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昭和25年の開拓村の消え去った思い出を手繰れば、、ほうら、、、見えてくるだろ?  何が? 不思議なものがさ。 小夜物語、第63話

作者: 舜風人
掲載日:2017/05/19

小夜物語   別名 (藪柑子村開墾地村童夜話)より、、、、








はじめに。


私は思い出だけに生きる。

なぜなら、、私にはもう未来は無いに等しいのだから。

それほど年取ってしまった私がここにいる。

私だって信じられないんだよ、

でもそれは事実、。

私にはもうそんなに未来は残されてはいない。

だから今の、私にできることと言ったら思い出にふけることだけなのさ、そうだろ?

ほかに何ができますか?

体も心もすっかり、老い果てて、今はといえば、

こうして故郷からは遠い、とある大きな街の片隅の老朽住宅で老残の身を曝すだけですよ。

あの青渋い青い少年時代はどこ行った?

そんなもの、もうどこにもない。

思い出は?でもこうして死に損ないの老人にもくっきりと残っているよ。

だから私は思い出だけに生きているのさ。

そうして語れるうちに口が動く間に、

語りたいのさ。

あの幻想の村でのおもいでをさ。

語らせておくれよ、

私が語らなかったら青渋の時間のあの村での、あの様々な思い出は消え去っちまうんだよ、

無かったことになっちまうんだよ、そうだろ?

だからさあ、私に語らせてくれないか?


でも、、本当は語るべきではないのかもしれない

私だけに封印して秘匿しておくべき記憶なのかもしれない。


だが、、、もし私が語らなかったらこんな無名な庶民がいたってことが

まるでなかったことにされてしまうんだよ、


だからやはり語らせてはくれないか?


え?なんだって?


そうかい?

あんた、

聞いてくれるのかい。

そうかい、そうかい、

じゃあ、さっそく思い出の糸を手繰りだしてみようかね。







「昭和29年の開拓村の消え去った思い出を手繰れば、、ほうら、、、見えてくるだろ?」 

 様々な不可思議なことがさ。」





その1  群小古墳群のある村で。



私が生まれた村。そこは、僻地の開拓村だった。そうして、、そこは広い丘陵地で、生い茂る森林に囲まれた

美しい村、緑映える森はずっと丘陵の奥まで続いていたっけ。深い深い森、神秘な森、

空には大きな鳥が悠然と飛び、風は緑のにおいに満ちて。どこかからななんだか甘い花の香りも漂ってくる。家のすぐ後ろがもう雑木林なのです裏木戸を開ればそこはもう異界の森への入り口なのです。私はそんなところに住んでいたのです。私たちはうっそうと茂った雑木林のことを森と呼んでいました。森はすべての不思議に満ちていました。秘密の場所には異花が咲き、不思議なキノコも生えていました。そして森の中には見たこともないような異様な小鳥も飛んでいました。

森は私の居場所であり私の救いであり楽しみであった、

森の奥には不思議な古い森番小屋があって、そこには謎の老人が住んでいるのさ。

森、、といっても、それは厳密に実は定義すれば「雑木林』です。

ただし雑木林とは言っても、今、あなたが想像するようなこじんまりした明るい手入れされたそこらのちっぽけな雑木林ではないのです。そうですねざっと見積もっても5キロ四方のなだらかな丘陵です。迷い込んだら最悪、死ぬことだってあるくらいのくらい深い森なのです。その雑木林の先はもう山岳の原生林ですからもう広大な無人の森がずっと続いているわけです。

それは遠い昔の僻地のうっそうとした、まるで森林のようなどこまでも続く丘陵の里山なのです。

そして

雑木林には秘密がいっぱいありました。  例えば、雑木林には群小古墳がいっぱいあった、

大小さまざまな群小古墳は、墳丘は最大でも、高さはせいぜい2メートルくらいだろうか、盗掘?されて、墓室が露呈してるものもあった、もっとも、小さい古墳ががほとんどだった。中には跨げるような小さな古墳もあった。

中はからっぱ、たぶん木棺だったからだろう。朽ち果ててしまったのか?

