近衛兵長2
【近衛兵長ゼクトール】
ゼクトールに与えられた久しぶりの休暇。
それはこれから王都で起こる騒動を前にした第二王子の計らいで、何も知らない一般兵と違い、近衛兵長であるゼクトールにとって手放しで喜べる物では無かった。
――戦いが始まる、それも王国同士での内紛だ。
必要な事とは言え気持ちは晴れない、しかし第二王子の気持ちを考えれば応えない訳には行かなかった。
ザワつく心を抑えるために向かったのはいつもの森だった。
大森林、ユマ姫の故郷がある森にして魔獣はびこる魔境だ。
しかし、そんな森が近くにあれど、王国に深刻な魔獣の被害は少ない。森の浅い部分を南北に貫くピルタ山脈が凶悪な魔獣からビルダール王国を守っていた。
この難所が無ければユマ姫は直接ビルダールの王都に乗り込んだに違いないし、エルフとの連絡もスムースだった可能性が高いだろう。
――俺たちには恵みの山だが、あの姫様にとっちゃ憎らしくて堪らないだろうな。
ゼクトールは王子に連れ立って練兵場にやってきた風変わりな少女について思う。
線が細く可憐な印象の姫だが、見た目に反して負けん気が強くて笑ってしまった。
訓練する王子と自分の姿を見て、自分もやると譲らなかったのだ。確かに槍を持たせれば中々の腕前で驚いたが、自分たちと戦える程じゃ無い。
それにドレス姿で必死に槍を振るう姿は、なんとも可愛らしかった。
悔しそうなユマ姫の様子に苦笑が漏れる、部隊内でもとんだじゃじゃ馬だと笑いながらも、本音ではその魅力に参っている隊員が多かった。
――俺らに似合いの姫様だよな。それにアイツにも。
婚約者を殺されてから、浮いた話の一つも無い親友にしてこの国の王子様のボルドーを思う。
ユマ姫と年齢差はあるが、貴族にとってこの程度は珍しい話じゃ無い。それにあのお姫様には同い年の男なんて子供にしか見えないだろう。
いっそお似合いなんじゃないかと思えて仕方ないが、それを突くとあの親友は「俺はロリコンじゃないぞ」と不機嫌になるのが面白かった。
山登りの孤独な時間は思考を纏めるのに向いていた。とりとめも無い事をひたすらに考えていれば、山脈の中腹、何時ものキャンプ場に辿り着く。
山深い中にぽっかりと空いた原っぱだがキャンプ場などと呼んでいるのはゼクトールだけ、ピルタ山脈の中腹ともなれば一般的には危険極まりない場所だ。
しかしゼクトールにとっては野営の訓練にも向いたお気に入りの場所であった。
しかし、今日はその場所に先客が居た。
「早速か、最近多いな」
空き地の先客は牙猪。ゼクトールが知る中でも最大最強の魔獣だ。
こんな大物が最近多い。ユマ姫が言うには魔獣を狩ってきたエルフが仕事が出来なくなった影響だと言うが、だとするとこれからもっと凶悪な魔獣が森から溢れ出る事になる。
「やるしか無いな」
そう言って胸元から取り出したのは紐。……いや、投石紐だ。
手頃な石を引っ掴んでセット、ブンブンと回す。弓矢に比べて命中精度には期待出来ないが、補って余りある程に的が大きい。
「シッ!」
気合いの一声と共に放たれた石は、狙い通りの軌道で牙猪へ飛んだ。
「グルゥ? グガァッ!」
命中! 鈍い音が響いたが、人間なら即死する一撃でも巨大な魔獣にはそれ程の効果は無い。
しかしダメージは通った。牙猪は足をふらつかせながらもゼクトールを見つける。
「グァァァァ!」
咆哮、そして突進。
それをゼクトールは槍を構えて迎え撃つ。
獣の突進、それも人間の十倍はあろうかという体重を持つ魔獣の突進を人の身で止める事は不可能。
だが、牙猪は槍を構えたゼクトールを吹き飛ばせなかった。
ゼクトールの構えた槍は背後の木に支えられ、つっかえ棒の様にして牙猪の突進を受け止めた。
「グギャアァァァ」
