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第一話 新成人

人は何故に生まれ、何処から来て何処へ行くのか――。

 人は星のために産まれ、星より出て星へ還るのだ――。

 それは神の解いた摂理にして、皆人の知る世の有り様。

 ンバセルクにとっても、それは変わりない事であった。





 日陰に雪残る春の初め。大始節の終わりと、神始節の始まりを控える、年末のある日。自らの影に黒ずむ森の上を、貨客鉄道『革靴三号』は王都から遠ざかっていた。鮮やかなる蒼天の下、鮮やかならぬ灰色の高架を、色彩のない音を引き連れて走る金属の箱。横幅七メートルに及ぶ巨体は人々を腹に収め、西へ、西へ。

 その中に一人の男がいた。

 緑のポンチョとロングのスカート。二腕二足からなる身の丈二メートルと二十センチ。白い長毛が竜の頭部と、両肩先から胸骨の下端にかけて逆三角を描き。左腕の甲虫殻を除いては、艶めく黒い蛇鱗が肉体を覆う獣脚の男である。

 名をンバセルク。

 ンバセルク・テティーナ・ヒスネックネル・サゾム。その名は都市ヒスネックネルのサゾム養育院にて、テティーナより産まれたンバセルクであることを指す。


「ここから世界樹は見えないんじゃないか?」

「そうか? 一応、方角はあってるだろ。なあ先生?」


 彼について語れることは今のところ多くない。西への短い旅路を行く者であること。それから、今のところ少々騒がしい一団に属しているということくらいだろう。

 それとて、今の時節を思えばあまり騒々しいとは言えまい。ここは今やエネルギーの坩堝。それは声に漲る力であり、源の若さでもある。総座敷席の車内は作り付けの仕切りで分けられているに過ぎず。板の厚みも、世に出る彼らの期待や不安を押さえつけるには不足という他なかった。


「微妙なところね。正確にはここから南西。斜め前を見ればもしかするかもしれないけれど」


 ンバセルクと板場を挟んで向かい。先生と呼ばれた黒い鷲の頭を持つ二メートル程の女が、床から天井までいっぱいの窓の外に目を凝らす。その仕草には寛容が有り、しかし油断ない注意があった。なぜなら一般的な緑のポンチョとスカートでなく、黒い学士服をまとう彼女こそ、周囲数席を預かり守る教師であるからだ。


「前って、鉄道の前ってことか?」

「ええ。つまり、私達からすれば後ろということになるわね」

「んーむ。セルクのところに座れば良かったかな。んや、別にそんな必要もないよな」

「まずは落ち着きなさい、ウェシナ。それに周りの席のあなた達も。鉄道の中でそんな騒がしくするものではないわ」


 ンバセルクは静かに頷く。彼が今頼れる者は、このツァリマー女史をおいて他になかったからだ。いや、属しているグループのみならず。この鉄道に乗り込んでいる者の多くがそうである。

 これは大人への最後の旅路。新成人に対する、親達と社会からの最後のはなむけ。この旅における彼女たち教師の役割とは、子供を終える彼らの守護にある。子供らは養育院の教育で社会を知っても、しかし体感したことはない。故に次なる家族のもとまで、新たな帰る場所まで、守られていなければならないのだ。

 だから注意されれば大抵の者は大人しくなる。自分達の守護者であり、社会的に上位であり、その影響力だって実際どれくらいあるのかも知らない。賢明であるならリスクある行動は慎むものだ。

 然るに、ンバセルクの興味は他の席の者達に無く。向かいの席に座るツァリマーに対してあり。それ以上にその隣の、ウェシナという女に対して強く注がれていた。


「ああ、ははっ。ごめんよ、先生」

「気持ちはわかるけれど。これが成人の旅でなければ、他の乗客に怒られてるわ。今後乗ることがあるかも知れないし、気をつけておきなさい」

「はぁい」


 奇妙な女だった。ンバセルクと同じ緑のポンチョと、ロングのスカートであるものの。パッと見た限りでも仕立ての良さが伺える。対して赤く長い髪は健康的なくせに整えられておらず、白い亜人肌に亜人顔――人間やエルフ風の顔かたち――は薄焼けして、一メートルと八十センチ前後の身体は振る舞いも奔放でだった。そしてなにより、ツァリマーにずいぶんと親しげに振舞っている。むしろ、砕けているとさえ言って良い。

