プリザーブド
【仮蘇生制度、全面撤廃へ】
記憶移植型ヒューマノイド、10年以内に破棄の予定
厚生労働省は3日、記憶移植型ヒューマノイドによる死亡者仮蘇生制度の全面撤廃を発表した。新規の仮蘇生申請は再来年度末で締め切られる。今後は違法蘇生の取り締まりをいっそう強める方針。
(東都経済新聞より抜粋 2XXX年8月4日)
◇
それは、夏休みも終盤にさしかかった、八月半ばのことだった。
僕は学校から帰る途中、寄り道をした先で、偶然彼女を見かけたんだ。
彼女は僕のクラスメイトで、正直言ってめちゃくちゃかわいい。高校に入学したその日から、彼女は全校生徒の注目の的だったし、実際ばんばん告白されていた。
勘違いしないでほしい。
僕が部活の帰りに寄り道をしたのは、何か食べるものを買おうと思ったからで、決して彼女の跡をつけていたとかそういうことではない。第一、僕は彼女がどこに住んでいるのか知らなかったし、彼女に憧れているからといって、個人情報を逐一調べたりする度胸もなかった。
だからコンビニを出たあと、前を歩く白くて長いワンピースを着た女の子が彼女だと気がついたときには、危うく息のしかたを忘れるところだった。
……話しかけてみようか?
そんな自問に、僕は即座に答えを出す。
僕から見た彼女は、特別な存在だ。だけど彼女から見た僕は、きっと群衆の中の一人に過ぎないんだろう。だったらこのまま、何もなかったふりをして通り過ぎてしまうのが一番いいに決まっている。
僕は歩調を速めた。
彼女は、いつもは下ろしているセミロングの髪をポニーテールに結っていた。白いリボンが髪と一緒に揺れている。歩調を速めたことで彼女に近づいた僕は、そのうなじに変なものがあるのに気がついた。
直径三ミリくらいの、黒いもの。おくれ毛に隠れて見えづらかったから、最初はほくろだと思った。
けど違う。
それは見たところ、充電口のようなものだった。古い型の携帯端末についている穴にそっくりだ。
「……なんで?」
思わずつぶやいた僕は、至近距離に彼女がいることをすっかり忘れていた。前を歩いていた足が止まり、ポニーテールが翻る。
振り向いた彼女は真後ろにいた僕に気がつくと、ちょっとびっくりした顔でうなじに手をやった。
普段なら、こんなに近い距離で彼女の完璧にかわいい顔を拝んだら、ひと言も喋れなくなってしまうこと請け合いだ。だけどこのとき僕の中では、緊張なんかよりも好奇心のほうが勝っていた。
充電式で動く旧式のヒューマノイドの話は聞いたことがある。けれどそれらは、数十年以上も昔にすべて破棄されているはずだ。
「み、見た……?」
戸惑った声で彼女は言う。僕はうなずいた。うなずく他なかった。
破棄されたはずの旧式ヒューマノイド、それ以前の問題。
「……君は――君って……人間じゃないの?」
彼女は観念したように自分のうなじから手を離すと、ゆっくりとうなずいた。それからちょっとだけ首を傾げて、僕にこう提案してきた。
「場所、変えよう。話したいことがあるの」
◇
彼女が僕を連れていったのは、街が一望できる高台にある公園だった。
公園といっても、遊具の類は一切ない。がらんとした広場にベンチが三つ、あとは転落防止用の、背の低いちゃちな鉄柵があるだけだ。
鉄柵の後ろはほとんど崖のような急勾配になっている。落ちたら少なくとも大けがは免れないような勾配だ。こういう危険な土地利用は都心を中心に見直されているはずだけど、僕が住んでいるような中途半端な田舎は、いつだって後回しにされがちだ。
「よく来るんだ、ここ。人がいなくて静かだから。私の秘密の場所」
街を眺めながら彼女は静かに言う。
「ついでに、私の本当の名前も教えてあげるよ」
彼女は鉄柵に両手を預けた。僕はといえば、そのあいだひと言も発することができないまま、言いようのない不安に駆られていた。
ひと気のない場所で彼女と二人きりだというのに。
「K-00 試作機」
いっそう小さい声でつぶやいた彼女の目は、依然として夕方の街並みを見つめていた。僕の不安は一気に膨れ上がる。
彼女の秘密を教えてもらっても、なぜかちっともうれしいとは思わなかった。
思えばこのとき僕は、自分のことを訥々と語る彼女が最後にどんなことを言うのか、直感的にわかっていたんだろう。それでも度胸のない僕には、彼女の話を止めることはできなかった。
彼女は身体の向きを変えると、僕のほうを真っ直ぐ見て話をした。
生身の彼女自身は数十年も前に死んでいること。
