最終章 姫護の日々に
最終章 姫護の日々に
九葉の屋敷の奥の間で、上座に腰をすえた九葉は、その場の誰よりも不機嫌だった。
「それで?」
津香紗の姿で正座する司に、冷たく鋭い視線を向けながら、低い声で尋ねる九葉の言葉からは深い怨嗟の気配がこれでもかと放たれている。
「いや、ですから、姫護の契約とか与えられる三つの能力に疑問を持っていてですね、その中でも万象変化って、肉体のイメージができないと姿を失ってしまったりとか、すごく不安定な能力なのに性別を切り替えることにだけは特化というか、安定を図っていることに気がついて、もしかしてその目的は性別を変えることなんじゃないかと思ったんです」
両手を顔の前で広げて、九葉の視線を遮るようにしながら、おずおずと司は答える。
九葉はその自らを恐れるような態度に怒りを募らせながらも続けるように促す。
「イザナギの目的はイザナミである九葉ちゃ・・・様の体を手に入れることでしたから、過去の術者が陽性の者との接触でイザナミが存在を失う術をかけたわけですけど、それってつまり両者が接触しないように施したんじゃないかと・・・つまり、イザナミもイザナギも消し去るつもりは無かったんじゃないかって思ったんです。それで、仮にそうなら『キワミ』封印用の封印球みたいなものがあるんじゃないかって思って・・・」
必死に説明する司を睨みつけながら何の反応も示さなくなった九葉の顔を司は覗き込む。
「あの・・・九葉様・・・?」
名前を呼ばれて一段と睨みを強くしながら、九葉はドスの聞いた声で返す。
「良いから続けるのじゃ、我が姫護よ」
棘の無数に生えた九葉の言葉にこくこくと何度も頷きながら司は続きを口にする。
「それが姫護じゃないかと思ったんです。だから、うまく私の体の中に取り込めれば、こういう風に・・・」
そういって司が手で示した先には、九葉に良く似た顔立ちの銀髪の幼女が司と同じく正座で座っていた。
「この私が姫護の・・・しかも、使い魔とは・・・」
年相応には見えない深い落胆の表情を浮かべて嘆く幼女は、いまや司の体に閉じ込められ、司の使い魔として幼女の体を与えられたイザナギの成れの果てだった。
幼女の姿になったイザナギに向かって、ニヤニヤと笑いながら九葉は言葉を放つ。
「凪よ、まあよいではないか、わけの分からない野望を抱くより遥かに楽しいと思うぞ」
司によって凪という名を与えられたイザナギは、屈辱に顔を歪めながら俯いてしまった。
凪を少し哀れに思いながらも、笑みを浮かべる九葉の横顔にほっとする司だったが、九葉の視線が司に戻ってきたときには、あの冷気を湛えた怒気が渦巻いていた。
「はう・・・」
おびえた表情を浮かべる司に、九葉は悠然と立ち上がると更にふわりと身長が増す。
その二段階の身長の伸びに驚く司だったが、そこには姉としての姿の九葉がいた。
「なにが、はう、じゃ」
懐から取り出した扇子で、司の頭をポコポコと叩きながら、膨れっ面で言う九葉は、大人びた容姿に似合わず妙に可愛らしかった。
「おぬし達はわらわの妹として、みっちりと仕込んでやるから覚悟いたせよ?」
バサッと音を立てて広げた扇子で口元を覆う九葉の目はいくらか柔らかさを増していた。
司はその視線の変化に淡い期待を浮かべながらおずおずと口を開く。
「あ、あの・・・それで私はどうしたら・・・」
司の問いを聞くなり、九葉はくるりと背を向けてそのまま黙り込む。
沈黙が訪れて、長いような短いような時間が過ぎたところで、九葉が何事か囁いた。
聞き取れずに「え?」と短く聞き返した司に今度は振り向いてしっかりと言い放った。
「次はもっと分かりやすくわらわを守れ」
言ってから視線を落とした九葉の耳も顔も赤い。
「もちろんです、九葉さま!」
九葉の言葉が嬉しくて、司は無意識に明るい声を上げていた。
真っ直ぐな司の喜びの様子に、九葉は視線をそらしてから向き直ると怒鳴りつけた。
「い、妹じゃと、いったばかりじゃ!」
大人の姿なのにいつもより遥かに子供っぽい九葉に、司は笑みを浮かべ抱きついてみせた。
「はい、九葉お姉さま!」
「な! な! なーーー!」
抱き疲れた九葉は腕をばたつかせながら、想像以上の事態にパニックに陥っていた。
そんな二人の様子を見つめながら、自分が執念深く進めてきた計画も何もかもが馬鹿らしくなって、凪は大きく溜息をつくと、とりあえず、しばらくはこの身に甘んじる覚悟を決めて、自称姉たちの様子を観察することにした。
「負けた以上は、まあ、仕方ないか・・・」
溜息混じりに呟いた凪の言葉も表情も、すっかり毒が抜けてしまっていた。
屋敷の外では唯と奈緒子を前に、屋敷に住み込みで働くことになったと自慢する美紀の姿があった。
