恵みと災いを齎すモノ1
グラドの街を出た一行は街道沿いに北へと進んで行く。
領主であるダルセンを先頭にその臣下の騎士達が二十名、他は街で腕に覚えのある男達が十名以上の三十名を超える部隊が、それぞれ手に武器や討伐の為の道具を持って歩くその後ろから、自分とアリアンと頭に乗ったポンタが一緒に付いて行く。
街から小一時間程の距離、街からはそれ程離れていない少し小高くなった付近に差し掛かると、一行は街道を逸れて街道脇に広がる西側の森へと近づいて行った。
疎らに木々の立つ林を少し行くと、小高い丘が途中で途切れた場所が遠目に見えてくる。先頭のダルセンが姿勢を低くして静かにするようにとのジェスチャーをして、後ろからついて来た皆はそれに倣って中腰でそろそろと足音などを立てないようにその場を進んで行く。
やがて丘の途切れた崖下が望める場所へ来ると、ダルセンが無言で下を見るように促してくる。
全員が崖下を覗き込むと、そこにはオーガの集団が屯しているのが見えた。身の丈は二メートルから二メートル半程、赤銅色の肌で全身鋼のような筋肉を持っており、額には小さく瘤のような角が生え、下顎から大きく突き出た牙が見える。動物の毛皮を腰に巻き、成型して大振りの枝に蔦で縛ったような石斧や、形を整えた木製の棍棒などを所持している事からも、それなりに知性を持っているのが窺える。
十匹以上のオーガを目の前にして、それを覗き込んだ全員が息を呑むのが分かった。
「まずはここで迎え撃つ、これを貸してやる」
ダルセンが小声で言うと、後ろに居た騎士の一人から弓と矢筒を二組受け取って、それを自分とアリアンの方へと押しやってきた。
それの意味する事がよく分からず首を傾げると、ダルセンは顎で崖下を示して見せた。
「まずはここから矢を放って連中を街道までおびき寄せる。ここは崖の頂点だが、両端はなだらかに下がって迂回すればここに登って来るのは難しくない」
ダルセンの言う通り、この場所はオーガ達の上を押さえてはいるが、両端に目を向ければ坂があってすぐ下のオーガ達の屯する広場と繋がっている。
「矢には毒が仕込んであるが、オーガ達にはせいぜい動きが鈍くなる程度しか効かない筈だ。奴らが森に逃げ込んだ所を追い掛けるのは得策じゃねぇから、まずはこの矢で挑発して連中を釣る」
確かに人間の強さは数を揃えた集団戦と戦術にある。ここにいる人数ではそれも十分だとは言えないが、纏まった数をぶつけるには森の中では十分にそれを生かせないのは事実だ。
オーガ十匹程なら、自分とアリアンで下に降りて殲滅できなくもなさそうだが、ここは指揮官であるダルセンの指示に従った方が無難であろうし、何より悪目立ちしない。
ここは主戦力として参加するのではなく、あくまで援護に回ろう。隣のアリアンにも目を向けると、彼女も同じように考えたのか首肯して此方を見返してきた。
弓は今迄使った事がないので見様見真似になるが、オーガ達を挑発する目的ならば矢が的に当たらなくてもその役目は果たせるだろう。
「全員、弓を構えろ」
ダルセンの指示で全員が崖下に向かって弓を構える。
無言でダルセンの腕が静かに振り下されると、それを合図に三十名からなる男達が一斉に崖下のオーガ達に向かって矢を射掛け始めた。
自分も渡された弓を力一杯引き絞って一匹のオーガに狙いを定める。
しかし矢を放とうとした瞬間、バキリと嫌な破壊音が響き、手に持った弓が中程から真っ二つに折れ曲がってしまっていた。
「おや?」
弓を引き絞るのは素人にはなかなかに難しいと聞いた事があるので、思い切り力を籠めて引いてみたのだが、それがどうやら不味かったようだ。
アリアンとダルセンからは呆れたような表情を、周囲の者達からは驚愕の表情を向けられてしまった。何やら別の意味で変な悪目立ちをしてしまっている。