突っ込んだ勢いで自らの鼻先に深々と槍を刺してしまった牙猪だが、それでも止まらない。首の一振りで突き刺さった槍を吹き飛ばして見せる。
ゼクトールはその動きに逆らわず槍を手放す。獣の力に逆らっても勝ち目は無いからだ。
そして木を盾にして逃げるゼクトール。逃さじと木を回り込もうとした牙猪だが、木の裏は急な斜面になっていた。足を取られた牙猪は投石を受けた影響で踏ん張れず体が泳ぐ。
逃げたと見せかけて、ぐるりと木を回り込んだゼクトールは、そこを無慈悲に蹴っ飛ばす。
たまらず牙猪が斜面を転がると、ゼクトールは慌てて槍を拾って追撃を掛けた。
こうやって地の利と頭脳をフルに使って優位に立ち回るゼクトールだが、相手は魔獣。恐ろしくタフで強い。
一つミスを犯せばその瞬間に死ぬ様な駆け引きをその後も二十分は繰り返し、ゼクトールは遂に牙猪に止めを刺す。
「はぁぁっ!」
槍は深々と喉元に突き刺さり血が噴き出す。
副官のワッツは楽々魔獣を狩っているかの様に言うが、紛れも無く死闘だ。しかし麓の村にこんな魔獣が現れたら全滅は必至、ここで戦うしか無かった。
「ハァハァ、それにしても今日のはまたデカいな」
巨大な魔獣は一人で運ぶのは不可能。毛皮も魔石も価値があるが解体は骨が折れる作業になりそうだった。
「人を呼ばねばならんな」
今回の山籠もりは早々に終了となってしまった。しかし獲物は十分と言えるだろう。ゼクトールは息を整えながらも満足げに笑った。
しかし森の中、突然場違いな可愛らしい声が響く。
「流石の腕前です、あの失礼な副官が言うだけの事はありますね」
いつの間に誰か目の前に誰か立っている。華奢で小柄なシルエットは魔境と言われる場所で、いっそ異様に写った。
「誰だ! え? まさかユマ姫ですか?」
森の中、いつの間にか現れたのはユマ姫だった。ゼクトールがすぐに気が付かなかったのも無理は無い。今日はドレス姿では無く、皮のチョッキにグローブとブーツ。スカートでは無く半ズボンにタイツ。おまけにユマ姫を象徴する長く美しい銀髪は帽子の中に納められている。
それでも大きなピンクと銀の色違いの瞳、尖った耳は他の誰と見間違う筈もない。
「何故こんな所に? お一人ですか?」
「そうです、魔獣狩りと聞いて興味があったので、それにしても見事な手並みですね」
――ずっと見ていた? あの死闘を?
「いや、だったら解っているでしょう? ココは危険です!」
「私の心配は無用です。自分の身は自分で守れます」
「お転婆も大概になさい! 我々は貴女を守るために日々働いているのです」
「私が抜け出した事すら誰も気が付かないのに、ですか?」
言われてハッとする、姫には一日中護衛がついている筈。つまりこのお姫様はその護衛を振り切って王都から丸一日以上は離れたこのピルタ山脈に居るのだ。
ただのお転婆じゃ無いと認識を改めながらもその目的が解らない、ただの見物のためにこの森に分け入ったのか?
「一体全体なにがしたいのです? こんな所まで」
「ボルドー王子の側近であるあなたには、魔法の力を知って貰いたいと思いまして」
「ただそれだけの為にココまで? 正気ですか?」
「大穴を開ける様な派手な魔法は城では使えないでしょう? それにここは魔力も濃い。魔法を見せつけるには絶好の――」
「姫様?」
ユマ姫は突然に話を途切れさせ、首筋を押さえる。急に体調を崩したのかと駆け寄ろうとするゼクトールだが、ユマ姫は片手の手のひらを見せる様に突き出し、押しとどめた。
「何を?」
呆然と尋ねるゼクトールに対し、ユマ姫は突然にかき消えた。
「え?」
そして姫が立っていた場所、そこに入れ代わり立っていたのは巨大な蜘蛛だった。それも長身のゼクトールと同じぐらいの体高の蜘蛛。
蜘蛛は縦に長い生き物では無い。それが人間並の背であるなら、その体積は如何ほどか?
