森の外からの来訪者
「悪いが、剣を貸してくれんか?」
偏屈で知られるファーモスが、訪ねてくるなりそんな事を言い出した。
エルフの鍛冶士であるモルガンは百と五歳。エルフの中でも高齢で、ファーモスとも長い付き合いだが、こんな事は今まで一度も無かった。
「老いぼれが、まさか戦うと言うんじゃ無いだろうな」
「馬鹿言え! 誰が戦うもんか、それにお前さんとはそう歳も変わらんじゃろうが!」
ファーモスは百と十。お互い何時お迎えが来てもおかしくない年齢だが、矍鑠として頭の働きも鈍くない。まさか、都を占領した人間たちに無謀な勝負を挑むほどボケても居ないし、若くも無い。
「じゃあ、何に使うと言うんじゃ?」
「それがの……」
ぽつぽつと語る所、なんと、また人を拾ったと言うのだ。
ファーモスは炭焼きを生業にしている。そのため、危険を押して街の外で働いているのだ。
燻る煙は文字通り煙たがられるし、燃えやすい松は火事を恐れて村の近くには植えない様にしているため、どうしたって炭作りは街の外で行う必要があるのだ。
「この非常時にまだ炭など作っとるのか!」
「お前さんにだけは言われとう無いわ!」
呆れたと言わんばかりのモルガンの言葉に、ファーモス爺は激昂する。
それもその筈、ファーモス爺の炭の主な買い手は鍛冶士であるモルガンなのだ。ファーモスの作る火力の強い炭は、モルガンの仕事に必要不可欠であった。
「それにしたって命あっての物種じゃ! 在庫はあるんじゃろう? しばらく大人しくしとれ!」
「ふん、帝国兵だってこんな老いぼれを襲いはせんわ」
実際の所、レジスタンスは武器をかき集めていたので、鍛冶士は忙しく、炭の在庫も心元無かった。老人達もエルフの為に必死に戦っていたのだ。
「今度は何を拾った? お前の厄介事を呼び込む才能は昔から神懸かりじゃ。それにしたって前回は大物に過ぎたがの」
「ユマ姫か……生きとるかな?」
「……さぁな、神が本当に居るなら、あの少女だけは見捨てないだろうよ」
「……そうじゃな」
ファーモス爺はうち捨てられた廃村で一人の少女を拾った。
その少女は空っぽだった。全てを奪われた。そんな目をしていた。
空っぽの少女は村人を鼓舞し、皆の戦意を駆り立てた。空っぽだった少女の目には、いつの間にか、ありったけの狂気が詰め込まれていた。
それがユマ姫だ。この大森林、エルフの都エンディアンのお姫様。
そして彼女は人間に救援を求めると森の外に向かった。村一番の馬車に、村長の娘や血の気の多い若者を引き連れて。
……だが、彼らが乗った馬車は無残な姿で見つかった。大牙猪に破壊された可能性が高いと聞く。生存は絶望的だった。
「前回が姫なら、今回は王様か? それとも英雄か?」
「茶化すな、えらい長身の男だ。それも帝国の人間だ」
「這いつくばる者だと? 正気か?」
モルガンが腰を浮かせる。這いつくばる者とは人間の事、エルフにとって人間は自分達、それ以外の人型生物を虫の様に見下す言葉だ。
正確には、最近までそれ程の蔑視はしていなかった。帝国に都を落とされた事で人間に対する敵対心が強まった上での言葉であった。
「えらくボロボロでな、脱走兵かと思ったんじゃが……妖獣を追って来たと言っておってな」
「このご時世に這いつくばる者を匿うのは不味いぞ? スパイと疑われ殺されかねん」
「アレはそんなんじゃ無い。図体の割にえらく覇気が無くてな。話を聞けば剣が折れちまったらしいんじゃ」
「それで剣が欲しいだと? 盗人に追い銭じゃろうが! 即刻叩き出せ!」
「でものぅ……妖獣に盗まれた秘宝を追って大森林に踏み入るとは、這いつくばる者にしては剛毅ではないか」
「魔獣が盗みなどするか! それに覇気が無いと言ってたでは無いか、話がメチャクチャだ!」
「それが、剣が無いと力が出ないと言ってな、飾りでも良いんじゃ、剣を貸してくれんか?」
「ハァ……」