「うむ、どうやらこの弓は少々手入れを怠っていたようだな」
折れた弓を背中にそっと隠しつつ、その折れた原因を弓と矢の管理をしていた者に投げた。
アリアンの方は自分とは違い、ちゃんと弓を引き絞っては崖下のオーガに射掛けている。しかし以前に見たエルフの弓程は腕は高くないようだ。オーガを掠めて地面に突き立つのも多くあった。
だが弓を放つアリアンを見ればその答えが何となくだが分かる。大きな胸が邪魔で少々撃ちずらそうにして矢を放っている。
崖下では次々に射掛けられる矢を鬱陶しげに手で払いながら、怒りの咆哮を上げてこちらの崖上に視線が集中しだしている。
オーガ達は矢を何本も身体に受けて刺さりはしているが、分厚い筋肉の鎧に阻まれているのか一本も致命傷にはなっていない。
とりあえず自分も何かで貢献するべく、手近にある物を投げつけようと視線を巡らす。岩でもあればこの高さから落として当たれば数を減らせるのだが、生憎と周辺には握り拳大の大きさの石ころしか落ちていない。
相手を挑発して誘き出す程度ならこの石ころでも充分に事足りるかと思い、石を軽く放り上げて掴むと、その石ころを崖下のオーガに目掛けて振りかぶった。
剛速球で投げられた石ころが一匹のオーガの頭に吸い込まれるようにして命中すると、鈍い音を響かせて頭に大穴を開けたオーガがその場に倒れて動かなくなった。
周囲の弓を放っていた男達から軽いどよめきと歓声が上がる。
それに気を良くして頷いていると、脇からダルセンが幾つかの石ころを追加で放って寄越してきた。釣り出しが目的とはいえ、数が減らせるならばそれに越した事は無い。
受け取った石ころを再び振りかぶってオーガを狙う。が、一度目のは単に運が良かっただけのようだった。剛速球で投げる石は確かに当たれば致命傷になりえるが、速度が増すと狙いがぶれやすくなる上に、崖上からの縦方向からの攻撃では巨体のオーガという的も、狙える面積は然程大きくなく当てるのはなかなかに厳しい。
そして何より自分にはあまり投擲のコントロール技術がない、という事実を知った。
オーガ達が怒りの咆哮を上げて二手から崖上に向かって来る様子をダルセンが確認する時分には、やっとの事でもう一匹を投石で沈め残りが八匹程になった所だった。
「きゅん!」
不意に頭の上でポンタが緊張した声で鳴く。
ダルセンが街道まで後退を指示しようとした正にその時、突如後ろの林から二匹の別のオーガが姿を現し全員が驚愕の表情と共にその動きが固まってしまっていた。
この突如とした奇襲は自分だけでなく、アリアンまで驚きの顔を隠していなかった。どうやら彼女も弓を四苦八苦してどうにか上手く当てようと集中し、自分も石を当てようと夢中になっていて後ろが疎かになっていたようだ。
一匹のオーガが後ろで指示を出していたダルセンに向かって手に持った石斧を振りかぶる、しかしその一撃を防いだのは逸早く状況を把握したアリアンだった。
林から飛び出したオーガを見たアリアンは、手に持った弓を迷う事無く投げ捨てると腰に差してあった剣を抜き放って、目にも止まらぬ速さでダルセンを狙うオーガに踏み込んでいった。
オーガの丸太のような豪腕から繰り出された石斧の一撃を、アリアンは横合いから渾身の打ち込みで剣の峰を滑らすようにその軌道を逸らす。石斧はアリアンの灰色の外套のフードを掠めて、勢いをそのままに地面を大きく穿った。
煽られたフードが脱げ、薄紫色の肌と金の双眸が表に晒される。しかしそんな事になど頓着する事無く、アリアンの剣が素早く石斧を持ったオーガの腕の上を舐めるように這う。
するとオーガは悲鳴のような声を上げて、石斧から手を離して彼女から距離を取ろうとするが、アリアンはそれを許さずにさらに踏み込む。