大きな古墳にはその墓室に入って遊んだものだった。石組みのがらんどうの墓室はひんやりとしていましたっけ。

まあ小さな僻地の6~7世紀ころの群小古墳群ですよ、埋葬品といっても大したものなんかあるはずもないのです。この地の当時の地方役人あるいは技術者(鉱山・官牧)クラスのお墓でしょうね。

古代の墓所は今一面のうっそうたる自然林となってしまったのです。

空飛ぶ鳥も、茂みを走る狐も誰も知らない、森は秘密に満ちているってことを。

だがアレカラ60年


今、、私は森を失いこうして喧騒の都市の片隅のマッチ箱住宅で老いぼれている、







その2.昭和の少年は目白を飼う



当時の村の少年たちはみんな目白を飼っていたっけ。

目白の鳥もち猟が流行していましたね。もちろん今では禁止ですが当時はOKでしたから。。少年時の遊びといえば、「小鳥を飼育」、それしかなかったからです。

テレビもない、町も遠い、娯楽など何もない、映画館もない寒村、

あるのは3球スーパーラジオだけ、

雑音だらけのラジオから流れるNHKの「紅孔雀」とか「オテナの塔」を聞くのが唯一の楽しみでしたね。

テレビゲームなんてもちろんありえませんよ。自然しかない、のです。

だから、、

ハトや小鳥を飼うことが、唯一の楽しみ、そのために雑木林へしばしば入り込むのです。

そこは、アケビの実がたわわに実った雑木林の秋でした。キノコが群生して、

キイチゴもいっぱいある。私が大好きな秋グミも、

秋グミの秘密、渋くて酸っぱいあの不思議な味、懐かしいなあ。

ある日、私は森の中で見たこともないような赤い木の実、、というかベリー種?を見つけました、

そりゃあ、おいしそうなのでつい食べてしまったのです、すると急にめまいがして昏倒してしまったのです、。気が付くともう夕闇が迫っていました、何時間寝てたんだろう。

でも寝てる間に見た不思議な夢と妖精については、決して語ってはならないのです。

雑木林はずっと、河岸段丘に続いていてその斜面で枯れ葉滑りもしました、

ただただ懐かしいだけの過去。思い出って、、それでいいんだろうね。








その3.うっそうとした雑木林は秘密だらけ


思い出せばきりもない、遠い思い出、

昭和29年だった。

私の家は広大な雑木林のはずれにあった。

雑木林?といってもあなたが想像するようなそんなきれいに植林されたようなこぎれいな林なんかじゃあありません。

うっそうと茂った手つかずの林です、むしろ原生林といった方が良いのかもしれないそんな僻地の開墾地のはずれに続く広大な雑木林(里山)です、

ここはとある田舎の、つまり僻地の、開拓村です。

広大な小高い丘陵地は水の便が悪くて、つまり川は、はるか谷底に流れていて、その水をこの丘陵地にまでひいて水田をすることなど不可能なのですよ、

また井戸を掘っても水脈がないのか、水もほとんど出ません。

そのためこんな広大な丘陵地が手つかずで残されていたというわけです、

それが昭和20年ごろ戦争が終わって、引揚者が大量に戻ってきて行き場がなくてこんな荒れ地にまで

開拓民として入植してきたのです。我が家はもっと早く戦前に既にここへ祖父が入植して開拓にはげんでいたのだ。祖父という人は以前はもっと他の地域で大きな農家で、江戸時代はずっと名主様であったのだが明治維新で没落してしまい、祖父はことあるごとに、先祖は落ち武者で

武士だったことを自慢していたっけ、世が世であれば我が家はサムライで、、お武家様で、と、、いつも言っていたっけ。が、、そんな我が家も祖父の当時は借金まみれで田畑を抵当にして、借りていたので土地も担保で取られて、自宅と4反部の痩せ畑のみの状態だったそうだ。

で、祖父はそれらを売り払いその村を出て、一大決心でこの開墾地に昭和の2年ころに移ってきたというわけさ、そしてこの開拓村にちっぽけな農家を建てて祖母と幼い父と畑作農業にいそしんだ。

まあでも

実態は危うく自宅までも借金のかたにとられそうになったのでそれでまあ夜逃げ?寸前で、頓ズラ?した?というのが実情であったようですけどね。祖父はその雑木林を切り開き畑にして小麦や大麦・キビ。アワ・ヒエ、大豆などを作りましたが、まあ最低限の自給自足暮らしでしたね。

