初めての街ルビエルテ2
アーク様と東門付近で別れてから、私の操る馬車は一路、街中央にある領主屋敷に向っている。日もつい先程落ちてしまい、街を行き交う人が大分疎らになってきている。
視界の先には、ようやくお屋敷の門が見えてきた。四メートル程ある石壁がぐるりと取り囲み、中央には鉄で補強された大きな木の門扉があり、その前に見張りの兵が三名立っていた。
馬車の家紋を見て見張りの兵が開門を指示している。門扉が開くと同時に馬車は石造りの屋敷前の庭に滑り込んで行く。
見張りの兵達が動揺しているのが見て取れる。それもそうだろう、領主家の馬車が護衛も付けずに帰って来たのだ。しかも後ろに馬を六頭も繋げて、何かしらの異変を感じない訳がないだろう。
知らせが走っていたのか、屋敷前の馬車止めに馬車を停めると、このルビエルテ家の執事長が出てくる所だった。
「リタ・ファレン。一体これは何事ですか?!」
執事長は薄い白髪と白い口髭に、いつもは物腰の柔らかそうな表情を、やや焦りの色を浮かべて私に事情を尋ねて来る。そんな質問に私が答えようとした時、馬車の扉が勢いよく開く。中からローレンお嬢様が飛出し屋敷の中へと駆け込んで行く。
執事長の後ろからやって来た使用人たちもみな一様に驚いた表情になっていた。
「賊の襲撃に遭いました。私とお嬢様はすんでの所で難を逃れられましたが、護衛のモードリン様以下十三名、奮戦虚しく凶刃に御倒れになられました。旦那様にはこの事でお知らせ致したい事があり、至急お取次ぎをお願い致します。」
私の言葉に執事長は顔を青くして、使用人たちは絶句してしまっていた。しかし、逸早く気を取り直した執事長が矢継ぎ早に周りの者達に指示を出していく。
「リタはこの件を旦那様に! 旦那様はまだいつもの執務室におられます! あなた達はお嬢様のご様子を見てきなさい! 私はこの事をボスコス様に知らせに走ります! 」
そう言って、初老の執事長が離れの屋敷に駆け出して行く。
私は屋敷に入ると二階へと続く中央階段を上がり中央広間の吹き抜けの渡り廊下を左へと進み、西側の廊下のさらにその先の奥の、木彫り装飾の施された立派な扉の前に立つ。扉を静かに叩き、主の誰何に答えると、入室の許可が申し渡される。
静かにその室内へと滑り込むと、両脇の書棚に囲まれたその奥に執務机が置かれ、いくつかのランプの魔道具が灯り部屋を明るく保っている。その奥でこの屋敷の主が座って何かの書付けを行っている最中だった。
薄くなった茶色の頭髪を油でしっかりと整え、蓄えられた口髭と丸い顔立ちが周囲に柔らかい印象を与える。しかし眼はしっかりと相手を見据えており、貴族特有の鋭さも兼ね備えている。羽ペンを置いて訝しむ様にこちらを見る。それもそうだ、本来なら帰着の知らせは私の役目ではないのだから。
「リタ、ローレンとディエントから戻ったのか、一体どうした? 何かあったのか?」
私はその問いに、先程執事長にしたのと同じ内容の報告を目の前の主に告げる。
「何だとっ!? ローレンは?! それでローレンは無事なのか!!?」
私の報告を聞くや椅子から跳ね上がり、掴みかからんばかりの形相で娘の無事を確認しようと駆け寄って来る。さすがに娘が襲われたと聞いて冷静ではいられなかったご様子だ。
そこへ一人の壮年の男性が執務室へと足早に入って来た。背は百八十センチ程で身体つきは痩せていて細い。少し白髪の混じった髪を短く刈り込み、もみあげは長く、額には深い皺が刻まれている。まだ四十代だと言うのに五十過ぎに見えてしまう。このルビエルテ家に仕える執政官のボスコス様だ。
「執事長よりお話を聞きました。賊に襲われたとか……、子爵家の馬車を襲うとはなんという不届き者。先程、ローレン様のご様子を窺いに参りましたが、自室に引き籠ってしまわれております」
