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黒い夢

 気が付いた時、自分が何故ここにいるのかまるでわからなかった。


 そこは一面緑の草葉に覆われた森林地帯だった。

 まだ日は高く、時間的に昼過ぎくらいだろうか──緑の枝葉を吹き付ける風が撫で、木々の騒めきが岩に腰かけた自分に降り注ぐように耳に木霊する。

 吹き付ける風には緑の青臭さと、湿った土の薫りが混じり合い鼻孔に届く。そしてその風は周囲にある森の木々の枝葉を揺らしながら空へと駆け上がっていく。


 思わず腰掛けた岩から立ち上がって、その周囲の見慣れぬ景色に視線を滑らせる。

 ──何故自分はここで一人で座っていたのか。


 直前までの記憶を思い出そうとして、自らの格好にようやく気が付いた。


 闇一色で染め抜いたような全身を覆う漆黒の外套に、両の手には不気味な彫刻が施された手甲を嵌めている。

 そしてその手に握られていたのは禍々しい意匠が象られた一本の大きく長い杖だった。

 その全身の装備を傍から見れば典型的な魔導士といった様相だろう。


 自分のその姿に疑問を感じながらも、身体は自分の意思に反して動き始める。


 自ら掲げた杖の先に黒い炎が宿り、その炎の塊が前触れ無く射出されると、手近にあった森の一本の木にぶつかって一瞬にしてその木を燃え上がらせた。

 黒い炎が激しく逆巻き、やがて燃え尽きた木は炭化したその身を横たえて粉々に砕け散らせると、その黒い煤を風が攫って周囲の森へと振り撒いた。


 黒い炎、その力に満足して改めて手に握られた大きな杖を天に翳す。


 一頻り周囲の森の木々を生贄に、自らの魔法の力である黒い炎を存分に行使すると、やがて空地となったその場を後にして森の中を彷徨い始めた。


 何処も彼処も生い茂る下草と木々の枝葉に視界を遮られ、目に映るのは変わり映えの無い景色ばかり──それでもその道なき森の中を黙々と進んで行くと、やがて一本の土を踏み固めただけの簡素な道を見つける事が出来た。


 森の木々が切り開かれた事によって、道の先の遠くの景色が目に映る。


 すると再び掲げられた杖の先から、今度は黒い球体状のモノが生み出されると、それは一気に膨張して自らの身体を飲みこむ。

 それはほんの一瞬の出来事で、再び黒い球体が縮み消失すると目の前の景色に若干の変化が見られた。


 そして後ろを振り返り、それがどういった意味を持つのかを知った。


 先程森の藪から出て来た場所が、自分の後ろ数十メートルの場所に存在していた。藪から出る際に踏みつけた低木や下草の跡がこの位置からでもはっきりと確認出来る。

 どうやら先程の魔法は転移魔法のようだ。


 その移動手段に満足してか、今度はやや軽い足取りで転移魔法を使いながら森の中を走る一本の道を辿っていく。

 やがて木々が切れ切れとなり、辺りの景色が開けた場所へと出た。


 目の前には開けた丘陵地帯が広がり、そこを蛇行するように走る道は森から伸びていた道と合流する形で先へと続いている。


 空を見上げると僅かに中天を過ぎた位置に太陽があった。

 森の道から丘陵地を縫うように伸びる道へと出ると、そこから道を辿りながら転移魔法を使って道なりに進んで行く。


 やがて道の先に一台の豪奢な箱馬車が道の脇に停車しているの見えた。


 しかしそれは周辺に見える長閑な風景の続きなどではなく、そこには一目で分かる程に緊迫した雰囲気が漂っていた。

 停車した箱馬車にはいくつもの矢が刺さり、御者台に座り込んでいる人もそれは例外ではなかった。四頭立ての馬の内一頭も矢を受けた傷が原因か、馬車に繋がれた状態で力尽きて首を垂れているのが見える。


