第四話 一日の終わり
Tips: 感情的になることほど危険なことはない
中世とまではいかないものの、古き良き時代を感じることのできる、欧州のような街並み。灰色の統一性のない石が、道を作り、煉瓦と木が基調となる建造物が、この街の美しさを際立てる。
真っ黒な街路灯が、上に二つのランプを点けて、夜の暗さを紛らわしていた。
ジーニアから金銭を受けとり、暫くは生きることができるようになった僕達は、夕食を食べ終えて、宿屋に足を運ぶ。
暫く泊まる予定の宿屋は、一泊の料金が比較的安めで、感覚的にはビジネスホテルと似ているのかもしれない。ジーニアに勧められたので、素直に従った。
フロントは、ワックスがけされたような暗めの茶色い木材の床に、床より明るめの木材の壁。天井には少し瀟洒な絵が描かれていた。この世界の星図のように見える。
「部屋は同じでいい?」
「んー、構わないよ」
宿屋フロントに飾られていた大きな地図を見ながら、穂香の提案を許諾する。
オッケーという言葉の後に続いて、羽ペンの走る音が聞こえてくる。分からないところがあれば、僕が書く予定だったが、問題はなさそうだった。
カリカリという音を、左耳で、軽く聞きつつ、目の前の地図をじっくりと眺める。
壁の半分は埋め尽くしている程、巨大な地図には、その場所を示す名前が数えるのが疲れるほど書かれていた。一番上に「ミルシエル」と書かれているが、これが、この国の名前なのか、この世界全土を指す名前なのかは、全く不明である。
少しばかり気になったため、穂香が必要事項を紙に書ききるのを待った後、受付の人に聞くことにしようと、彼女が書いていた紙を確認すると――。
なぜか名字が統一されていた。
統一した理由自体は大体察しが付く。兄妹か、姉弟か、双子かにしておいた方が、世渡りがスムーズになるとかその辺ではあるだろう。
だが、さらっとされても――普通に困る。
真意は後で彼女に問いただすとして、気を取り直して、好青年なイメージを持つ受付の人に声をかける。
「すいません。この地図ってこの街周辺示すものなんですか? それとも、世界全部を示すものなんですか?」
「そうですね。――その地図は世界全土を示しているものでございます。オーナーは、ここまで世界の詳細を記した地図を、他に見たことがない、とおっしゃられていました。……観光でお越しになられたお客様からも、一定数の評価をいただいておりますし、あながち間違いではないのかと思います」
「そうなんですね……。すいません、ありがとうございます……!」
お気になさらずと穏やかな笑みで返される。
穂香は、デスクに置かれた部屋の鍵を受け取って、受付の右奥にある階段を上っていく。僕は受付の男性に軽く会釈した後、彼女の後を追うように二階に向かった。
二階は殆ど木製で、天井の方には、壁から壁へ、少し歪曲した巨木が等間隔で突き刺さっていた。廊下の横幅は、普通の人が、三人ギリギリ通れるか程度である。
廊下はランプが点いているにも関わらず暗く、奥がしっかりと視認できないが、不思議と怖さは感じない。
「シャワーは男女別で奥の方にあるらしいから」
「――ウルリラさんに教えてもらった場所のと違って、魔法が使えないとシャワーは使えないとか……あったりして」
「そこまで聞いてなかった! いやあ、すいませんね」
「別に謝ることじゃないけど。――あとで確かめよ」
決意を示すように軽く頷く。
途中でT字になった廊下を右に曲がり、曲がった先の一番奥。その右側の部屋が、僕たちの泊まる場所らしい。
そこまで長くない廊下を進んでいき、一番奥にたどり着いた。
穂香は右手に持っていた鍵を、鍵穴に差し込んで右に回す。ガチャッという、小さく耳に残る音が、静謐な廊下に響く。
「あ、そうだ。もう一本の部屋の鍵、渡しておくね」