私の父は高等小学校を出ると、ここでは食えないので、東京に出稼ぎに行きましたが

本当は師範学校に行って教師になりたかったといっていましたね、本が好きで老後もよく雑誌など読んでいましたっけ。でも当時の我が家は貧窮のどん底で師範にはいけるはずもありませんでした。

父はその後、東京で世帯を持ちそこで暮らすはずでしたが、あの戦争で、

東京は焼け野原になったので故郷へ疎開、、というか、、出戻ってきましたがね、。

そんな時私がこの家で生まれたんですよ。

開墾地は広大な丘陵で、雑木林がはてもなくずっと続いていて、その先は河岸段丘で小川にまで続いています。小川は丘陵からそうですね。20Mくらい下った下の方です。

つまりこの高台は水脈もないし田んぼが作れないのですよ、

井戸を掘っても少ししか水は出ません。これでは田んぼでの農業はできませんよね。

だからずうと荒れ地で雑木林のままほっとかれたんですよ。

こんな山国にしてはなだらかな平坦地で広くて、、ロケーションはいいんですが何しろ水がない、

で、、古代からここはただ、墳墓の地としてのみ使われてきたのであり、歴史上けっこう有名な群小古墳群が280基も点々と雑木林一帯にあるんですよ、。広大なその丘陵地の雑木林の中にね。

おそらく今でもこの林のなかには古代霊が住んでいるんでしょうね。

そして森に迷い込んだひとにはいたずら?をしてくるのでしょうね。

少年のわたしにとってはここはまさにワンダーランド、不思議空間でした。

我が家の裏がもうすぐに雑木林であり、そこから入るとそこはもう異空間でした。

雑木林の中にはうねうねと杣人道、猟師道が古墳を縫うようにして続いていました。

樹影と木陰のかなたになんか異様なもののけがいるような?

でも、僕らには結局いつだって見えないのさ。







その4.深い森の一軒の番小屋で森番のじいさんは。


茂るに任せた

雑木林の中のけものみちをたどるとやがて、その先に開けた空き地がぽっとあったりします。炭焼き小屋もそこにありました。さらには深い奥には何があるのか?そんな先までいったら遭難ですから行ったことはありませんでしたがね、あまり深くまで行くと森がぐるぐる回りだして頭がおかしくなるのです。森がひとを迷わすのです。

安全なふもと近くの里山あたりには、狐の穴やタヌキの糞があったり、コジュケイがいたり、メジロもたくさんいました。

シジュウカラも、山鳩も、、まさにいろんな小鳥のサンクチュアリでしたね。

イノシシは見かけたことはありませんでしたが、クマも、まあここは里山ですからそのころはいませんでしたね。

最近はこうした里山まで熊が出没するそうですが、当時は熊はもっと、はるかなかなたの原生林地帯にしか住んでませんでした。

うねうねとした薪取り用の道の端には竜のひげが暗紫の竜の玉を実らせる、

林の中には群小古墳がこんもりと連なり、その古墳の上にも雑木が茂っている。

だれも知らない林の奥に、ひときわ大きな松の巨木があり、幹からは松脂が沸いている、

それを獲り松明を作るのさ。

山栗の古木もひっそりとあって、

秋には実をつける、当然、私たちは、栗拾いに行って、腰籠にいっぱい拾ってくる、

むしろに広げて干して、乾燥栗にして保存食とする、

雑木林の奥になぜか、一軒の百姓家がある。

森深いこんなところに一軒だけぽつんと、山家があるって私も子供心に不思議でした。

いつからあるんだろうって。たぶん昔の森番小屋だったのでしょうか?