 そしてなにより、その馬車の周囲には剣と盾を持って攻防を繰り広げる複数の男達の姿が目に入った。

 一方は揃えの軽鎧を身に纏って馬に跨った男達で、持っている剣や小盾なども統一された装備で馬車を背に戦っている様子から馬車の護衛達なのだと分かる。


 一方もう一つの集団は、その護衛達を取り囲むようにして襲い掛かっている者達で、持っている武器も装備もばらばらで統一性がなく、その薄汚れた風体はどう見ても山賊や盗賊の類にしか見えない。

 その盗賊集団は馬車の護衛達の倍以上の数もおり、その数の力で護衛達を押し込みながら馬車を襲おうとしていた。


 既に事態は一刻の猶予もない状態まできており、護衛達が一人また一人と盗賊達の手に掛かって地面へと倒れ伏していく。

 このままここでその様子を眺めているだけであれば、ものの数分で馬車は盗賊達の手に落ちるだろう。


 馬車から離れた位置に立つ自分は手に持った禍々しい杖を構えると、その杖の先から黒い球体が生み出されて身体を覆い尽くす。

 次の瞬間には馬車の襲撃現場の後方百メートル程の位置まで接近していたが、馬車を襲っている盗賊連中は勿論、護衛兵達もまだ此方には気付いていないようだった。


 再び杖を構え、杖の先から黒い炎を燃え上がらせると、その炎の塊を幾つも盗賊連中へと向けて解き放った。

 黒い炎の塊は狙いを過たず盗賊達に着弾し、その炎を燃え上がらせて火達磨へと変え、その(ことごと)くを物言わぬ炭と骨の(むくろ)へと変貌させていく。


「ぎゃぁぁぁあぁぁあぁあぁあぁぁぁ!!!」


 血気の逸った盗賊集団が、己の隣の仲間が急に炎に包まれて絶叫上げてのたうち回る姿に場は混迷して狼狽えだす。

 護衛の兵達も一瞬何が起こったのか分からず、次々と盗賊達が炎にくるまれていく様をただ茫然と眺めている。


 そして一人の盗賊が此方の姿を見て、指を差して大声を上げた。


「あいつだぁぁぁぁぁ!!! 魔法師がいるぞぉぉぉぉ!!!」


 その声に盗賊達の何人かが振り返り、その勢いで武器を持って襲い掛かって来た。

 しかしそのほぼ全て者達が、こちらに接近する前に自分の炎の攻撃を受けて地面に黒い灰を降り積もらせて己の骨を晒していく。

 そうして残っている盗賊達も火炙りにしながら、襲撃現場である目の前の馬車へと歩みを進めて行く。


 人が目の前で焼け爛れていくその姿は筆舌に尽くしがたい凄惨な光景だが、その事に微塵の動揺も憐憫も示しはしなかった。


「お頭! あいつとんでもなくヤベェ!! 逃げた方がいい!!」


 盗賊の一人が近くに居た大柄な背格好の男に怒鳴るように声を掛けて、こちらの姿を横目で確認すると一目散に背を向けて走り出した。

 自分は杖の先に黒い炎を灯すと、その逃げ出した男に向かって炎を放った。

 男は背中から炎に巻かれて倒れ、そのまま地面に黒い炭跡を残して骨になり果てる。


「くそっ!! なんなんだ、テメェ!!」


 お頭と呼ばれていたその大男は、手に持っていた武器を此方に向かって投げつけ、怒気を孕んだ苛立ちの声を上げた。

 その投げつけられた武器は真っ直ぐに此方に飛来し、被っていた闇色の外套のフードをかすめて後方の地面に突き立つ。

 外套のフードが肩に落ち、此方の顔が人の目に晒される。


 すると一瞬の間が空き、周囲の者達の息を呑むような空気に包まれた。


 そして此方が僅かに身動ぎした瞬間、彼らは弾かれたように行動を始めた。盗賊達は悲鳴と共に蜘蛛の子を散らすように逃げ始め、馬車の護衛をしていた者達は一斉に号令を掛け合って馬上から此方に目掛けて矢を放ってきたのだ。


 距離が詰まっていた事もあって、直線で放たれた矢は幾つも身体に向かって突き立つ──かに思われたが、闇色の外套に当たった矢はそれを突き破る事なく力を失って地面に落ちて乾いた音を立てる。


