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1 第三次ソロモン海戦

 海は燃えていた。

 燃え盛る炎が、ガダルカナル島沖の夜空を赤く焦がしている。暗がりに包まれた海上に殷々と砲声が響き渡り、発砲の閃光が稲妻のように海面を駆け巡っていた。

 そこは、幾多の艦を呑み込んできた海だった。

 ガダルカナル島、サボ島、フロリダ諸島に囲まれたこの狭い水域を、後に人々は「鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)」と呼ぶようになる。それほどまでに多くの艦艇や船舶が、この海で沈んでいったのである。

 今夜もまた、この海は日米双方の艦艇を呑み込もうと顎門(あぎと)を開いていた。


「青葉被弾! 隊列より落伍します!」


 見張り員の悲鳴のような報告が重巡古鷹艦橋に響いた。荒木伝艦長は小さく呻く。

 古鷹の前方を進んでいる青葉が、敵艦からの集中砲火を受けて炎上している。青葉は煙幕を展開しつつ、取舵を取って隊列からの離脱を図っていた。


「面舵!」


 荒木大佐はそう命じ、青葉と敵艦隊との間に古鷹を割り込ませた。


「航海長、探照灯照射だ」


 瞬間、航海長の顔が強張った。


「しかし、それでは本艦に敵弾が集中する可能性があります。敵艦隊との距離は四千メートルを切っています。あえて探照灯を点ける必要は……」


「青葉が離脱するまで、敵の注意を引き付けられればそれでいい」


 荒木は炎上中の青葉を見やった。艦長の決意を見て、航海長も覚悟を決めたように頷く。


「承知しました。―――目標、敵巡洋艦、照射始めっ!」


 瞬間、艦中央部に設置されている一一〇センチ探照灯の光芒が、敵艦隊に向かって伸びた。探照灯に照らされた敵艦の姿が、はっきりと見えた。


「ニューオーリンズ級だな」


 ジェーン海軍年鑑に記載されていた写真を思い出し、荒木は呟いた。そのニューオーリンズ級(これは重巡サンフランシスコだった)に向かって、古鷹の二〇・三センチ主砲六門が火を噴く。

 白い光に照らされた敵艦の周囲に、高々と水柱が上がる。艦上には直撃弾炸裂を示す閃光も見えた。

 両艦隊の距離は、すでに四千メートルを切っていた。重巡の主砲にとっては、至近距離である。ほとんど直接照準で狙えるので、命中もさせやすい。

 だが、それは敵にとっても同じことであった。

 直後に古鷹は大小の水柱に囲まれた。敵艦隊が、青葉から古鷹に目標を変更したのだ。


「照射止め!」


 目的を果たせたことを悟り、荒木は素早く命じた。これ以上の照射は無意味だった。格好の標的になる前に探照灯を消すべきだった。


「照射止め!」


 命令が復唱され、闇を貫くまばゆい光が消える。

 だが、この命令は古鷹を救いはしなかった。刹那、新たに飛来した敵弾が彼女の船体を捉えた。衝撃が古鷹を襲う。

 荒木は転倒しそうになったが、辛うじて踏み止まった。

 古鷹が林立する水柱から抜け出すのと、被害報告が届けられたのはほぼ同時だった。


「第三砲塔損傷!」


 これで古鷹は砲戦能力の三分の一を失ったことになるが、許容範囲の内であった。魚雷発射管に命中でもしていたら、装填している魚雷が誘爆、大火災を起こしていたことだろう。そうなれば、敵の格好の標的とされてしまう。


「水雷長、魚雷をすべて投棄しろ!」


 荒木艦長は怒鳴る。

 敵艦隊に向け、発射するはずだった強力無比な魚雷。だが、彼我の砲弾の命中率が異様に高い現状では、自艦にとって危険要素でしかない。

 水雷長にとっては断腸の思いであろうが、ここはやむを得なかった。

 古鷹は残った主砲と高角砲で、敵艦隊への応戦を続けていた。一方で、命中する敵弾が古鷹の船体を強かに打ち据えていく。

 この船がどこまで持ちこたえられるのか、荒木艦長には判らなかった。






 青葉の落伍、古鷹への敵弾集中によって、第六戦隊三番艦を務める重巡衣笠は幸運に恵まれた。

 何せ、一発の砲弾も魚雷も飛んでこないのである。ある意味では、混戦であるが故の偶然であった。

 ルンガ沖への米艦隊の突入は、昼間の航空偵察の結果、予知されていた。にも関わらず、両軍共に至近距離での混戦となったのは、この日、一九四二年十一月十三日の天候が酷く悪かったからだ。