そこには不思議なおじいさん一人住んでいました。が、その後、ある日、ふいといなくなって、いつしか無人の廃屋となったのでした。無人の家はその後、自然に朽ち果てました。

大きなヤマザクラの木がその家の傍では、毎年咲いてはいましたが、おじいさんは帰ってくることもありませんでしたね、そうして今ではそれらのすべてが 私の心の中では重苦しいような、「幻想の村」の思い出と、化してしまっているのです、本当にあったのかそれとも私の疲れた心が生み出した幻想なのか、今では、もう、見分けがつかないのです。







その5、開拓村住人群像


そんな開拓村の住民の家々は大きな雑木林の手前の開けたところに点々と、ありました。私が少年のころにはそれでも、数十件ありましたね、。どんな村人がいたのかって。

例えば、お玄さんの家は我が家の祖父が来たころからあった古い家で、おげんさんは、十姉妹、文鳥.シジュウカラ。をいっぱいかっていた。自分で編んだアケビ蔓や、野ブドウの蔓で作った鳥かごに、小鳥がいっぱい、いたっけ。、昔の典型的な日本のおばあさんといった風情でしたね。

息子の喜八さんは木工加工所をやっていて木材で家具?などを作っていたようですがなんというか趣味の程度で腹を据えてやってはいませんでした、。、遊民の喜八さんでした?。

喜八さんは時々山奥に入って銘木を探してくるんです、

銘木を見つけると高く売れるのです。それで生計を立てていたようです。

ところで、

戦後に、ここへ来た友治さん一家は鉱山に勤めていて、森の向こうの原生林の奥の鉱山で

水晶や亜鉛や金銀などの、稀少金属を採掘していた。鉱山住宅もその原生林の中にあるのだが、そこは住みずらいので家族はここの村まで下りてきて、家を建てて住んでいたのでした。

その家の子が私の友人で。その子から大きな水晶の原石や亜鉛鉱の原石、などをもらったこともあります、でもそれって今はどこに行ったのかありませんが。

我が家の隣の畑の

おリュウさんと我が家の三角畑の土地争い。境界線争いですね。

おりゅうさんは頑固で結局我が家が根負けして30センチ境界を引っ込めたのでした。


一番近い街はこの開墾地から2時間のところにあり、年に一度のお祭りはにぎわいました。

我が家から歩いて1時間のところにローカル線の無人駅があります。それに乗ってごとごと1時間でその町につくのです。

傷痍軍人、祭りの日には神社の参道で白い衣装をまといアコーディオンを弾いて物乞いしてたっけ。

露天商もいっぱい来てました。。飴屋、籠や、見世物、農具。農産物。

そこで村人は一年の用品をそろえるのでした。


開拓村への終戦直後の戦後の引揚者がいっぱい来たときはすぐ終わりその後この村へ来る人も絶えてましたが、昭和30年代なるとほかの理由で、ここへ来る一家がちらほらと。出てきましたね。

例えば、

村山先生は街の教員でしてが、なぜか、こんな開墾地に家を建てたんですよ、

それは剣道場を作りたいためでして町は広い場所が買えなかったんですね。で、こんな僻村に広いところを安く買ってきたんです、剣道の、教師で、自宅の隣に、、大きな剣道場、も作りました昭和39年ころにね、。でもその剣道場も家も全くありません。今はね。

それから営林署の下級役人もこの村の外れに、事務所、、というか宿舎があったのでそこへ転任してくる一家もいましたね。

そして避病院も雑木林の奥にあったのでそこは少年時代にはもうすでに、空き家でしたが

引揚者が仮住まいしたりアパート代わりに訳アリ?の、異郷人が住んでいましたね。

開拓村に来るのは行商、ごぜ、富山の薬屋さん、などでした。

干物の行商のおじさん、大きな行李を担いで、サンマの干からび切ったような干物を売っていた、それでもそんなのがこの僻地の開墾地では超貴重品だったっけ。

私は当時、海の魚というものを食べたことがありませんでした、この干物以外はね。そんな山奥なのでした。川魚は散々食べましたけどね。すべてがそうです。遠い遠い日のもう幻想のようなお話なのです、








その6、、開拓村庶民群像


開拓村から

一番近い、我が家から2時間の街の有名人といえば、

金貸しの坂下のじいさん。今でいえば闇金ですね。

我が家もたまに借りていました、母がね。父の送金が遅れる時にはね。

下駄屋もありました。移動販売の軽トラ(マツダのオート三輪)で荒又商店がこの村にもやってくるようになりました、雑貨や日用品を積んで売るに来るのです。。

ところで、、

開墾地にもなんと公園があった?それは近くの鉱山の住宅があるところの近くに鉱山会社が作った

雑木林をそのままに砂利を敷いて遊歩道とかあずまやを作っただけの公園だった。

でも珍しくて少年の私もよくいってみました、実はそこは夜になると村の若者たちの野合の聖地?だったと、私も大人になってから知りましたがね。そういえば昼間私たち少年がその公園に行くと、