すぐ近くにいたにもかかわらず、投げるようにして鍵を投げてくる。両手に当たった後、軽く跳ね、危うく落としそうになる。
「ナイスキャッチ……!」
「近いのに投げないで」
ごめんごめんと、反省の色がまるで見えない笑い声を小さめであげつつ、穂香は部屋の扉を押して開けた。
「わあ――。意外と広い!」
穂香の言う通り、想定より大きな一室であった。
部屋の扉は右隅に取り付けられていたため、室内は左側に伸びており、奥行きよりも横幅の方が微妙に広い。
真ん中には、枕を奥の壁際に置いた、一.五人分程度のベッドが二つ。左の角には小さめの机と椅子が置かれており、その右側に設置された窓から、月――この世界ではリュンナと呼ぶらしい――の落ち着いた光が差し込んでいた。
穂香はベッドとベッドの間にあったランプを点けた後、壁際のベッドの上に鞄を置き、ベッドの上に正座する。
そして、両手をベッドの置いて、軽く跳ねるような動きをし始めた。
「見て、ベッドがバウンド――しそうだよ!」
「……穂香は小学生だった?」
「高校生ですけどねっ!?」
頬を僅かに膨らませ、不服そうな顔をしながらも、未だ尚、バウンドしないかの確認をしている。
下に客室はなかったはずなので、怒られることはない――はず。
僕は、月とランプの光に温かさを覚えながら、机の方に向かって歩いていく。
「――それにバウンドはしないんだね」
「したら面白かったのに」
跳ねるのやめた穂香は、両手を天井に突き上げて、うーんと伸びをする。次いで、彼女は両手を広げるようにして、背中をベッドにくっつけた。
穂香の一連の動きに苦笑しつつ、机の上に鞄を置く。
「寝る前にちゃんとシャワー浴びなよ?」
「んー。……分かってるよー」
そういいながらも、彼女は両目を閉じて、今にも眠りそうな体勢になる。
「言ってるそばから、寝ようとしてるやないかい」
不細工な関西弁で突っ込みつつ、穂香の頭を左手で軽くチョップ。こつんと軽快な音が鳴り響いた。
「あいたっ」
「いいから早く入ってきなさい」
「……薫は私の母親だった?」
「――幼馴染みですね」
穂香は額を両手でさすりながら、ゆっくりと起き上がり、鞄から寝間着を取り出し、部屋の外に出ようとする。
しかし、その足は微かにふらふらとしていて、扉を開ける前に、左手で口元抑えて大きなあくびをした。
「寝転がったせいで、本当に眠気が……」
大丈夫か心配になるが、彼女は首左右に振って眠気に抗い、そのまま部屋を後にした。
「だ、大丈夫かな。――とりあえず、僕もちゃっちゃと入ろう」
とはいっても、酒場で軽くシャワーは浴びているため、もう一回浴びる意味はないのかもしれない。
単純に気分の問題だったため、睡魔に襲われていた穂香には申し訳ない事をした気がする。
◇◇◇
普通に使えたシャワーを浴びて、穂香は今度こそ寝る支度――浴場(?)の方で寝巻には既に着替えている――を始める。僕は寝る準備はせずに窓の方に向かい、椅子に腰かけた。
窓越しで空を眺めると、月が頂上に上りつつあった。一年を通して、大きな変化はないらしく、常に満月に近い形となっているし、夜が長くなるといった現象も起こらないらしい。つまり、頂上に上った時が、地球でいう二十四時前後になる。
僕は机の上に置かれていた鞄から本やペンを取り出し、中が白紙のノートを開く。
「あれ? 薫は寝ないの? 今日一日疲れたでしょ?」
背後から、穂香の眠気と心配が入り混じった声が聞こえてくる。体を半分程右に回して、彼女の方に顔を向ける。
「今日一日で身に染みて分かったことだけど……このままだと穂香に頼りっきりになりそうだったから。少し魔法の勉強をしようと思って」
すぐに帰れたならば、魔法の勉強なんて必要なかった。
しかし、元の世界に帰るための唯一の手掛かりである、カウリストロについても尋ねても目立った情報は得られなかったのだ。
