新たな故郷へ2
森の中を進む事、三日目の早朝。
まだ朝霧の露が下草の葉を濡らす薄明かりの中を、快調な足取りで進む先遣隊一行の周辺の森はその木々の間隔を開けるようになり、先の視界が徐々に開けつつあった。
「きゅ~ん」
頭の上に陣取るポンタが欠伸混じりに鳴きながら、後ろ脚で器用に首筋を掻く。
やがて辺り一帯が見渡せるような草原地帯が広がる景色の奥、今立っている丘のようになった場所から少し見下ろす形で見える先の景色に大きな湖面が姿を現した。
否、湖だと知っているからこそ湖面と称せるものの、北に向かって大きく伸びている湖の水平線は南に屹立する風龍山脈から吹き下ろす薄霧にその視界を遮られ、奥が見通す事が出来ずに全貌を把握出来ない巨大さは、まるで海に出たような錯覚さえ覚える。
先遣隊一行などもその圧倒的に広がる湖と平野の景色に、誰しもが足を止めて思わずといった感じで景色に見入っていた。
「いい所ですね……」
今まで後ろを付いて来ていたチヨメが横に並び、頭上にのった黒い猫耳を震わせて目の前に広がる景色に目を細める。
その横で筋骨隆々のゴエモンが仁王立ちになりながら同意するように頷く。
「この先に見える少し湖に張り出した場所、あそこが最初の拠点に良さげだの」
少し前で周囲の景色を見渡していたピッタがそう言って一行が進む先を示した。
彼の示した先には巨大な湖に突き出るような形で地続きになっている島のような形状をした岬が見えた。
島の大きさはなかなかに広く楕円の形をしており、そこへ続く地続きの部分は細く長い為に島へと至る道が限定されている格好だ。
確かにあの場所ならば島の部分に生活の場を設けて、陸続きの部分に壁を築けば外敵の侵入を防ぐには楽な地形だと言える。
「まさに守るに易く、攻めるに難し──といった具合の地形であるな」
そう所見を述べると、ピッタはその凶悪そうな顔に笑みを浮かべて頷いた。
「うむ、あの地ならば少数でも最初の拠点を築くにはうってつけだの」
ピッタのその声に周囲の一行も同意を示し、まずは湖に浮かぶ島を目指す事になった。
開けた草原の少し先、湖までの道程の途中には大小様々な形をした幾つもの岩石群が立ち並ぶ一帯が目の前を横切っていたが、先遣隊の隊長であるピッタを初めとして全員がそれに構う事無く湖を目指して足早に進む。
しかしいよいよ岩石群の一帯に足を踏み入れようとしたその矢先、辺り一帯に地響きが起こると目の前の岩の一部が隆起する。
激しく岩が擦れ合うような音を響かせ、一行の足が止まったその瞬間──地面から長く赤いぬらぬらと粘性の高そう光沢を纏った触手が勢いよく飛び出すと、その触手はまるで意思を持つかのように、先遣隊の一番先頭周辺にいた大柄のロウズ目掛けて目にも止まらぬ速さで迫った。
しかしロウズはその二メートル五十もあろうかという巨体でありながら、素早い身の熟しで背中に担いでいた戦斧を手に取ると、その巨大な斧の腹を盾にするようにして迫る触手を弾いて見せた。
「ぐっ!」
衝突の瞬間、まるで重車両同士が正面衝突するような轟音が辺りに轟き、その衝撃で震えた空気が腹に響く。
ロウズの喉奥から漏れた苦悶の声が、衝撃の強さを如実に物語る。
彼女の巨体は衝撃で地面に溝を作って大きく後ろへと下がったが、触手が一転して再び地面の下へと戻ろうと引き戻され始めると、今度は彼女の巨体が持っていた巨大な戦斧ごと引き摺られ始めた。
見ると、先程の触手の衝突を防いだロウズの巨大戦斧の腹にはまるで接着剤でも付いていたかのように触手の先端が貼りついており、それが綱引きをするかの様にジリジリと地面の下に引き込まれていた。
「ロウズ殿!!」
その得体の知れないトリモチのような触手を睨み据えながら、咄嗟にロウズに合図を送るように声を掛ける。
その自分の声に反応するように、戦斧を腕力で押さえ込み、両の足で引き摺れる身体を支えていた彼女が此方に僅かに視線を向けた。
次の瞬間、自分は彼女の少し前に転移で移動し、持っていた『聖雷の剣』を抜き放って伸びきっていた触手に振り下ろした。
