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死憶の異世界傾国姫  作者: ぎむねま
9章 皇子の悲願と世界の終わり
281/321

汚い黒峰

 コンクリートの冷たい部屋で、青白い照明と真っ赤な目が交互に煌めく。

 浮かび上がるのは真っ黒なシルエット、細い八本の脚で立ち上がると、天井スレスレの高さに迫る。

 姿は真っ黒な蜘蛛。堅牢で知られる蜘蛛の魔獣、大土蜘蛛(ザルアブギュリ)を元に作られた古代の兵器。

 自律小型兵器ソルスティス。古代文明の極致であった。


≪ワタシハ≫

≪クロミネ≫


 そして、黒き魔女と恐れられたクロミーネの変わり果てた姿でもある。

 狭い部屋で、その脅威から逃れる術は無い。


「ヤベッ、クソッ!」


 田中が身を隠すソファーを、ソルスティスの脚は軽々とぶち抜いた。


「効かないんだけど?」


 木村が放つ弾丸は、ソルスティスの赤いカメラに命中するも、ヒビすら入らない。

 一番弱そうな場所に、最大火力が通用しない。木村にとって詰みの状況だ。


「なんとかしろ! 俺だって斬れねぇ!」


 田中は田中で、天井スレスレ、本体上部のカメラには手が届かない。

 もはや、二人に打つ手は無い!


≪ドウシテ≫

≪ワタシハ≫

≪シンダ?≫

≪デモ≫

≪イキテル≫

「死んでるよ! 黒峰、お前はもう、死んでる」


 田中が叫ぶが、その言葉は届かない。


≪クロミネ≫

≪チガウ≫

≪ワタシハ≫


≪ママ≫


 意味が解らない。

 いや、解った。木村には解ってしまった。


「まさか」


 星獣か? そうだ、黒峰は最期に星獣を洗脳しようとした。

 でも、失敗した。逆に星獣に取り込まれそうになって、苦しんで、食われて、死んだ。


 はたして、そうか?


 アレは、本当に失敗していたのか?

 共鳴して、同一化して、そして食われて、黒峰と星獣が一つに溶け合ったとしたら?


 ……そう言えば、この機械はどうやって動いている? 動力は?


 木村の背筋をゾクリと冷たいモノが走る。

 止めないと! 殺してあげないと、ダメだ。


「頭を下げさせろ!」


 田中は叫ぶが、自分でも不可能な注文だと解っていた。恒例の無茶ぶりジョーク。


 しかし、木村は命を懸ける覚悟を決めていた。

 だから、危険過ぎる可能性に辿り着く。

 それほど必死に、いますぐこの機械を止めたかった。


「ちょ? おまっ!」


 木村の暴挙に田中は叫ぶ。

 あろう事か、木村はソルスティスの目の前に躍り出たのだ。


「よぉ!」


 木村らしくない挑発。熱線で穴の開いた帽子をクルクルと回してみせる。

 しかし、相手は機械だ。ためらいなく脚を振り上げた。


 終わりだ。躱せない。田中でも鎧があったから一命を取り留めたのだ、もはや逃れる術は無い。


 ――ガッ!


 しかし、前脚はコンクリートを抉るのみ。乾いた音を響かせた。

 どうやって? 実は、木村は一歩だって動いていない。

 ソルスティスが脚を滑らせ、ひとりでにバランスを崩し、狙いを外した。


 コンクリート打ちっぱなしの寒々しい部屋だ。いくつかマットが引いてある。

 木村は、その一つを自在金腕(ルー・デルオン)で横に引いた。

 振り上げた前脚の後ろには、当然、体重が掛かった後ろ足がある。振り下ろす直前、絶妙なタイミングでソレが横に滑ったら?


 不自然に脚が広がり、バランスを崩し、狙いを外す。ただソレだけ。

 分の悪い賭け、言うならば捨て身のイタズラ。


 ソルスティスは見た目より軽く、脚が細い。だからこそ成功した。


「よっし!」


 ぶざまに開かれた足を田中が見逃すハズが無い。足場にして、飛ぶ。

 たちまち低くなったソルスティスの頭へと襲いかかった。


「シッ!」


 その一閃で、四つのカメラが同時に割れた。


 相手が大土蜘蛛(ザルアブギュリ)ならコレで終わり、視力を失い、無力化される。


 ――ピーピピッ!