オーガが彼女の追撃を躱そうとその巨腕を振ろうとするが、傷を受けた方の腕が上がらずに思わず動きが止まった。その時には既にアリアンの鋭い突きがオーガの太い首に深く喰い込んでいた。
血泡を吹きながら首筋を押さえたオーガは、そのまま地面に崩れ落ちてもがき苦しむようにしていたが、やがてその力も失って静かに地面に横たわった。
そんな攻防を繰り広げていたアリアンを横目に見ながら、此方も後ろから現れたもう一匹のオーガと間近に相対していた。
あの時、頭の上のポンタが逸早く異常に気付いて鳴かなければオーガの一撃を背中に受けていたかも知れない。身に纏っている『ベレヌスの聖鎧』で大したダメージにはならないだろうが、下手をすれば頭の上にいたポンタに危害が及ぶ所だった。
今は戦闘時にはいつもそうするように、ポンタは首筋に巻き付いてマフラー形態になっている。
現状はオーガと正面から睨み合うように組み付いて、そのオーガの両腕を掴んで締め上げている最中だ。オーガは手に持った棍棒を此方に振り下そうとしていたが、ギリギリと締め上げる此方の握力に苦悶の表情を浮かび上がらせ始めて何とか逃れようとしている。
「ふふふ、逃がしはせんぞ!」
オーガの両手首の骨を有り余る馬鹿力で握り砕く。断末魔のような咆哮を上げるが、次の瞬間にはそれすらも途切れる。此方の渾身の頭突きが、オーガの頭蓋と首の骨を砕いたのだ。
静かになったそのオーガをその場に打ち捨て、アリアンの方へと視線を向ける。首から剣を引き抜いていたアリアンと視線が合うと、彼女は捲れていたフードを被り直した。
奇襲に現れたのは二匹だけのようで、なんとか凌いだようだ。
呆気にとられていたダルセンや他の者達から向けられる視線を背中に受けながら周囲を見回す。崖下のオーガ達は既に二手に別れて崖を迂回してこちらの近くまで迫っていた。
「残りのオーガがこちらへ向かって来るぞ」
自分のその言葉に、ようやくダルセンが思考を立て直す。
「全員街道まで後退するぞ!!」
その言葉に全員が一斉に街道の方へと後退して行く。
街道まで退くとダルセンの指示に従って、四人部隊を並列に間隔を開けて置いて林から出て来るオーガ達を待ち伏せる。
仲間をやられて頭に血が昇っているオーガ達が猪突猛進に林を抜けて来るのを見計らい、ダルセンが再び号令を掛けた。
「油壷投擲!! アリアン殿、頼みます!!」
各部隊から一斉に油の入った小壺が投げ放たれて、派手な音と共に幾体かのオーガを油まみれにすると、そこへ間髪入れずにアリアンの精霊魔法の炎の球が幾つもオーガ目掛けて飛んで行く。
炎が着弾すると、油に塗れたオーガとその周辺を紅蓮の炎が飲み込む。炎に飲まれたオーガ達は火達磨になって辺りを転げ回り、後続でやって来たオーガ達の足を止めた。
そんな足の止まったオーガ達を、部隊毎に別れた者達が自分達が示し合わせた一匹に的を絞って左右から挟み込むようにして剣や槍で手傷を負わせていく。各部隊には一人大きな盾を持った者が正面に立ち、オーガに盾を叩きつけるようにして注意を惹きつつ両脇の手傷を負わせる役目の者達の援護と盾役をこなしている。盾の扱い方などはとても参考になるな。
かなり慣れたその動きを見るに、以前からも同様に部隊を組んで戦った事があるように見える。
中央に位置したダルセンや自分とアリアンがいる方向に、二匹のオーガが怒りの咆哮を上げて手に持った武器で殴りかかるように突っ込んでくる。
背中に背負った円盾を構え、鞘から剣を抜いてその正面に立つ。
巨大な棍棒を振り下してくるのを左の盾で受けつつ、その丸みで滑らせるように流す。逸れた武器に引っ張られるように姿勢が傾いたオーガに、右に持った大剣を相手の脇腹に抉り込むようにして振ると、オーガの上半身が斜めに裂けてその場に頽れた。
そうしてもう一匹の突っ込んで来たオーガに対しては、踏み込みながら顔面に盾を叩きつけるようにしながら死角になっているであろう腹の部分へと大剣を突き込んだ。