 本来であれば戦闘海域に照明弾を投下して支援する予定であったR方面航空部隊からも、「天候回復ノ見込ナシ、今夜ノ支援ハ至難ト認ム」との電文が入っている。

 そのため、日本側は敵艦隊の視認が遅れた。


「取り舵一杯!」


 青葉と古鷹の惨状を見た衣笠艦長・沢正雄大佐は命令を下した。衣笠はフロリダ島方面に向けて舵を切る。

 ルンガ沖で展開されている混戦に巻き込まれないようにすることと、一度距離を取って敵艦隊の側背に回り込もうとしたのである。


「古鷹の献身と犠牲を無駄にするな!」


 沢大佐は乗員に奮起を促した。


「艦長より砲術、貴官の判断で最も撃ちやすい艦を撃て! ただし、友軍への誤射には気を付けろ!」


 混戦となった以上、細かな指示は出すだけ無駄だろう。むしろ、かえって混乱を助長する結果となりかねない。せっかく、絶好の位置を取りつつあるのだ。


「目標、敵三番艦、撃ち方始め!」


 瞬間、衣笠の三基六門の二〇・三センチ砲の内、各基一門が火を噴く。

 妙高型や高雄型に比べて砲門数は少ないものの、それでも十分な衝撃波である。発射の反動で、艦がわずかに左に傾ぐ。

 隊列から離れた衣笠は、ともすれば孤独な戦闘を行っているようにも見える。だが、沢艦長以下乗員たちにそのような意識はまったくなかった。

 沢は砲術長が狙いをつけた敵三番艦に双眼鏡を向ける。しかし、命中を示す爆炎は上がらない。どうやら、第一射は空振りに終わったらしい。

 再び、衣笠艦上に発射炎が煌めく。漆黒の海面が一瞬、その光を反射して衣笠の姿を照らし出す。

 ルンガ沖で殷々と鳴り響く砲声の中に、衣笠のそれも混じり込む。

 やがて、敵三番艦の艦上に、発砲の閃光とは明らかに違う爆炎が吹き上がった。それが、敵艦の艦上構造物を浮かび上がらせる。


「よし!」


 沢艦長は思わず拳を握った。


「砲術より艦橋、次より斉射!」


「了解!」


 装填の時間が一時間にも二時間にも感じられるもどかしさである。相変わらず、敵弾は衣笠の周囲には飛んでこない。

 少なくとも衣笠は、混沌とするルンガ沖で秩序を保った行動が出来そうだった。






「右砲雷戦用意! 目標敵艦隊、全軍突撃せよ!」


 軽巡神通の艦橋に第二水雷戦隊司令官・田中頼三少将の緊張した声が響く。


「右砲、右魚雷戦、反航!」


「目標、敵巡洋艦!」


「距離三〇〇〇、苗頭なし、的速三〇!」


「主砲、撃ち方始め!」


 軽巡神通の艦橋であわただしく号令が下され、まずは主砲の十四センチ砲が火を噴き始める。

 彼らもまた、混戦の中で自らの役割を果たそうとしていた。


「後続艦はどれほどだ!?」


 田中司令は見張り員に訪ねた。


「第十五駆逐隊は後続している模様! あとは不明!」


「ふむ」


 混戦の中で、第二水雷戦隊の陣形も乱れている。神通に続くは、第十五駆逐隊の黒潮、親潮、陽炎の三隻だけのようだ。残りの駆逐隊はどこにいったのか判らない。


「やむを得ん。第十五駆逐隊に信号! 目標、右反航の敵艦隊、魚雷発射始め!」


「第十五駆逐隊に信号。目標、右反航の敵艦隊、魚雷発射始め。」


 命令が復唱され、信号を以って第十五駆逐隊に伝達される。


「本艦も魚雷発射だ、艦長」


 田中が神通艦長・河西虎三大佐に命ずる。


「宜候。魚雷発射始め!」


 河西艦長が、水雷指揮所に伝達した。

 発射管から魚雷を押し出す圧搾空気の音が聞こえ、直後に魚雷が海に飛び込む水音が艦橋に届く。だがそれも、すぐに海面を木霊する砲声にかき消されてしまう。


「魚雷発射完了! 命中まで約二分!」


 神通は開戦前の出師準備において、前部連装発射管を廃止し、後部発射管を連装から四連装に換装していた。

 片舷に向け発射出来るのは四本。


「黒潮、親潮、陽炎より信号! 『魚雷発射完了』!」


 陽炎型駆逐艦は、一度に八本の魚雷を発射出来る。つまり、神通と合わせて二十八本の魚雷が敵艦隊に向けて放たれたことになる。

 距離三〇〇〇メートルからの魚雷発射であるから、それなりの命中率は期待出来るはずだ。

 間違っても、今年二月のスラバヤ沖海戦のようにはならないだろう。

 田中は敵艦の舷側に高々と水柱が立ち上る瞬間を、乗員たちと共に待っていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 後に第三次ソロモン海戦第一夜戦と呼ばれることになるこの夜の戦いが、海戦史上まれに見る混戦となった原因は日米双方に求められた。

 この時、ガダルカナルの日本軍飛行場を砲撃するために出撃したアメリカ艦隊と、それを阻止しようとする日本艦隊は、それぞれが寄せ集めの艦隊であった。

 まず、迎撃する側である日本艦隊の編成は、次のようになっていた。


前進部隊  司令長官:近藤信竹中将(第二艦隊司令長官)

 砲撃隊

第四戦隊【重巡】〈高雄〉〈愛宕〉

第十一戦隊【戦艦】〈比叡〉〈霧島〉

 直衛隊

第二十七駆逐隊【駆逐艦】〈白露〉〈時雨〉〈夕暮〉〈有明〉

 掃討隊

第六戦隊【重巡】〈青葉〉〈衣笠〉〈古鷹〉

第二水雷戦隊【軽巡】〈神通〉

 第十五駆逐隊【駆逐艦】〈黒潮〉〈親潮〉〈陽炎〉

 第二十四駆逐隊【駆逐艦】〈海風〉〈江風〉〈涼風〉

 第三十一駆逐隊【駆逐艦】〈高波〉〈巻波〉〈長波〉

第四水雷戦隊【軽巡】〈由良〉

 第二駆逐隊【駆逐艦】〈村雨〉〈夕立〉〈五月雨〉〈春雨〉

 第九駆逐隊【駆逐艦】〈朝雲〉〈山雲〉〈夏雲〉〈峯雲〉


外南洋部隊  司令長官:三川軍一中将(第八艦隊司令長官)

司令部直率【重巡】〈鳥海〉

第十八戦隊【軽巡】〈天龍〉

第三十駆逐隊【駆逐艦】〈睦月〉〈弥生〉〈望月〉


 このうち、十一月十三日夜の時点でルンガ沖に展開していたのは、近藤中将率いる前進部隊である。外南洋部隊は、ガダルカナルへの物資輸送を終えた輸送船団を護衛するため、船団と共にショートランド方面に退避中であった。