「クソッ!」


 駄目だ、着地した田中を無数の脚が襲う。

 確かに攻撃の精度は落ちている。だが、無力化には至らない。赤外線カメラを失い、まだ見えている。


 ――パァン!


 その時、死んだソルンのリボルバーが突然鳴った。

 木村が自在金腕(ルー・デルオン)で引き金を引いたのだ。


 ――ガッ!


 途端に黒い脚に貫かれ、破壊される。


「音だ! 心音消して!」

「消せるかボケッ!」


 ならばと、木村は自前のリボルバーを連射した。

 大きな発砲音がソルスティスの(マイク)を惑わすが、長くは保たない。


「逃げるぞ!」

「いやだ!」


 引こうとする田中に、今度は木村が従わない。

 木村は黒峰をこのままにしたくなかった。こんな地下で、こんな体で、ずっと生きているなど、悪夢に思えた。


 しかし、届かない。木村の攻撃など、どれも。

 目の前に有るのは、悪夢そのものなのだから。人間の攻撃など届かない。


 だから、悪夢には、悪夢をぶつけるしかない。


「こんにちわ」


 部屋の奥、エレベーター昇降路。ソルスティスが落ちてきた場所。

 そこに、新たな悪夢が降り立った。


「ねぇ、私も混ざっていい?」


 可愛らしく首を傾げ、微笑む。


 ――そして、


 狂暴に叫んで、飛んだ。


「死ねッ!」


 あまりにも、速い。

 木村にはまるで見えなかった。

 気が付けば、間近でギャリギャリと金属が削れる音。火花が散って、降り注ぐ。


 振りかざす王剣が、ソルスティスの脚と衝突していた。


 ユマ姫だ。

 もうひとつの悪夢が、今、この場所に、間に合ってしまった。


「なんで来た!」

「『我、望む、この手より放たれたる風の刃を』」


 田中の叫びを無視した詠唱。そこに込められた力は、余りにも異常。

 なにせ、魔力を知覚出来ない田中や木村にもハッキリと視えたのだから。


 ユマ姫がイメージしたのは、グリフォンが放った人外の魔法。

 エルフの王宮を切断し、帝都が誇る舞踏場を両断した、あの魔法と比肩する威力。


 いや、既にして超えていた。小型に圧縮された風の刃は空気を発火させながら、蜘蛛の脚だけを狙う。

 火花と共に、ギリギリと異音が鳴り響いた。


「マジかよ」


 田中が呆然とするのも無理はない。

 斬れないはずの蜘蛛の脚が、次々切断されていく。カランと崩れて落ちていく。

 潰れた蜘蛛は、しかし、それでも戦うのを止めない。


 ――ビッ!


 吐き出されるレーザー、ユマ姫は難なく弾くと、王剣を射出レンズに突き刺した。

 さしものソルスティスもここまで、完全に沈黙する。


「なんだよ、コレ」


 木村は事態について行けない。

 ユマ姫登場から、ここまで僅か二分。

 無敵のソルスティスを瞬く間に無力化してみせた。

 ユマ姫は想像を超えた怪物になっていた。


「さて」


 落ち着いたユマ姫は、踵を返し、部屋の隅で何かを担いだ。ソレは、巨大なバックパック。

 ここでようやく冷静さを取り戻した木村が、口を挟む事に成功する。


「なにそれ? あと、ど、どうしたの? あの? 帝都を制圧するハズじゃ?」

「ああ、ソレはもう、済みました」

「は?」


 早過ぎる! 木村は息を飲む。

 木村が帝都を発ったのが昨日、黒峰が潜む洋館に辿り着いたのが、今日の午後。田中のバイクをもってして、それだけの距離がある。


 そして、帝都攻めは今日、明け方から開始のハズ。まさか、無抵抗で降伏した? そんな事はあり得ない。

 一体帝都で何があったのか? 木村には想像も付かない。


 不気味なのは、ユマ姫が漁るバックパックもだ。

 余りにも巨大で、こんなモノを担いで山中のこんな場所にまで来られるハズが無かった。


「さてさて、あったあった」


 考え込む木村を無視して、ユマ姫が取り出したのは真っ赤に染まった……ずた袋。


「はい、どうぞ」


 取り出したのは、枝肉だった。


 枝肉と言うのは、と畜されたばかりの肉だ。皮と内臓を処理され、元の姿が想像出来るサイズで吊されている。小売りされる前のグロテスクな肉。

 ホラー映画で良く見るが、この世界の肉屋ではあたりまえに吊してあるので、木村も慣れてしまった。


 だが、なぜユマ姫が枝肉を?