ベンチの下とか、雑草の草むらとかに下着がくしゃくしゃになって落っこちてるのが不思議だなあと思ってたんですよ。もちろん純真な子供であった私にはその意味が当時はわかりませんでしたがね。

青年団、と、消防団。それが村の若者の唯一の社交場だった?

まあ、昔ですからね。と言ってさすがに昭和29年ですから。、夜這いとかの古い風習はもうありませんでしたよ。

夜番。夜回り、おひまち、などが村人の付き合いのお役目でしたね、

私の友達で、

スズメバチに右目を刺されたゲンちゃん、右目が真っ白だった、白濁していた、もちろん見えない、

ハチは黒いものを狙うってまさにその典型例。その後私は村を出て街の高校へ、源ちゃんはどこかの工場へ行ったそうだが、、あの子、その後どうしたんだろう?小学校以来別れてその後は不明。

でも、、、、こんなケースはとても探せませんよね。探すべきではないです。仮にあっても、何が言えますか?何もいえませんものね。もし、できるとしても、、決して、過去を今に戻してはいけないのです。時計の針を逆に回そうとする者には天罰が下るのです。








その7.わが少年時の友達たち



村で変わり者のおじいさんがいた。お百姓さんです。腰が曲がっていて、私の家にもたまに来る。

なにしに来るかといえば、共産党のビラを配りに来るのです。こんな田舎で当時共産党のビラを開拓民に配るって。今思えばこの老人すごい信条の持ち主?、信念でもあったのでしょうか?どうして共産党に入党したのか?謎です。その息子がまた道楽者?で遊んでいてぶらぶらしてて日用取りでたまに働くくらい。

その40年後、私が帰省した時にたまたまそこを通りかかったら、その家は消え去っていてありませんでしたね。どうしたのか?どうなったのか?まったく不明です。


私の少年時の友達、

馬ちゃん、というあだ名の子、  中卒で自衛隊にゆきましたがすぐやめて村に帰り、街の雑貨屋に就職、なんでもそのみせの金を猫ババしてかなり、使い込んだとかで実刑、刑務所に、1年。

その出所後は知りません。村には帰ってきませんでしたから。

伝ちゃんという子がいた。、不思議な子で、、というか、はっきり言うと知的障碍児です。

村の中学校までは完全に。「お客さん」でいってましたが。当時、特殊学級なんてないしね。

まあ自由気ままに学校の中を歩いていましたね。

卒業後は村をふらふら歩いては、いました、。その後両親もなくなり、遠い街の養護施設に入所したそうです、

ノボルちゃん。私より二つ年上の、わが家から隣の家の少年。

隣家といっても50Mくらいはなれています。その間には家は在りません。

彼は、釣りの名人で、毎日小川に釣りに行っていました。釣ってきた魚は近所に配ったり、干魚にしたりしていました。、

私の釣りの師匠です。彼は次男でしたから家を継げずに口減らしのために、中卒後川崎の工場に就職。風の便りに聞いたところによるとその後結婚もせずに40代で病死したそうです。

人の命に限りがあるなんてそのころまだ少年だった私は思ってもみなかったのでした。

むなしさが募るような夜になると、ふっと彼のことを思い出すのです。








その8.開拓村事件簿


カゴ屋のへいさん。籠つくりの名人。竹林から竹を切り出し農作業用のカゴを編んで売りにいろんな縁日などに行き露店を出す。気風のいい、やせたおじさん、


バトウの親父さん。家の前に馬頭観音があるので、そう呼ばれていた。

村はずれの街道の往還の分かれ道に家がある。大きな樫の木があって馬頭観音がそこにある。

なんでも大きな町のさる親分の子分筋だとかで、

村のもめごとはこの人が仲裁してたね。威厳のある、怖い人でした。


先天的に背中が曲がってる女と鉱山事故で片足がない男、夫婦。村の夫婦です、。この二人仲良かったなあ。いつも連れ立って歩いていました、


街の製麺屋の息子が橋の下で愛人を殺して貯水池に埋めたお話。妊娠したので困って殺したらしい?