ずるいと唸る唯と奈緒子に、勝ち誇った表情で空手の型を披露する。
「な? これで津香紗たちを守るわけよ」
そういって微笑む美紀の拳には包帯が巻かれていて少々痛々しい。
「私だって守れるもん!」
美紀に触発されて、必死に訴える唯に、美紀は微笑みながら頭を撫でてやる。
「当たり前だ、学校はお前の担当に決まっているだろ」
唯のお腹に拳を軽く当てながら掛けられた美紀の言葉に唯は満面の笑みで答える。
「うん!」
その横で奈緒子は何かを思い出して美紀に問いかけた。
「小林司、探しはぁ?」
純粋な目で見つめながら問う奈緒子に、一瞬、言葉に詰まりながら美紀は答える。
「うん、あいつ見つかったよ、すげー元気だった」
満面の笑みでそう答える美紀に、唯と奈緒子が拍手をしてみせる。
「あいつ、いろんなものを守って戦っていたんだ。だからさ、私も・・・守ろうと思った」
いろんな意味をこめて、決意と自分の気持ちを確かめるように、そう言って美紀は微笑む。
「はーい。私もがんばるぅ」
それに奈緒子が続いて、真っ直ぐに上げた手をぶんぶんと振ってアピールしてみせる。
「おう、心強い」
いつの間にか三人のリーダーに納まった美紀は、唯と奈緒子の頭を撫でながら、司たちと戦っていくことを再び胸に誓った。
「それにしても、運転手が増えるのは心強いですよ」
腕を組みながら華菜は、車を洗う明雄にそういって話しかけた。
「なんだかんだで、女の子ばっかりですからね」
洗剤をしみこませたスポンジで丁寧に車を洗う仕種には、明雄の性格がよく現れていた。
「外見と中身が一致していないのにおかしなものです」
明雄の言葉に同意して華菜は深く頷いてみせた。
「中身は違うっていっても、やっぱり外見に引きずれたりするんですかね?」
洗う手を止めた明雄は、華菜に振り向きながら自分の思いを口にしてみた。
「そうですね、服と同じで、大きく影響は与えるのでしょうね」
華菜の言葉に、明雄は感慨深げに何度も頷いていた。
「司ちゃんが、可愛くて驚きましたか?」
不意に掛けられた華菜の言葉に、明雄は動揺のあまりスポンジを落としてしまう。
その態度を見ながら、華菜は笑みを浮かべて、ダメ押しをしてみせる。
「ふむ、図星ですか」
いつに無く悪戯っぽい華菜の仕種に、明雄は焦りながら慌てて弁解の言葉を口にした。
「いや、違いますよ、その、確かに、女の子は板についていますし、でも中身は・・・」
そこまで言った明雄を、華菜は自分の唇に人差し指を立てて黙らせると、首を振りながら優しい口調で囁く。
「別に恥ずかしいことじゃないですよ。人を好きになることは理屈じゃないですし、何より人を思えるのはとても尊いことです」
「華菜さん・・・」
華菜の囁きに、明雄もいつの間にか優しい表情を浮かべていた。
「今や、禁断の恋は明雄君と司ちゃんより、私と司ちゃんの方ですしね」
どこかとぼけた調子で華菜は明雄に向かってそういって微笑んでみせた。
「え!」
その言葉に驚きの表情を浮かべて動きを止める明雄に華菜は更に一言付け加える。
「まあ、なんです。明雄君のライバルは割りと沢山いるんじゃないかって事ですよ」
本気とも冗談ともつかない一言を残して華菜はその場を颯爽と去っていく。
後に残された明雄は頭を抱えたまま、その場でしばらくの間固まっていた。
「人間というのも、まあ面白いかもな」
暗くなった縁側で銀髪の頭を掻きながら、凪は胡坐をかいて傍らの九葉に向かって呟いた。
「あなたにしては前向きですね」
しっかりと正座をして一葉は、答えながら微笑んで見せた。
「私は陽神、常に前向きだ」
凪は不機嫌そうな顔で言い返し、一葉は嬉しそうに受け止めながら更に言葉を返す。
「万物は陰陽の理故に思考に陰りも出るのですよ」
「ふん」
一葉の言葉に背を向けてしまった凪に、笑みを浮かべながら一葉は囁きかける。
「それにしても、またこうして言葉を交わせるとは思いませんでしたね」
凪はその言葉を聴くなり、ごろりと転がると上下さかさまになった一葉を見つめた。
「太陽は昼間しか顔を出さん」
そこで一拍置いてから凪は更に言葉を続けた。
「月のお前が、私に会いに来てくれれば良かったのだ」
凪は言うなり反動をつけて起き上がるとその場を立ち去ろうと屋敷の中に歩き始めた。
「どこに・・・行くのですか?」
消え入りそうな微かな声で問いかけた一葉に、凪は振り返りもせず答える。
「一応、主がいるのでね、お前を守るにはまず姫護を守らなくちゃいけないだろう、面倒でややこしいが・・・」
そう言い残した凪の去った縁側で、一葉は空に浮かんだ月を見上げながらくすりと微笑んだ。