粘性の高い光沢を持つ触手は、神話級の武器の斬れ味の前に呆気なく寸断され、その断面から鮮血を撒き散らしながら残った触手が盛り上がった岩の下の地面に引き戻された。
「ギュロロロロォォォロロロォォン!!!」
一帯に木霊する奇怪な鳴き声。
と同時に岩石群の一部が爆音と共に空へと飛び上がり、その衝撃で生じた土煙が辺りにもうもうと立ち込め、舞い上がっていた岩石群が落ちる影を濃くしながら、地面の衝突と同時に爆風と共に土煙を吹き飛ばして地鳴りが響いた。
「やっぱり、グランドドラゴン!!」
その小山のような岩石群を見上げ、横へと駆け付けたアリアンが口走った。
その言葉に改めて正面に立ち塞がったモノを剣を構えながら見やる。
体長は十五メートル程、背中には幾つもの岩が生え、またその全身も堅い岩盤のような甲殻に覆われた巨大な身体は高さ五メートルもあった。
まるで剣山のような棘を持つ少し短めの尻尾に、頭部に張り出した巨大な両の目、巨体を跳ねさせる事が出来る程の強靭な後ろ脚は丁寧に折り畳まれ、それに反して前脚は少し細く頼りなげに見える。
「これがグランドドラゴン……」
山野の民の戦士の誰かが漏らした声が耳を打つ。
アリアンの装備している革鎧はグランドドラゴンの皮から作られていると以前に聞いていたので、彼女がその魔獣の姿を見間違えるという可能性は低い。
しかし自分がゲームの中で相対してきたグランドドラゴンと、目の前で大きな両目を忙しなく巡らせているグランドドラゴンと呼ばれたモノはあまりにも姿がかけ離れていた。
そして目の前のグランドドラゴンは大きく喉を膨らませると、先程辺りに木霊した奇怪な鳴き声を轟かせた。
「ギュロロロロォォォロロォォォォン!!」
その大音量に驚いたのか、ポンタが頭の上から転がり落ちるようにして慌てて肩へと降りて来て、その逆立った毛並みのまま首筋に巻き付いた。
空気を震わせる程の鳴き声を上げるその姿は、ある動物の姿を想起させた。
「……まるで巨大な岩のカエルだな」
自分の口から漏れた感想は、そのまま目の前のグランドドラゴンの姿を端的に言い表したと言える。しかしその大きな口から覗く鋭い牙が並ぶ様は、それが単なる大きなカエルではない事を如実に物語っていた。
その凶悪そうな口元に反してやや愛嬌の窺える大きな眼が此方の姿を確認すると、その瞳孔が僅かに眇められる。
次の瞬間、地面に衝撃を残してグランドドラゴンの巨体が目の前から消え失せた。
強靭な後ろ脚による跳躍──それが体長十五メートルもある巨体を遥か上空へと持ち上げて、その圧倒的質量を持って此方へと迫ってくる。
単純明快な物理攻撃。
しかしだからこそ、その攻撃は明確な脅威を持って脳内に警鐘を鳴らす。いくら優れた身体能力と防具があろうとも、それを真っ向から受け止める気など起きない。
否、起きさせないと言うべきか。
「アリアン殿、此方も飛ぶ! 【次元歩法】!」
傍らに居たアリアンの腕を強引に引っ掴むと、そのまま転移魔法を発動させる。
転移移動でグランドドラゴンが飛び去った地点へと瞬時に移動し振り返ると、今迄自分達が立っていた場所をグランドドラゴンの巨体が派手に押し潰し、周囲一帯に地鳴りを響かせていた。
衝撃波で舞った土煙がその着地点を中心に円状に広がり、視界を襲う。
視界を奪われれば短距離転移の【次元歩法】は使えない。
丁度今は転移した事によってグランドドラゴンの背後を取っており、しかも手応えが無かった事に気づいたのか苛立たし気に喉を鳴らして足元に注意が向いている。
まずは魔法で土煙を晴らして視界を確保するか、それともこのまま距離を詰めて剣で不意を突くか──その一瞬の思考が頭を過る中、他の者達の動向を把握しようと視線が周囲を彷徨う。
すると立ち込める土煙の中から三人の人影が躍り出て、グランドドラゴンの側面の甲殻へ手に持ったメイス状の鈍器を叩きこんでいた。
その最初の一撃を入れた者達は隠れ里の戦士達だ。その中にはロウズにギン坊と呼ばれていた青年の姿もある。
しかしグランドドラゴンの甲殻は流石と言うべきか、その物々しい名前に恥じぬ頑強さを誇っており、彼らの渾身の一撃も表面の岩石状の甲殻が少し砕けただけに留まった。
