第1話 未知との遭遇?
――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした。
『その同僚、9,000万km遠方より来たる』/未来屋 環
その日、鈴木雪花の出勤の足取りは軽かった。
今の部署に異動してから1年。昨今はどこの部署も人員が減らされており、雪花が所属する総務課は、管理職の浦河課長を除けば現在は雪花一人しかいない。
色々な雑事が日々舞い込んできて、入社5年目の雪花の日中は目まぐるしく過ぎていく。
無理もない、雪花が異動してくる前は10年選手の社員が二人で回していた仕事量だ。一人は他部署に異動願を出していなくなり、もう一人が出産休暇に入るということで、雪花が後任者として異動してきたのだった。
暫くは何とか頑張っていたが、あまりにも忙しいので浦河に増員について相談したものの、「部長がうるせぇんだよなー」と良い返事が返ってくることはなかった。
そんな残業続きの毎日に嫌気が差していた昨日、いきなり浦河に言われたのだ。
「鈴木、実習生一人もらえるって言ったらどうする?」
朗報だ。雪花の仕事は単純に事務作業が多く、もう一人と業務分担ができればだいぶ仕事は楽になるだろう。この際、新人だろうが実習生だろうが何でもいい。
「課長、是非お願いします!」
即座にその提案に飛び付いた雪花に、浦河は意味ありげな笑みを浮かべて「おう」と答えた。
――そして、今日は浦河と実習生の受入について打合せを行うことになっている。
席に着いてPCを起動し、朝ごはん代わりの飲むヨーグルトをビニール袋から取り出す。いつもはプレーンだが、今日は自分へのお祝いの気持ちを込めていちご味をチョイスした。
打合せは10時からだ。それまでにできる仕事を捌いてしまおうと、雪花は飲むヨーグルトを啜りながらメールを読み始める。返信を打ちながらも、頭の中は実習生のことでいっぱいだ。
一体、どんな人が来るのだろう。
実習生というくらいだから、若いのだろうか。
男の子だったら緊張してしまうかも知れない。女の子の方が話しやすいかな。
できれば優しい人がいいな――。
目の前の作業に没頭していると、「はよーっす」と浦河の声が聞こえてくる。
もう9時30分か。「おはようございます」と雪花は顔だけそちらに向けて、またすぐ作業に戻った。
浦河はいつも「俺、時差出勤派だから」と9時30分頃に出社する。始業時間の9時にいるところを雪花が見たことは一度もないが、終業時間の17時30分にきっちりと帰っていく姿は毎日見ることができる。雪花が管理職っていいなぁと思う瞬間である。
「課長、10時からの打合せは会議室Bでお願いします」
「はいよー」
やる気のなさそうな声が返ってくるが、雪花は気にせず目の前の作業に没頭した。
浦河がこの調子なのはいつものことだ。若い頃はシステムエンジニアリング部のエースとして出世レースの先頭を走っていたという噂だが、今はちょっと口が悪い脱力系のオジサンだ。
――でも、今回人をもらってきてくれたし、やる時はやる人だったんだなぁ。
メールの送信ボタンを押す。打合せもあるし、取り敢えず一旦ここまでにしよう。
雪花は眼鏡を外し、安堵の息を吐いた。
***
――20XX年、世界の総人口は100億人を超えた。それと共に65歳以上の人口比率は約18%を占め、世界的に労働力人口の減少が大きな課題となっている。
日本においても例外ではなく、21世紀初頭には6,800万人だった労働力人口が、いまや4,000万人を切る事態となった。
労働力確保のために、我々が選んだ道、それは――
「――宇宙から人を受け入れることだ」
打合せの冒頭で投げかけられた言葉に、雪花は絶句した。
目の前に座る浦河の顔は、いつものやる気のなさは見られるものの至って真面目で、それがその発言の異常さをより際立たせている。
「――まぁ、さっきの俺の説明は政府の未来予測の受け売りだが、近い将来今以上に人不足が深刻になることは自明の理だ。だから、まずは実験的にやってみようってことだな」
自分の説明にうんうんと頷く浦河。
「そんなわけで、来月からうちの課に火星人の実習生が来ることになった。鈴木、面倒見よろしくな」
男の子とか、女の子とか、歳上だとか、歳下だとか、それ以前に――
「地球人じゃないんですか!?」
「あ、鈴木、おまえ発言には気を付けろよ。人権侵害とか言われかねないぞ」
思わず飛び出た言葉を窘められ「あ、すみません」と謝りながら――雪花は我に返った。
「いえ、課長、何でそうなるんですか。いきなり話が飛び過ぎです」
確かに、NASAが火星で生物を発見したというニュースが世界中を駆け巡ったのは、雪花もよく覚えている。雪花が入社した頃の話だ。
本当に宇宙人っていたんだなぁと、宇宙にそこまで興味のない雪花も何だか感慨深かったものである。
しかし、その第一報以来、NASAから具体的な情報が出ることはなかった。その内にその話題も沈静化していったのである。
それがまさか、大企業とは呼べないレベルの民間会社に火星人が来るような事態になっていたとは――。