答えは牙猪と同じか、足の長さを考えればより大きい。
「何だ!? アレは!」
「大土蜘蛛です」
思いがけず返事があった、ユマ姫の声だった。見上げれば近くの木の上に居る。
ユマ姫は魔法の力で跳ねる様に高速で移動して、大土蜘蛛の死角からの一撃を躱していた。
運命がすり減る感覚、そこから直感に従う全力の回避だった。一方でゼクトールにはいきなりユマ姫と大土蜘蛛が入れ替わった様にしか見えなかった。
「そんな魔獣聞いた事も無いですが?」
「よそ見は危ないですよ?」
「なっ!? グッ!」
蜘蛛は目にも止まらぬ速度で突っ込んで来た、とっさに構えた槍に衝撃。牙猪程の当たりの強さは無いが、硬質な感触は鎧の様で槍が通りそうに無い。
とっさに転がると、今まで居た場所を何本もの腕が刈り取っていった。
「気をつけて下さい、牙猪より格上の魔獣です。大牙猪程では無いですが。とにかく素早くて固いです」
ご丁寧に教えてくれる声がするが、ゼクトールにはゆっくり聞いている余裕も無い。一撃で吹き飛ばされる力こそ無いが、八本の腕は捌ききれる物では無かった。
槍を手放し、転がった先で腰の剣を抜刀。振り切った剣はキンッと高音を残して防がれた。
八つの腕の一つを断ち切るつもりの一撃は、コチラを縦に貫く一撃を何とか防ぐだけの結果に終わった。むしろ剣を振らねば腹に大穴が空いていただろうが、それを喜ぶ気にはなれなかった。
牙猪よりも格上の魔獣。その言葉に嘘は無さそうだ。そしてそれは牙猪で一杯一杯の自分では勝ち筋が殆ど無い事を示していた。
――逃げるか? 姫を置いて? いや、守るどころか一人でも逃げ切れないッ!
牙猪と違うのは速度、それに大きい割に小回りも効く。地の利は全く生かせない。
それでも木を盾に立ち回る、牙猪相手に使った戦法だ。そうすれば少なくても大きくなぎ払う不可避の一撃は防止できる。そう思って巨木に半身を隠す様に立ち回る。
――コレで右からの攻撃は防げる。いや? 駄目だッ! 木に張り付いてッ! 上から! 来る!
――バシュッ!
間一髪、あわや串刺しとなる寸前。突然に蜘蛛が地面に落ちた。蜘蛛の顔にある大きな四つの目玉。その一つが弾けていた。
「目を狙って下さい、他は効きません」
頭上からの澄んだ声。……ユマ姫だった。
――今のは何だ? 噂の魔法か?
混乱するゼクトールだが、体は反射的に大土蜘蛛へと追撃を仕掛ける。狙うは残りの目、……だが。
――遠い、長い足が邪魔をする、剣ではリーチが足りない。かといって槍じゃ振り回せず防御ができない。
結局ゼクトールは剣で防御に徹する事にする。
それでも戦況は悪い、逃げても相手は高速で追いかけてくるし、木の上にだって登ってくる。
それでも木の上のユマ姫が無事なのは、ユマ姫が先程から見せる不思議な移動方法で蜘蛛以上の早さで移動しているからだ。
大土蜘蛛が木を登ってユマ姫を狙う間にゼクトールは必死に呼吸と体勢を整えるしかなかった。とてもじゃないがついて行けるスピードじゃないからだ。
しかし姫の方もあの高速移動と魔法での攻撃は両立出来ない様で、追いかけっこに終始し戦況は動かない。
――つまり大土蜘蛛が俺を狙う時がチャンスって事かよ! だが! コッチは連戦なんだ! 人間なんだ! 魔獣じゃない! 体力がそろそろ限界だぞ!
徐々にゼクトールの動きが鈍る、大土蜘蛛の八本の腕から繰り出される攻撃に、捌く事も躱す事も不可能な攻撃が混じる。
「ぐぁっ!」
受けたのは右太もも。一息に貫かれ、大穴が空いた。
――バシュッッ!
その瞬間に大土蜘蛛の体が揺らぐ、ゼクトールを刺した故に動きを止めた蜘蛛に、ユマ姫の魔法が命中したのだ。
「その調子、そのまま足止めと防御に徹して下さい」
――何がっ『その調子』だ! コッチの右足はおシャカだ、これだけの傷、俺はもう一生歩けないんだぞ!
右足の傷は深い、この世界の常識では既に取り返しのつかない重傷だった。
泣き出したい気持ちと絶望感。しかし抵抗しなければただの無駄死にと、ゼクトールは自分の命を諦めて捨て身の戦法に移る。
――それでもあんただけは、姫の命だけは意地でも守って見せますよ!
