ホーバン訪問1
翌日、朝早くにララトイアから昨日のセーブポイント、もとい目印とした大岩抱えの大木まで【転移門】を使って一気に飛んだ。
そこからは特に何の問題もなく、森を抜けてその先にあるホーバンに着いたのは昼前頃だった。
昨日行き合った襲撃現場のあった道からもさほど離れた距離でもない。
ホーバンの街は南に聳えるテルナッソス山脈を背負い、正面にアネット山脈が立ちはだかる谷間に位置する平原に出来た街で、それぞれの山脈の麓に広がる森の影響もあって街周辺の耕作地は東西に長く伸びるように広がっている。
中央に見えるホーバンの街はこれまでの街のように円周状の街ではなく、四角い外壁に囲まれた砦のような姿を成している。
昨日の雨もすっかり上がり、昼近くになった太陽は街を明るく照らし、石造りの街壁がそれを眩しく反射させていた。
ポンタを頭に乗せ、アリアンといつもの恰好で畑の中の畦道を歩きホーバンの街を目指すが、徐々に街の仔細が見える距離になるにつれて何やら物々しい雰囲気が漂っている事に気が付いた。
街の街壁の高さはおよそ十五メートル程もあり、その周囲をため池のような水堀が取り囲んでいる。正面に見える門の両横には門塔が備えられており、門を出入りする様子を衛兵が監視している。
その門の前、水堀に架けられた石橋の上では街に入ろうとする人間や荷物を事細かく検閲している衛兵が複数、忙しそうにして動き回っている。しかし念入りな検閲の為か、門の前には多くの人と荷物の行列が出来ていた。
こちらの北門は街の大きさに比べると幅も馬車二台分しかなく、それ程大きくはない。恐らくこのホーバンの街は東西に大きな街道があるため、そちらに面した門の方が大きいのだろう。
しかし東西の門はここ以上に混雑しているのか、時折東や西の門の方角から荷馬車が空いているだろうと北門にやって来る姿が見受けられる。
門の近くまで行くと、衛兵が荷馬車の荷物を引っ繰り返し、乗っている人物の外套を剥いでは顔の確認などしているのが見える。傭兵の一団も例外なく兜を脱がされていちいち人相を調べられている有様だ。
どうやら荷物の検閲などをしているわけではなく、誰かを探しているような雰囲気だ。
この検閲体制では街の中に潜り込むのは無理だろう。
後ろにいるアリアンに目を向けると、いつもの灰色の外套を目深に被ってダークエルフである事を隠している。
ローデン王国では一応エルフ族の捕縛などは条約を結んでいて国法で禁止されてはいるが、それが守られているかは別の話だ。
エルフ族より高値が付くだろうダークエルフだと知られれば、間違いなく色々なところから目を付けられる。
そしてここはエルフの売買契約書に名前があった、フーリシュ・ドゥ・ホーバンなる人物のいる領地だ。ホーバンを名乗るからには領主一族なのだろう、エルフ族を国法を無視して買う領主がいる街に彼女が姿を晒せば後は目に見えている。
それに自分も鎧の中身は骸骨なのだ。衛兵の検閲で兜を脱げと言われて脱ぐわけにもいかない。
「正面から街に潜り込むのは無理そうだな」
「そうね」
灰色の外套の奥から金色の双眸が覗き、街を見据えながら彼女も頷く。
かと言ってここで売られたエルフ族の情報も掴めず帰るわけにもいかない、少し街の周囲を歩いて何処か侵入できそうな場所を探すしかない。
街の側面である水堀沿いの北側の道はわりと人通りが多く、転移で街壁の上へすんなりと移動はできそうにない。もう少し人目のない場所か、もしくは夕闇などを待ってその暗がりを利用する他ないかも知れない。
アリアンとポンタを連れ立って東回りでホーバンの街を街壁沿いに歩き、人気がなく衛兵の少ない場所を探す。
真っ直ぐな街壁はずっと東へ続いており、この街はかなりの大きさを誇るようだ。
やがて街壁の東側に回り込み門が見えてくるが、先程の北門よりは大きいが倍程度で、東門の大きさはそれ程でもなかった。
そのため門前の橋は言うに及ばず、街道まで溢れた人と荷馬車でごった返している。
よく見ると検閲に多くの衛兵を割くためか、塀の上の見張りが数を少なくしているようだった。
今なら塀の上に転移してから街中へ入るのも容易そうだが、周りには検閲待ちの人が多く溢れており人目がありすぎる。
アリアンとその場を離れて、さらに街の南側の街壁方面へと回り込む。
どうやら南側には大きな門はないようで、周辺の耕作地へと出向く農民用の出入りにしか使用されていないような小さな門しかなかった。
人通りも少なく、目にするのは疲れ切った農民ぐらいしか周辺に人影はない。