 正直言えば、この親しさというか、馴れ馴れしさというか。どちらと取ればいいのかわからないやりとりにンバセルクはハラハラしていた。

 教師ではないだろう。星霊学団に地位あるものは、その義務や任務の遂行中は然るべき衣服を身につける必要がある。ましてこんな年中行事かつ、誰もが経験する通過儀礼でそれを怠るとは考えにくい。

 だとすればやはり、自分たちと同じ新成人だ。しかしそれにしてはツァリマーと親しげであるし。元々気さくなタイプだったとしても、初対面の目上相手にここまで気安いのは考えにくい。山羊の目を細め、笑う口から鋸歯を覗かせる、ウェシナのこの笑顔。見知らぬ者ばかりの中で、自然に出来る振る舞いとは到底思えなかった。

 しかし、すると、本当に一体どういう人物なのだろう。ンバセルクはじっと、腕組みをして見つめた。親たち曰く、この時同じグループに属する者は、おおよそ行き先が同じなのだとか。つまり、自分と同じく木片都市イライストラスへ向かう手合だということになる。それは即ち、新成人となって早々に学院入りするような成績優秀者ということだ。

 ウェシナも? ンバセルクは頭を振る。いや、振る舞いから想像もできない知性を誇るというのはままあるものらしい。多分そういうことなのだ。

 だがそれでも、ツァリマーと気安い会話が出来る理由にはならない。こうまで行くと、前々から知人だったという線もあるが。


「さっきから思ってたんですが……二人は、昔から親しい間柄ですか?」


 もしかして、そうなのだろうか。思い切ってンバセルクは聞いてみることにした。

 自分の経験をウェシナにも当てはめていたが、考えていくとむしろそれが一番怪しく見えてくる。養育院に居るうちから特定教師に親しくなるケースも、場合によっては有り得るのかもしれない。親が居れば事足りるからなさそうに見えるし、一体どういう状況でそういうことが起こりえるのかは分からないが、確かめて見る価値はある。確認できればこのモヤッとした気分も晴れることだろう。


「あら、そう見える?」


 ウェシナとツァリマーは一瞬目を合わせて、ツァリマーがそう答えた。


「初対面にしては砕けてますし。いくらなんでも、養育院を出たばかりでこんなやりとりが出来るかなあ、と思いました」

「よく見てるわね、セルク君。実のところそうよ。ちょっとした顔馴染み」

「やっぱり。それで、どういう関係なんでしょう? 養育院で教師と会う機会というのも僅かですけれど。まさか、教師だったりはしませんよね?」


 ちらりと、横目にウェシナを見る。こういう教師がいるという可能性も、落ち着いてみれば否定出来ない。社会経験のない自分が考えても、とンバセルクは思ったが、知らないだけにこういう性格にもなりうるのではとも思えた。親達にしたって趣味人が多かったように今は思える。ありえないものではないだろう。


「ふふっ。ウェシナはセルク君と同じ、来年に十六を迎える新成人よ。流石に教師は務まらないわね。どうして親しいかって言うと、この娘の居た所にちょくちょく用があったからなんだけど。流石に、その用が何かまでは話せないわ」

「そこまでは聞きませんよ。俺もモヤモヤが晴れましたし。答えて頂いて、ありがとうございます」

「どういたしまして。まあ、でも、ウェシナの立場を思えば、考えられないことでもないでしょ?」

「ウェシナの立場、って、どういうことです?」

「あら、わからない? セルク君って、新聞は読まない方なのかしら」

「いえ、読みますよ。今日は予定や荷造りの最終確認とかに集中してましたから、最新版は読んでいませんが」

「なるほどね……それなら、セルク君に問題。ウェシナの立場とは、なんでしょう?」


 まさかますます頭を重くさせられるとは。ンバセルクは腕を組み、眉間にしわ寄せて俯いた。

 問題を放棄するという手はンバセルクの中にない。このグループに属する者として、統括する教師からの設問を早々に諦めるというのは沽券に関わる。なにより教師の覚えが悪くなるというのは、是が非にも避けなくてはならなかった。このグループがイライストラスに向かうものである以上、ツァリマーもイライストラスの教師であると考えるのが自然だからだ。

 とりあえず、要素を並べてみる。一つ、ウェシナはツァリマー……教師と養育院に居る頃から親しい。二つ。新聞にどうやら載っているらしく。三つ、そして身につけているものが良い。

 三つ目に関して言えば、養育院で得られる金銭をそちらに費やしたと考えればそれで解決する。ンバセルクは家具や資料に多くを費やし、近しい兄弟たちもそうだったから馴染みは薄いが、そういう者だって居ただろう。ウェシナはそういう層、だったのかもしれない。少なくともヒントとしては一旦置いておくべきだ。

 なら、一つ目と二つ目はどうか? 養育院に居たとしても、目覚ましい活躍をすれば新聞に載るだろう。その関連で教師と深いつながりがあった。考えられなくもないことだ。だがそれは親だけでも十分に事足りるはずだ。『親の資格』試験の難度は最上位に位置づけられる。その親を差し置いて、教師が出てくる……?