 この前進部隊は第二艦隊を基幹として編成された艦隊ではあったものの、第三艦隊所属の第十一戦隊、第八艦隊所属の第六戦隊など、この方面に投入できる戦力をかき集めて指揮下に入れていたため、通信やスクリューの回転数の調整などが不十分な状態で戦闘に臨まざるを得なくなっていた。

 そして、その連携の不備がこの夜の海戦を混沌へと落とし込んだ原因の一つであった。






 サボ島北東海域を航行中の重巡愛宕の艦橋では、近藤信竹中将以下、第二艦隊の司令部や愛宕艦長の伊集院松治大佐らがルンガ岬沖の海面で行われている海戦を注視していた。

 それは、愛宕の後方を進む第十一戦隊の司令部も同じだった。

 発砲の閃光に遅れて、砲声がサボ島沖まで轟いてくる。

 先行させた重巡青葉以下掃討隊と米艦隊との間の海戦は、まったくの混戦となっていた。情報が錯綜しており、第二水雷戦隊司令官・田中頼三少将から、「第六戦隊司令部全滅、我指揮ヲ継承ス」という報告以外、確かな情報が届いていない。

 愛宕、高雄からなる第四戦隊、比叡、霧島からなる第十一戦隊、直衛隊の第二十七駆逐隊が、未だ戦闘海域から離れた地点にいるのはそのためだった。今突入すれば敵味方混交の恐れがあるという、近藤信竹・第二艦隊司令長官の判断である。


「昼間の情報では、敵艦隊に新鋭戦艦二、ないし三隻が含まれているとのことだったが……」


 城郭を思わせる愛宕の艦橋で、近藤中将が呟くように言った。

 本来であれば第三艦隊に所属している第十一戦隊の戦艦二隻が、第二艦隊の指揮下に臨時で編入されたのはそのためだった。現在、存在が確認された米戦艦に対抗するためガダルカナル沖に投入出来る日本海軍の戦艦は、この二隻だけだった。一応、トラックからの増援部隊が急行していると聞かされているが、米艦隊のガダルカナル到達予測日時よりも一日遅れるとのことであった。

 だから、現状では現有の戦力で米艦隊を迎撃しなければならない。


「掃討隊から、何か敵戦艦の動静について報告はないか?」


「いえ、未だに報告はありません」


 通信参謀が、正直に答える。


「夜明けまで我々が粘れば、航空部隊による支援が受けられます。それまで、持ちこたえねばなりません」


 参謀長の白石万隆少将が言う。


「うむ、そうだな」


 近藤は言葉少なに頷いた。

 現在、トラックから急行中の増援部隊には、山口多聞少将率いる空母飛龍、瑞鶴が含まれている。それまで、このルンガ沖を死守しなければならないのだ。

 不安はあるが、近藤がそれを顔に出すことは許されない。

 敵新鋭戦艦の存在が確認されている中で、こちらの戦艦は高速ではあるが旧式の金剛型二隻のみ。その主砲は三十六センチであり、アメリカ側の主砲口径が四十一センチであると予測されている以上、力不足は否めない。

 そもそも、比叡と霧島は燃料、弾薬共に不安を抱えている状況なのだ。

 この二隻は数日前、ガダルカナルへと物資を運んできたアメリカ海軍駆逐隊、その揚陸地点に対して艦砲射撃を行い、さらにアメリカ海兵隊がガダルカナルに築いた陣地に対しても砲撃を行っていた。

 ショートランドで補給を待っていたところを、近藤が無理矢理に引き抜いてきたのだ。

 すべては、敵新鋭戦艦に対抗するため。

 だからこそ近藤は、日本海軍が長年構想を続けてきた漸減邀撃作戦の要領を応用した迎撃計画を立てていた。

 まず、掃討隊による敵戦力の漸減、特にそれは護衛艦艇の漸減を目指していた。そして、掃討隊が敵艦隊の兵力を減殺し、敵戦艦の護衛が薄くなったところに、砲撃隊をぶつける。

 この際、比叡と霧島が敵戦艦と正面切った砲撃戦が演じられるとは、第二艦隊司令部も第十一戦隊司令部も考えていなかった。

 ただ、敵戦艦の砲火を引きつけ、第四戦隊と第二十七駆逐隊の肉薄雷撃を成功させるための囮の役割を担っているだけだった。

 しかし現状、そうした作戦構想は根底から瓦解していた。

 いったい、ルンガ沖での戦闘は日米どちらが有利なのか、その判断が第二艦隊司令部は出来ていないのだ。

 そうしている内にも戦闘は進んでいく。

 日米双方の思惑を、その混沌の中に呑み込みながら。


   ◇◇◇


 一方、飛行場砲撃を目指すアメリカ艦隊は、船団護衛から引き抜かれたダニエル・キャラハン少将の第六四・七任務部隊、その指揮下に組み込まれた同じく船団護衛を担当していたノーマン・スコット少将の第六二・四任務部隊、そして機動部隊が壊滅したためにその護衛から外されたウィリス・リー少将の第六四任務部隊から成っていた。