ボスコス様は眉間の深い皺を一層深くして、右手で眉間を押さえる様な仕草をしながらそう呟かれる。
「とにかく襲撃の詳しい経緯を聞こう」
バコル様はボスコス様の言葉にローレンお嬢様の一応の無事を確認したのか、少し冷静な表情を取り戻して問い掛けてくる。
「はい、最初の襲撃はコルナを出て暫くしてからでした。二十程の賊にこちらは九名の殿を置いてモードリン様と共にその場は脱したのですが、馬の足が止まる所で二度目の襲撃で十程の賊に遭いました」
「何っ?! 襲撃は二回もあったのか!? しかし、二度目の襲撃はモードリンと五名の兵がいて十名程の賊に討たれたのか? かなり手練れだったのか」
ボスコス様はその場で腕を組みながら難しい顔をしながら、私に事の仔細を色々尋ねてくる。私も出来る限り、記憶に残っている事を話していく。
「まさか護衛の中に手引きする者がいたとは……! そのカスダと言う男の身辺を調べろ、ボスコス。親類縁者が居れば今すぐ引っ立てろ!」
「はっ、畏まりました」
バコル様の命にボスコス様が礼した後、執務室を辞する。バコル様は執務室の机に向かうとまた椅子に深々と腰を下ろす。
「それにしても馬六頭も所有する盗賊団か……、この辺では聞いた事がないな」
馬と言うのは存外、維持や管理にお金がかかる。食糧や水に加えて、蹄鉄や馬具、調教と戦力として組み込むには結構なお金が必要だ。小規模な盗賊団では六頭も維持するのはかなり厳しい、かと言って大規模な盗賊団が移動して来たなら噂の一つくらいは上がってくる。
「賊の連中はローレンお嬢様を害する事が目的のようでした。誰かに雇われたのではないかと……」
「何っ? ……まさか第二王子派の揺さぶりか!?」
バコル様が驚愕と怒りでその丸い顔を歪ませる。
今、ここローデン王国では高齢な現国王に代わる次代の後継者を巡って派閥争いが激化しているという話だ。
第二側妃様を母に持つ第一王子、第一側妃様を母に持つ第二王子、そして正妃様を母に持つ第二王女、この三者の派閥争いが遠く王都の王宮で繰り広げられていると言う。北部の国境線に近いここ、ルビエルテではあまり関係のない話の様にも思えるが、私では政の世界は埒外の話でしかない。
「で、その第二の襲撃の時に現れた鎧騎士と言うのは、こちらに何も要求してこなかったのだな?」
「はい、お嬢様をお助け頂いたので是非お礼をと申し上げたのですが……、私の銅の通行証だけをお受け取りになり、他は何も……。如何致しましょう?」
「相手が何もいらぬと言っているならそれで良いではないか。むしろ、今その事でこちらに近づいて来る者は第二王子派の息が掛かった者にしか思えん。モードリン以下の遺体の収容と残党の掃討はこちらで言伝を走らせる。お前はもう下がりなさい」
私はその言葉に一礼をしてから、執務室を後にする。
私にはアーク様が何処かの派閥に身を置く方には見えなかった。あの方は自身が言う様に本当に旅人なのだろう。ただ身に纏う武具はあのレブラン大帝国の近衛兵もかくやと思わせる程の見事な物で、その圧倒的なまでの武威はまるで武神だ。
とうとうその素顔を見る事は出来なかったが、縁があればまたあの方に会える日が訪れるのだろうか? 昼間に感じていた恐怖はいつの間にか鳴りを潜めて、軽くなった足取りで私はお嬢様の部屋へと向う。
いけない、浮かれている場合ではない。お嬢様にも一日でも早く笑顔を取り戻して頂かないと。
私は足早にお嬢様の部屋へと様子を覗きに向かった。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。




