第八話 キオクが魔物となりて
投稿が遅くなり申し訳ありません。
「「「――――――――!!」 」」
数多の違えた咆哮が、一つの騒音となって静寂を破壊する。
その咆哮は、巨大な暴風を発生させ、周囲の木々の葉を吹き飛ばし、緑風となる。
「くっ!」
まだ、魔物の姿は確認できない。なのにこの雄叫び。
その場での体勢維持が困難となり、僕は地面に跡を付けながら後ろに引っ張られた。
「記憶魔物ってなんでしたっけ!?」
僕は魔物の咆哮にかき消されぬよう、全力で声を荒げて質問した。
「記憶魔物というのは、地脈の記憶から生成される魔物の事です! しかし、記憶魔物が発生するのは地脈が、本当に濃い場所のみなんです! <リベル・ボルム>周辺で発生するなんてありえないはずなのに……なんで――」
彼女が疑問に対して頭を回転させている途中に――木々の隙間から、そして木々の上から大量の記憶魔物が姿を見せた。
全てが巨大で、全てが敵愾心を剥き出しの状態で。
空の王者に君臨していそうな程の威圧感を放つ怪鳥の群れ。狼に限りなく似ている、今はゆっくりと歩いているが、俊敏性に特化していそうな狂犬。
ウルリラと出会うきっかけになったサーベルタイガーのような魔物もいる。
そのすべての魔物が白と青の入り混じった光によって形成され、目を凝らせば奥が見えるのではないかと感じてしまう。
記憶魔物と称された理由に、自然と納得がいった。
魔物達は今のところ僕達の存在に気付いていないらしい。見ているのはきっと――<リベル・ボルム>。
「数が多すぎるな……。他の奴らはどうなんだ?」
「そもそも<リベル・ボルム>周辺は魔物が少ないことから、戦闘に長けた人は少ないんですが、そういう人たちも総じて別の地域に移動していて……。機関に要請をしたのですが、あっちはあっちで何やら対応に追われているらしく、暫くはこちらの要請に応じられそうにないらしいです」
「っ……そうか」
「――ウルリラ……武器は持ってますか?」
「ああ、ちょうどタイミングが良かったな。ここにある」
彼は地面に突き刺していた大剣を、右手で軽々と抜き出す。
「まあ、一人で何とかなるだろうよ」
「――さすがウルリラ」
「……まあ、数が多すぎてわからないけどな」
「支援はします。安心してください」
二人のやり取りを耳に入れながら、僕はずっと考えていた。
――また守られるのか、と。
なんのために強くなろうと思ったか、なんのために研鑽を積み続けたか――忘れるわけがない。
誰かを守りたい、誰かを救いたい。
――最初は穂香を守りたいという意味合いが強かった。
でも今は――。
一人ではすべて倒すのは困難かもしれないとウルリラは言っている。だったら、一人よりも二人の方が良いに決まっている。
そう思ったとき、自然とウルリラに向けて声が漏れていた。
「僕も闘って――」
「駄目だ。さっきエネルギーを使いまくったばっかだろ?」
「……くっ」
「危険だから下がってろ」
拒否された理由は、僕の身を案じてということは分かっている。
――この世界でエネルギーを使い果たすと死ぬかもしれないのだから。
<リベル・ボルム>の人を守りたい。今まで教えてもらったことが身についていると証明したい。ウルリラに万が一のことが起きてほしくない。
全てが我儘、全てが自己満足。
そんなことは分かっていた。
でも――。
その時、僕を思考の渦から引っ張り出すために、誰かが肩を叩く。
振り返るとそこにいたのはジーニアだった。
彼女は気持ちは分かると言いたげな雰囲気を醸しながら、優しい笑みを零して僕を見つめていた。
