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4.復帰

 


 私はすぐにその場を離れた。

 痛めている足で学校まで歩き、到着する頃には、遠くで救急車のサイレンが響いていた。

 ただただ、恐ろしかった。

 目の前で鈴木という知人が車にはねられたからではない。

 打ち所が悪ければ良い。翌日すぐに退院するぐらいならむしろ死んでいて欲しいと願っている事だった。

 自分が酷く残酷な思考を持っている事を知ってしまい、鳥肌が立った。


 鈴木が車に轢かれたという事実は、瞬く間に学校内に広まった。

 鈴木を信望していたクラスメイト達は教室の隅に固まり、さめざめと泣いていた。

 鈴木は重傷ではあったが、命に別条はなかった。しかし数か所の骨折があり、復帰に半年はかかると、教室にやってきた校長に神妙な面持ちで言われた。

 悲観するクラスメイトは対照的に、私は顔がにやけるのを抑えきれなかった。


 この時私は、鈴木が半年学校に来なくなった、という事実に胸躍らせるだけで、どうして鈴木が交通事故に遭ったのか、なんて考えもしなかった。

 昨夜、自分が〝鈴木に交通事故に遭って欲しい〟と願った事など、すっかり忘れてしまっていた。


 鈴木の代わりに授業をする事になったのは、二十代後半程に見える若い男性だった。

 彼は背が高く、整った顔立ちだったので、思わず食い入るように見つめてしまったのを覚えている。


「佐藤です。鈴木先生が不在の半年間だけど、よろしく……」


 教室に入りそう挨拶した彼は元気がなかった。

 しかし一週間もすると、佐藤先生は徐々に元気を取り戻したようだった。きっと緊張していたのだろうと、そう思った。

 佐藤先生は優しく誰にでも平等だった。

 私を貶める行為など全くしなかったし、答えが分からなくても、授業後、丁寧に教えてくれた。

 私はすぐに佐藤先生が好きになった。

 着任当初は、鈴木を信望するあまり、佐藤先生を批判するクラスメイトもいたが、彼の人柄の良さもあってか、反抗していた生徒達も徐々に慕いはじめるようになった。

 彼の授業は面白く、決して退屈しないもので、なお且つ分かりやすかった。

 また、非常に子ども心を掴むのに長けていて、休み時間には、グラウンドでサッカーや野球などを教えていた。

 多くの生徒たちがそれに参加し楽しんでいるようだった。

 彼は子どもが好きで小学校教師をやっているという、今どき珍しい教師だった。佐藤先生がクラスを受け持つようになってから、クラスメイトが私を苛める事もなくなり、日常に平和が戻った。


「高田さん。君は字がすごく上手だ。上手なんてものじゃない。正直、その達筆さに驚きすぎて何を言ったらいいのかも分からないぐらいだよ。とにかく、君が良いならぜひ字の道へ進むことを僕は進める」


 佐藤先生は事あるごとに私の字を褒めた。

 今まで興味も無く、特に価値のないものだと思っていた自分の達筆さに、少しだけ誇りを覚えるようになった。

 相変わらず友人はいなかったが、佐藤先生のお陰で次第に毎日が楽しくなっていった。



***



 それから半年が経った。

 事故の事など忘れた、ある冬の日だった。

 朝のホームルームの時間を告げるチャイムが鳴り、いつものように教室の扉が開かれた。

 その日も私は胸を躍らせていた。

 半年間、この瞬間がいつも楽しみだった。背の高い先生が、少し頭を下げて、教室に入ってくる。それから笑顔で私達に挨拶をする。その瞬間がとてつもなく好きだった。

 私は隠しきれない笑みをこぼしながら、佐藤先生が入ってくる扉をじっと見つめた。


「みんなーっ! 久しぶりだね!」


 高い声だった。私は目を見開いた。

 そこに佐藤先生の姿はなく、代わりに教室に入ってきたのは鈴木だった。

 長期入院を終え、職場に復帰した事を一瞬で悟った。馬鹿だった私は、楽しい毎日を過ごすことにかまけ、鈴木が復帰する事など忘れていたのだ。

 途端に過去の記憶が蘇り、身体の震えが止まらなくなった。

 鈴木は依然と変わらない姿だった。少なくとも外傷の後遺症は無く、事故を感じさせなかった。


「長い間お休みを頂いていたけれど、今日からまたみんなと一緒に授業が出来るようになりましたー!」


 ブランクを感じさせない、はっきりとした声は教室によく響いた。

 佐藤先生を慕っていた生徒達も、いざ鈴木を目の前にすると狂ったように喜んでいた。

 鈴木は朝のホームルームの時間をギリギリまで使って、入院生活の事を話した。

 骨を六本も折り、リハビリに苦労した事、病院食が不味かった事、生徒からのお見舞い、手紙が嬉しかった事。様々な事を話している間に、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴り、鈴木は話を打ち切った。


「あ、そうそう言い忘れていた事があったわ」


 教室から退室しようと、扉に手をかけたまま鈴木は言った。


「高田さん?」


 私の心臓が跳ね上がった。


「ねぇ、高田さん。目の前で交通事故を見たら、すぐに救急車を呼ばなければ駄目よ? あなたがすぐに救急車を呼んでいたら、先生もっと早く治ったってお医者様から言われたわ。大体、高田さんを注意しようとして追いかけて来たのに、あなたが逃げるから、そのせいで、先生は車に轢かれてしまったの。つまり、あなたのせいで先生は車に轢かれてしまった。下手をしたら死んでいたかもしれなかったわ。本当にあなたはとても冷たい人間ね。明日から、またあなたの為に厳しく指導するわ。みんなも一緒に、高田さんの根性をたたきなおしてやりましょう! みんな頑張りましょうね」


 扉が閉まり、残された私はクラスメイト全員分の視線を浴びた。どれも恨みの籠った視線だった。彼らにとって、私は鈴木を貶めた犯人にされてしまったのだ。



***



 その日、休み時間にお手洗いに立ち、席に戻ると机に悪質な言葉がいくつも書かれていた。

 持っていたハンカチで消そうとしたが、油性で書かれていたらしく強くこすっても消えなかった。

 その後の授業で、鈴木先生に当てられ答えられずにいると、酷い言葉でののしられた。よく覚えていないが、何も出来ない価値のない人間、というようなニュアンスの言葉だったと記憶している。


 帰宅後、家族と夕食を食べてから、部屋に戻り、一人で泣いた。

 またあの日々を耐えねばならないと思うと死んでしまいたかった。

 私は思い出したように、机の引き出しから新しいルーズリーフを取り出した。以前、苦しみを書くとすっきりした気持ちになれた事を思い出したからだ。半年間、触っていなかったルーズリーフは、少し埃をかぶっていた。埃を手で払い、私は字を書き始めた。


〝すずきせんせいが またもどってきた〟


 そこまで書き、私は佐藤先生を思い浮かべた。

 そうだ、優しい佐藤先生に相談して助けてもらおうとそう思ったのだ。

 しかし、佐藤先生がどこのクラスを受け持っているのかまでは分からなかった。中途半端な時期に私たちのクラスを離れたから、クラス自体受け持っていない可能性だって十分あった。そのため、どこに行けば会えるのか分からなかった。

 偶然に会う可能性は低いと感じていた。

 なぜなら、佐藤先生が鈴木先生の代わりとして来た時、佐藤先生の存在をそれまで知らなかったのだ。頻繁に会うような先生ではなかったという事だろう。


〝あしたさとうせんせいをみつけられますように〟


 そう文章を付け足した。

 胃が痛くて寝付けないのは二回目で、久しぶりだった。



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