 確かに、教師が養育院へ入ってくる機会はそれなりにある。近場への外出は子供たちにも許されているが、それは保護者同伴あってのもの。その引率のために時々やってくるのだ。あとはそれに、新成人の事前確認くらいか。そちらは親との間で完了するから顔を合わせる機会はないし、偶然顔を合わせても一度でここまで砕けたりはしないだろう。そもそも毎度同じ教師が来るわけでもなし。よっぽど気があって手紙のやり取りでもしたのだろうか。

 ンバセルクは否定した。設問者の視点で考えてみると、もちろん推測に推測を重ねたものになって褒められたものではないが、そういう答えの設問をすることはないように思う。出ている材料で答えを導き出せるようにはしているだろう。恐らく、だが。

 問題はウェシナの立場とはなにか。立場、立場……?


「……ウェシナは王都の出身。それは間違いないですよね?」

「ええ、間違いなく。それは私も、ウェシナ自身も保証するわ」

「ああ。先生の言うとおり、俺は王都の産まれ育ち。わかってきたか?」

「今考えてるところだ」


 まさか、とは思ったが。しかしそれは十分に有り得そうなことでもあった。

 養育院が何かしらに併設されているのなら、そちらで交流があったとは考えられる。そして王都の養育院で、そんな特徴を持ち合わせているのは一つしか無い。ツァリマーがどういう理由でそこに行ったかは、相変わらず不明とはいえ。


「……もしかして、王族ですか」

「おおー……っ」

「及第点ね。正確には元王族。王籍はもう抜けてるわ」

「当たった……あるもんだなあ、こういうことも。目的は? 政治学とは別のことに興味をもったからですか?」

「やるなあセルク。そうだよ、旅とかしてみたかったからさ。先生がイライストラスで拾遺学教えてるって言うから、頼らせてもらったんだ。養育院に居る頃からな」

「拾遺学。本当に?」


 にこやかにツァリマーは頷いた。黒い嘴は動かないが、頬と目元の動きでそれが読みとれる。


「そうですか。それなら、今後共お世話になるんでしょうね。どうやら活動時間も一致が見られるようですし」

「あと俺もな。拾遺学を中心にするなら、他の学部学科でも一緒になることは多いだろ、よろしく」

「ああ、よろしく。ウェシナ」

「おう。改めて、ウェシナ・ペザ・ヒスネック・ツラークだ」

「ツラーク……本当に王宮付きか。ンバセルク・テティーナ・ヒスネックネル・サゾムだ」


 互いにフルネームを名乗ると同時、双方ともぎりぎりまでポンチョとスカートをはだけさせた。正式な挨拶の形であった。隠れていた部分を露わにし、それぞれの姿形を伝え合う。共にまず体の形状。ンバセルクは尾がなく、翼もないこと。ウェシナからは毛皮混じりの蠍尾を持ち、翼無く、竜の肉付きをした腕と、そして樹上型の鳥の足であること。

 生い立ちが込められた名前と同様、顕出した身体特徴はその人物を証明する材料として扱われる。養育院で産まれた時。それから養育院を出る時。名前と顕出した特徴は公式文書として保管され、それをもって戸籍とする。そのため、提示できる情報のすべてを公開するこれこそが正式な挨拶であり、挨拶であるからには恥じることもまたなかった。

 ひと通り終えて、ンバセルクは一息ついた。短い鉄道旅のちょっとした問題にしては、驚きの答だった。

 確かに、王族が籍を抜けて市井に降りてくるというのはままあることだ。現王の治世もンバセルクが産まれる以前から長く。これからもまだ続くだろうと言われているから、玉座に興味のない王籍が溢れるように流出しているとは聞いている。