「何故だ?」


「!?」


 襲われて窮地に立たされていた者達に助勢したにも拘わらず、そのあまりにもな仕打ちに護衛達に向かって声を掛けると誰もが驚愕に目を見開いて僅かに後ろへと下がった。


「お前たちは馬車と共に先に行け!! 二人は私と共に奴の足止めだ!!」


 護衛の隊長格と思しき人物の命令に、近くに居た二人の護衛が剣を抜き放つ。その後ろで他の護衛達が動けなくなった馬を馬車から外して御者席へと飛び乗る。

 此方がその様子に前に一歩踏み出すと、馬上の隊長が大音声を上げて剣を掲げた。


「これ以上は近寄らせんぞ!! お前たちは左右から挟み込め!!」


 そう言うや否や護衛隊長が馬の腹に踵を打ち込むと、馬が前脚を上げて宙を掻いてすぐに此方へと突進を始めた。

 それに呼応するように両隣にいた二人も弧を描くようにして左右から迫って来る。


 その動きに気を取られて目をやった時には、護衛隊長の振りかざした剣の閃きが間近に迫っていた。それをすんでの所で転移魔法で躱すが、今度は左右から走り込んで来ていた二人の護衛兵達の攻撃が背中に襲い掛かってくる。

 それを一人の攻撃を躱し、もう一人の剣の薙ぎ払いを持っていた杖で払い落として向き直ると、護衛隊長がその隙を突くように馬上から飛んで剣を打ち下ろしてきた。


 乾いた金属音が響き、護衛隊長の剣と杖が火花を散らしながら噛み合う。


「面妖な魔法を使う化物めっ!!」


 鬩ぎ合う剣先を身体ごと押し込むように踏み込みながら、護衛隊長が額に青筋を浮かべて此方を睨みつけて言葉を吐く。

 ぎりぎりと力を籠める護衛隊長の睨み据える眼が間近に迫り、その相手の瞳の中に映る自分の姿が見えた。


 そこ映し出されていたのは髪も皮膚も肉の一片すら無い人の頭蓋骨で、その空虚な眼窩の奥にはまるで人魂のように灯る赤い焔が爛々と怪しい輝きを放っていた。


 その自分の姿に驚き、目の前の護衛隊長を杖で弾き飛ばして空いた自らの手で顔面にそっと触れる。

 僅かに震える指先に触れるその感触は、皮膚の柔らかく温かい感触などは無く、冷たく堅い骨の一部をなぞるばかりだった。


「土へと還れ、不死者(アンデッド)!!」


 しかし此方が驚きに呆然とした隙を見て好機と判断したのか、護衛隊長が再び剣を振りかざして挑みかかって来る。


「……邪魔だ」


 それを煩わしく感じて、杖の先に灯した黒い炎をその護衛隊長に浴びせ掛けると、その男は火柱を上げて燃え上がり、その場でのたうち回って炭の塊となって果てた。


「っ貴様ぁぁ!! よくもぉぉ!!!」


「隊長の(かたき)ぃぃぃ!!!」


 その様子に激高した残りの二人が、憎しみの目で此方を射抜くように睨み据えて斬りかかって来るも、それを紙一重で躱して先程と同様に黒炎を放つ。

 二人の護衛兵が物言わぬ骸に変わるのにたいした時間も掛からず、辺りは僅かに地面を焦がす残り火の音だけとなっていた。


 その有様に何の感慨も湧かない面持ちで周囲を見渡し、先程停車していた馬車がその場にない事に気付く。

 視線を丘陵地に伸びる道の先へと向けると、遠く離れた道の先に走り去る馬車の後ろ姿が目に入った。

 しかしそれも束の間、丘の下りに差し掛かった馬車の後ろ姿はすぐに見えなくなる。


 それをぼんやりと眺めた後、深い溜め息を溢して己の手に持った杖に視線を落とす。


 そして再び気が付いた時には、最初に森から出て来た道と街道らしき道とが交差した場所へと戻って来ていた。


 日が地平近くにまで傾き、空の色が茜色に染まりながら夜の準備を始める様をぼんやりと近くの岩場に腰掛けて眺める。

 自分の姿をようやく理解し、これからどうするべきか──そんな事を思案していた為だったのか、丘の先の地平に幾つもの明かりが灯り、それが真っ直ぐに此方へと向かっている事に気が付いたのは随分と時間が経ってからだった。


