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第二話 木片都市

 こうした威容を、ンバセルクは見たことがないわけではない。しかし求め望んでいたものだと思うと、心臓が高鳴って止まなかった。

 木片都市イライストラス。又の名を学院都市イライストラスは、森の国エウザネニス第二の都市とされる場所である。

 星霊学団の大拠点たるイライストラス学院を擁しながら第二に甘んじるのは、エウザネニス王家のメンツその他の要素も確かにあるだろう。しかし何よりも王都が根本であり、イライストラスが幹であることを、避けて語ることは出来まい。

 根本と幹というのは何も比喩ではない。言葉のまま、そのとおりの意味である。

 占有する広大な土地のほぼ中心。比べうるものとて稀な学びの都は、そこへ近づくに連れて鬱蒼とした気配を増していく。陽光を浴びれば眩く。木石とコンクリートとが入り混じる人里でありながらも、尾根の間に間に谷深い様は深山幽谷として、構築物の頂きは四百メートルにも届くだろう。

 だがそれでも、なお及ばぬものが、そこにはある。

 岩壁、のようだった。物思いに耽るように茫洋と横たわり、人々の築いたものが菌糸類のようにへばりついて、両者の大きさを人々に知らしめていた。

 尖る所無き威容。地上高約千メートル。南北同じく千メートル。東西に約千四百メートル。

 駅のホームでンバセルクは息を呑んだ。

 それこそは世に名高きイライストラス学院。『木片都市』の由来たる、石と化した世界樹の大木片であった。





「みんな、お疲れ様。短い旅だったけれど、それだけに緊張したりとかは……無いように見えたわね。頼もしいわ」


 王都発、イライストラス着。ツァリマー以下一行はホームに整列し、駅奥へ消える『革靴三号』を見送った。この日のための特別ダイヤが組まれていて、あちらで荷物の積み下ろしが行われる。その後に別の新成人が乗り込むことになるだろう。

 イライストラスに産まれ、イライストラスの外へ行く。その心理について、ンバセルクは考えるのを避けた。

 ツァリマーが招く手に従ってホームを去る間際、すれ違った集団の顔が明るかったのは確かである。だが邪推する心は燻って熱く、それを冷ますことをンバセルクは望んでいた。


「これから皆には、駅の構内で各家族の方と合流してもらいます。それで私とはお別れね。でも学院の方で合うことも無いではないと思うわ。拾遺学なら尚更。さ、迎えの人の証明書を出しておいて。あちらから名前を言うまで、こちらが迎えの人の名前を出さないよう気をつけるように」


 いよいよか。ンバセルクは背筋を伸ばす。教師から離れて真実大人になる瞬間を前に、長く息を吐いて指示に従い手荷物を探った。

 シャイノーラ・ニアスカ・イライストラス・エベンド。それがンバセルクを迎える人物の名前だった。証明書に曰く。木漏れ日荘二十五号の家長であり、蜥蜴人の特徴が強く出ている女性だという。人相書と顕出した身体的特徴の記載に目を通して、程なくそれをたたみなおした。どんな人物だろう。数瞬目を閉じて、開く。希望を持つべきか否かの間で揺れる心を自覚しながら、ンバセルクは気を紛らわせるものを探した。消極的だが、その時を楽しみにするということで落ち着けようとした結果だった。

 そっと、横目にウェシナを伺ってみる。彼女も書類に目を通して、鼻歌交じりにしまい込むところだった。確かに元王族であっても同じ処理が行われるらしい。貴重なものを目に出来た気がして、少し緊張がほぐれて前を向く。

 もう大丈夫だと、ンバセルクは半ば無理矢理に自分を納得させた。間もなく解決する事柄なのだから、あとは結果を見れば良い。進む足が鈍らないなら十分だ。


「この先よ。準備はいいわね?」


 下りの大階段を前に、ンバセルクは小さく頷いた。皆もそうすると、ツァリマーは笑って。


「よろしい。それじゃあみんな、おめでとう」


 一歩、踏み出す。それからまた一歩。

 傾斜度に合わせた天井は途中からその流れを外れ、やがて駅のエントランスを照らす高い高い天窓となった。十人十色の足に対応出来る、広く浅い形状の階段は目的地を遠くするも。それでもなお集う人々の姿はよく見える。来る人、行く人、そしてとどまる人々。あれこそが自分たちを待つ家族たちだろうかと、ンバセルクは目を離せなくなった。


