これは薬草ですか? いいえ魔獣です1
翌朝、表の喧噪で目を覚ます。
前回と同じ宿に一泊したのだ。相変わらず寝る時の恰好は、ベッドに腰掛けて壁に寄り掛かるスタイルだ。
固まった身体を解して、荷物を担ぐと一階に降りて行く。
今朝もカウンターには誰もいない。そのまま扉を開けて外の大通りに出ると、今日は東門に向って街を進む。
今日は、昨日傭兵組合所で受けた依頼の為に、ここから馬で半日の距離にあるラタ村に行く必要がある。
朝市の開かれている中を進む中、焼いたパンを売っている店を見つける。パンの種類は一つのみで、表面の質感はフランスパンで、形は大きいメロンパンの様なパンだ。一つで銅貨二枚、昨日買ったうさぎ肉の香草焼きと同じ値段だ。結構高いが試しに買ってみる。
そのまま朝市を抜けて、東門前の水路で水筒の水を入れ替える。東門前の小広場では複数の武装した人達が屯していて、こちらをチラチラと窺う視線が刺さる。この街を拠点にしている何処かの傭兵団の連中なのかも知れない。
東門では昨日と同じく、通行証を出して門を抜ける。水堀の上の石橋を渡ってすぐの小麦畑と水堀の間の畦道を、街壁沿いに北に向って歩く。時々、畦道を行く農民達が頭を下げて道を避けるので大仰に頷いてその前を通る。何処ぞの高貴な騎士と思われているのだろう。
ルビエルテの北側に来ると、畑の中に畦道よりは広い北へと伸びる道が現れる。その道に沿って北へと歩みを進める。畑を抜けて、人通りがなくなると、いつも通りに【次元歩法】で転移をしながら進む。
教えられた道順は、北への道にある最初の目印の場所に、左へと入る分かれ道があると言われた。しばらく進むと、視界の先に丸太の杭が道の脇に刺し込まれていた。
その脇には下草を踏み締めただけの、獣道のような道がずっと北西方向に向かって伸びている。その道を辿って転移を繰り返して行くと、やがて木の柵と空堀に囲まれた畑が見えて来る。
その先、畑の向こうには盛り上げた土壁とその上に丸太を縛って作った木壁に取り囲まれた集落が見える。集落は水掘りがぐるりと取り囲み、門の部分は丸太杭を横に並べて縛った門扉を、頑丈な縄で上に吊り下げているようだ。敵が来たら縄を切って門扉を落す仕組みらしい。
その門の前には、あまり出来の良くなさそうな槍を持って老人が二人、座って話に興じている。
こちらが歩いてやって来るのを、一人が見つけると慌てて相方に知らせているのが見える。二人の老人がこちらを見て何やら身振り手振りを大きくして協議しているようだ。
そして一人の老人が槍を杖にしながら、曲がった腰でドタドタとこちらに駆けて来る。
あまり頼りになりそうにない門番だな、と正直な感想が頭に浮かんでくる。
「き、騎士様! こ、この様な辺鄙な村に、何ぞ御用でありましょうか?」
「うむ、そう畏まる事はない。我はただの傭兵よ。ここラタ村のマルカ殿の依頼を受け、今日は足を運んだまでの事」
「マルカ? セオナのとこの上の娘っ子ですかい?」
「マルカ殿のお宅へ案内を頼めるかな、ご老人?」
「へ、へい! ではこちらへどんぞ」
大仰に返事をした後、門番の老人の後ろに付いてラタ村へと入る。老人は門扉の所にいたもう一人の門番に大丈夫とのニュアンスを示すと、そのまま村の奥へ入って行く。
村内に入ると村人の視線が一斉にこちらへと集中する。余所者が珍しいのと、この全身鎧のせいで警戒されているのかも知れない。もうそれはこの際、何処へ行っても一緒な気がするが……。
村内の家は、街にあった木造家屋的な雰囲気はなく、どちらかと言うと山小屋風味の家が立ち並んでいる。
その内の一軒に老人が近づいていき木戸を叩くと、中の住人に呼び掛ける。
「セオナさん、いるかいっ!? あんたとこにお客さんが来とるよっ!!」
中で女性の返事が聞こえると、しばらくして木戸がそっと隙間を開ける。しかし開いた隙間からは誰も見えない。