 その編成は、次の通りである。


第六四・七任務部隊(含第六二・四任務部隊)  司令官:ダニエル・キャラハン少将

【重巡】〈サンフランシスコ〉〈ポートランド〉〈ノーザンプトン〉〈ペンサコラ〉

【軽巡】〈アトランタ〉〈ジュノー〉〈ヘレナ〉

【駆逐艦】〈カッシング〉〈ラフェイ〉〈ステレット〉〈オバノン〉〈アーロンワード〉〈バートン〉〈モンセン〉〈フレッチャー〉


第六四任務部隊  司令官:ウィリス・リー少将

【戦艦】〈サウスダコタ〉〈インディアナ〉〈ノースカロライナ〉〈ワシントン〉

【軽巡】〈サン・ファン〉〈サンディエゴ〉

【駆逐艦】〈ウォーク〉〈グウィン〉〈ベンハム〉〈プレストン〉


 また上記兵力の他にも、水上部隊を支援するための空母兵力も出撃させていた。


第十六任務部隊  司令官:トーマス・キンケード少将

【空母】〈レンジャー〉

【重巡】〈ウィチタ〉〈タスカルーザ〉

【軽巡】〈セントルイス〉〈ボイシ〉

【駆逐艦】〈マハン〉〈モーレー〉〈ショー〉〈カンニンガム〉〈モーリス〉〈アンダーソン〉


 純粋に兵力を比較すると、アメリカ側がかなり有利に立っているが、太平洋・大西洋各方面から無理矢理に戦力を引き抜くなど、他の戦線に影響を与えかねないものであった。

 特に第十六任務部隊の空母レンジャーと重巡は、本来であれば北アフリカ上陸作戦「トーチ作戦」に投入されるべき兵力であった。

 また、第六四・七任務部隊を率いるキャラハン少将は実質的にこれが初めての実戦であり、それがより海戦におけるアメリカ艦隊の混乱を助長したといえる。

 この時、飛行場砲撃を目指すアメリカ艦隊は、前衛をキャラハン少将率いる巡洋艦部隊が務め、その後方に飛行場砲撃を目指すリー少将の戦艦部隊が続いていた。

 キャラハンの前衛隊に求められたのは、昼間の航空偵察で発見された日本の巡洋艦戦隊を排除し、戦艦部隊のためにシーラーク水道の制海権を確保することであった。

 だが、前衛隊の主席指揮官のキャラハン、次席指揮官のスコットも、最新鋭のSGレーダーを搭載した軽巡ヘレナを旗艦に選ばず、それぞれ重巡サンフランシスコ、軽巡アトランタに座乗していた。これらの艦には、旧式のSCレーダーしか装備していなかったのである。

 さらに悪いことに、キャラハンが旗艦と定めたサンフランシスコは昼間の空襲によって射撃管制装置が破壊されていた。そのため、射撃指揮所からの統制された射撃が出来ない状態に置かれていたのである。

 こうした悪条件が重なったまま、アメリカ艦隊はルンガ沖への突入を敢行したのであった。






 そして今、サンフランシスコの艦橋は混乱の最中にあった。


「いったい、駆逐隊は何をやっていたのだ!」


 キャラハンは苛立たしげに叫んだ。だが、その叫びに応える者はいない。

 サンフランシスコのヤング艦長、あるいはキャラハンの幕僚たちも状況の把握に必死だったからだ。

 最初に敵を発見したのは我々ではなかったのか?

 その思いが、キャラハンの胸の中に渦巻いている。

 実際、先に相手を発見したのはアメリカ艦隊、正確にいえば軽巡ヘレナのSGレーダーであった。これが、日付が変わる前の十一月十二日二三二四時のことである。

 この時点で、キャラハンは先手を取ることに成功したと確信した。敵艦隊の動きに変化はなく、明らかにこちらを発見していないことが見て取れたからだ。

 だが、ガダルカナル―フロリダ島間のシーラーク水道に突入を開始したところで、キャラハンらアメリカ艦隊の思惑は大きく崩れた。

 水道南方を警戒していた日本艦隊の一部に発見されたのは、こちらが接近を続けている以上必然的な事態であった。

 だがここから先が、キャラハンにもヤング艦長にも、他の艦長にも理解出来ないことであった。

 突然、艦隊の先頭を走る駆逐艦カッシングが左に急転舵したのだ。これに後続の駆逐艦が追随。アメリカ艦隊の混乱が始まった。

 本来であれば、キャラハンは迎撃のために向かってくる日本艦隊に対し、丁字を描いて集中射撃を行うという作戦を立てていた。

 だが、この作戦を成功させるには各艦の一糸乱れぬ行動が必要だった。

 先鋒を務める駆逐隊がキャラハンの許可なく変針したことで、その作戦計画は完全に破綻した。

 さらに、この突然の変針をキャラハンが問い質そうとTBS(艦隊内電話)を使用、カッシングからは敵の発見と射撃許可を求められたが、キャラハンは敵味方の識別が不十分としてこれを退けていた。

 そこへ、敵艦隊から強烈な光線が放たれたのである。

 これは、重巡青葉から放たれた探照灯の光であり、第六戦隊司令官・五藤存知少将が攻撃目標の指示と味方の遮蔽(敵の意識を青葉に引きつけ、他艦への意識を逸らす)を目的として照射を命じたのであった。

 この時、すでに両軍の距離は六〇〇〇メートル。

 迎撃を意図して待ち構えていた日本艦隊はただちに射撃を開始、探照灯に照らされたスコット少将の旗艦アトランタに砲火が集中した。すぐにアトランタからの通信は途絶した。

 だが、本当の混乱はここからだった。

 探照灯を照射されたこと、アトランタが炎上したことから、TBSには各艦から射撃許可を求める通信が殺到、さらにこれに加えて敵の位置を報告する通信、操艦に関する指示を求める通信、後方の第六四任務部隊から状況報告を求める通信も舞い込んだため、通信回線は完全に飽和状態になってしまった。


「ええい! 奇数番艦右砲戦、撃ち方始め! 偶数番艦は左砲戦、撃ち方始め! 急げ!」


 とにかく、素早く応戦することが必要と考えたキャラハンは咄嗟にそう命じた。

 だが、艦隊陣形が混乱した状況下で、この命令は悪手だった。それぞれの艦の置かれた状況が異なっていたため、命令された方向に目標を発見できない艦、命令された方向とは逆の方向から砲撃を受けながら応戦出来ない艦が続出した。