この世界でしばらく生き続けなければならないと半ば確定してしまった以上、魔法を覚えておくに越したことはないだろう。
穂香は、眠気を抑え込んだ半開きの目で、僕をじっと見つめていた。
「――そんなことないのに。薫のおかげで、文字がわかるし、家事系の依頼なら、薫の方が何千倍も役に立つよ……。それに、別に――」
彼女は会話の途中で口を噤み、大きなあくびをした。言いたいことを飲み込むのではなく、あくまで吐き出すように。
言いかけた言葉を理解できないわけではない。理解した上で、「頼りっぱなしは嫌だから」と頭の中で否定した。
「ううん。最後のはなし。――ねえ、薫。疲労が限界に達する前には、必ず寝るんだよ?」
「ん。分かってる」
僕は楚々として笑い、彼女が目を閉じていく様子を見守る。
「じゃあ、おやすみ……薫」
「うん……おやすみ、穂香」
目を閉じたのことを確認した後、身体を机の方に戻し、ペンを手に取る。
今日は色々なことがあった。いや、ありすぎた。人生で最も濃い一日だったかもしれない。
別の世界に飛ばされて、追い出されて、依頼をこなして、死にかけて、助けられて、そして――多くの人に出会った。
死にかけた件に関しては、自分にも非があったといえるだろう。自分でも気付かない内にはしゃぎすぎていたのだ。
僕のみならまだしも、穂香の命まで危険に晒してしまったのは、深く反省しなければならない。
反省しながらも、魔法の勉強に意識を傾け、ペンをくるくると回す。
月と星の白き光と、机の上に置かれたランプの暖かき光が、応援にするように机と僕を包み込んだ。
日本語で書くか、この世界の言語で書くか――僅かに迷い前者をとる。
「んー! じゃあ、いっちょ頑張ってみますか!」
腕を上に伸ばし、あくまで小声で気合を入れる。
そして、未知でありながら既知である文字を、ペンの音を走らせながら読み進めていった。
この世界の魔法について深く知るために。
そして、闃然とした空間にペンの音を響かせてから、数分もしないうちに、ベッドの方から小さな寝息が聞こえてくる。
「あ、名字の事聞きそびれた……まあいっか」
何処かのタイミングで理由を聞く機会もあるだろうと、僕は名字の話を頭の隅に追いやった。
薄暗い静謐な空間の中で、紙に内容をを纏めながら、暫く本を読み進めていく。
その中でも重要に感じたこと二つが記載された紙に、赤色のペンで星マークを付ける。
一つ目が、魔法には詠唱が必要なこと。――練習さえすれば、無詠唱も可能になると書かれているが、前提として、研究によって無詠唱ができるようになっている魔法である必要がある。端的にいうなれば、どうあがいても無詠唱ができない魔法もあるということ。
二つ目が、魔法は分野に分かれていること。例えば、穂香が使用する魔法は、『分野:支援』に相当する。この支援には、妨害系の魔法も含まれているらしい。
他にも、細かく分野分けされて本に記載されている。
本によると、分野分けすることで、魔法の研究やら発展を促進することができるらしい。
「クラスメート全員が無詠唱で魔法を発動できてたよね……多分」
無詠唱で使用した魔法は基本即時発動であり、無詠唱ができるだけで、かなり優位になる状況は多いだろう。
あの時は意識していなかったが、この世界に転移する上で相当楽になってたのだと思う。
全ての魔法が使用できるということはないだろうし、おそらくどれか一つの分野しか使用できないとかになっているとは思うが。
「明日、穂香にお願いして確かめてみよう」
一部だけだとしても、勉強などせずに無詠唱で使えるようになるのは、自らがその立場に立てたなら嬉しい限りだろう。
――だが、世界から見たらどうなのだろうか。
そんなことを考えながら、本を読み進めていく。
いつの間にか、窓から差し込む陽光が、新しい一日を伝えていることにも気付かずに。
Tips : 全ての人の物語は着実に動いている――死なない限りは