視線を下げると、そこには十歳くらいの女の子が隙間からこちらを覗いていた。
「おうっ、ヘリナか? おっ母さんはいるかい? こちらの騎士様が御用だそうだ」
老人の質問にヘリナと呼ばれた女の子は小さく頷くと、木戸を開けて中へ入るように促してくる。
「では騎士様、わしはこのへんで……」
それだけ言って老人は門の方へと戻って行った。
「ではお邪魔する」
家の中に入ると、すぐ脇には土を突き固めた場所に火を炊く為の石組みがあり、その上に鍋が吊り下げられている。いくつかの木製の食器類が簡易的な戸棚に並べられて整理されている。
奥の床には平らな石が床に敷き詰めらていて、その上に木製の家財道具が配置されているが、その数はあまり多くなく、手前にテーブルと椅子四脚、奥にベッドが二組と衝立くらいだ。
テーブルの前で不安げな眼差しで見つめてくる少女は、くすんだ金髪の癖っ毛を少しおかっぱ気味に切り揃え、ブラウンの大きな瞳は奥の衝立とこちらを交互に見ながら忙し気だ。
すると衝立の奥のベッドから一人の女性が少し覚束ない足取りでこちらに歩いて来る。少女と同じく金髪の癖っ毛で、長くした髪を後ろで束ねて肩口から垂らしている。瞳は綺麗なブルーで表情はおっとりとした雰囲気、少しそばかすのある顔は青白い。身長百七十センチ程で、大きく張り出した胸が繕いの多いワンピース風の服に包まれている。
「ヘリナの母、セオナと言います。あ、あの、失礼ですが家に何か御用でしょうか? 家には騎士様と関わるような御縁などなかったように思うのですが……」
「我はアークと申す。騎士などではなく、ただの傭兵よ。そう畏まらず楽にしてくれて良い。ご婦人は足を悪くしておるようだな、座って用件を話そうではないか」
「あ、ありがとうございます……。それで家に御用とは?」
母セオナは礼を言って、テーブル前にあった椅子に静かに腰掛ける。それを見てからこちらも椅子にどっかりと腰を掛ける。
頑丈な椅子で良かった。
彼女の用件の問いに、荷物袋から依頼の木札を出してテーブルの上に置くと、彼女の前に差し出す。
「我が名はアーク、傭兵組合で依頼を受けてな。依頼主がこちらのマルカ殿だと聞き及んでいる。マルカ殿はご在宅か?」
「え? あの子がそんな事を?! マルカは今、外の畑に出ていまして……、昼頃には戻ると思いますが」
生憎、今は依頼主の女の子が外に出掛けていて留守の様だ。お昼頃ならそんなに間を置かずともすぐのはず。ここで少し待たせて貰うとしよう。
「では暫しこちらで待たせてもらおう。……時にご婦人、その足は怪我か何かで?」
待つ間の退屈凌ぎに、当たり障りのない会話を試みる。彼女は自分の左足に巻かれた包帯の様な布に手を当てて、少し心苦しそうな表情をする。
「ええ。最近、大きな魔獣が近くに出まして……。逃げる際に足を怪我してしまい、今は畑の仕事をマルカに頼っている有様でして。でも私はまだ良かった方です。その時の騒ぎで村の者が一人亡くなってしまいましたから……」
何やら話題の選択を間違えた様で、家の中の雰囲気がどんよりとしてしまった。母親の背に隠れながらこちらを窺っていたヘリナも、母親の雰囲気に合わせてしょんぼりとしてしまった。
そう言えば、怪我なら回復魔法で治せないだろうか? 自分のサブ職業は教皇だった。これは補助系職業の代表、僧侶の上級職だ。回復から呪いの解除まで出来る事が多岐に渡る。
いや教皇のジョブで使う様な強力な回復魔術ではなく、僧侶の初期の回復魔術でまずはどれ程効果があるか見ないといけない。
こっちに来てから怪我などしてないので、自分で回復魔法を試していなかった。使ったのは魔法士の攻撃魔法スキルの【火炎】くらいだ。
「ご婦人、良ければ少し足を診せてもらえぬか。我も久しぶり故、成功するかわからぬが傷を癒す術を心得ておる」
「え? い、いえ、その……」
母親はこちらの提案に戸惑いがちに声を出す。
