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夜と自殺についての考察

作者: 夜露
掲載日:2021/04/01

私は夜が嫌いだ。

昼は良い。時間がある。

しかし夜は駄目だ。一日が終わる。新たな日付が迫ってくる。

そんな時、私が私に問う。

「貴様は今日何を成し遂げた?」

答えられない。

許せない。

何もできない。

決まって重力を感じる。空気さえ重く澱む。

それでも夜は来る。

そして上に記した問答の繰り返しである。

何かを成せばこの問答は苦にならないのだ。

若しくは私が私を肯定してやればいいのだ。

そんなことはとうにわかっている。

しかしできないのだ。

私は産まれてはいけない存在なのかもしれない。

明らかに生きるという行為が向いていない。

死ぬという選択もできない以上、文字通り生き地獄である。

自ら死を選ぶことのできる人間は非常に強い。

何も考えずに生きるよりも自らが良いと考える選択を優先する、芯のある人間だと思う。

何故人は自殺を非難するのか。

何故勿体無いなどという思考しかできないのだろうか。

私には到底理解できない。

感情論になるのはわかる。

周りの人間が死んでしまうのは気分が良くない。

しかし自殺が本人の意思ならば、その行為は良いことではないだろうか。

周りが止めようとしてなお、死を選ぶのであれば、それは本人の幸福である。

それ以上は立ち入ってはいけない領域なのではないだろうか。

自殺は迷惑をかけるという意見がある。

しかし、その理論でいくならば人間は生きているだけで周りに迷惑をかける。

その分早く死んでしまえば周りにかける迷惑の量は少なくて済む。

この理論はむしろ自殺を肯定しているようにさえ感じる。

生きていれば良いことがあると言う人がいる。

まず、そう思えていたら自殺なんて考えつかない。

そして人生においていつ良いことが起こるのかわからない以上、それまでは結局いつもの生き地獄である。

良いことを待っている間に訪れる嫌なことを計算に入れていない点も気になる。

その人の言う良いことはそれまでに訪れた悪いことを帳消しのするほどの良いことなのだろうか。

わからない。

不明点が多すぎる以上、未来にあるとされる掴めるのかどうかもわからない栄光への希望をもつのには無理があると感じる。

そもそも、私は望んで産まれたわけではない。

このことに関しては人類皆平等だ。

望んで産まれたわけではない。

親が産みたくて産んでいるのだ。

我々は選択の余地などなくこの地球に産み落とされた。

生まれる前に同意をした者など一人もいない。

それならば何故我々は人生を途中で投げ出してはいけないのだろうか。

何故希望を持てなくなった時に逃げることが許されないのだろうか。

ここで一つ誤解しないでいただきたいのは、私は決して自殺をしろと言っているわけではない。

ただ、生きるも死ぬも自由でいいのではないかと思っているだけだ。

望んで産まれていないのだから、死にたいのなら死ねば良い。

ただ、折角産まれたのだから、生きたいのなら生き続ければ良い。

私はそう考えている。

死にたくなるまで生きてみようと思って、未来のことは考えすぎないようにしている。

ただ死にたくなったら迷わず死のうと思っている。

そんなものでいいのではないだろうか。


二度目になるが、私は死ねと言っているのではない。

死ぬことが幸福に繋がるのなら、死ねば良い。

誰にも止める権利はない。

同様に、死にたくない気持ちが勝っているのなら、生きれば良い。

そんなことを考えていると、また夜になっていたりする。

嫌な自分と向き合わされ、逃げるように寝て、朝になる。

明日はどれだけの幸せに気付けるのだろうか。

どれだけ自分を肯定してやれるのだろうか。

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