「うっ!」


 違った。コレは枝肉ではない。

 ピクピクと脈打っている。


 コレは、まだ、生きている!


 残らず皮が剥がされ、背骨と、最低限の内臓だけになって、それでもコレは、まだ生きている。

 木村は戦慄する。

 聞きたくない。聞きたくない。でも、聞かざるを得ない。


「な、何? コレ? 何?」


 まさか? と思いながら聞かざるを得ない。


「ふふ、コレ? コレはね、

 皇帝です。

 帝都で捕まえてきたの」


 木村の目の前が真っ暗になる。


 最悪だ。

 帝国での皇帝は現人神。これは神をと畜したに等しい所業だ。

 戦争は、もう終わらない。帝国と王国、どちらかが死に絶えるまで、もう終わらない。


「黒峰さんと知り合いだったみたいだから、最期に会わせてあげようと思って」


 余計なお世話だ、ゲスを極めた悪魔の思考。

 いや、人知れず皇帝を攫ったなら、まだチャンスはある。バレなければ、まだ大丈夫だ。


 しかし、ユマ姫の言葉は木村を絶望させるに十分だった。


「帝国の広場で、少しずつ千切ってあげたの。指先から少しずつ。黒峰さん、あなたにも見せてあげたかった」


 最悪だ、最悪の最悪、そのまた下の最悪だ。

 それでは、今頃帝都は狂乱と殺戮に塗れている。もう、誰も命を命として扱わない。

 命尽きるまで戦う怪物の群れになったに違いない。

 掠れた声で、木村は問う。


「それで、今、帝都は? 残された王国軍は?」

「別に、何も?」


 何も無い訳はない。ユマ姫は何もかも投げ打って飛んで来たのだ。


 木村は胸が締め付けられる思いだった。何故そんな、恨まれる真似を。少女の狂気が深すぎた。

 もう、最期まで殺し合う未来しかないのだと、悲しくて、辛かった。


 しかし、事態は木村の想像を超えていた。


「失敗したの」

「失敗?」

「帝都の人間を絶望させて、狂わせて。それが復讐のはずだった」


 そうは成らなかったと言う事か? ホッとした木村は、ようやく周囲を窺う余裕が出来た。

 既に田中は元に戻したソファーにどっかり腰掛け、聞きの姿勢だ。こんな時、木村はこの男の精神が羨ましくなる。

 俯いたユマ姫はぽつりぽつりと語り出した。


「私は、皇帝を広場の真ん中で処刑した。皮を剥ぎ、肉を引き千切った。みせしめに」

「……それで?」

「でも、誰も皇帝を助けようとしなかった。それどころか、誰も抵抗しなかった」


 そんな、馬鹿な! 帝国において、皇帝は心底敬われている。

 だからこそ、王国よりも強い中央集権が成り立っていた。

 その皇帝が、見せしめに嬲られて、市民が冷静で居られる訳が無い。


 その狂乱をもって、少女は復讐を終わらせるつもりだった。

 問題は、なぜ、そうならなかったのか、だ。


「ある意味、私は皇帝に負けました」


 負けた? 何が? 何で?


 錯乱する木村に見せつける様に、ユマ姫は皇帝と呼ばれた肉塊の戒めを解いた。

 ハムを縛る紐みたいなソレは、口らしい場所を封じていた。


「グゥゥゥゥ」


 途端に、獣染みた悲鳴があがる。聞くに堪えない痛ましい声。当然だ、こんな目に合わされれば。

 目は抉られ、耳だって聞こえないだろう。ただ悲鳴を奏でさせる為だけに持って来たのだ。


 正気を削る声だった。

 木村は、本当にこの枝肉が生きていたのだと、突き付けられる思いだった。吐き気がこみ上げ抑えられない。


 そしてユマ姫は、その肉塊に容赦なく爪を立て、抉る。

 可愛らしい指先には、見た目からは想像出来ない力があった。肉と共に見る者の精神をガリガリと削っていく。


「クゥ、アアァァァ♪」


 精神を削るのは、肉塊の悲鳴もだった。

 いや、悲鳴なのか? 解らない。その声はどこか甘く、艶めいている。


 ――ピーッ


 悲鳴を聞かされたソルスティスが、折れた脚を振り回して、壊れたみたいに暴れはじめた。

 ソレを見て、今まで俯いていたユマ姫が、ようやく嬉しそうに笑うのだ。


「そうよ、ふふっ、皇帝の声、解った?」

 ――ピー、ピピッ!