足元に気を取られていたグランドドラゴンはその一撃に不快気に喉を鳴らすと、彼らを叩き潰そうと狙いを定めて身を捩り、再び強靭な後ろ脚に力が籠められる。
そこへ今度は死角となった反対側の側面からロウズが飛び出して来て、その手に持った巨大な戦斧をグランドドラゴンの後ろ脚付近へと叩き込んだ。
「こいつでも喰らいな!!」
ロウズの勇ましい気合の声と共に、戦斧の刃がグランドドラゴンの肉体に食い込み、派手な血飛沫が上がって彼女の身を赤く汚す。
どうやら発達した頑強な甲殻を避け、関節部の比較的甲殻の薄い場所を狙ったようだ。
「ギュロロロロォォォロロロォォン!!!」
グランドドラゴンの苦痛に呻く咆哮が辺りに木霊し、その巨体が態勢を崩して斜めに傾ぐのを見てロウズがその場から素早く退く。
巨体が地面に沈む衝撃が周辺に立ち込めた土煙を飛ばすと、そのグランドドラゴンに向けて武器を構え、目にも止まらぬ速さで疾駆するピッタの姿が露わになった。
ピッタはその身に宿す獣の如くグランドドラゴンの背にある岩山を軽々と踏み越え、その両手に握られた二本の曲刀を閃かせながら、日の光を背に負うように高く跳躍する。
その彼の顔には兎とは似ても似つかぬ凶悪な笑みが零れ、標的の顔へと狙いを定められた曲刀が吸い込まれるようにしてグランドドラゴンの片側の目に深く突き刺さった。
「ギュロォオォッォオォォォォロロロォォン!!!」
絶叫にも似た咆哮が耳を劈き、十五メートルの巨体が横倒しになると、ピッタは素早く曲刀を抜いてその場から飛び退く。
グランドドラゴンは目に負った傷がかなり効いたのか、まるで狂ったようにその四肢をばたつかせて地面の上を暴れまわり始めた。
巨大な身体を持つ魔獣が闇雲に暴れ回るそこへ新たな二人の人影が迫った。
一人は筋骨逞しい巨躯ながらそれを一切感じさせない素早い足運びを見せるのは刃心一族の六忍の一人ゴエモンと、そのやや斜め後方から回り込むようにグランドドラゴンへと迫るのは先遣隊内のもう一人の六忍であるチヨメの二人だ。
ゴエモンはその手に一切の武器を持たず、ただ両手に嵌めた金属製の籠手を互いに打ち鳴らすと、その身体全体に淡い光を纏った。
『土遁、爆砕鉄拳!!』
ゴエモンの低く通る声が発せられると、彼の肩から先の両の腕がまるで金属のような鈍色の光沢を放つ腕へと変化する。そしてそれを暴れ回るグランドドラゴンの動きに合わせて僅かに晒された腹部へと容赦無く叩き込んだ。
まるで自分の腹を殴られたような鈍い衝撃が響き、グランドドラゴンの巨体が僅かに屈曲して動きが止まる。その隙を逃す事無く走り込んできたチヨメが、兎人族のピッタにも勝るとも劣らぬ跳躍力でグランドドラゴンの頭部へと跳ぶ。
『水遁、水槍尖!!』
チヨメが構えたその右手に僅かに光が宿ると、そこからまるで蛇のようにうねる水流が生み出されて、その形はたちまち一本の長い槍状に変形される。
それを持ったままチヨメは空中で器用に態勢を変えると、ピッタが刺し貫いた反対側の目に狙いを定めて思い切りよく投擲した。
槍を模った水流がチヨメの手を離れ、まるで巨大なクロスボウの矢のような勢いでグランドドラゴンの残された片方の目へと吸い込まれていく。
肉を刺し貫く鈍い音が鳴り、グランドドラゴンの四肢が一瞬だけ震えて止まる。
そして糸の切れた人形のように四肢を弛緩させると、その文字通り岩山のような巨体を大地の上に横たえた。
チヨメの放った水の槍は眼を貫き、脳内まで達したのだろう。両の眼から赤黒い血を垂れ流し、それが大地を赤く染めるに従って急速にその生の鼓動が小さくなっていく。
「さすがに精鋭として選ばれただけの事はあるな……。我の出る幕が無かったな」
構えていた剣を鞘へと戻しながら一息吐くと、隣で同じく剣を構えていたアリアンも同意するように頷いた。
「それにグランドドラゴンの舌に絡められて耐えられる身体能力は流石ね……」
アリアンのその称賛は戦斧を軽々と肩に担いで倒れ伏したグランドドラゴンを見上げるロウズへと向けられていた。
その声が聞こえたのか、ロウズが此方を振り返ってその逞しい二の腕に力こぶを盛り上げて見せて笑顔を作った。