「あれかな?」


 小さくウェシナが問いかける。


「そうだろう」


 言葉短くンバセルクは答えた。

 ウェシナはにこっ、と。鋸歯を覗かせて見せて。視線を前に据えなおす。

 緊張していたのだろうか? 多分そうだろう。どうやらほぐしてやれたようだと、ンバセルクも釣られたように笑った。

 自分もまた、そうなろうとしていたに違いない。階上ではむせ返るようだった熱い気分が、階下に辿り着いた今は清々しいものとなっている。うまく水を浴びせてもらえたのだと感謝した。


「ツァリマー・ィキーラ・イライストラス・トラン学士。王都、イライストラス間の新成人警護完了。到着しました」


 今、自分は大人になった。少なくとも社会的にはそうであり、それにふさわしい振る舞いを身につけるべき身と成ったのだ。

 ツァリマーと家族側取り纏めの教師が事務処理を終え、近づいてくる女性にンバセルクは背筋を伸ばす。最初の試し。と考えるのは肩肘が張りすぎていると思うが、それだけの時が来たことを悟った。


「あなたが、ンバセルク・テティーナ・ヒスネックネル・サゾム? 間違いない?」


 長く柔らかな金髪と亜人眼、横に張り出した角を除けば。細面の蜥蜴顔に蜥蜴の鱗と、確かに蜥蜴人の特徴が強くでている。身長はウェシナと同等の百八十センチ前後。スラリとして、ポンチョとスカートをまとっていてもスレンダーな体型を想像させた。


「はい、間違いありません。お名前をよろしいですか?」

「シャイノーラ・ニアスカ・イライストラス・エベンド。ノーラでいいけれど」

「俺もセルクで構いません。どうやら、間違いなさそうですね」


 互いにスカートをたくし上げ、ポンチョを翻した。名乗りながら身体特徴を軽く披露しつつ、手元の紙と照らし合わせて情報との一致を見る。

 本人の名の一致。母の名の一致。出身都市の一致。出身養育院の一致。顕出している身体的特徴の一致。

 全ての要素が一致している以上、ここに身分の証明は成った。迎えの教師が照合を済ませていたとは思うが、新たな家族であると確認でき。双方から思わず笑みが溢れる。


「ようこそイライストラスへ、セルク君。少し気は早いけど、木漏れ日荘二十五号の代表として歓迎します」

「こちらこそ。よろしくお願いします」


 上手く出来ただろうか。そうだと思いたい。


「ここまでだなセルク」

「ああ。また会おう」


 振り返って言葉をかわし。ウェシナはツァリマーの元へ向かった。

 また会おう。心から願ってその背を見送る。スカートに隠れた蠍尾の揺れが時折形に浮かんで、手を振るようにも見えた。


「院の兄妹?」

「いえ、友達です。鉄道で同じ席でした」

「ふぅん。彼女に纏わる長兄になりたくて、とか?」

「ははっ! そういう訳じゃないですけど。それも満更じゃないですね。でも、既にいるかも……」


 そこまで言って言葉を濁す。

 ウェシナはツラーク養育院の出、周辺は血の兄弟に囲まれていたはずだ。無論だからといって可能性はないでもないが、女として振る舞ったことはないかもしれない。

 ひょっとすると、あの性格はそのせいだろうか。ンバセルクは少し納得できた。養育院で性教育をひと通り受けたあと、子どもたちはそうした振る舞いをするものだが、ウェシナはその機会が無かったか少なかった。そう考えるとしっくり行く。

 所詮は妄想めいた推測。しかし別れ際に思いついたものとしては、いい線いっているかもしれない。などと思いながら、ンバセルクは自嘲した。


「確かにそうかも。セルク君は?」

「学習に注力していたので、まだ」

「そう……なるほど。急げとは言わないけれど、人はいつ死ぬかわからないもの。早い内に子供は作っておきなさいな」

「見繕っておきます。拾遺学を中心に学ぶつもりですから尚更」

「寿命が全うできるよう祈ってる。じゃあ、ついてきて」


 相互に確認して、それをツァリマーに告げると、深く礼をして踵を返す。

 シャイノーラと並ぶ背に暖かな視線を感じたが、それもやがて失われていった。





 山の似姿というべきか。あるいは、戯画化したクラゲというべきか。

 風景として眺めるなら前者だが、地図上のものと見れば後者になるだろう。

 都市南部。中核地からやや離れた駅を出て歩き、ンバセルクは町並みに心躍る思いだった。養育院周りの僅かに許された空間ではない、どこまでも広がるような町並みを今自分は歩いている。

 北半の居住面積を重視した丸い町並みでなく、南半の日照面積を重視した谷山風都市形態も、ンバセルクの歓心を誘った。

 ここは檻の中ではない。王都の景色を檻などと言ってしまうのに狭量の自覚を持っても、解放された感覚を現すには最も適していた。町を見れば、そこに建物でできた山岳が有り。外を見れば、遥かに続く森の緑が在る。