 そして、通信回線の混乱によってこの命令が全艦に伝達されたわけでもなかった。そうした艦は、戦場で最も目立つ存在、つまりは探照灯を照射する重巡青葉への射撃を開始した。

 また、あまりに現実離れした命令のため、それを無視する艦長もいた。


「アトランタ、被雷!」


 砲声とはまた違うおどろおどろしい音が、サンフランシスコ艦橋に響く。サンフランシスコの前方を炎上しながら走るアトランタの舷側に、高々と二本の水柱と火炎が上ったのだ。

 アトランタの速力は急速に衰えていく。


「面舵一杯、急げ!」


 ヤング艦長が、衝突を避けるために命じる。それに後続の重巡部隊が続く。

 その直後だった。


「うっ!」


 その呻きが、誰のものだったかは判らない。


「本艦、敵巡洋艦からの照射を受けています!」


 見張り員の絶叫が響く。

 この時、日本側は青葉が艦橋を破壊されて戦闘能力を喪失、後続の古鷹が青葉の退避を援護するために探照灯を照射していた。


「目標! 探照灯を照射する敵巡洋艦!」


 ヤング艦長がサンフランシスコの危機を悟って砲術長に命令を下す。ぐずぐずしていては、アトランタの二の舞になる。だが、昼間の空襲で射撃管制装置を破壊されていたサンフランシスコは、統一された射撃が出来ず、その命中率も低かった。

 衝撃が、サンフランシスコを襲う。敵の砲弾が艦を直撃したのだ。


「ダメージ・リポート!」


 ヤング艦長は怒鳴る。

 その間にも、双方の砲弾による応酬は続き、古鷹はアメリカ艦隊の砲撃によって炎上を始める一方、アメリカ艦隊の側にも続々と損害が出ていた。


「ポートランド、被弾の模様!」


 後部見張り員からの報告が入る。サンフランシスコに後続するポートランドもまた、敵艦からの砲火に晒されているのだ。

 大統領の海軍補佐官などを務め、海軍内部のエリート・コースを歩んできたキャラハンにとって、この状況は悪夢であった。挫折感が、急速に体を蝕んでいく。

 いったい、どこで何を間違えたのか……?

 その直後、今までとは比べものにならない衝撃がサンフランシスコを揺さぶった。炸裂音と共に金属の軋む音が響き、艦橋を超える高さで舷側に水柱がそそり立つ。

 そして次の瞬間、大轟音と共に第一砲塔が宙を舞った。艦橋を真っ赤に染め上げるほどの火柱が立ち上り、サンフランシスコの前部が引き千切られる。

 艦橋にいた者たちが、揃って衝撃に薙ぎ倒された。


「ダメージ・リポート!」


 切迫した声で被害報告を求めるヤング艦長。

 第一砲塔の弾薬庫が、魚雷の爆発によって誘爆を起こしたのだ。破孔から怒濤のように奔入する海水によって、艦は急速に前のめりに傾斜していく。


「ポートランド、被雷!」


「ノーザンプトン、被雷!」


「ペンサコラ、被雷!」


 続けざまにもたらされた報告は、キャラハンを完全に打ちのめした。

 そしてヤング艦長も、自艦を救いようがないことを悟って決断を下す。


「総員退艦!」


 生き残った艦内通信を使って、乗員に退避を命じる。この混戦の中で脱出したとしても、どれだけの人間が味方に救助されるかは判らない。それでも、彼は少しでも乗員が生き延びられる可能性に賭けたのだ。


「司令官も、退艦の準備を」ヤング艦長は言う。「この上は、ヘレナに将旗を移して戦闘の指揮をとられるべきでしょう」


 だが、キャラハンは力なく首を振った。


「この状況で、ヘレナに移乗出来るとは思わんよ。せっかくの申し出だが、私は結構だ。君たちの今後の幸運と、神のご加護を祈らせてもらうよ」


 その言葉の意味を悟ったヤング艦長は、ただ黙って敬礼した。

 その直後、サンフランシスコの傾斜は急速に拡大し、海戦の終結を待たずに鉄底海峡へと沈むこととなった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 米艦隊を混乱の坩堝に陥れた最大の原因は、第四水雷戦隊に所属する駆逐艦夕立の存在であった。

 吉川潔中佐に率いられたこの白露型駆逐艦は、第四水雷戦隊の僚艦と共に、シーラーク水道南方の警戒に当たっていた。

 そして夕立は、ガダルカナルに接近するアメリカ艦隊を最初に目視する艦となったのである。「敵ラシキ艦影見ユ」との報告が発信されたのは、十一月十二日二三四三時。

 アメリカ艦隊よりも二十分近く遅れての、敵艦隊発見であった。そしてその敵は、大型巡洋艦多数を含む強敵であった。

 だが、吉川中佐は怯まなかった。

 二三四八時、夕立は春雨と共に敵艦隊への突撃を開始した。

 アメリカ艦隊の先頭にいた駆逐艦カッシングは、衝突を避けるために転舵。これが、米艦隊が混乱する最初の原因となった。


「旗艦に通信! 我、突撃ス」


 だが、夕立の側は衝突を恐れずにそのままキャラハンの艦隊の隊列に飛び込んだ。敵の指揮官は状況の変化について行けないのか、友軍への誤射を恐れているのか、接近する夕立に対して攻撃を行ってこない。