ロボット工学の第一人者だった彼女のおじいさんが、初めて作った記憶移植型ヒューマノイドが彼女だということ。
試作機としての彼女の存在は、あまり公にはされていないこと。
そして、十年以内に破棄されるヒューマノイドの対象に、彼女も入っているということ。
「私を含めた記憶移植型にはね、安全装置がついてるの」
彼女は完璧にかわいい顔を少しだけ歪めた。痛みをこらえるような表情だった。
「人間に対する安全装置。ヒューマノイド本体が修復不能なほどに損傷したとき、周りの人間からは、その機体と一緒に過ごした記憶が消えていくの。遺族が二度と、同じ悲しみに暮れることがないように……でもね」
損傷に直接関わった人間は、その機体に関する記憶をすべて保持し続けるのだと、彼女は言った。
「直接関わった人間……」
僕がオウム返しにつぶやくと、彼女は少しだけ笑った。
「そう……だけど正式に破棄されれば、私という個体のことは誰の記憶にも残らない。ヒューマノイドの破棄をするのは、人間の作業員の仕事ではないから」
僕は彼女が何を言いたいのかわからなくなってきて、呆然とその顔を見つめてしまった。きっと阿呆みたいな表情だったのだろう。僕の顔を見ていた彼女が、面白そうに笑ったから。
「……あのね、お願いがあるの」
ひとしきり笑った彼女は、再び僕の目を真っ直ぐに見つめた。
「もう誰も、生前の私を憶えてる人はいないんだ。だから私を――ここから落としてほしいの」
両手を広げて鉄柵にもたれる。柵の高さは彼女の腰あたりまでしかなくて、それだけでひどく不安定だ。
僕はうろたえた。彼女の言葉はある程度予想していたものだったけど、予想するのと実際に聞いてしまうのではわけが違った。
「……けど、なんで?」
やっとの思いで絞り出した声は、自分でも情けなくなるくらいに掠れていた。
「なんで、僕なの――?」
彼女はわずかに微笑んだ。
「気づいたの、君が初めてだったから。それに君、すごく似てるんだ。私が生きてた頃、好きだった人に。だから――」
君くらいは覚えていてよ、私のこと。
◇
「私、勝手だと思う?」
鉄柵をはさんで僕と向かい合った彼女は、僕の顔を見ないようにして言った。
「勝手だよ」
そう言いながら僕は、彼女が誤って転落しないように、その両腕をつかんでいた。
彼女は僕が突き落とさないと、意味がないから。
「君が学校でずっと私を見てたの、知ってたよ」
視線を上げた彼女と、鉄柵越しに目が合った。長い睫毛が震える。
「……でもほら、尽きない命は偽物だからさ……枯れない花みたいに――」
「偽物じゃないよ」
僕は思わず彼女の言葉を遮っていた。普段なら人の話を遮るなんてできるわけがないんだけど、このときだけは、そうするべきだと思った。
ここで何も言わなかったら、きっと僕は一生後悔する。
「K-00でも試作機でもない。僕の中で君は一人の人間で、好きな人で、これから僕が殺す人なんだ。この先ずっと、忘れてなんかあげないから」
彼女はびっくりした顔で僕を見た。
それからうれしそうに、本当にうれしそうに笑った。そのまま狭い足場でくるりと器用に、僕に背中を向ける。
風が吹いた。
きれいな髪が、ワンピースが、揺れた。
「ごめんね。でも、ありがとう。生きてるときに会いたかったよ」
そう言った彼女の背中を、僕は思いっきり押した――。
◇
血は出ない。ただ、手足はおかしな方向に向いている。
目を閉じたその顔は、眠っているように穏やかだ。
倒れた彼女のそばに立った僕は、髪をまとめていた白いリボンを抜き取った。
人間が死ぬとき、最後まで残っているのは聴覚だと聞いたことがある。彼女もそうなんだろうか。名前を呼んだら、彼女にはまだ聞こえるんだろうか。
「カンナさん……」
僕は君に、言いたいことがたくさんあったかもしれないよ。
「……さよなら」
彼女の秘密を知った夏の日、僕は彼女を永遠にした。
◇
【ヒューマノイド 転落事故】
15日午後六時頃、路上で人が倒れていると近隣住民の女性から通報があった。
調べによると、倒れていたのはTOWA研究所所属の記憶移植型ヒューマノイド、『K-00 試作機』。現場は市営くおん展望公園斜面下の路上で、公園の鉄柵は一部破損していたという。警察はK-00が誤って転落したと見て捜査を進めている。
(東都経済新聞より抜粋 2XXX年8月16日)
K-00 試作機――別名、カンナ。
彼女の名前には意味があります。
果たしてこれが幸せな恋だったのか。答えは貴方次第です。
お読みいただきありがとうございました。
夏目圭