「俺もよく知らんが、各国のお偉いさん方が秘密裏に色々と進めていたらしい。既に日本にも相当数の火星人が来て働いているらしいぞ。勿論、そうとはバレないように擬態しているそうだが」
浦河が缶コーヒーを飲み干し、続けた。
「――っつーことで、これは超機密事項だ。実習生が火星人ということは、決して周囲の部署にバレないように。鈴木も気を付けてくれよな」
そして思い出したようにクリアファイルから紙を取り出す。
「これ、誓約書。サインよろしく」
先に話をしておいて誓約書も何もないと思うが、雪花は仕方なくその紙にサインする。
未だにこういうところがペーパーレスにならない。だから仕事が減らないのだ――そんなことを考えながら書類を書いている内に、段々と肚が決まってきた。
――別に火星人でも、良いか。
日本に来るということは、日本語での意思疎通はできるということだろう。せめてPCは使えるレベルだとありがたいが、少なくとも一人で全てをこなす今に比べれば、確実にマシにはなるはずだ。
書き終えた書類を浦河に渡しながら、雪花は口を開いた。
「――それでは、早速受け入れ準備を始めましょう。来るのは来月の1日付ですよね。PCと会社携帯電話の手配をして、IT部門にメルアド申請しておきます。ちなみに、実習生ということは、うちの会社から給与は払わなくていいんですよね?」
「あー、そこら辺の事務的なとこがわかんねぇから、打合せしたいんだわ。ちょっと資料共有するから画面見てくれ」
浦河からPC上で資料が共有される。雪花は黙って画面をスクロールしていった。3分程経ったところで「大丈夫そうです」と頷く。
「給与は在籍元である火星負担で、火星の口座に支払われます。ただ、当然実習生が地球上で生活する上で必要な費用もあることから、地球側でも給与口座を開設し、火星側からの依頼に応じて一定額を毎月振り込む必要があるようです。他にも地球側で用意した必要経費等について、この毎月の生活費と併せて四半期に一度火星に請求することになります」
「成る程。じゃあ海外からの受入者とそんなに変わんねぇな」
「問題は、火星人の給与口座が開設できるのかということですが――あ、既に銀行口座は用意されているみたいです」
「ほー、随分と手際が良いな」
「あとは名札と名刺の手配をしたいんですけど、お名前って――」
「あ、その情報はこっち」
画面上に履歴書のようなものが映った。
そこで「あっ」と二人合わせて声を上げる。
「……鈴木太郎?」
雪花がぽつりと呟いた。当然偽名だろうが、まさか自分と苗字がかぶるとは。
恐らく怪しまれないように、日本でもTOP3に入る苗字をセレクトしたのだろうが、ややこしいことこの上ない。
浦河が大袈裟に溜め息を吐く。
「えー、俺イヤなんだけど……これあれだろ? 『鈴木』じゃどっちかわかんないからおまえのこと『雪花』って呼んで、セクハラ窓口に通報されるやつだろ?」
「いえ、さすがに通報はしませんけど……」
――まぁ、浦河にあまり下の名前を呼ばれたくはない。
「そもそも『鈴木太郎』って日本人然とし過ぎてませんか? どんな実習生が来るかわかりませんけど、その名前で風貌が宇宙人だったら逆に目立つのでは……」
「それもそうだよな。あっちは敢えて寄せてきたんだろうが」
そもそも火星人を見たことがないので何とも言えないが、できるだけリスクは避けた方が良いだろう。
中空を見つめていた浦河だが、何か閃いたのかその口唇をにやりと引き上げた。
「よし、ミドルネームつけようぜ。実習生は日系の外国人で初めて来日したっていう設定にしとけば、多少日本の常識が通じなくても何とかなるだろ」
「そうですね。ミドルネーム、こっちから提案した方が良いでしょうか」
「うーん、そうだな。『マーズ』にでもしとくか?」
「それ、バレバレだと思います……」
――結局、一文字変えて『鈴木・マーク・太郎』とすることにして、その日の打合せは終わった。
その後も定期的に浦河と打合せを行いながら、必要に応じて火星に連絡を取りつつ(このやり取りはNASAの窓口を通じて行われ、さすがに雪花が直接火星の担当者とコンタクトを取ることはなかった)、残りの日々は過ぎて行った。
***
――そして、遂に運命の日がやってきた。
その日の朝も、いつものように雪花は始業前から飲むヨーグルトを啜りながら、PCと格闘していた。
違うのは、気合いを入れるためにブルーベリー味をチョイスしたことと、9時前にも関わらず浦河が席にいることだろう。いつもゆるい雰囲気の浦河だが、今日は少し緊張しているような空気感が伝わってくる。
それは、雪花も一緒だ。目の前のメールを読みながらも、頭がふわふわとしていてあまり内容が入ってこない。
そう――今日はマークの初出社日だ。
NASAの窓口からは、朝礼に間に合うように向かわせるという一報があった。受付から一直線に廊下を歩けば総務課に着く。会社に到着さえすれば、迷うことはないだろう。
雪花にとって、始業までの時間がこれ程長く思えたことはなかった。
――不意にコンコンとノックの音が室内に響く。
思わず浦河の方を見ると、彼も雪花の方を見ていた。どちらからともなく頷き合い、浦河が「どうぞ」と声を張り上げる。
二人の視線の先で、ドアがゆっくりと開かれていった。
第1話 未知との遭遇? (了)