 しかしそれでも、同じグループに属するというのは予想だにしなかった。

 王族とはいえ昔のこと。多少の餞別は渡されるだろうが、市井に降りてしまえば庶民と同じだ。よくよく流出しているのに世話したりはしないだろう。それに親曰く。養育院の方針は他と同じだが、王宮の影響はやはり色濃い。養育院から学院へ直接行ける者など、政治学でも心理学でもない分野からはほぼ無いとか。

 それになんといっても、血の父が近くにいるのだ。あまりにも特異な環境である。子供というのは産まれてすぐ血の母から養育院へ引き渡されるものであり、血の父に至ってはまず何者かも知らないのが普通というもの。そんな存在が身近にある。合法だが、合法故に、あまりにも異質だ。

 ンバセルクは侮った自分を恥じた。栄えあるイライストラス学院への入学が叶い、自分は舞い上がっていたらしい。そうだ、このグループに属している以上ウェシナも合格者であり、人格や振る舞いまで合わせても相応しいと判定されたのだ。限られたものを求められる特異な環境で、そこから外れたもので成し遂げる。並々ならぬ情熱があったに違いない。

 謝らなくては。


「お前のことは正直言って、いきなり先生に馴れ馴れしく振る舞うから大丈夫かこいつと思っていた」

「んぅっ。そりゃあ、悪かったな。あそこから出られてせいせいしたっていうか、心が軽くなったっていうかな。いや、外に出てきたのは皆同じか」

「いや、いい。俺も内心で思ってたことを謝りたかったんだ。王宮出が、政治関連じゃない分野で入学直行。今は素直に感心してる。それにこうして同じ席に座って、行き先も同じ。志も同じだ。陳腐な言い方になるが、お導きがあったみたいじゃないか。だからどうせなら、腹を割って深く知り合いたいとも思った。遠い付合にはならないだろうしな」


 自然体な出方を悩んだりはしなかった。求めるのは反応であり、コントロールすることではない。ウェシナの事情を知り、自分の内心を吐露しても、まだ知り合って半日にもならない関係。それを深めるために材料が欲しかった。王宮に基づく諸々の妄想は巡れど、そんなものは捨てておく。経験を推し量るなど、今のンバセルクに出来ようはずもない。ならばと、ウェシナがやりやすいやり方を引き出せるように願って。


「……いいぜ。そういうのは嫌いじゃない。俺も先生の他に頼れる奴が居るとありがたいし、嬉しいな」


 知らず引き締まっていた口元が緩むのを、ンバセルクは意識した。深い鼻息が漏れる。


「そう言ってもらえると、俺も言い出した甲斐がある。良かった。ああ、本当に」


 いい天気だった。大窓から差込む陽光は森の緑を掠め取って温く、木漏れ日の煌きが瞼を押さえに来る。熱を持った編み草の敷物が芳しい。

 窓の方を向いたのは全くの無意識で、自覚以上の緊張があったのかもしれない。何に対してそんな緊張を持っていたのかはンバセルク本人にも見当つかなかったが。今は解放されてできた心の余裕に、穏やかで雄大な景色が沁みた。


「気が合ったみたいで、私としても安心したわ」


 二人の視線がツァリマーに集まった。寛容な振る舞いの中に、安心が満ちているように見える。


「実社会に出れば関係を構築する能力は不可欠。それが見られて、ちょっとだけホッとした気分よ。同じ拾遺学を学ぶ同士としても決して無駄にならないから、大事にしなさいね」


 一瞬の沈黙をはさみ、二人は頷いて。


「はい!」


 力強くそう答えた。

 拾遺学は冒険の道。人類が歴史の中で零したものを拾い集める記憶探しの学問。かつて繋がっていた糸を、未だ結びつかぬ糸を求める時。そこに待ち受けるものは一人で越えられぬこともある。

 今はまだ、僅かなやりとりを交わしたにすぎない。だがすでに零と一の間は過ぎて、名の全ても、顕出した特徴も、互いの知るところとなった。

 養育院を出て初めての知人。そして学友。ンバセルクがそうであるように、ウェシナもまたそうだろう。それが何より尊いものと思えた。


「よろしい。あら……」


 車内の賑わいがにわかに増し、ンバセルクとウェシナは身を乗り出した。仕切り板に遮られて仔細に見ることは出来ないが声は届く。ツァリマーも共に耳を澄ませて。


「……どうやら、学院が見えてきたみたいね。まだ少し時間はあるでしょうけど、もうすぐ旅も終わり。早めに降りる準備をしておきなさい」

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