先程の畦道を歩いていた時もそうだが、ホーバンの周辺の耕作地にいる農民は皆やつれた表情をしていて、たまに目があった者は此方を見て怯えたような顔して視線を逸らされたりした。
アリアンの方は特に何の反応も見せていないところを見ると、兜が問題なのだろうか。
豪奢で目立つ鎧の方は黒い外套で覆い隠してはいるが、さすがに頭まで覆い隠すわけにもいかない。
だが視線を逸らし、此方を見ないでいてくれるなら今の状況では好都合だろう。
「アリアン殿、この辺から街へと飛ぶ。掴まられよ」
「わかったわ」
腰を低くして周囲を窺うように人目が無い事を確認しながら、後方にいたアリアンに声を掛けると、彼女も慣れた調子で返事を返して自分の肩に手を置いた。
「【次元歩法】」
魔法発動と同時に景色が切り替わり、目標にしていたホーバンの街壁に転移すると、身を低くしたまま視線を周囲に走らせる。
いつまでも街壁の上にいては目立って仕方がない、素早く胸壁に近付き眼下に広がるホーバンの街を見回し、街へ下りられそうな適当な場所を探す。
南門付近の家屋はどれも寂れた様相を呈していて、あまり豊かな階層の住む土地ではないようだ。そこの一軒のあばら屋のような家屋の裏手を目標として再び【次元歩法】を発動させる。
「ようやくホーバンの街に入る事が出来たか……」
あばら屋の裏手へと転移してから背後の街壁を見上げながら呟く。
「あとは買い手のフーリシュ・ドゥ・ホーバンという人物を探し出す事ね」
灰色の外套姿のアリアンは、周囲を確認しながら目的の人物の名を口にする。
「ホーバンと名乗るからにはこの街の領主一族だとは思うが……、とりあえず領主の住む城を探すところから始めるとするか」
国法に触れるエルフ族捕縛の手掛かりなど街中で聞き込みをしても、有力な手掛かりが掴めるとは到底思えない。
直接領主近辺に探りを入れた方が早いだろう。
とりあえずは領主の住む居城を探す必要がある、恐らくはホーバンの街の中心へと向かえば自ずと分かるとは思うが。
そう考えを巡らせながら、あばら屋の裏手から表へと出る。周囲には同じような木造建築が立ち並びあまり活気のようなものが感じられない。
周囲にいた人も此方の姿を見るや、顔を強張らせて慌てて姿を引っ込めていく。周囲には人影がなくなり、さながらゴーストタウンのような有様だ。
どうもこの騎士のような兜を見て反応しているように見えるが、さっぱり理由が分からない。ここのホーバンの騎士は荒くれ者が多いのだろうか。
そんな事を考察しながらも足は進み、やがて人気の多い賑やかな場所に出た。通り沿いには商店が軒を連ねて客引きが声を出して商売をしている。行き交う人や荷馬車などが喧噪を生み、街に活気があるように見える。
しかし時折見える物騒な目付きの者や、そこかしこに見える衛兵など、刺々しい雰囲気が漂っていた。
門前の検閲といい、街中の様子といい、この街で何かあったのだろうか。
「何やら物々しい雰囲気だな……」
「街中に衛兵の数が多いわね、これじゃ動きづらいわ」
アリアンと会話しながら周囲に目を配り、通りを歩き進んでいると、やがて街の中心部付近に城壁が見えてきた。
恐らくここが領主の城なのだろう、城壁の高さは街壁とほぼ同じくらいの高さがあり周囲からの視線を遮っている。城壁の周りには幅の広い水堀が掘られ容易に近づく事は出来ない造りになっている。
視線の先には跳ね橋が下されており、その周囲には過剰な程に衛兵が配置されていて、周りにいる人を威圧していた。その為跳ね橋周辺には人がおらず、不用意に近づけば衛兵から袋叩きにあいかねない。
正面から入る事は想定していないので、とりあえず侵入しやすそうな場所を探して城壁を眺めながら歩を進める。
しかし水堀沿いの通りには一定間隔で衛兵が配置されており、さらには城壁の上にまで等間隔で歩哨が立っている念のいれようだ。
この水堀沿いの通りは人通りも多く、少し離れた場所からの転移も難しい。
こうなると夜の闇に紛れて城壁を越えるしかなさそうだが、月明かりがなければ夜はあちこちに闇が落ちていて転移がしづらくなる。
昨日のように天気が崩れない事を祈るしかないな──。
そう思い天を仰ぐ。
多少は雲が出てはいるが眩しく輝く太陽が空に浮かび、この心配も杞憂になりそうだと内心で安堵していると、何処からか怒気の孕んだ諍いが聞こえてきた。
その諍いの声の方角に目をやると、複数の衛兵が一人の少年に殴り掛かっている現場が見えた。周囲にいる人たちは巻き添えを喰うのは御免だとばかりに遠巻きにその様子を眺めていて、視界を遮る者は誰一人いない。
「てめぇ何処見て歩いてやがんだ! クソがっ!!」