 国礎たるアスタフ森林と、浮島のような木片都市は、他ならぬ人類の危うさを現すものだろう。それでも、心が踊る。新鮮な刺激を受けた諸感覚がざわめいて、今すぐにでも探検に行きたかった。


「探検に行きたいって顔してる」


 浮ついた心を引き下ろされ、ンバセルクは浮遊感を錯覚した。慌てて態度を取り繕う。


「拾遺学を志すだけはあるけれど、今はやめておいて。流石にそれくらいわかると思うけれど?」

「ええ、まあ」


 そんなことはわかっている。わかっていたが、それを凌駕しそうな程に気持ちが大きくなりそうだったので、ンバセルクは反論できなかった。

 チラリと見えた乗り場から目をそらす。積層型都市において一般的な交通機関、ロープウェイ。空を飛べる者はともかくとして、歩いて移動するなら必要不可欠のもの。五つの谷と四つの尾根、北とを隔てる二つの断崖は、足で行き来するに辛く。高所へと繋ぐ手段なくして交通は成り立たないだろう。

 王都にもアレはあった。しかし手の届かなかったものでも在る。なので興味深く、気持ちも大きくなったものだ。しかし。


「乗り物の乗り方も、路線図も、すぐに教えてあげるから。あとにしなさい」

「ああ、はい、よろしくお願いします」


 帰る家もわからないうちに行くのは無謀がすぎる。

 探検への誘惑を振り切り、南方渓谷の谷底平野を北へ。俗に下町と呼ばれるこの地区も地上高約二十メートル。その辺りに在るスロープや階段に足を伸ばせば、道下にも人々の営みを覗けるはずだ。

 たどり着いた駅で教えを受けながらロープウェイを乗り継ぎ、二人は東の尾根の展望回廊に昇った。地図上では東から二番目の尾根に当たる。

 地上高二百メートルの景色はさぞかし良いと思われたが、西は対岸の尾根が聳えて遠くまで見晴らせなかった。間の空には翼持つ人々が飛び交って忙しく、その人々の往来に塵が舞って霞むようにすら見える。それでも南に目をむければ都市外の緑は見えるし、北に向かって徐々に大きくなる大型構造体は壮観の一言。上方約百メートルの町並も、圧迫感より誇らしさを与えてくれる。尾根の集う根本からも程よく遠くて、イライストラス学院の圧倒的な質量を眺めるにも悪くなかった。


「もうすぐだけど、南大駅との道は覚えられた?」

「道を覚えるのは得意なつもりです。いずれ復習もしておきたいところですけれど、今はむしろ通学路の確認をしておきたいですね」

「そう。まあ、あまり焦らないで。そっちも今度教えてあげるし、知ってると思うけど本当に近いから」


 文句無く良い立地といえた。それもそのはず。学生、それに星霊学団に地位あるものは、住居に関して優越が在る。国法と都市規模から算出された学院近辺とされる範囲内において、家族への参入は学院関係者を優先すること。木片都市イライストラスにおいては都市中核がこれにあたる。

 木漏れ日荘二十五号もその例には漏れない。むしろンバセルクの場合、養育院からの直行組ということで殊更に優遇された気配すらもある。優越があると言っても元々居た住民を排したり、各家庭に部屋の空きを強要するものでもなし。無いならないで優越の範囲外から選別されるだけであるし、元からイライストラスに暮らしていて、慣れ親しんだ家族と暮らし続ける者も多いだろう。

 この優越にあずかれた先達が既に部屋を使っている線も大いにあり。学院関係者だけで生活が回るわけでもなく。学院に属する者達が諸々に秀でているとはいえ、本分は教育と学習。学院過程を終えた者達をはじめ、専門の仕事を持つ者達が生活を支えると同時、稼ぎ口の一環として居を構えているのである。

 そんな新成人が家族となるには狭き門でありながら、ンバセルクはそれを享受できた。無言の評価か、あるいは運か。どちらにしてもンバセルクは気合が入る思いで一杯になり、更なる満足を求めることを心に決めた。


「ほら、あそこが木漏れ日荘二十五号。どう? 我ながらいいところだと思うんだけど」


 積層型都市のテラスを、一概にテラスということはできない。そこは広場であり、人々が憩う小さな公園でもあり。展望回廊と内部通路、空とが結びつく交差点でもまたある。

 華やかな場所だった。

 道行く人々はとりどりの衣服に身を包み、ポンチョでもロングスカートでもない者も数多い。単なるファッションか? はたまた、仕事柄必要であったからか? 顕出した特徴に基づくオーダーメイドの衣服がそこかしこに見受けられ、その理由は定かでなくともハッとさせられる。そこには意識がある。人に見てもらい、触れ合おうとする意識。仕事に、学問に全力を注ごうとする意識が。