じゃあ、結婚してやればそれでめでたし?だと私なら思うけどね。何も殺さなくってもね。、

結婚できない事情があったのか?当時、子供の、私にわかるわけないですよね。


避病院には当時数家族が間借りして住んでいました、アパート代わりに貸してたんですね。間借りしてた、色っぽいおんながいました。子供にも色っぽいと感じさせるような女っていったい?、夫はどういう仕事でこんな僻地にまで来たんだろう?この夫婦すぐ離婚?して出てった。女は我が家に父が愛読してた「オール読物」という雑誌が山のようにあったのでそれをよく借りに来てたね。しゃべるのもどっかの方言があって独特でした。

その避病院は今、その痕跡すら残っていません。

もしかしたら?古いものはほんとうは新しいものなのかもしれない、そうして、新しいものはほんとうは古くさいものなのかもしれない?ふとそんなことも感じたりするのです。







その9、 謎の科学実験模型店。そして奇怪な店と工場


東山理科実験模型店は、2時間先の町の裏小路にあった。理科に興味を持った、私は、そこで蓄電池、変圧器を買って私は実験した。店主が今でいう理科系おたくでして面白い人でしたよ、

今でいえば、マッドドクター系ですね。いろいろ聞きました。珍奇な発明品も?店に飾ってありました。そしていつも言ってました俺はねえ言えないようなすごい秘密の発明があるんだぞってね、

昭和30年代、、おもちゃ屋なんかない時代。その模型店はたぶん学校教材なんかを学校に下ろしてたんだと思う、。そして店では模型とか、実験教材とかを市販もしてた。

私は理科実験が好きで変圧器を買い、炭素棒で炭素棒電球をつくったりした。

というのは、父は街で電気工事の出稼ぎもしていて、その種の免許?をとるために独学で勉強したの理科実験の本がいっぱい残ってた。でね。炭素棒の電球を作ったり、虫とかありに電流を流してどうなるか見たり。

でもそれって?当然、虫は即感電死?ですよね。

でも、楽しかったなあ。そんなある日私が東山模型店行ってみると、閉店したみたいでぴったりドアが閉じられてるんですよ。中は暗くって人もいません。どこにいったんかなああの理科の権化みたいだった店主のおじさん。私は子供心にたぶんおじさんは秘密の発明でどっかの異世界に旅だったんだと信じました。


母が町の豆腐屋に大豆を持って行き豆腐と交換してもらう、

街の(開墾地から2時間の一番近い街、といってもせいぜいその街の全人口で1万人のまちです)

取れた大豆を持ってくと豆腐と交換してくれるのです。

同じく町の

製麺所に小麦を持って行き乾燥うどんと交換してもらう、

ぶつぶつ交換が生きてた頃です。

その製麺所って、あの殺人事件の家ですよ。その後その人がが懲役15年になったので、次男が後を継いだそうです。


村には製粉加工場があった。。。てぬぐいを頭に巻いた、従業員のおじさんが一人いて

ゴロンゴロン回る製粉機で豆、小麦、トウモロコシなどを粉にひいてくれるのです。

村にはなくてはならぬ加工場です。そこで母がトウモロコシを粉にして饅頭を作ってくれた、ぼそぼその饅頭だった。でもうまかったなあ。


クラさん という  知的障害のバイオリンがうまい街の旧家の子、といっても私が見たときはもう30代でしたが。自転車に乗ってバイオリンをもって村にきては村の辻でバイオリンを弾いてくれる。

バイオリンに合わせて、自分の節回しで即興の詩を歌うのだ。その後、しばらくすると来なくなった。親がなくなり施設に収容されたそうです。

さて

オルイさんは、私の父の縁者です。。面白いおばあさん。我が家の昔のいい時を知ってる

○○家(我が家のことです)は昔はすごかったよなあ、って昔ばなしを綿々とする。。

長谷門が立派でさあ、田畑は何町部あったんだい、それが今はこんなざまさあ、そして最後は衰亡した我が家のことを思って必ず泣くのです。

母が困っていたっけ。江戸時代は豪農で武士の末裔で、、名主様、

それが今や貧乏百姓ですから、、。有為転変は世の常とは言いますがオルイさんが泣くのもうなづけますよね。そんな人事も流れる川も空吹く風も、実は、何も知らないのです。ね。








