企みごと2
ローデン王国王都オーラヴの中心に位置する王城、日が暮れて薄暗くなった室内を水晶型ランプの魔道具で明るく照らし出さられた一室では、青筋を立てて手に持った銀の杯を床に投げつける男の姿があった。
投げつけられた杯は金属音と、鈍く打つ床板の音を部屋に響かせながら部屋の隅へと転がっていく。杯に満たされていたワインが撒き散らされ、辺りに芳醇な香りが漂う。
男が投げ打った杯を二人の男が視線で追い、やがてそれが止まると互いに視線を交わして再び青筋を立てている男へと視線を戻した。
「クソッ!! 何故だ! ホーバン伯爵が何故この時期に討たれる?!」
革張りのソファから腰を浮かせ、杯を投げた手を力一杯握り締める。その整った顔立ちを激しく歪め青い瞳には怒りの色を浮かべ、金色の髪を振り乱して荒い息を吐く者は第二王子であるダカレス・シシエ・カルロン・ローデン・ヴェトランだった。
「領民の一斉蜂起による今回の混乱で、現在はホーバンと連絡が取れません」
ダカレス王子に視線を注いでいた男の一人が重々しく口を開いた。
白髪の混じる茶色の髪と立派な髭を蓄えた老境に入った人物だが、その身体つきからはその老いを感じる事が出来ない程に筋骨隆々としている。
この国の七公爵家のオルステリオ家の当主にして、王軍三軍を統括する大将軍の立場にあるマルドイラ・ドゥ・オルステリオ公爵は、ホーバンに遣わせていた連絡係から届けられた報をダカレス王子に簡潔に伝えた。
「街道にホーンテッドウルフなどが現れなければ、今頃セクトの息の根を止めれていたものを!」
「殿下、街道に魔獣が現れなければ予定通りホーバンに赴き、もしかすれば反乱に巻き込まれたかも知れないのです」
魔獣にまで恨み言を吐き出し始めたダカレス王子に、マルドイラ大将軍の横に居たもう一人の男が宥めるように話す。
大将軍を若くしたような面立ちに、逞しい身体つきの軍装姿の似合うその男はこの国の三将軍の一人、セトリオン・ドゥ・オルステリオ将軍であった。
しかしセトリオン将軍の言に、ダカレス王子はなおも興奮したように捲し立てた。
「なおの事好都合だったではないか! 反乱の混乱に乗じてセクトを討てたものを!」
ダカレス王子の剣幕に二人の将軍はどちらともなしに小さく溜息を吐いた。
本来ならホーバン伯爵と共謀してセクト王子の謀殺を図るつもりだったものが、魔獣の出現によってホーバンに続く街道の安全が脅かされ、その間に協力者であったホーバン伯爵が領民の一斉蜂起による反乱で討たれてしまったのだ。
「今回の件は間が悪かったと言う他ありませんな。次の機会を窺いませんと……」
マルドイラ大将軍は太い声でそう告げた。
先の一件に伴い王都に駐留する王軍の一部は街道の安全確保と、ホーバン領の事態の鎮静化を図る為に既に王都を出発していた。
周辺の事情が落ち着くまでは王都から出る事は難しくなり、前々から予定されていたホーバン訪問が立ち消えとなったからと言って、準備期間もなく急遽別の訪問先を用意するわけにもいかなかった。
「ユリアーナの奴も何時の間にかリンブルトへと出ていて手が出せん!」
そんな悪態をダカレス王子が呟いていると、部屋の扉をやや強く叩く者があった。
「マルドイラ様! 火急の用件にてお伺いに上がりました!」
それに逸早く反応したセトリオン将軍は僅かに部屋の扉を開け、外に立つ伝令の兵に用件を伝えるよう応対する。
伝令兵は今一度敬礼をすると声を潜めてセトリオン将軍にその内容を耳打ちした。
セトリオン将軍はその内容に一度頷くと、伝令兵を下がらせ今一度部屋に戻り、父であるマルドイラ大将軍に事の内容を耳打ちした。
「何だ?」
そのやり取りを見ていたダカレス王子は不機嫌そうな声音を隠そうともせず、マルドイラ大将軍に問い掛ける。
マルドイラはそれを受けて伝えられた用件の内容を簡潔にダカレス王子に話した。
「殿下、城下のエツアト商会本館が襲撃にあっているそうです。襲撃者はかなりの手練れらしく軍にも商会から救援要請がきております……如何致しましょう?」