 木漏れ日荘二十五号は、その営みの一角を担っていた。

 住宅には店舗スペースがつきものである。ンバセルクの帰る場所も例に漏れず、玄関の隣にテラスの有り様が煮詰めてつめ込まれていた。吊り下げられたポンチョとスカート、壁にかけられたサンプルの布。オーダーメイドの実績として見本が有り、奇抜なコンセプトアイテムが高く掲げられている。


「広場に、仕立屋とは。なんだか明るい気分になれそうです」


 それに稼ぎも良さそうだ。


「働けるかどうかはセルク君次第だけれど。もう一人新成人がいるから、その子の事もあるし」

「へえ」


 ンバセルクは振り向き、目を見開いた。


「あ、他にもいたんですか!?」

「ええ。プラニアンから一人来ることになってて、多分もうついてると思うんだけど。どう? イギー君」

「もうおいでですよ。食堂で待ってもらっています」


 のっそりと、飾られた布の間に蠢く影があった。決して隠れていたわけではない。だがそれだけに、ンバセルクの驚きも大きかった。にわかには信じがたい。こんな、身の丈三メートル近い相手を見逃していたとは。

 馬などを始めとした四足獣の胴以下と、首の部分から亜人型上体が生えた空間を取る姿形。人類種図鑑でいうところの長胴体型でありながら見逃したのは、ひとえに彼のセンスがな成したものだろう。胴以下を覆う特大のスカートも、上体に着た亜人体型に沿う特製の服も。飾られた服と同じ、ブレないセンスが込められているから溶け込んだに違いない。

 銀髪猫目、緑鱗の亜人顔にエルフの耳。特製の服に浮き出る腹筋は、恐らく甲虫殻で覆われている。緑鱗の二腕と、緑色の馬体から伸びる樹皮の鳥足四本、計六肢。

 やわらかな物腰の男だった。


「なら良かった。準備の方は?」

「それは中の方に聞いてください。私は店がありますので」

「そう。それもそっか。じゃあ、あとで顔は見せるように」

「もちろん」


 彼が浮かべた笑みに会釈を返し、ンバセルクはシャイノーラの後を追った。

 店主と思しき彼と少し会話をしておきたかったが、もう一人いるという新成人のことも気にかかる。自分と同じく高倍率の中に滑りこんできた人物。それが空間を共有する家族となれば、ウェシナのように仲良くなれるかもしれない。掘らぬ石の金勘定というか、都合のいい考えとは思うが、つい期待してしまう。先の成功経験がそうさせるのだろうと検討はついていたが、わかっていても中々抑えが効かないものだ。

 白熱電灯眩い、大樹材の廊下を数秒程行った先。ダイニングキッチンの座卓の一つに、座布団で胡座をかく姿があった。

 黒く大きな亜人眼の単眼が、ちらりとンバセルクに視線を向ける。白い亜人顔に鯖虎模様の髪を生やし、額から生えた独角の下。瞬きを繰り返して、どこか胡乱げですらあった。品定めするように視線は二人を行き来していたが、間もなくシャイノーラが口を開き、揺らめきが止まる。


「ああ、いたいた。はじめまして。確か、アシェナーサム君だったっけ?」

「いかにもそうですが、どなたでしょ?」

「私は家長のシャイノーラ。この子は新成人のンバセルク君。ようこそ、木漏れ日荘二十五号へ」

「ははあ、なるほど。サムでいいですよ家長さん」

「私もノーラでいいかな。さて、二人共揃ったし。少しは肩の荷が降りたってところだけれど、ちょっと待っててくれる? 厨房の方に行ってくるから」

「わかりました」


 アシェナーサムの視線がシャイノーラを追いかける。

 その隙を突いてすぐ隣に座布団を確保し、ンバセルクは間近に同輩を眺めてみた。同じ卓を囲んでみて分かったが身長は同じくらい。座高だってそうは変わらないだろうから、それで合っているはずだ。声の感じからして性別は男、ポンチョとスカートの値段も、見たところでは同じくらいか。


