余裕のない自分が嫌になる。
何故だろう。何だか彼女と居ると、雪花は自分の存在がとてもちっぽけで、取るに足らないものだと感じてしまうのだ。
気持ちを切り替えようと雪花は小さく息を吐いて、もう一度笑みを作り直した。
「――あ、着きました。こちらです」
総務課のドアを開ける。雪花はそのまま古内を伴って部屋の中に入って行った。
それに気付いた浦河とマークが立ち上がる。マークが少し口元を緩めて「フルウチさん、おつかれさまです」と言った。
すると、古内が小首を傾げて小さく笑う。
「あら、すっかりサラリーマンね。見違えちゃった」
そのまま、古内はマークと会話を始めた。
雪花は二人の会話をあまり気にしないよう、奥の会議室に入ろうとして――そこで、浦河に引き留められる。
「何ですか?」
小声で浦河に問うと、浦河が小声で「なにあれ、すっげぇ美人」と返してきた。
「やっぱ火星人相手には、地球人代表クラスを選抜してんのかね」
一体どういう理論なのか。雪花が呆れた眼差しを向けると、浦河は「――冗談だよ、そんな汚いものを見るような目で俺を見ないでくれ」と苦笑いした。
最初は全員で会議室に入り、マークに任せている業務の内容や、普段の仕事の様子について情報共有を行った。
「そうですか。色々なことを経験させて頂いて、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。マークのお蔭でだいぶ助かってますよ。なぁ、鈴木」
「はい、本当に。マークさんが来て下さったお蔭で、私自身はすごく楽させて頂いてます」
そう言って前に座るマークの顔を見ると、マークがその表情を嬉しそうに綻ばせた。
「そんな風に言って頂けて、とても嬉しいです」
そんなマークの表情に、雪花も思わず頬を緩める。マークの隣に座る古内が「良かったわね」と彼に微笑んだことも、気にならなかった。
――そして、マークは退席し、今度は浦河・雪花・古内の三者面談となる。
「まぁ、言えることはさっきと変わりませんね。マークの働きぶりは全く問題ないですよ」
「そうですか。まぁ、マークは火星人達の中でも技能レベルが高いですし、性格も非常に温厚ですからね。ご迷惑をおかけするようなことはないと思っていました」
成る程、火星人が全員マークのような人達というわけではないらしい。
「へぇ、結構個人差があるものなんですか?」
浦河の言葉に、古内が苦笑しながら頷いた。
「はい、かなり。技能については訓練があるので一定レベルは担保されていますが、特に性格は千差万別です。表立っては口にしませんが、中には地球人を下に見ているような火星人も居ますよ。そういうのはこちらにも何となく伝わってきてしまうので、あまり気持ちの良いものではありませんね」
「ふーん、じゃあ言い方悪いけど、マークは『当たり』ってことか」
そんな浦河と古内のやりとりを聞きながら、雪花はふと先日の鳥飼との夕食を思い出す。あの時、マークは『地球に派遣されているのは、地位が高いか厳しい選抜試験を潜り抜けた者』だと言っていた。
そんな選ばれし者達であっても、聖人君子ばかりではないということだろう。そして、マークはその中でスキルも人間性も優れているのだから、舌を巻いてしまう。
地球時間に換算すれば300年近くもの永い間、彼に与えられた地位か積み重ねてきた努力が、今の彼を創り上げている。雪花はやはり純粋にそれをすごいと思ってしまうのだった。
そして、一通り会話が終わり、古内に社内を見学してもらうことになった。それが終わった後は、マークも含めて社員食堂で昼食を取る予定だ。
「それじゃあ鈴木、案内頼むわ」
「わかりました」
そう言って、会議室の扉を開けた雪花の瞳に映ったのは――
「あ、鈴木。おつかれ」
「セツカさん、おつかれさまです」
「えっ……晴山くん!?」
何故か総務課の入口でお弁当を抱えている同期の晴山と、そんな彼の前に立つマークの姿だった。
第12話 真昼の来訪者 (了)