無理もない、今日会ったばかりの、しかも全身甲冑の顔も判らない相手から、いきなり足を見せて欲しいと言われれば拒否したくなるのも頷ける。
しかし、幼いヘリナは違ったようで、母親の足が治ると聞いて真剣な眼差しで見つめながら、一生懸命に母親の怪我した足を両手で持ってぐいぐいと差し出して来る。
これには母親のセオナも苦笑しながら、観念した様子でこちらを伺う様に見る。
それに首肯して、娘によって差し出されたセオナの足に右手を翳して魔法を発動させる。
【治癒】と、そう軽く念じると右手から柔らかな光が溢れて、怪我をしているであろう足にその光が収束していき、やがて弾ける。
その光景を母娘二人が茫然と見ていたが、ヘリナが母親の足に巻かれていた包帯布を取り外しにかかる。包帯布の下から現れた足はまるで何事もなかったかのように綺麗な状態だった。
「ママっ! 怪我ない! 傷ないよ!!」
ヘリナの顔が先程と打って変わって、まるで電球が光るかのように笑顔を灯し、ぴょんぴょんと跳ねて嬉しさを体一杯で表現している。
そんな笑顔を見てセオナも娘の頭を撫でながら嬉しそうにしていたが、やがて頭を深々と下げて礼を言われる。
「ありがとうございます。アーク様はさぞご高名な神官様でいらっしゃったのですね。まさかあれ程の傷が痕も残らないなんて信じられません……」
「いや、我も久しぶりゆえ、あまり自信はなかったのだがな。傷が癒えた様で何よりだ」
久しぶりも何も、現実で回復魔法を使うのは今回が初めてなのだが、そこは何となく適当に誤魔化しておく……。
それにしても彼女の反応から見る限り、回復魔法を使う人間は一定の認知度があるようだ。ただ絶対数はそれ程多くないのかも知れない。
「ただいま~お母さん」
そこへ、畑に出ていた長女のマルカが帰宅した。農具を入れた籠を戸口近くに置いて、こちらを不思議そうに見つめる少女。身長は百五十センチ程で、髪は明るい茶色でサラサラとした髪を後ろで三つ編みにして肩下まで垂らしている。大きな瞳は母親と同じく綺麗な青い瞳だ。日に焼けて健康的な色をしている。
「マルカ、あなた傭兵組合に依頼出したの? こちらの方があなたの依頼を御受けになったと見えられてるわよ。あなた、一体何を依頼したの?」
「あ! 私の依頼を騎士様が受けてくれたの?! 依頼は薬草採取の時の護衛だよ」
「なっ、ダメよっ! 薬草の採取なんて危険でしょ! それでなくても最近魔獣が多くなってるのよっ?!」
「でも……、報酬と依頼料も支払っちゃったし……。」
依頼した内容を娘から聞いた母親は、厳しい口調でそれに反対した。マルカは依頼報酬と依頼料を支払ったとの事で難色を示す。このまま依頼人が依頼を放棄した場合どうなるんだ? そんな益体もない事が頭の中に湧いてくる。
「そうだわ! ママが代わりにその薬草の採取に森に入るわ!」
「ちょっと待ってお母さん! お母さんは、足怪我してて無理でしょ!」
「それがね、聞いて、マルカ! 騎士様がママの足の怪我を治して下さったのよ! だから森に入るのも大丈夫よ!! ほら」
母のセオナはそう言って、先程治癒した足の怪我のあった場所を、スカートの裾を少し捲ってマルカに見せる。マルカは少し驚いた顔をしてその怪我のあった足と、こちらを交互に見る。
「って! お母さんの足が治ったのは嬉しいけど。お母さん、薬草の種類とか生えてる場所とか知らないでしょ! そんなんじゃ全然ダメじゃないっ!」
どうやら母親の方はあまり薬草の知識に明るくないらしい。このまま母娘で討論してると日が暮れてしまいかねない。
「護衛として我も尽力する故。母上殿には足の怪我の経過を見て貰わねばならぬ」
「はい、決まり!! 騎士様、森まで案内します!」
マルカは早口で一方的にそう告げて、部屋の隅に置いていた籠を取って戸口から出て行った。
自分もそれを追って、荷物を持って家を出る。家を出る時、セオナからは娘をくれぐれも宜しくお願いします、と言われた。いざとなれば【次元歩法】でマルカを抱えて逃げの一手だ。