「はじめまして」


 どう声をかけるか少し逡巡して、ンバセルクは手堅く攻めた。アシェナーサムが振り返る。


「ああ、はじめまして」

「ノーラさんからも紹介はあったが、セルク。ンバセルクだ。ンバセルク・テティーナ・ヒスネックネル・サゾム」

「アシェナーサム・レウレン・プラニアン・ユムスタ」


 さて、ポンチョとスカートを捲ってみせるか。

 そうンバセルクが準備を始めた、その時だ。

 突如として、アシェナーサムが跳ねるように立ち上がった。二本の足を軸にして軽やかに一回転すると、スカートは風をはらんでめくれ上がり。二本の腕を翼でも広げるように高く掲げてみせると、ポンチョもまた大きくめくれ上がる。

 仕草こそ翼を広げるようではあったが、アシェナーサムの両腕は翼ではなかったし、背中にも生えては居なかった。白い亜人肌の胴と、肉球つきのつるりと艶めくイルカの腕。硬く濃い茶色の毛皮に覆われた真っ直ぐな脚とが、彼の顕在化した身体特徴だった。

 僅かに三秒程度の出来事だったろう。用は済んだとばかりにアシェナーサムは腰を下ろして。


「サムでいいよ」

「あ、ああ……」


 アシェナーサムに笑みがあったわけではない。しかしンバセルクは確かに、並々ならぬ自信をその眼の中に読み取った。

 頬杖をつくと、つい苦笑いが浮かぶ。

 思うに。ウェシナしかり、アシェナーサムしかり。やはり俺が気負い過ぎなのだろうか。どうにもこれまで出会った同輩を思い出すと、自信というものがなくなってきてしまった。

 もしかして、目の前のこいつもウェシナのような事情が?

 ンバセルクは思い直して、すぐさまそれを否定する。プラニアンにそういうものが在るとは聞いたことがない。こいつは正真正銘、自分とそう変わらない立場のやつのはずだ。多分。


「まあ、いいか」

「え、何が?」

「別に何でもない。で、サム。お前もこの範囲内に住むってことは、そうなんだよな?」

「うん、入学するよ。拾遺学を軸に学ぶつもり」

「お前もか……」

「もしかしてお前もか」

「俺もだ」


 何はともあれ、癖のあるやつに囲まれたもんだ。そこまで考えて気がついた。

 養育院の兄弟たちだって、よくよく考えて見ればこういう奴は居たかもしれない。いや、いた。相手と場所と場合が変わったので気づけなかったが、確かにこういう奴は居た。

 人物に対する慣れが誤魔化していただけで、案外どうも、こういうのはさほど珍しくないらしい。ンバセルクは信じたくなかったが、自分が慣れるくらいには存在するのをどうしても否定できなかった。そして同時に、気づかぬ内に自分も同じようなことをしていたのではと、不安がせり上がってくるのを感じる。

 意識で思考をかき回す。

 仮にこういうのが珍しくないのだとしたら、新成人を迎える側だって慣れたものだろう。アシェナーサムもシャイノーラとのやりとりではきちんとしていたから弁えてもいる。あまり気にしない方がいい。気にしすぎると中毒する。

 全ては想像にすぎないとはいえ。世の大人たちのいくらかも同じ道を通ったのだろうと考えると、なんとなくンバセルクは壮大で感慨深い気持ちになれた。気がした。


「やったね。家族と一緒っていうのは気が楽だ」

「そりゃまあ、そうだな。俺もそう思う。友達も入るし」

「院の兄弟ってこと?」

「いや、鉄道の中で仲良くなった。そのうち紹介するよ、悪くない女だし」

「じゃあ拾遺学の教室で。でもノーラさんもいいな……」

「だよな……いやぁ、なあ。なんというか、軽く話せるやつでよかったよお前。とりあえず口調崩してみたけど」

「俺も崩してくれて助かった」


お互いに疲れていたのかもしれない。自分の肩が下がるのと同時、アシェナーサムの肩が下がるのを見て、ンバセルクは小さな笑い声を漏らす。食堂はダイニングキッチンなので、厨房側と完全に隔てられていないにせよ。意識の届く範囲で張り詰めるもののないことに喜びを覚えていた。

 そうだ、こうでなくては。

 別段、理想の家族像を持っていたわけではない。ただ漠然と、安心できる場所ならいいと思っていた。それはまさにこういう空気感なのだ。養育院の兄弟たちと共有し、浴していたこの感覚。自然体でいれる場所という安心感。


「良いことだ。まあ、今後ともよろしく頼む」

「そりゃこちらこそ」


 ああ、無事に成人できたのだと、屈託が失せるのを確かに感じた。


「はぁい、お待たせっ!」


 厨房から漂い来ていた芳香はいよいよ強まり、源そのものがやってくる。シャイノーラが両手にソースを、数種の主食を。

 家族たちがやってきて卓を囲み、歓迎の会は始まって。そうして二人は、木漏れ日荘二十五号の家族となった。

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