その10、開拓村の娘たち



りつ子ちゃん。知的障碍者、いつも毛を三つ編みにしてる。

母親もまた少々遅れてる。二人で村はずれのかやぶき農家に住んでる。

母子家庭、私の母が何くれとなく面倒見てやっていた。

食べ物あげたり。生活の相談に乗ったり。

で、わが家にもよく来てた。その後りつこの母はぼけてしまって、やがてある日死んでいました。りつ子は施設に入ったそうです。


わが小学校のマドンナの久子ちゃん。営林署の下級役人で村に来た人の娘。町のにおいがする少女です。いつも両脇におさげ髪を結っていました。

当時営林署の木材加工場が村はずれにできて、。そこに山奥から切り出してきた木材が山のように積まれていた。それを管理するために営林署の宿舎が、、5家族分くらいあったのです。

木造のまあ当時としてはしゃれた平屋の文化住宅ですね。

そこへ久子ちゃん一家が来たのです、。なんでも県庁所在地の町から来たそうです。

おしゃれな少女でした。着るものもいつも、こざっぱりしていて、


村のお寺の娘の昌子ちゃん、といっても我が家の檀家寺でない別のお寺です。

。かわいかったなあ、さっきの久子ちゃんとともに、村の小学校のマドンナ?でした。

ちなみにおかっぱ頭でしたね。昔の女の子はみんなそうでしたものね。

昌子ちゃんと私は、二人は仲良しでした、久子ちゃんは近寄り難い気がしてだめでしたが。、

ある日二人で森の傍で遊んでいると、

「昌子。お前」

、私が差す方を見ると。

昌子の太ももから血が滴っていた。

太ももというよりは股の方から血が太ももを伝ってきていたといった方がよいだろう、

昌子は11歳だったそして私も11歳同級生だった

昭和29年の開墾地の思春期はこうして始まったのだった。


この二人、その後どうなったんだろうか?

まあでも知らないほうが幸せでしょうね?

だっていまさら、あえて知ってどうするの?ってハナシ、ですものね。

私のように老いてどこかでまだ、生きてるのか。

それとも亡くなってるのか?

いまさら私が知ったって仕方ないでしょ。どうにもならないですよ。

過去は永遠に戻らないのです。そのままにして寝付かせておきましょう、それでいいのです。








その11.村の共同火葬場



村はずれの掘っ立て小屋にに住む頭のおかしい老婆、そこは村の共同火葬場、の管理小屋だった。

昭和20年代まで実際に使われていた。

その掘っ建て小屋はまさに異世界への門という風情でした

こわくって近寄れない場所でしたね

老婆は火葬場の管理人でした。というかもともとはおじいさんがやってたんですが、それが死んでなくなってその連れ合いのこの老婆が引き継いだという恰好でしたが。、。

とにかく異様な老婆でしたね。不気味な容貌と言動とふるまい。

でも死体を焼くのは要領が良くてうまかったのです。

女の子が一人いました老婆の娘、、いや孫のようでした、。言葉をしゃべらない、それがこの老婆の孫?らしい?この子も変な子でしたよ、学校も行ってないし、知恵遅れなのか?

共同火葬場は

大きな竈のようなものがあってそこで遺骸を薪で焼くのです。薪を積み上げて焼くという、当時の火葬だった。その後、のちに街に火葬場ができてそこに運んで焼くようになるまで村の火葬はここで行われていたのでした。そのおかしな少女もお手伝いして居たのです、薪をくべたりしてね。