 これは千載一遇の好機であった。


「右魚雷戦! 目標、敵巡洋艦一番艦!」


 吉川中佐の命じた目標は、アトランタであった。

 轟然と稼働する機関の音が響き、三十四ノットの最大速力を出す夕立は海と風を切って進んでいく。


「魚雷発射始め!」


 水雷長の号令一下、八本の魚雷が海へと躍り出る。彼我の距離はこの時、二〇〇〇メートルを切っていた。


「射撃開始!」


 そして、魚雷発射まで自艦の位置を暴露するのを防ぐために沈黙していた十二・七センチ砲も発砲を開始する。

 一方、遅まきながら敵駆逐艦にも発砲の閃光が走る。今まで沈黙していた敵艦隊も、青葉から探照灯が照射されると堰を切ったように砲撃を始めたのだ。

 夕立の頭上を砲弾の飛翔音が通り過ぎていく。周囲に着弾した砲弾が炸裂して水柱を上げ、夕立の姿を敵艦隊から隠す。

 相対速度が速いため、砲撃の目標は次々に変更になる。すれ違いざまに敵の駆逐艦に射弾を浴びせ、そしてすぐに次の目標に移る。


「砲術長、射弾修正の必要なし! どんどん撃て!」


 椛島千蔵砲術長は、砲術教範にないその命令に喜々として従った。何せ、敵陣のど真ん中に突っ込んだ夕立である。目標には事欠かない。

 砲はほとんど水平にして射撃を繰り返しており、撃つたびにどこかしらの敵艦に命中弾炸裂の爆炎が上がる。

 そうして夕立はいつしか、敵艦隊の後方に抜けてしまった。

 流石に敵陣を中央突破したこともあり、彼女も無傷とはいかなかった。小口径砲弾が何発か命中し、機銃弾が船体を穿っていた。だが、機関部は無事であり、射撃指揮所も無事である。


「しかし参ったな、こりゃ」


 吉川中佐は艦橋でぼやいた。依然、夕立乗員の士気は旺盛。このまま反転し、敵艦隊に再突入といきたいところだが、そうもいかないようだった。


「あれ、どっちが味方でどっちが敵だ?」


 水道に響き渡る轟音、爆音、閃光。

 正直、このまま再突入しても、友軍からは南方から現れたことで敵と誤認されそうである。

 その時、見張り員から報告があった。


「右舷前方、二時方向に新たな艦影確認! 戦艦と思われます!」


「なに?」


 その報告に、吉川は思わず眉を寄せた。確かに、事前に報告のあった敵戦艦の姿は、敵艦隊を突破してる最中にも見えなかった。

 つまり、敵もこちらと同じく、敵艦隊の掃討を巡洋艦部隊に任せていたということだろう。


「水雷長、魚雷の次発装填、まだか!」


 夕立は、魚雷の次発装填装置を持っている。予備の魚雷は八本。敵戦艦のどれか一隻を仕留めるのには十分な数である。

 こちらが撃沈される可能性も高いが、それを恐れては駆逐艦乗りなどやっていられない。むしろ、この好機を何としても活かしたいという闘魂の方が大きい。


「申し訳ございません。艦の動揺が激しく、装填作業が行えておりません」


 その報告に、吉川は小さく唸り声を上げた。ここで部下を叱責しても仕方がない。次発装填装置を使えば迅速に新たな魚雷を装填出来るとはいえ、高速でしかも転舵を繰り返していた状況では魚雷の装填は行えない。

 敵の目の前で速度を落とすのは論外であるし、かといって安全な方向に退避して敵戦艦と接触を失うのもまずい。

 だが、そこでふと吉川はあることに気付いた。


「見張り員、敵戦艦の動きに変化はあるか?」


「はい。いいえ、変化はありません」


「そうか!」


 吉川は手のひらに拳を打ち付けた。

 敵がこちらを視認していないという可能性は低いだろうが、敵だと思っていないことは確かだろう。


「航海長、敵戦艦に並ぶぞ! 見張り員、敵戦艦の動きに変化があれば即座に知らせろ!」


 この豪胆な命令にも、航海長は疑問を挟まずに従った。

 先ほどまで、手を伸ばせば届きそうな距離で敵艦隊と撃ち合っていた夕立とその乗員たちである。敵戦艦に肉薄することにも、躊躇いはなかった。

 夕立は敵戦艦とそれを取り巻く護衛の駆逐艦に並ぶように速度を落とし、その一隊に紛れ込む。

 実はこの時、リー少将の砲撃部隊は夕立をレーダーにて捉えていた。しかし、TBSが飽和状態となっていたことから、接近してくる艦影の敵味方の識別が出来ずにいた。特に、TBSから同士討ちと思しき通信が聞こえたことも、アメリカ艦隊が夕立への射撃を躊躇った理由であった。

 そして、旗艦ワシントン以下の乗員としても、こんな間近に敵艦が、それも単艦で接近してくるとは思ってなかったのである。

 そのため、リー司令官やワシントンのデイビス艦長らはこれを損傷して退避してきた友軍駆逐艦であると誤認していた。


「うぅむ、どうにも上手くないな」


 自らも双眼鏡で敵戦艦とそれを取り巻く護衛艦艇を観察しながら、吉川中佐は残念そうに言った。

 護衛の駆逐艦や巡洋艦が邪魔で、絶好の射点を確保出来ずにいる。かといって、ここで怪しい動きをすれば敵だとバレてしまう。

 ここは機関の出力を上手く調整しながら機会を窺うべきだろう。


「おい、誰か夜目が利いて、絵の上手い奴はおらんか?」


 仕方ないので、魚雷発射とは違う奇妙な命令が伝達された。

 この際、敵新鋭戦艦の艦型を詳細な記録に残しておこうと吉川は考えたのである。十月の南太平洋海戦で、駆逐艦秋雲の乗員が沈みゆく空母ホーネットの絵を残したというが、それと同じことをしようというのであった。