 気付いた時には自分と対面する形で、百騎程にもなる騎兵達が夕日の照り返しで茜色に閃く槍を掲げて布陣していた。

 騎兵の纏うその装備は、先程まで馬車の護衛に付いていた兵達の物より一段上質な物のようで、強固な胸鎧に風に靡くマントを翻している。

 元は白いマントなのだろうが、夕日の色に彩られたそれはまるでローマ兵の紅のマントを彷彿とさせる光景だった。


 そしてその中の一際豪華な鎧に身に纏った男が馬ごと前に進み出ると、天に向かって掲げた手を勢いよく振り下ろす。

 それを合図に騎兵達が一斉に槍を前に掲げて駆け始めると、周囲に地鳴りを響かせながら真っ直ぐ此方に向かって突進して来た。


 その集団に自分は無造作に黒い炎を投げつけるが、押し寄せる波に石礫を投げるが如くにその勢いを留める事は出来ず、数騎を馬ごと骸へと変えるに留まった。

 視界一杯に広がった騎兵の集団の波に転移する場所を失い、押し寄せる槍の衾が自分の体へと迫る。

 その幾つかを払おうとするも、馬の勢いで繰り出された槍の突きは容赦なく此方の身体を抉って骨の身体に軋みを上げさせた。

 騎兵の波が背後へと駆け抜け、転身してくる気配を背中に感じながら自分の身体に刺さった幾つもの槍に手を掛ける。

 本来の肉体ならば致命傷となるような光景だが、身体に感じる痛みはそれ程ではない。それらの槍を無造作に引き抜き、持っていた槍を再び此方に進路をとった騎兵の集団に投擲すると、一人の騎兵がそれに撃ち抜かれて地面に縫い付けられた。


 しかし騎兵の集団はその様子にも怯む事無く、槍を前面に掲げて突進してくる。


「鬱陶しい……!」


 自分の口から低い声が漏れ、手に持った禍々しい杖の石突を地面に打ち付けた。

 すると足元の影が膨張するように円心状に広がっていき、先程の突撃で命を散らせた騎兵や馬の遺骸にその影が躍りかかった。

 その影は騎兵達の遺骸に憑りつくと、骨だけとなった骸がまるで糸に操られた人形のようにその身を起こし、落ちていた槍を拾ってかつての仲間だった騎兵達に向かって機敏な動きで走り出した。


 その光景に騎兵の突撃は止まる事は無かったが、馬上の兵士の顔からははっきりと動揺と恐怖が織り交ざっていくのが分かった。


 ──そうして第二の騎兵の突撃と共に地獄が始まった。


 かつての同僚だった者を、手に持った槍で刺し貫き天に掲げる骸兵。そこに先程同様に闇色の影が触手を伸ばして兵士に憑りつき、その新たに生まれた骸兵が武器を持って再びかつての同僚に躍りかかる。


 腹や胸に穴を開け、血と臓物を振り撒きながら顔見知りに襲い掛かる──あちこちで悲鳴と慟哭、剣戟と命を刈り取る音が響き、長閑な丘の風景に地獄が産み落とされた。


 やがて命のある者が尽きたそこには、百名を超える意思無き骸の兵が自らの墓標の様に暮れる丘の上で長い影を落としながら立ち竦んでいた。


 そしてその中心にいた闇色の外套を被り直した骸骨は、その手に持った禍々しい杖の石突で地面を打って空に掲げる。


 するとそれに呼応するかのように死者の兵達が無言でその者に付き従うように集まり、やがて丘の先に伸びる道をゆっくりと進むその者の後に葬列のように歩み始めた。


 日が地平の端に沈み、辺りが闇に覆い尽くされると、その葬列が踏みしめる足音すら飲み込むようにして暗闇の中へと掻き消していく。


 そこで意識が霞むように途絶え、何も見えなくなった。

誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。

次話は9日を予定しております。

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