村内を見廻すと、マルカが村の門傍でこちらに手を振っていた。荷物を担ぎ直し、そちらへと向かう。マルカと一緒に村の門を潜り、村の外壁に沿って北側へ移動する。
「騎士様、依頼を受けてくれてありがとう。本当は今回の薬草採取の半分の理由はお母さんの足の怪我だったんだけど、騎士様が治してくれたから理由が一つになっちゃった」
マルカはそう言って、少し可笑しそうに笑った。
「ふむ、もう一つの理由とは?」
「うちね、前の年にお父さんが病で死んじゃったんだ。私も畑なんか手伝ってるけど結構大変でさ。薬となる材料の薬草は街で割といい値段で買って貰えるから、お母さんに少しは楽させてあげられるかなって……。毎年お父さんと薬草を採って、薬にしたりして売りに行ってたから、それでね」
「では母上殿にたっぷり楽をして貰うには薬草を沢山集めねばならんな。して、これから向かう先はかなり危険なのか? 」
「これから行く森はね、風龍山脈の南西の麓に広がる森でね、奥に行くとワイバーンとかグランドドラゴンとか居て危険だけど、手前の方ならまだ大丈夫だよ。それでも他の森に比べて魔獣が多いから長居すると危ないんだけど」
マルカの後ろに付いて歩みを進めながら、これから向かう森の説明を聞く。どうやら北東の方向に見える切立った山々がその風龍山脈なのだろう。遠く離れた場所に白い山頂部が見え、その峰々がずっと北東方向に連なっている。
しばらく進むと辺りは雑木林になり、歩を進め奥へ行く程、周辺の木々の圧力が増してくる。先を行くマルカが何かを見つけて、動かす足が速くなる。
そこは周りの土地より少し陥没した箇所で、底の地面にはゴツゴツとした岩がいくつも転がっている。その岩の間を縫うように地面に根を下ろした小さな植物が絨毯の様に生えていた。
マルカはそこへ下りて行くと、地面に根を生やしたその植物を引っこ抜いて持って来た籠に入れだした。その植物は小さな蓮の葉が無数に分かれた様な形だった。
「これはココラって薬草だよ。傷の回復と皮膚病なんかに効果があるんだ」
薬効の説明をしながら、三つ編みの髪をぴょこぴょこ揺らしながら地面に生えたココラを採取していくマルカ。辺りを見廻して様子を探るが、近くに獣や魔獣の気配はないようだ。
薬草採取を手伝う為に、自分も窪地に降りてココラを毟り始める。そんな様子を見ていたマルカが可笑しそうに笑った。
二メートルはある鎧姿の男が地面に座り込んで草を毟っている姿は、客観的に見て結構おもしろい姿だろうなと自分でも思う。
一時間程すると籠に半分程のココラが集まった。まだ窪地には沢山のココラが生えていたが、マルカは次の採取地を目指すと言ってきた。どうやら今回はそちらの採取の方がメインと言う事らしい。
再び森の中へと分け入り進んで行くと、下草の勢いが増し、木々の葉がその密度を濃くしていく。森に生息する野生動物の多くは、こちらの存在に気付くと踵を返して逃げ去っていく。魔獣の類とは今のところ遭遇していない。
暫く森の中を進んでいると、急に開けた場所に出た。なだらかな傾斜が広がっており、斜面には所々に綿毛の様に広げた枝一面に白い花を咲かせた樹木が、ぽつぽつと点在している。その木々からは芳しい香りが立ち昇り、それが風に乗って運ばれてくる。
「やった! ちょうど花が満開の時だ! コブミの木が真っ白になってる!!」
嬉しそうに声を弾ませて、喜びのステップを踏みながら立ち並ぶコブミの木に一目散に駆け出すマルカ。それを慌てて声を張ってマルカの行動を静止させようと試みる。コブミの木の向こうに見えた岩の様な塊、しかしそれは山に鎮座する岩等ではなく、れっきとした生物が放つ気配を宿していた。
「マルカ殿、待たれよっ!! 何か潜んでおる!!!」
「え?」
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