 この珍命令に応じたのは、信号員を務める乗員であった。

 日本海軍はこうして、サウスダコタ級、ノースカロライナ級の詳細な艦型を手に入れることに成功したのである。


  ◇◇◇


 アメリカ海軍第六四・七任務部隊は、二度にわたる指揮官戦死によって、軽巡ヘレナ艦長フーバー大佐が指揮を執っていた。いや、制度的には執っていることになっていた。

 通信回線の混乱は続いており、各艦に命令を下そうにも出来ず、また命令そのものもフーバー自身が海戦の状況を完全に把握出来ていないために出来なかった。

 弾薬庫の誘爆後、急速に沈んでいったサンフランシスコ、そしてそれに後続していた重巡部隊も被雷のために速度を大幅に落としていた。彼女たちが戦闘不能になっていることは明らかであった。

 敵艦隊に、どれだけの損害を与えたのかは判らない。だが、まだ戦闘が継続していることを考えると、シーラーク水道の制海権を確保するという本来の任務が達成出来ていないことだけは確かである。

 ヘレナは六インチ砲十五門を備えた重武装の軽巡であり、最新鋭レーダーを搭載していたが、単艦で敵艦隊を相手にすることなど出来ようはずもない。

 レーダーがいかに優秀でも、スコープ上に映し出される輝点が敵か味方か判らなければまったく用をなさない。

 このまま惰性で戦闘を継続していては、夜が明けてしまう。そうなれば、日本軍による空襲が始まるだろう。

 そうなる前に飛行場を叩き潰し、帰路の安全を確保しなければならない。空母レンジャーの航空隊の援護が期待出来るとしても、空母一隻では上空直掩には限度がある。レンジャーはレンジャーで、己の身を守らなければならないのだ。

 この際、リー少将の戦艦部隊を水道に突入させ、一挙に敵艦隊の殲滅を図るのが得策かもしれない。フーバー艦長はそう考えた。

 狭い水道内で敵水雷戦隊の魚雷攻撃の餌食になる危険性はあるが、こちらの巡洋艦部隊が多少なりとも健在な内ならば、何とか敵水雷戦隊を阻止してみせよう。

 フーバーがワシントン座乗のリー少将に意見具申を決意した直後、異変は起こった。

 軽巡ジュノーを包み込むように、巨大な水柱が立ち上ったのである。


「レーダー室より報告! サボ島方面より、新たな敵艦隊が出現! 数は八! 内二隻は大型艦の模様!」


「何ということだ……」


 これで、自分たち第六四・七任務部隊がシーラーク水道の制海権を確保する可能性は完全に消え去った。

 今まで新たな敵艦隊の出現を察知出来なかったレーダー員を叱り付けたい気分だったが、島影によって探知できなかったのだろうと納得して自分を抑える。

 この時、近藤中将率いる砲撃隊は第二水雷戦隊からの雷撃成功の報告を受け、ついにルンガ沖への突入を開始したのであった。

 フーバーは水柱の大きさから、敵の増援艦隊が戦艦クラスであることを見抜いていた。この状況でリー少将の部隊が突入しても、戦艦同士の砲撃戦となって飛行場砲撃どころではなくなってしまう。


「リー少将に通信! 新たな敵艦隊出現。敵は戦艦を伴う。作戦続行は困難と認む!」


 その間にも、敵戦艦に狙われたジュノーの周囲に巨大な水柱が林立する。幸い、直撃弾はないようであるが、それも時間の問題だろう。






 混乱するTBSから、幸いなことに拾い上げられたフーバー大佐からの意見具申に、ワシントンの艦橋でリー少将は渋面を浮かべた。

 眼鏡をかけた学者的容貌を持つこの砲術の権威は、作戦の続行が困難となっていることを自覚していた。とはいえ、戦艦四隻を出撃させて成果なく反転することも容易に決断しがたかった。

 ヘレナからは敵戦艦の出現が報告されたが、日本軍がこの海域に投入できる戦艦はコンゴウ・クラスのみのはずだ。

 それが四隻とも出現したとしても、正面切った砲撃戦ならば敗北することはないだろう。だが問題は、戦艦を守るべき護衛艦艇の少なさであった。

 駆逐艦はガダルカナル島への輸送任務に多数が投入された結果、多くが撃沈されるか損傷するかして、今回の作戦に十分な数が用意出来なかった。飛行場砲撃を担当するリー少将の部隊に駆逐艦が少ないのは、そのためであった。

 突入か、撤退か。難しい判断をリーは迫られていた。

 刹那、ワシントン艦橋にくぐもった爆発音が響き渡った。


「何事だ!?」


 デイビス艦長が即座に確認を求める。音だけで船体そのものに大きな衝撃はなかったことから、周囲の艦に何か異変があったのだろう。


「インディアナ、右舷に被雷の模様!」


「何だと!」


 艦橋は、にわかに騒然となった。


「全艦、面舵一杯!」


 リーが即座に命じた。魚雷が向かってきた方向に対して艦首を向け、被弾面積を最小限に抑えようとしたのである。


「敵の水雷戦隊はどこだ!? いや、潜水艦か!? 確認急げ!」


 九月には、空母ワスプと共に戦艦ノースカロライナが日本海軍の潜水艦に雷撃されて損傷を受けた経験がある。そのノースカロライナは強引な修理によって今回の作戦に間に合わせたが、万全の状態とは言い難い。

 それほどまでに、日本海軍の魚雷は脅威であった。


「右舷駆逐艦、フロリダ島方面に向かいます!」


 レーダー室からの報告が上がる。

 戦艦部隊の右舷を守っていた駆逐艦が、最初に転舵した駆逐艦に続いて行く。

 敵の水雷戦隊を発見したのだろうか?

