第四.五話 何が正しく、何が悪しきか
Tips : 完全悪は存在しうるのだろうか
「ひっとごっろしー、ひっとごっろしー、ひっとごっろしーはたっのしっいなあっとー。アハ、アハハハハハハ!!」
夜の森に、狂気を孕んだ少年の甲高い笑い声が、響き渡る。その声は、数匹の動物の目を覚まさせ、怯えさせた。
少年は地面にしゃがみこみ、何度も何度も、直剣を地面に振り落とす。
剣を地面に突き刺すたび、グチュ、グチュという不快音が生み出されるが、地面を突き刺すことで発生する音にしては、明らかに異質だった。
――威嚇する風に、茶色がかった髪をなすがままにされながら、少年は止めることなく、自分の身体の下にある死体を突き刺し続ける。
この世界では滅多に見ることのない服を着ていた、十五歳前後の死体が、息もないのに痙攣しており、周囲には、死体の血肉が散乱し、殆ど全ての臓器が、潰れた状態であらわになっていた。
少年は自らの身体に、粘り気のある黒い血液と肉塊が付着する度、極度な興奮状態に陥り、狂気に笑う。
誰もいない場所、誰も来ない場所。
自分だけの時間であり、それを拒み、阻むものは何もない――はずだった。
――彼の興奮状態を遮る音が、森の中に響き渡る。
「誰だ!?」
少年が後ろを振り返ると――そこには、不気味な笑みを浮かべて突っ立ている、一人の青年の姿があった。
少年は青年の姿を確認して、一瞬、驚愕の表情を浮かべる。
「なんでにっ――。……いや、人違いだ。……いるはずないのに――」
青年に聞こえぬように小声で呟く。
そして、心の中で罵詈雑言を並べて、自分を責め立てる。自分にとって大切だった人物を、目の前にいる見ず知らずの青年と重ねてしまったことを。
全てを見透かしていると言わんばかりの視線を少年に向けながら、青年は笑みを絶やさず、少年の前までゆっくりと歩いていく。
「こんなところに人がいるなんて、珍しいこともあるものですね」
「今、良いところなんだ、邪魔しないでくれよ」
「私はここを通りたかっただけなんですが……。ですが、その死体を見て、君を放っておくなんてことはできそうもない」
「くっ」
少年は、目の前にいる男から、異様な雰囲気を感じ取っていた。
青年を生かしておくことは、自らの命に関わる。例え狂っていようとも、例え冷静でなかろうとも、例え――正気を失っていようとも。それだけははっきりと理解できていた。
本能に従ったのか、考えた上なのか――どちらにせよ、死体に突き刺していた直剣を抜き出し、立ち上がる。
「お前も、こいつみたいに殺してやる!!」
怯懦な人間であれば、怖気づいてしまうであろう覇気のこもった声で、少年は吼える。
そして、青年に己の力のみを信じて肉薄した。
◇◇◇
勝負は一瞬だった。もはや、勝負ともいえない。
なぜならば、青年は動かずして、自らの能力を見誤った少年を静止したからだ。
少年は青年を前に頽れ、剣を地面に落とす。地面と金属の擦れる鈍く小さな音が鳴る。
「っ」
少年は体を動かそうと、全身に力を入れて、藻掻いて足掻くが、身体が動くことは一切なかった。
青年の妨害魔法によって、一切の行動を抑制されたことに気付いた少年は、身体に力を入れるのをやめて脱力する。
「――何故、君は人を殺すのですか?」
「……そりゃあ、すっきりするからに決まってるだろ。僕の事を散々馬鹿にして、無辜な人間を殺めたやつらが、命を乞いながら苦しんで死んでいく姿を見るのが!」
随分と単純な理由で人を殺していたのだな、と青年は思う。
そして、少年が妨害魔法を解除できない事実にも驚いていた。
彼が使用した妨害魔法は、その分野の中では最も簡易的なものであり、魔法さえ使えるのならば、あっさりと解くことができるはずなのだ。
青年は少年をまじまじと見つめ続け、一つの答えにたどり着く。
「そうか。君はマリョクバラ――」
「その言葉で僕を貶すな!! 」
「おや、失敬。そんなつもりはなかったんですけどね」
少年から視線を外さずに、反省の色が全く見受けられない笑い声を周囲に響かせる。
「どうやら君は、エネルギーを魔力に変換できないだけらしいですね」
「…………だったら、何なんだよ」
「私の目的を達成するために協力してくださるのならば、魔法を使えるようにしてあげましょう」
「意味わかんねえし、魔法が使えるようになるなんて、そんなの信じられるわけ――」
「信じる信じないはどうでもいいんですよ。協力しないのならば、機関に突きつけるだけですよ。もしくは――」
身動きの取れない少年に対して、小刀を突きつける。
「お前……質が悪いな」
「誉め言葉としてとらえておいた方がいいですか?」
「ほざくなよ」
少年は暫く口を閉ざす。
月が小さな雲に隠れ、再度姿を見せた時、彼は観念するように、深い溜息をついた。
「分かった。協力してやる。それに――」
少年は口を噤ぐ。その理由は単純で、目の前にいる人物が信用に足らないことを理解していたから。
青年は少年にかけていた妨害魔法を解く。
それから、小刀をしまった今もなお、警戒心をむき出しにしたまま立ち上がった少年に対して、左手をさし出した。
「私の名前はアドーラ。よろしくお願いしますね」
「……カールスだ」
アドーラが差し出していた手をはたき、カールスは直剣を掴みなおす。
そして、さいごにもう一度だけ死体の心臓部を突き刺した。その衝撃で赤い液体が外部に漏れだすことはなかった。
「あ、そうそう。首は取っておいて下さい。どこかで使えるかもしれないので」
「……お前、趣味が悪いな」
「君にだけは言われたくないのですが」
アドーラは周囲を軽く見渡し、最適な場所を探す。
――一人の人物の名を残すために最適な場所を。
Tips : 救いの手が必ずしも救いであるとは限らない
第五話の投稿は、5/1もしくは5/2を予定しています。