振り上げられた大土蜘蛛の足、動けないゼクトールが選んだのは転がっての回避ではなく、僅かに上体を反らせるだけ。当然避けきれず顔を掠め、グチャリと右目が潰れるのが判った。
更に追撃と蜘蛛の顎が迫る。そこに敢えて左手を差し出した。
ギャリギャリと手甲ごと手をかみ砕かれる、コレで一生剣を握れない。だがこの一瞬に、右手で剣が振れれば良い。
「ギィィ! ギョォォォォォォォォ」
振り抜いた右手と、降り注いだユマ姫の魔法が、残った二つの目を潰すのは同時だった。
不気味な魔獣の断末魔と共に戦いは終わった。だが自分に先が無い事をゼクトールは理解していた。
盗賊退治や訓練中の事故で大怪我を負った同僚を数多く見てきたゼクトール。これだけの怪我は良くて一生松葉杖生活。このまま死んでも不思議じゃ無い位だと熟知していたのだ。
「やりましたね! 大丈夫ですか?」
コレが大丈夫に見えるか! と叫びたい気持ちのゼクトールだったが声が出ない。
太ももの太い血管が破れ出血が激しいのが一つと、痛いどころか感覚も無い左手。もう剣を取って戦えないんだと言う喪失感に灼かれていた。
このままいっそ、姫と共に戦い、死闘の末に魔獣と相打ちとなった男としてここで朽ちて行きたいとすら本気で願った。
それぐらい剣士として生きられないこれからの人生が怖かった。
「傷を見せて下さい、コレは……酷いですね」
あれだけコッチの怪我の具合を考えろ! と怒っていたゼクトールだが、現金な物で実際に怪我を見られると悲しそうな顔のユマ姫に何故か申し訳なく思った。
怪我はもう、酷いなんてもんじゃ無い。止血しなければ確実に死ぬ。生き残れたって右足は使い物にならず、右目も駄目。左手も何も持てなくなっているだろう。
だったらいっそここで死にたかった。
しかし、ユマ姫は帽子を脱ぐと、髪を纏めていたリボンを外す。視界に広がった華やかな銀髪に目を奪われていると、あっという間に右腿を縛られ止血が済んでいた。
「やめて下さい、もう俺はここで死にます」
「なぜです?」
覚悟を決めたゼクトールの言葉。しかし帰ってきたのは不思議そうなユマ姫の声。
取り返しのつかない怪我がこの世にはあるのだと、知らない無邪気さに苛立って、ゼクトールが声を荒げようとすれば
――眼前に天使が居た。
視界一杯のユマ姫の顔、その距離は額をつけ合わせる程に近い。
「なんです? 手向けにキスでもしてくれるんですか?」
「違いますけど?」
じゃあ何を? そう言おうとしたゼクトールだがその声は出せなかった。
ペロッ、ペロペロ
「? なっ!? なにを?」
舐めていた。ユマ姫はゼクトールの潰れた右目を、癒やす様に丁寧に。
「何って、目はくっつけても、汚れや雑菌が混じると白濁したり視力が失われたりするのです」
くっつける? くっつく訳がない! 目が潰れたらゼクトールの常識にそれを癒やす手立ては無い。
しかし、声を上げて怒る気持ちも、死にたいと思う気持ちすら失せていた。
それどころか必死に傷を舐めて、自分を癒やそうとする少女が愛おしかった。
「アレ? 抵抗がなくなったな。コレなら行けるか?」
自分を舐めてくれる少女を呆然と見つめるゼクトールには、少女の言葉の意味はわからなかった。しかし少女が何かを唱え右目に手を翳すとさらなる驚きに襲われた。
「なんっで? 見える!」
「おぉ、良かった成功した」
少女はゼクトールの潰れていない左目を左手で隠し。潰れた筈の右目の前で右手を振る。ゼクトールの右目はその動きをハッキリと捉えていた。
――コレもまた魔法なのか? なんて力だ! こんな物が有れば戦い方がまるで変わってしまう。いや……
と、そこでゼクトールは事が戦争に止まらない事に気が付いた。街には今回よりずっと軽い怪我で一生物の不自由を抱え込んだ人間がごまんと居る。
どんな医者でも決して治せぬと言われた彼らが、もし治せるとすれば、幾らでも金貨を積み上げるに違いない。
――誰もが欲する力、それだけに危険なカード。それを惜しげも無く見せてくれた? 俺は試されているのか? これが知れ渡れば派閥に勧誘などと言う生優しい手では無く、誘拐や脅迫が彼女を襲う事になる。そう考えればこんな人気の無い場所で無ければ軽々に明かせないのも納得か。
余りに大きすぎる力、それが国に与える影響。考えれば考えるほどに混乱するゼクトールだが、一方で少女は全く違う事を心配していた。