「ここはウルリラに任せて、安全区域まで下がりましょう。大丈夫です、気持ちは分かりますが、今は焦らないで……」
「…………分かりました」
「いい子ですね。――ホノカさんも後ろの方に!」
「――分かってます!」
十体は下らない怪鳥が翼を大きく動かしているせいで、森の中が嵐のように吹き荒れている。
立つのがやっとという程ではないが、油断をすれば一瞬で身体を天空にまで持っていかれそうだった。
僕達は安全といえるぎりぎりの範囲までウルリラから離れた。
ウルリラはというと、気が付いていない記憶魔物一種――怪鳥の群れを睨みつけていた。
「ジーニア、20036、20059それと20074を頼む」
「了解です。詠唱番号20036。魔法分野、支援――、詠唱番号20059――、詠唱番号20074――」
彼女はすべて詠唱を行って、魔法を発動させる。
ウルリラが要求したのは、肉体強化と他者に向けた加速魔法、そして防御魔法。
おそらく、自分のエネルギーを攻撃魔法にまわすためだろう。
詠唱が終わるたびに、ウルリラの身体は黄色い光に包まれ、一部支援魔法特有の大きな音を奏でる。
その音で漸く記憶魔物は気が付いた。
圧倒的な戦力を誇る一人の男の存在に。
「ァァアアアアアア!!」
恐れを知らぬか、はたまた愚行か。
前衛にいた記憶魔物たちが、次々とウルリラに向かって吼えた後、彼に向かって一気に猛進しだす。
怪鳥は落下。大狼は紫の眼光を線として残しながら突進。
誰もが足を竦ませてしまいそうな状況になってもなお、彼はあの時と同じように悠然と佇んでいた。
「ちなみにカオルたちを教えている間に俺だって強くなってんだわ。常に研鑽つってな!」
予想通り、猛スピードで襲い掛かってきた一匹の大狼が、彼に対して獰猛な牙を向ける。
「はぁあああ!!」
彼の一閃。
世界を置き去りにしてしまう程の速度で放たれたその一閃は、狼の死さえも置き去りにする。
大狼は何が起きたかわからぬまま、ウルリラの横を通り過ぎ――その直後。
頭から尻尾にかけて、綺麗に上下に割れた。
二つに裂かれた魔物は、血潮を一切出さずに、完全に霧散する。
周囲に青い光が彷徨うその光景は、こんな状態でも、その光の正体が魔物であったとしても、息をのむほど美しかった。
数秒後、その光が空中で収束を始め、徐々に一つの球体になっていく。そして、全てが集まった時――目にも止まらぬ速さで地面の中に消えていった。
地脈に還った――ということなのだろうか。
「記憶魔物っていうのは、見た目以上に弱いって相場で決まってるらしいからな! その咆哮がただの見栄じゃない事、期待してっからな」
死した魔物に思いを馳せる魔物はおらず、何食わぬ顔でウルリラを襲おうと突進し続ける。
「まずは上の奴らを落とす。詠唱番号30136。魔法分野、自己強化! 根脈より呼び出せ――」
それは跳躍の魔法。天に居座る怪鳥を叩き落とすにはもってこいの魔法だった。
「全部、戻してやるよ!」
彼は地面を一蹴り。
その動作一つで、ウルリラは森の上へと飛び出し、加速魔法も組み合わさることによって、一瞬で怪鳥と同じ位置にまでたどり着いた。
「あの魔法の持続時間は五秒です。魔法が切れた瞬間は注意してくださいね」
空遠くから、彼の詠唱が聞こえてくる。
彼は十体にも及ぶ怪鳥を纏めて相手する。
怪鳥の翼を躱して一閃。怪鳥の放つ火の球を躱して一閃。怪鳥の背後に回り一閃。怪鳥の攻撃を躱し二体の怪鳥をぶつけ、纏めて一閃。
空中での交戦とは思えない攻撃が、怪鳥の姿をした記憶魔物に襲い掛かる。