腹を裂き背骨を断ち切られたオーガは、まるで糸の切れた人形のようにグニャリと姿勢を傾けてその場に倒れ伏した。
それを確認してから周囲を見渡せば、各部隊同士で連携してオーガを挟み込んで各個撃破していく様子が窺えた。そこからは自分とアリアンがそれぞれ分かれて、手こずっている部隊の掩護に行くと、瞬く間にオーガの群れは殲滅されて最後には一匹も残る事無く戦闘が終結していた。
「まさかアリアン殿があのエルフ族だったとは、今回はご助力頂き誠に感謝します」
各自が倒したオーガから魔石の取り出しや後片付けに奔走している中、ダルセンがにこやかな笑みを浮かべて隣に立っていたアリアンに近づいて来た。
アリアンは外套のフードの端を摘まんで周囲の視線を遮るように引き下ろして、腕組みをする。
そんな様子の彼女を気にした風もなく、ダルセンは先程よりもいやに丁寧な言葉でアリアンに話し掛けた。
「この辺りの森にも曽祖父の代には稀にエルフ族が姿を現したという話を聞いた事があったんですがね、私は初めてお会いしましたよ」
ダルセンの目はエルフ族を捕らえようとしていた今迄の連中のような色は無く、どちらかと言えば物珍しげな目を彼女に向けていた。
「エルフ族とは初めて遭遇したと?」
警戒感を露わにして黙り込んでいたアリアンに代わって、自分がダルセンの相手をするように言葉を差し挟む。ダルセンはと言えば、それに嫌そうな顔するでもなく少し嬉しそうに首肯した。
「うちの曽祖父の代から家訓に、『エルフ族で困っている者あらばこれを助けよ』ってのがあってな……。曽爺様がその昔、森でエルフ族に命を救われてから出来たんだが、まさか俺も救われるとは思ってもみなかったんでな」
そう言ってダルセンは腕組みをしたまま静かに立つアリアンに目を向ける。
「……今回の事は別にあたし達が手助けしなくても何とかなった筈よ」
素っ気なく返すアリアンに、ダルセンは頭を振った。
「あなた達がいなければ、今頃俺は息子達の顔を見れなかったかも知れない所だった」
「別に、あたし達は頼まれた仕事の分を働いただけよ。それで、道を教えてはくれるの?」
アリアンは手をひらひらとさせながら、何でもないと答える。
「ああ、そうでしたね。街へ戻り次第、今回の報酬をアーク殿とアリアン殿に──」
その言葉に自分とアリアンの声が重なった。
「いや──」「いえ──」
アリアンと目が合い、彼女の方が先を促すようにして頷く。
「いや、我々はこのままここから帝国へと向かう事にする。道を教えて貰えれば助かるのだが」
「しかし、それでは手持ちをあまり持ち合わせてないので、充分な報酬が支払えんが?」
そう言いながらダルセンは手に持った革の財布から何枚かの金貨と銀貨を取り出して見せる。
「今回の報酬ならそれで充分だ、弓も壊してしまったしな」
肩を竦めて見せて、軽口を叩く。
そんなこちらを見やりながら、ダルセンがなおも何かを言い募ろうと口を開くが、先に言葉を発したのはアリアンの方だった。
「追加の報酬として、あなたの家の家訓を孫の代まで引き継ぐ、これで手を打つわよ」
張りのある大きな胸を両腕で支えるようにしながら背を反らし、アリアンは含み笑いを見せる。たしか彼の家の家訓は『困ったエルフ助ける』だったか──、孫の代までそれが引き継がれるなら良い報酬だろう。
ダルセンが此方の見て尋ねるような視線を向けてくる。自分も彼女の提案した報酬に特に異存はないと、頷くようにしてそれに応えた。
彼からは今回の討伐の報酬と、ここから帝国の一番大きな街までの道を聞くと、討伐隊の全員から見送られながらその場を後にした。
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