「んじゃ、次は右腿、いや左手が良いか? あ、でも血も肉も足りなくなるな」
少女が言うには、魔法の治療は回復した状態を魔力で仮定して、それに合わせて体中から血肉を持ってくる。だから重傷に一気に使いすぎると体が保たない事が有るとか。
「あっ! そう言えば肉は大量に有ったな! どう? 牙猪の肉? 田中が言うには結構イケるらしいですよ?」
とって付けた様にお姫様らしい笑顔を見せる少女は小悪魔の様であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「オイッ! ユマ姫と魔獣を狩ったと言うのは本当か!」
近衛騎士として、ゼクトールに与えられた城の一室に、大声を上げて飛び込んできたのはゼクトールの親友であり第二王子でもあるボルドーだった。
「そうですよ、大土蜘蛛とか言う巨大な蜘蛛です。牙猪より格上の魔獣らしく私では全く歯が立ちませんでした」
「それを二人で倒したのか?」
「二人と言うか、殆ど姫様一人でやった様なものですよ」
「そ、そうか……」
ゼクトールとしては自分はただの囮だったと言うのが今の率直な感想だ。自分を置いて逃げるだけならユマ姫は何時だって出来たと今なら解る。
一方でボルドーは知らない凶悪な魔獣がこの付近に現れた事に施政者としての対策に頭を巡らせていた。
ゼクトールはその様子を微笑ましく見つめていると、ボルドーは慌てた様に弁解する。
「いや、その何にしても無事で良かった」
――全く無事では無かったんだが、そうは見えないよな。
左手を閉じたり開いたりする様子を右目で見る、どちらも違和感は無い。右腿の大穴も塞がって元通り。
恐ろしい力だ、しかし味方で有ればこれほど頼もしい力は無い。
「ボルドー、いやボルドー・ラ・ヴィット・ビルダール殿下」
「どうした? 改まって」
「ユマ姫様は絶対に敵に回さないで下さい」
「……それ程に、魔法は強力か?」
「噂以上かと、その力が知られれば、何が起こるか想像もつきません」
「……そこまでか」
「ええ、助けられた身故、どうか私の口からではなく姫様から直接、魔法について伺って頂きたく存じます」
ゼクトールの言葉に、うぅむとボルドーは唸る。
ゼクトールは忠臣として主人に洗いざらい話すべきかと思ったが、それは危険と考えた。
治癒魔法はやはりと言うか、ユマ姫もそれを公にするのは気が進まない様子であったのだ。
今でも菓子の製法を探らんとする不埒な商人は引きも切らないと聞くが、比較にもならない狂乱に巻き込まれるのは目に見えている。
秘密にしている以上、自分は姫様の言葉の証人として選ばれたのだと思っていた。
だとしたら、自分の見解を話すのは後で良い、変に話せば信頼を失う事になりかねないとゼクトールは結論づけた。
「絶対に敵には回さない様に、逆に味方であれば王子の身はあらゆる事態から守られます」
「そこまで言うか?」
「はい、ですからボルドー殿下にはいっそユマ姫を口説いて頂きたく」
「はぁ? お前それは」
「本気です。もし殿下が口説かないと言うなら私が口説きます」
「ハッ、余り笑わせるな……」
ボルドーはゼクトールの言葉を冗談かと思ったが、恐ろしい事にゼクトールの目は本気の様に見えてしまった。
「オイ、お前とユマ姫じゃ俺以上に歳が離れているだろうが!」
「それどころか死んだ妻との間に、生まれた息子が今年十二になります」
「馬鹿か! じゃあ息子と……って言うのが普通だろうが」
「いや、アイツにはまだ早い!」
「お前には遅すぎるわ!」
親友と笑い合いながらも、ボルドー王子は首をかしげる。
ちょっと前までボルドー王子は、ユマ姫が軍部に受け入れられるかを心配していた。それが、今や近衛兵達は皆ユマ姫に心酔している様子だ。
堅物に思われたゼクトールまでこの様子では、今度は組織を乗っ取られる方を心配しなくてはならない。
冗談だと思っていたもう一人の親友ガルダの忠告を思い出す、もしもあの可憐な少女の顔が全て演技とするなら、裏にはどんな顔があるのだろうか?
「ゼクトールに言われるまでも無く、今度じっくり話合わなくちゃならないな」
王子はいよいよユマ姫と向かい合う事を決意した。守るべき少女としてでは無く、一人の盟友として。