一体の魔物が爆発し、他の魔物に連鎖する。一体の魔物が墜ちて、他の魔物を地面にたたきつける。怪鳥が放つ火の球が他の魔物に当たり燃えていく。
四秒足らずで、上空にいた魔物は残り一体となり、ウルリラは最後の一閃を放つ。
しかし、最期の怪鳥は他の魔物に比べて、僅かに利口だった。
死が目前に訪れていると気が付いたその魔物は、身体に剣が突き刺さる直前に、右翼で彼を地面にたたきつけた。
「ガハッ!!」
ウルリラは背中から地面に衝突する。
衝突した衝撃で、地面には罅が入り、巨大な爆音が木々を揺らす。
「ウルリラ!! ――詠唱番号60010。魔法分野、回復。根脈より呼び出せ――」
その魔法は他者を大幅に回復させる魔法。
ウルリラの背中から流れていた血は止まり、おそらく傷口もふさがっていた。
彼は足をもつれさせながら起き上がる。
「助かる。――上から見たが、おそらく全部で百体以上いる。長丁場になりそうだ」
「分かりました。私も適切な支援をします。安心してください」
「分かってるさ。お前のことはずっと信頼してるからな!」
二人の信頼関係は厚い。それは一年を通して、存分に思い知らされた。
喧嘩もするし、揉めもする。
それでも、互いのことをよく知り、互いの感情を理解し、互いの行動をうっすらと把握する。
一人でも強い彼だが――ジーニアの存在が、より彼を強くする。
何年、あるいは何十年と過ごしてきた彼らにしかない信頼関係。誰かが簡単に壊すことすら難しい。
ジーニアは、ウルリラの行動を予測してどんどんと支援魔法を放っていく。
そのすべてが適切で、一切の無駄打ちはない。
ウルリラが怪我をすれば、回復を。
ウルリラが纏めて攻撃しようとしているならば、肉体強化を。
ウルリラが背後に回りたいと考えるならば、魔物に向けて目くらましを。
狼の群れが地に帰る。サーベルタイガーの群れが地に帰る。他の記憶魔物も、次々と記憶を世界に見せつけた後、地に帰っていく。
二人の完璧な連携が、優勢の状況を一切変えずに、森に安寧を取り戻していく。
しかし、数が数。戦いは五分以上にも及んでいた。
ウルリラは真剣な表情で、魔物達を倒していたが、漸く勝利を確信したのか――一瞬攻撃の手を止めて、ジーニアに向けて叫ぶ。
「ジーニア、仕上げだ! 20356を!」
彼女はその番号を受けて、ウルリラが勝利を確信したと理解したのだろう。
戦いの終わりを喜ぶ表情か、街を救えたことに対する喜びか――どちらにせよ、満面の笑顔で彼の言葉に応える。
「分かりました! ありったけのエネルギーを使いますからね! ばっちり決めちゃってください!」
「了解だ!!」
「――詠唱番号20356。魔法分野、支援。根脈より呼び出せ、喰らえ、砕け、壊せ、対象者に力を与えんと、我が全ての力を捧げる。爆ぜろ果てに排除せよ。魔法を以って全てを移す。己のエネルギーを引き換えに、対象者の限界まで強化せよ!」
彼女の詠唱が終わると同時に、ウルリラが赤く、白く、黒く――悪に堕ちた罪人に取り憑くような灯が彼を覆う。
ジーニアが使った魔法は、攻撃支援魔法だった。攻撃面の支援の中で最も強力といわれる魔法。そして、自らのエネルギーを限界まで対象者に託すことになる。
強化される時間が一分程度と短く、かつ使用者がエネルギー切れを引き起こす可能性があるため、滅多に使われることない。
だが、使いどころをしっかりと見極めれば、当然最強の名にふさわしい威力を発揮する。
「詠唱番号10038――」
それは剣の長さが、光の刃によって増幅する魔法。一閃すれば、周囲の魔物のみを蹴散らすことができるだろう。
しかし、彼が勝利を確信しているとはいえ、まだ、三十体以上は残っているように見える。