「ヒハッ、そうよね、可愛い子。私がどんなに苛めても、みっともなく泣き出さなかった」

 ――ピー! ピピピピピピ!

「気が強いのだと、流石は皇帝だと思った。でも、違った。彼は喜んでるの」


 ユマ姫は、見せつける様に肉塊によりそって、舐めた。

 意味が解らない。その笑顔は美しい狂気に彩られている。


「私の事が好きだから。彼、私にぞっこんよ?」

 ――ピッ! ピピピッ!

「だから、どんなに傷つけても嫌がらない。喜んでしまうの。彼だけじゃない、帝都の市民まで、私に殺されたいと首を並べた。これじゃ、どうあっても、私の復讐は叶わない」


 笑って、笑って、ポロポロと、ユマ姫は泣いていた。


 全く意味が解らない!

 木村はユマ姫が狂ったのだと思った。正気を保てず、言葉の意味も、人の悪意も、喜びも、苦しみも、何もかもが解らなくなったのだと。


 でも、良く見れば、違った。違うと解ってしまった。

 狂ってしまったのは、喜びも、苦しみも、何もかも解らなくなったのは、むしろ見ているコチラ側だ。


 泣いているユマ姫が可哀想で、正気を保てなくなる。

 グチャグチャの肉塊にされた皇帝が、どこか羨ましくなる。

 苦しみが、苦しみとして、成り立たない。


 殺されたいと思う。美しくて、可愛くて、綺麗なユマ姫に、剣を突き立てて、殺して欲しいと願ってしまう。

 もはや、存在そのものが狂気で出来ている。

 こんなモノを見せられて、こんなモノに魅せられて、誰一人冷静で居られなかったに違いない。


「悪趣味だな」


 いや、ただ一人、冷静な男が一人。


「満足したか?」

「ええ」


 ――ぞんっ!


 刀を肉塊に突き立てれば。ピクリと跳ねて、動かなくなる。

 それで、皇帝を殺した。


 田中だ。

 彼だけは、狂気に抗った。


「じゃあ、早くコイツも殺してやれ」


 ソルスティスを指差し、命じる。


「そうね」


 呟いて、ユマ姫はソルスティスのハッチをこじ開ける。

 まるで、蟹の殻を割るみたいだと、木村はぼんやりと思う。


 その感想はあながち的を外してはいなかった。


「あったあった、黒峰さん、お久しぶり」


 引き出したのは、余りにも巨大な魔石。

 それこそが、星獣と黒峰が混じった魔石。ユマ姫はずるりと引き出した。

 機械の心臓部、神経同然のチューブがブチブチと引き裂かれる。

 機械が壊れるだけの光景。なのに、ソレは殺人だった。


 ――ピッーーーー


 この瞬間。今度こそ、黒峰は死んだのだ。


 ――そして。


「いただきまーす」


 ユマ姫は魔石を囓った。

 その姿は、まるきり悪魔のようだった。


 ピンク色の髪が、青い魔力光に怪しく輝く。

 背中には翼、頭には獣耳、尻尾まで生えて、人間を止めた姿に変わっていた。


 ――コレが、ユマ姫? 本当にそうなのか?


 僅か一日で、ユマ姫の姿は大きく変わっていた。

 木村にして、恐怖する。


 でも、本当に恐ろしいのは、ソレでも美しいと見とれてしまう事だった。

 大胆に肌を晒すウェディングドレス。身の丈を越える大剣を手に、人間をやめた幻想生物の美しさ。

 さらけ出された首筋の赤い線条には返り血が入り込んで、深紅に彩り、さらなる狂気を加速する。


 喜びも、苦しみも、美しさも、暴力も、同じに、同時に、ソコにはあった。

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