その報告内容を聞いたダカレス王子は蟀谷を押さえ眉間に皺を寄せる。
「何故次から次へとこうも問題が重なるのだ!」
エツアト商会は仕入れたエルフ族を捌く為に、その販路を活用していた大手商会で、商会長からの救援要請を無下にする事も出来ない。
ダカレス王子の呪詛の籠ったような声が部屋を満たしていたが、大きく息を吐いた後に険のある眼差しをマルドイラ大将軍へと向ける。
「父上には後から俺が取り成す。貴様は即応できる数を率いて鎮圧にあたれ。わざわざ大将軍が動くのだ、向こうにたっぷり貸しを作ってやる」
「御意」
ダカレス王子はそう言って口元を歪めると、それにつられたのか、セトリオン将軍も微かに笑みを口元に零した。
マルドイラ大将軍はダカレス王子のその言葉を受けて跪礼すると、その部屋から足早に立ち去って行った。
それを見送ったセトリオン将軍はダカレス王子に向き直ると、徐に口を開いた。
「殿下。実は先頃のホーバンの一件ですが、未確認ながらエルフ族らしき者の関与があったという報告があります」
「なんだとっ!?」
今後の予定などを思案していたダカレス王子の意識がその一言で一気に引き戻され、セトリオン将軍の顔を睨め付ける。
「今回のエツアト商会襲撃は、もしやすると彼らの仕業かも知れません」
「……どういう事だ?」
尋ね返す口調に自然と緊張の色を孕む。
「実はディエント候が密かに囲っていたとされるエルフ族があの事件以降姿を消したとの報告を受けております。そしてホーバン候には以前にエルフ族の引き渡しをしております。ホーバンの方はまだ確認が取れておりませんが、恐らくは……」
応対するセトリオン将軍は努めて冷静な口調でその問いに答えを返した。
「まさか裏で糸を引いていた俺を狙うと言うのか? さすがにそれは考え過ぎだろう……、第一に王城内まで入り込めるとは思えん」
「しかしこれら一連の件が内部の手引きによる物だとしたら……。ディエントの城塞も堅牢な物でしたが結果はご覧の通りです。城下の騒ぎが陽動だとすれば、殿下の御命を狙う輩がここへの手引きを済ませている可能性があります」
「……俺にどうしろと言うのだ?」
「知られていない場所へ身を潜める事が賢明かと。第一街区に屋敷を用意させております、まずは其方へ向かいましょう。殿下」
ダカレス王子は少しの間逡巡したが、やがて小さく頷くと、それを受けてセトリオン将軍が部屋の外に待機していた伝令を走らせた。
「殿下、裏口に馬車を用意させます。お早く」
静かな声音で告げると、少数の近衛を連れてダカレス王子と共に城内にある裏口へと向かった。
王族と近親者やその懇意にしている者しか通れないような通路を行く為、人通りは無く先を急ぐ一行の足音だけが響く。
やがて裏口に着くと、黒塗りで小さく王家の紋章の施されたあまり装飾のない馬車が、夜にも拘らずランプも灯さず滑り込んでくる。
馬車の前後には四人の近衛兵が馬に乗ったまま控えている。
セトリオンが馬車の扉を開くと、それに促されるようにダカレス王子が乗り込み、セトリオンもその後に続いた。
二人を乗せた馬車はすぐに鞭の音を鳴らし、車体が滑り出すように加速すると城門の裏口を駆け抜けて行く。
城門に配されていた見張りの兵達は、馬車の紋章をちらりと見ただけで特に何も言わずに馬車を見送った。
黒塗りの馬車は、貴族の屋敷が建ち並ぶ第一街区の石畳を響かせながら突き進む。
馬車内には何とも言えず重苦しい空気だけが漂い、その場を満たすのは馬車の振動と馬の蹄の音のみだった。
すると急に馬の嘶きと共に馬車が急停車し、座席に腰を預けていたダカレス王子が体勢を崩した。
「何者だ!?」
馬車の外で近衛兵が誰かに向って誰何する声が聞こえてくるが、答えは返ってくる事は無く、外で激しい剣戟の音が打ち鳴らされ始めた。
「セトリオン! どうなっている!?」
ダカレス王子は馬車の窓から暗闇の街路を覗き見るが、闇色の影が微かに外で蠢いているのが辛うじて見えるだけだった。