 だが問題は、最初に隊列を離脱した駆逐艦の独断専行によって、戦艦部隊の右舷ががら空きとなってしまったことである。


「いかん! ウォークとプレストンを呼び戻せ!」リーが即座に命令を下す。「それと、両用砲、砲戦用意!」


 水雷戦隊の存在が確認されたならば、即座に砲撃を開始出来るようにする。

 だが、最初に隊列を離れた駆逐艦からは、何の報告もない。いや、TBSが混乱して報告出来ないのかもしれなかった。

 あるいは、潜水艦からの雷撃だったのかもしれない。日本海軍は豆潜水艦を保有しており、五月にはシドニーがその攻撃に晒されている。

 そうした豆潜水艦がこの近辺の海域に潜んでいたのかもしれない。

 いずれにせよ、護衛艦艇の少なさが徒となった結果である。


「インディアナの状況は?」


 リーが訊いた。


「右舷に二発被雷。出しうる速力、十六ノットとのことです」


「まずいな」


 飛行場の砲撃に成功していない今、損傷したインディアナをどう逃がすかが問題となってくる。

 あるいは強行突入という手段もあるが、狭い水道で再び雷撃されれば被害は拡大する一方だろう。

 ここは功に(はや)ることなく、一時撤退して捲土重来を期すべきである。

 それを声に出して命令するために、リーはしばし瞑目した。


「……全艦、反転してエスピリットゥサント方面へ退避せよ」


 それは、エスピリットゥサントの航空部隊の援護を得ることを目的とした命令であった。

 こうしてガダルカナル飛行場砲撃を期して出撃したアメリカ艦隊は、ルンガ沖からの撤退を余儀なくされたのである。

 だが、リーは退避を決意しただけであり、未だガダルカナル砲撃という目的を放棄してはいなかった。ガダルカナル島には補給を待ち、食料不足に苦しむ海兵隊がいる。何としても、彼らを救わねばならないのだ。

 そしてその思いは、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・ハルゼー中将も同様であろうとリーは確信していた。






「いやはや、何とも痛快痛快」


 吉川中佐は夕立艦橋で呵々として笑っていた。

 何とか敵に警戒されることなく射点に付こうと航海長と共に四苦八苦してようやく、敵戦艦の雷撃に成功したのである。

 そして、敵は最後までこちらを味方と誤認していたようで、逃走を図る夕立を追撃するかに見えた二隻の米駆逐艦も、単にこちらに後続しようとしただけだったらしい。


「まるで、ドン亀乗りの気分でしたなぁ」


 ほっとしたのか、気の抜けた声で航海長が応じる。

 ドン亀乗り、つまり潜水艦乗りのことである。密かに接近して雷撃を放ち、離脱する。確かに、夕立の行動は潜水艦のそれに似ているといえた。


「敵戦艦部隊、反転します」


 見張り員が報告する。


「よし、そろそろ良いだろう。通信、愛宕に連絡だ。敵戦艦部隊の位置、そいつらが反転して撤退を始めたことを伝えてやれ」


「宜候」


 今まで不用意に電波を発して敵とバレることを恐れ、夕立は無線を封止していた。だが、ことここに至っては、その必要はないだろう。


「あとは、味方から誤射されないことだな。おい、味方識別の信号灯を用意しておけ」


 魚雷を撃ち尽くした夕立に、もはや十分な戦闘能力は残されていない。

 吉川は豪胆ではあるが、決して無謀ではなかった。夕立はそのまま、戦闘海域から離れたフロリダ島付近で、米艦隊が撤退していく様子を見守っていた。






 こうして後世、第三次ソロモン海戦第一夜戦と呼ばれることになる海戦は終結した。

 時に、一九四二年十一月十三日〇〇二六時。

 わずか三十分程度の戦闘ながら、その熾烈さと混乱においてこれまでのソロモンを巡る海戦を上回っていた。

 だが、両軍共にこれでガダルカナルを巡る攻防戦に決着がついたとは考えていなかったのである。

 自分なりに架空戦記小説を書いてみたいと思い、第三次ソロモン海戦を題材にして今回、執筆を試みた次第です。

 夕立の行動など、いささか御都合主義的要素も含まれていますが、これは私の好きな艦艇に夕立が含まれているからです。

 中学生の時、学校の図書館で呼んだ太平洋戦争に関する書籍で、敵艦隊に突入して砲撃を行う夕立を描いた絵を見て以来、駆逐艦の中では夕立が一番好きな艦です。

 なお、元ネタが判る方には判ると思いますが、夕立が敵艦隊に紛れたというのは、レイテ沖海戦における駆逐艦桐艦長の回想が元です。


 第三次ソロモン海戦に至るまでの経過にも、いくつかの歴史改変を入れております。

 中編以降でも描くつもりですが、この物語は「ミッドウェー海戦で飛龍の薄暮攻撃が成功した世界」を描いています。

 ヨークタウン、ホーネットを撃破したものの、結局、新手の敵空母四隻が出現したとの筑摩の報告により、艦隊保全主義に走った連合艦隊司令部はミッドウェーからの撤退を命じました。

 このため、史実では沈んだ飛龍、三隈が健在で、最上型四隻が揃った第七戦隊は史実では中止となったインド洋機動作戦に投入されました。

 その作戦の発動直後、米軍が史実通りガダルカナルに上陸しました。

 史実よりも一隻多い空母を投入できる日本海軍は第二次ソロモン海戦に勝利し、増援部隊の輸送に成功したことにより、ガダルカナル飛行場を奪還しました。

 この物語は、そうした世界での第三次ソロモン海戦を描いていくつもりです。


 そのため、「東京テンペスト」で描いた第二次世界大戦の設定とは、ほとんど関係ありません。

 可能であれば、「東京テンペスト」の設定を活かした架空戦記も書いてみたいと思いますが、調べるべき事項が膨大に存在するため、中々手を付けられていないのが現状です。

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