火葬場が廃止になっても老婆と少女はその掘っ立て小屋に住んでいました。

痩せた畑を二人で耕して自給自足の生活です。そうして老婆がある日死に、少女はある日見かけない男の人が来てどっかに連れて行ってしまいました。

共同火葬場はその後、完全に撤去されました。今、その痕跡は皆無です。

「おんぼうばばあ」、って、陰では、そう呼ばれていたっけ。

思い出すのさ、大都会で、眠れぬ夜には。いろんな思い出がさ。次から次から、、、。









その12  被服廠がありました。


といっても,半民間?の、縫製工場が官立の被服廠として活用されたということのようです。、

その街の郊外にその被服廠はあった。町はずれの野道をたどると、ちらほらと雑木林があってその先に、突然大きな木造の建物群が出現する、それが被服廠である、この被服廠は昭和初めころにできたものであり、この地方の養蚕業と織物業とのタイアップ?という形で当時の街の有力者が陸軍に働きかけて誘致した、、と聞いています。

木造の織物工場のような大きな建物が4棟建っている。

1棟の大きさは、縦30メートル 横10メートル 高さ5メートル、、といったところだろうか、

それが4棟並んで立っておるのだ、

盛時には、女工さんが60人くらい働いていたようだ、

陸軍納入用の軍服、背嚢、ベルト、シャツ、パンツ、帽子など多様な品を製造していた、

布、生地、糸、などを保管する倉庫もありました、そこには潤沢な在庫があったそうです。

そして工場内は工業ミシンとか、裁断機、などが並んでいて、忙しく女工さんが立ち働いていました、

そして軍から派遣されてきた配属士官が管理者でした、その下に工場長が町の有力者でいました。

そんな立派なこんな田舎町には不釣り合いな被服廠も軍の御威光だからこそだったのでしょう。


しかしやがて戦況は思わしくなくなり、そうです、

敗戦です、軍関係の機関や工場などはみんな、証拠をのこさないように、破壊か撤収です、

この被服廠も、従業員も管理者もいなくなり、一時的にもぬけの殻でした。

そんな空隙を縫って悪賢い奴はいるもので、夜陰に紛れて大八車で被服廠の倉庫から生地や布を盗んでゆく行為が横行したのです。

私の母がその辺の事情をよく知っていて後年私に反してくれました。

それによると、、あの戦後急にお大臣になったKさんなども実はそういう被服廠からの盗み出しのリーダー格で、その盗品を闇市で大量にさばいて大儲けしたというのですね。

まあうまいことやったというわけです、

私の家ですか?そんな悪賢いことはできませんよ、

父も母もそりゃあ実直が服着てるような融通の利かない人ですから。

そんな被服廠から盗んで売りさばくなんてずるい行為は出来ません。

というわけで私の家は貧しい農家のままでした、

でもお天道様は見てるんですよね。

お見通しなんですよ。

先ほどKさんですがね、そうして設けたあぶく銭で、浮かれて

女遊びですよ、妾を囲って入りびたり、、

それで本妻さんが、とうとう、首つり自殺ですよ、

こうしてこの一家は崩壊ですよ。

子供たちは遠縁に引き取られ肝心のKさんは妾と再婚したものの、

長くは続かずに喧嘩の果てに離婚。

そのころにはあぶく銭もそこをついて

夜逃げですよ、

こうしてKさんの行方も知れずという結末なんですよ、

悪事千里を走るといいます。

また悪銭身につかずとも言います、

まさにこれって、、その、とおりじゃあないですか、

ねえ?みなさん










その13


そして跡形もなく消え去った思い出たち、、。




遠い日の


思い出は果ても無し、


くるくる回るからくり箱、


回わせ


回わせ


カラクリ箱、



あれ?


金太郎さんが出たよ?


でも、、もうやめようか?


だって、もっと回すと、


ほーら、


カラクリ箱の中から


コワイ魔物が出てきて


私のウソの?思い出帳を引っぺがして、


実は、本当は陰残な思い出だけをさらけ出して


血まみれの、黒い思い出帳に、


全部塗り替えてしまうかもしれないからね。



だからもう


この辺でやめようね。


なぜって、


過去をあまりにほじくり返しすぎると


忘れていた黒い思い出までもが


ぬっと頭をもたげてくるのだから。

そしてお前の脳髄を食い散らかしてしまうのだから。




だからもう終わりにしようよ。


そっとそのまま寝かしつけてさ、












(注)この物語はフィクションであり現実の一切とは無関係です。

   つまり、完全なフィクションです。










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