これだけの数をどうやって。
そんな杞憂はすぐに消え去る。
彼ならば何とか出来るのだろう、という圧倒的な間での信頼感によって。
その信頼と期待に応えるといわんばかりに、彼は右足を後ろにやって構えた。
「詠唱番号10060! 魔法分野、攻撃! ――」
彼が唱えるのは、振り払った剣が無数の斬風を生みだし、前に向けて殴りつける攻撃魔法。人にも危害がある魔法だが、攻撃範囲が狭い事から、禁止魔法にはならなかったものである。
範囲は狭い。しかし、この距離ならば、増幅魔法も併せて、全ての魔物に当てることができるだろう。
「全員! 記憶の中に戻りやがれ!!」
ウルリラの力強く――しかし、どこか慈愛ある雄叫びを上げ、身長の二倍は下らなくなった大剣を、左から右に一気に薙ぎ払った。
記憶魔物に負けじの青白き光が、森の中を駆け抜ける。
街を守るために走る希望の筋が、木々をすり抜け、記憶魔物を本来いるべき場所へと還していく。
そして、剣が静止した直後、無数の白き斬風真空波が出現、辺りを眩く照らし――まばたきさえ許されない速度で、僅かに生き延びていた記憶魔物に向かって突き進む。
剣の一閃が雷雨ならば、この斬撃は雷雨と嵐の協奏曲。
斬撃喰らった木々が数本、魔物の叫びに挽歌を添える。
「「―――――!!」」
断末魔とも、感謝ともとれる魔物の最期の雄叫びが、僕達の鼓膜を震わせ、眠っていた世界を叩き起こした。
斬撃が止んだ時、全ての記憶魔物が霧散し、球体となり――安寧となる土地、地脈に還る。
「やっぱりすごい」
「――ウルリラなら当然ですね」
エネルギー管理が上手なのか――あの支援魔法を用いてもなお、一切の息切れを起こさずに何度も頷くジーニア。
前方ではウルリラが剣を下ろし、静かに目を閉じていた。
「よし……これで――」
全員が安心したのも束の間。
「ガルァァアアアアアア!!」
巨大な咆哮が森を――いや、この地区周辺全てを破壊せんとするかの如く震わせた。
木々の上から、巨大な影が差し込める。
今までになく、暗闇を創り上げた存在を確認しようと顔をあげて――。
「なっ!」
そこには悠然と僕達を睥睨する――龍がいた。
今までの記憶魔物とは全く異なる。
異質なのに当然。異常なのに必然。本来そこにいてはならない存在であるにもかかわらず、そこにいなければならない。見るもの全てをそう思わせるであろう優雅さと神秘さ――何より屹然さを持っていた。
その龍はファンタジー小説に出てくる龍と、大幅な相違は確認できない見た目をしている。
ウルリラは龍を確認した後、ゆっくりと剣を納めて、こっちに向かってやってくる。
その表情には闘争心はなく、寧ろ逆といっても過言ではない表情だった。
「……ジーニア、要請はあとどれくらいだ?」
「――すいません、細かい時間は。……でも、あと少しだとは思っています」
ジーニアは彼の逃げるという行動に理解を示していた。
ジーニアとウルリラは頷き合い、ジーニアは穂香に、ウルリラは僕に手を伸ばし――そのままひょいと担いだ。
「ってどうしたんですか!?」
「…………すまねえ、俺に龍は……殺せねえ」
「……え?」
殺せないのは龍の強さゆえなのだろうか。
――彼にも太刀打ちできない存在がいるのかと、内心驚きを隠せなかった。
ウルリラは僕を担いだまま、その場を後にしようと走り始める。
僕は本当の理由を知りたくて、彼の方に視線を向けて――。
「……!」
歪んだ表情で下唇を嚙み続ける彼を見て、僕は考えを改めなおした。
彼が龍を殺せない理由は――強さじゃない。
と。
詠唱番号は覚えなくていいです。