「お前みたいな汚いガキがこんな所をうろついてんじゃねぇ! 目障りだ!!」
衛兵達はおよそ難癖の中でもかなり程度の低い暴言を吐きながら、目の前の地面に転がった少年に蹴りを叩き込んでいた。
少年は黒い髪をぼさぼさに伸ばして、汚れた襤褸のような服を着ていた。年の頃は十三、四歳といったところか。蹴られて口を切ったのか血が流れて痛々しい姿を晒しているが少年の目は睨むように衛兵に向けられていて、その反抗的な目がさらに衛兵を怒らせる結果になっていた。
「なんだその目は! 貧民の癖に生意気なガキだ!」
見ていてあまり気持ちのいい場面ではない。
衛兵がさらに少年に向って蹴りを入れようとしたところに、仲裁の為に声を掛けた。
「その辺で止めておいてはどうかな? 子供相手にもう充分であろう」
「なんだテメェ?! 余計な口出しすんじゃ──!?」
衛兵達が此方に振り向き声を荒げるが、その声は最後まで発せられる事はなかった。
黒の外套をはだけ、白銀の鎧を晒し、腰裏に提げた聖雷の剣の柄に手を掛けて仁王立ちしている此方を見た衛兵は顔を青褪めさせて固まってしまった。
威厳を著しく損なうだろうと思い、ポンタは現在後方にいるアリアンの胸の中にいるが、若干不服そうにしていた。
「……もう充分であろう?」
もう一度衛兵達に向って、先程より若干低めの声で再度問うと、衛兵達は直立不動になって敬礼をした後、九十度の角度で頭を下げた。
「はっ! お騒がせして申し訳ありません! 我々はこれで失礼致します!」
九十度から復帰した衛兵達は我先にとその場に少年を残して走り去ってしまった。
思っていた以上に鎧の効果が出たようだ。なにせ一介の騎士や傭兵程度では身に纏う事がないような豪奢な鎧だ。何処ぞの高級騎士か何かだと思われたのだろう。
ただ鎧の効果は他の遠巻きにしていた人達にもあったようで、皆慌てて家屋に引っ込んだり、足早に通り過ぎたりと周囲に人気がなくなっていた。
「坊主、怪我をしているなら治してやるぞ?」
こちらも鎧を見て警戒感を露わにしている少年に向ってそう問い掛けるが、彼は地面に蹲った体勢のままこちらを睨むようにして僅かに口を開いた。
「あんたらの施しは受けねぇ……」
衛兵に蹴られて痛む腹を押さえながら、少年は膝立ちになり、懸命に立とうとするが膝に力が入らないのか顔を顰めるばかりだ。
「我は領主の手の者ではない。それに治癒魔法を使える故、その程度の怪我なら瞬き一つで終わるぞ?」
目立つ鎧を黒の外套で覆い隠して、少年の目線に合わせるように片膝を突き再度尋ねると、少年の態度に僅かな変化が現れた。
「治癒……魔法……。それを使えば……これよりもっと酷い、怪我でも治るのか?」
「ああ、治るぞ」
なにせ自分の魔法を使えば死者ですら蘇生するのだ、大抵の怪我なら治るだろう。ただ死者蘇生に関してはあまり多用は禁物だが、子供の怪我への回復魔法くらいなら大丈夫だろう。
少年の質問に答えながら頷くと、彼の目に少し喜色が浮かぶのが見えた。
誰か他に治療を施して貰いたい人物でもいるのだろうか?
「情報を売る……、それで治癒魔法を。妹を治してくれないか!?」
「ふむ、我は特に対価を望まぬのだが?」
「対価は払う……。施しは受けない」
やや頑なな態度だが、この歳で見事な矜持とも言える。
此方も彼に合わせて何か対価を要求した方が事が上手く運ぶだろう。
「情報と言ったか……。してどんな情報を売っているのだ?」
「……抜け道、とか裏道……」
その天の配剤のような少年の答えに思わず口元が緩んだ。
「ほぉ? ……では領主城への抜け道は知っておるかな?」
此方の質問を聞いた少年は目を見開き慌てて周囲に視線を走らせ、声を落して質問で返してきた。
「……なんでそんな事聞くんだ?」
少年は探るような表情で此方をつぶさに観察してくる。
領主の衛兵にぞんざいな扱いを受けていた彼なら、少々こちらの事情を話したところで向こう側に話が漏れる事はないだろう。
「少し城に探し物があってな……」
しかし明確な目的は告げず、ややぼかして答えると、暫く目の前の少年は眉間に皺を寄せながら何かを考えているようだったが、結論が出たのか顔を上げた。
「わかった……、領主城への抜け道を教える。その代わり先に妹に会ってくれ」
「承知した。妹御に治癒魔法を施してから、代金としてその情報とやらを貰おう」
少年はようやく痛みが引いたのか、顔を顰めながらではあるがその場に立ち上がり、少しふらつく足取りで街中を歩き始めた。
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