アリアンも種族特性なのか腕力は普通の女性より格段に高いほうだが、熊人族のロウズのそれはまさに桁の違う膂力だと言える。
腕相撲なら自分といい勝負が出来るかも知れないと思わせる程だ。
「それにしても、擬態して獲物を待ち伏せるとは油断ならぬ魔獣だな。まさかこの先の岩場が全て此奴だと思わぬが、このまますんなりと通れるのだろうか?」
先に広がる岩場を見据えながらそんな事を零すと、隣に居たアリアンがその尖った耳を僅かに動かして周囲を探るようにしながら此方の独り言に答えを返してきた。
「グランドドラゴンの縄張りはそれなりに広いから、周囲に見える岩場に他の個体がいる可能性は低いわ。時々番がいる場合もあるけど、さっきの騒ぎを聞きつけて姿を見せない所を考えるとその可能性も低いと思うわよ」
その彼女の説明に納得して首肯しながら口を開こうとしたが、先にその会話を引き継いだのはいつの間にか此方へと近づいて来ていたピッタだった。
「これだけの大物の縄張りなら暫くは安全じゃろな。せっかくの獲物だが、今は先に進んで湖に拠点を設ける事を優先するとしよう。アーク殿は今回の一番槍じゃな、これの素材で入用な物は何かあるかね?」
そう此方に尋ねて、後ろに横たわるグランドドラゴンへと視線を向ける。
自分もそれに釣られるようにして視線を移し、次いで隣に立つアリアンの胸元にあるグランドドラゴンの革から作ったという鎧に視線を向けた。
自分には『ベレヌスの聖鎧』という神話級の防具があるので、今更グランドドラゴンの革鎧など必要ない。貰ったとしても売って金に換えるくらいしか用途が思いつかない。
アリアンが此方の視線に気づき、何故か胸元を両手で隠して此方を軽く睨む。
「うむ、我は特に必要とする物はないな。此奴の肉は食べれるのか?」
視線をピッタの方へと戻して返事をすると、ピッタは少しばかりを目を丸くした後、その凶悪そうな顔に不敵な笑みを浮かべた。
恐らく普通に笑ったのだろうが、何か企んでいるように見えるのは彼の仕様なのか。
「アーク殿にとっては今更これで武具を揃える必要もないであろうな。それと、肉はまぁ食べられん事もないが……たいして美味くはないな。背中の岩瘤もいらんか?」
そのピッタの問いに首を傾げる。
グランドドラゴンの背中に生えるようにして付いている岩石は、見たまま岩石だ。何かに使えるようだが、岩石の用途で思いつくのは庭石くらいだ。
──いや、露天風呂の傍に日本庭園でも造るか?
「アリアン殿、あれは何に使うのだ?」
とりあえず正規の用途を聞いてから判断しようと、アリアンに話を振る。
「エルフ族では建材に使うくらいかしらね……」
その彼女の返答の意外と堅実的な用途に少々肩透かしを食らう。もう少し何かファンタジー的な用途があるのかと思ったが、ますます以って庭石程度にしか用途がない。
だがあの拠点はまず庭を弄るより、社の修繕の方が急務だ。
特に必要性を感じないなと思考しているそこへ、いつの間にか話を聞いていたチヨメが近くに寄って来て他の使い道を提示してきた。
「あれは人族の街ではなかなか高値で売れますよ。なんでも貴族が屋敷に飾る彫刻などの最高級素材の一つだそうです。売ったお金があれば何かと調達する資金になります」
「へ~、知らなかった」
その彼女の話に、アリアンは感心と驚きの声を上げながらも少々首を傾げていた。
エルフ族の間では特に建材の用途でしか用いられない物が、人族の社会では高級な素材として扱われている事に驚きと違和感を覚えたのだろう。
恐らくこのグランドドラゴンの背中の岩は、人族にとって象牙のような代物なのだ。
「ふむ、ならばその資金で社を修繕する資材を街で調達出来るかもしれんな……。であれば、御言葉に甘えて少し我の取り分も頂戴するとしようか」
そう言って相槌を打つと、ピッタが満面の笑みを浮かべて右手を差し出した。
「決まりだな。とりあえず今はこのデカブツをここに置いて、先に湖の拠点を確保するとしよう。アーク殿に仲間を呼んで来て貰わんと、こいつの移動も何も出来んからな」
「うむ。では荷物を纏めて先を急ぐとしよう」
自分もそのピッタの右手を握り返して首肯した。