「殿下、落ち着いて下さい。何も心配する事はありません」
そう言ってセトリオンは腰に提げた美しい装飾の施された細身の剣を抜き放つと、それをダカレス王子の胸元へと突き立てた。
向かいに座っていた王子は何が起こったのか理解出来ないと言った表情で、自分の胸に突き刺さる銀色の剣とセトリオン将軍の普段と変わらない表情の間を視線が彷徨う。
「……な、ぜだ……?」
口元から血泡を吹きながらそれだけを言うと、頭が力無く垂れ、事切れる。
そのタイミングを見計らったかのように、馬車の扉が開き一人の人物が入って来た。
セトリオン将軍はダカレス王子の胸元に刺さった剣を無造作に引き抜くと、素早く鞘に納めて片膝を突き、その人物を迎えた。
「どうやら手筈通りに事が運んだようだな……、苦労を掛けたな」
背が高く明るい茶色の髪に整った顔立ちをした男はその口元に薄く笑みを浮かべ、目の前で跪いたセトリオンに労いの言葉を掛けた。
「勿体なきお言葉にございます」
セトリオンは視線を上げ、目の前の座席に座るセクト・ロンダル・カルロン・ローデン・サディエ第一王子を仰ぐようにして見る。
「しかしこの急場での今回の策謀、見事だな」
「いえ、城下に複数の獣人が潜り込んで来た事は把握しておりましたので。エツアト商会の方にも何かあれば此方を頼るように申し付けておりました」
「手際がいいな。それにしても以前にホーバンに蒔いていた火種が、ここに来てようやく燃え上がったのは僥倖だったな」
セクト王子はその端正な顔立ちの口元を薄く歪めて嗤う。
「はい。あれの仕込みで集めていた戦力がユリアーナ様の件では役に立ちました。窓口にしていた者の処理もすでに完了しております」
「ユリアーナの奴の動きなど昔から承知している。しかし、魔獣のおかげでその戦力も半壊したがな……」
王子はそう言うと肩を竦める。
「魔獣のおかげで今回のホーバン行きを遅らせられた事実を考慮すれば、全くの損害だとも言えませんが……」
「そうだな、邪魔な司教連中も奴らが片付けてくれたらしいしな。……先程ユリアーナの遺品も此方に届いた。この一件が片付いたらダカレスの謀によって討たれたとして、事を公表する」
短く嘆息するとセクト王子は目の前で跪き静かな忠臣を見やり、今度は眉尻を下げて言葉を零した。
「後はマルドイラか……。悪いな、親に手を掛けさせるような真似をさせて」
「父ももう古い人間です。悪くなる前に摘み取って差し上げるのも孝行かと──」
セクト王子の言葉にセトリオン将軍は静かに頭を振ってそれに答える。
「そうか──、ならば後は手筈通りに、だな?」
「はい」
二人の視線が馬車の中で交わされ、セクト王子がセトリオン将軍を促すように頷くと、将軍は手に持った剣を再び抜き放った。
「あまり深くはしてくれるなよ? だからと言って躊躇いがちにもなるな」
セクト王子の難しい注文に、セトリオン将軍は深く頷くと、抜身の剣を真剣に構え、一息に王子の左腕に走らせた。
「ぐっ!」
王子の短い呻き声がして苦悶の表情になる。
セクト王子の左腕は服が裂かれ、派手に血飛沫があがり重傷のように見える。
セトリオン将軍はそれを素早く確認すると、剣を鞘に納めて王子に差し出した。
「殿下、では手筈通りに神殿での治癒と今回の一件の報告をお願い致します」
セクト王子は差し出された剣を受け取り、額に汗を掻いた顔で頷いた。
そしてセトリオン将軍は素早く馬車から降りると、御者の男に神殿に急ぐように指示を出して馬車から離れた。
闇夜の街路に鞭の鳴る音がして、ランプを灯した黒塗りの馬車は石畳を響かせながら一路、神殿へと疾走し始める。
その後ろ姿を暫く眺めていたセトリオン将軍だったが、近くに寄って来た配下の騎士達を見回して目的の場所である方向の空を仰ぎ見た。
「エツアト商会へ急ぐぞ」
セトリオン将軍の静かな声音が周囲の騎士達に緊張を走らせた。
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