モルガンは親友の無茶に大きなため息を一つ。お人好しにも程がある。
「剣が折れたと言うたな? あるんじゃろ? みせてみぃ! 軽く打ち直してやるわ」
「それがの……」
ファーモス爺が取り出したのは、ぼろ布に包まれた剣。しかし、ポッキリと折れていた。
「コイツは悪くない剣だな。使い手もかなりの腕、じゃが……」
「ああ、金属疲労。もう寿命じゃろ? 打ち直しも効かん、素人目にも解る」
「どんな使い方をすればこうなるんじゃ……」
中々の業物。だが酷使を重ねた剣は芯からボロボロだった。
「じゃがなぁ、今は忙しい、イチから剣を打つ時間なぞ無いぞ?」
「打つ必要はないじゃろ? アレでいい」
そう言ってファーモス爺が指差すのは家の欄間。目立つ所に堂々と掛けられた一振りの剣だった。
「馬鹿な! アレはワシの最高傑作だぞ!」
「誰も使えん剣なぞ、棒きれと一緒じゃ! 使わぬなら溶かしてしまえ!」
「くぅ……」
モルガン爺は追い求めた。最高の一振りを。
エルフは剣を武器に使う事は殆ど無い、有るとすれば衛兵が護衛用に持つ程度。
エルフに取って花形の武器は弓矢だ。魔法を併用した矢は音速を超え、途轍もない威力を発揮する。そこまでやって、初めて大森林の恐るべき魔獣に対抗出来るのだ。
ただの剣など、魔獣には何の役にも立たない。そうで無くても魔法と言うのは、他人の健康値に阻害される。魔法を併用して戦う以上、魔獣と近づく必要がある剣は最もナンセンスな武器と言えた。
ただし、唯一の例外が存在する。それは健康値に干渉され難い魔力を持つ者。彼らは剣に魔力を込めたまま斬りつける事が出来る、特殊な能力の魔剣を使いバターの様に魔獣を切り裂く。
王子ステフは魔剣の使い手として、熱狂的な人気を誇っていたので、憧れる若者だけは山ほど居たが、十代の内に現実に打ちのめされるのがお約束だった。
魔剣を作りたがる鍛冶士も数多く居たが、モルガン爺の求めたのはただの鋭い剣だった。
元より魔法の知識に疎いモルガン爺には魔剣など作れない。ただただ、鍛冶士の誇りにかけて鋭い刃を求め続けた。
モルガン爺の腕は、普段は良く切れる包丁作りに遺憾なく発揮されている。
だが男として生まれたからには、最強の剣を作りたかった。
何層も折り返した刃に心鉄を挟み、計算された反りに、薄い刃。
そうして出来た一振りの剣は、しかし誰にも使えない代物だった。
エルフの戦士に与えてみても、かれらは枝打ちに使うばかり。それすらスグに刃こぼれすると評判が悪かった。
そんな彼らにモルガンは顔を真っ赤にして反論し、一時は評判が地に落ちた事も有る。
「爺さん、剣ってのは使う人間あってのモノだぜ?」
あるエルフの戦士はモルガンにそう言った。全くその通りだ。
そう言う意味で、この剣は完全な不良品。刃筋を立てて正しく切らないと、その切れ味は発揮されない。
ただし、この世界にはそんな剣術も、それを教える道場も存在しないのだ。剣と言うのは剣術と共に成長するモノ。
特異点の様に、ポンと特殊な剣術に特化した、切れ味ばかりの剣が生まれても何にもならない。
だから、この剣は本来ならこのまま、使い手も無く朽ちて行くハズだった一振りだ。
「じゃあ借りていくからな」
「くそぅ、返せよ! 絶対だからな」
「はいはい、解りましたよ」
そう言って帰路につくファーモス爺の手には、布に包まれた一振りの――
――『刀』が有った。
それは、長命のエルフが、一つ折り、二つ折り、鍛造を繰り返す度に、強烈な意思と大森林の魔力を練り込んだ刀。
もし、この刀が中世の日本に落とされたなら、恐らくは神剣と恐れられたに違いない。
なんの因果かそれは最も危険な男の手に渡る。
もし、この男が中世に産み落とされたなら、恐らくは武神と恐れられたに違いない。
その二つがあらゆる因果を越えて交わってしまう。
大森林の英雄伝説の始まりで有った。
なんだよ、このアオリ。




