戦略的忘却
あれから三十分程経っただろうか、王女一行を名乗るその集団は迅速に荷などを整理すると、一路東へと馬車を走らせて行ってしまい、その姿はもう随分と小さくなった。
両手に持った枝葉を開いて顔を覗かせる。
ポンタは兜の上ですっかりお昼寝モードのようで上から寝息が聞こえてくる。
それを起こさないように立ち上がり、深く深呼吸をして心を落ち着かせる。
内心冷や汗が止まらない心境で、馬車の消えた方角に視線が泳ぐ。
何処かの貴族の少女だと思っていたのが、まさかの王族である。それを蘇生魔法で復活させてしまい、それが神の奇跡のように捉えられてしまった。
冷静になって考えてみれば、死んだ人間を復活させる魔法など某兄弟が必死に探し求めた賢者の石も真っ青な魔法だ。
蘇った人間は特に不死者になったり、言動の可笑しい狂人になったりはしておらず、特に副作用的なものは見受けられなかった。
ただ全ての死者を蘇らせれる訳ではないようで、条件が不透明な部分もある。
だがあまり多用して良い魔法では無い事は身に染みて感じた。
ゲームでなら辻回復や辻蘇生は感謝される事が多いが、ここでそれをやりすぎると聖人認定されかねない。いや、下手をすれば新たな神として祀り上げられた挙句、新たな宗教を興して全世界を巻き込んだ宗教戦争になる可能性すらある。
蘇生魔法を使うにしても、事故などに巻き込まれた何処かの村娘や小領主の娘くらいならばともかく、殺された王女を蘇生させたのは随分不味い事態ではないだろうか。
間違いなく歴史がこの時動いた、……筈だ。
───いや、こういう時代の王女などの王族は数多くいるだろうし、おそらくそれ程歴史改竄にはならない、……と思いたい。
それに、今回は誰にも目撃されていないのでギリギリでセーフの筈だ──、今後は蘇生魔法に関しては出来る限り使わない方向がいいだろう。
脳内で自分擁護派が大勢を占め、議会が問題の提起を棄却した。
「うむ。何事もなかったな」
脳内議会で圧倒的多数の意見により、この問題の忘却が採択され可決した瞬間だった。
ポンタを頭から落とさないようにその場で回れ右をすると、元来た道をこそこそと戻った。
アリアンを森の中に置いたきり結構な時間が経ってしまった。残してきた目印を【次元歩法】で転移しながら辿り、森の中を突き進んで行く。
やがて目の前に三匹の白い大きな狼が後ろ足を縛られ、頭部を地面に向けて垂らしながら木の枝に縄で宙づりにされている光景が見えた。
そしてその白狼を宙づりにしている枝を張り出している一本の大木の幹の足元で、少し不貞腐れたような顔をした薄紫色の肌を持つダークエルフの女性が座り込んでいた。
大きく張り出した二つの丘を自身の膝で押し潰しながら体育座りしていた彼女は、此方を視認すると一瞬その表情に喜色を浮かべたがすぐに不貞腐れた表情に戻した。
「オソイわよ! 何処まで行ってたのよ?」
「おお、すまんな。少し道に迷ってな」
藪の下草を掻き分け、白狼の吊るされた大木の元へと足を進めながらその場で思い付いた言い訳を述べる。
「それじゃ、血抜きも終わってる事だし……。ララトイアまでお願いするわ」
「む、そう言えば転移目標となる目印を探していたのだったな……」
アリアンのララトイアへの一時帰還の要請を受けて、先程まで全ての事を忘却していた記憶の一部が不意に蘇り、手を打った。
「ちょっと、まさか今迄ただ森の中を彷徨ってたの?!」
そんな此方の様子を、まるで信じられない物でも見るような愕然とした表情で彼女が詰問してくる。
当初の目的である目印探しに出掛けてから、軽く一時間程は既に経過しているはずなので、彼女の非難も至極真っ当なものと言えるだろう。
「すまぬな……。戻る事に終始して目的を失念しておった。今度はあちらの方へ目印を探しに行ってみる事にしよう」
自己弁護をしながら、木々の間から垣間見えるアネット山脈の方角を見据えて、迅速に次の目標を彼女に伝える。
そして未だに頭の兜の上でお昼寝中のポンタを彼女に預け、そのまま有無を言わせず【次元歩法】で森の藪の中へと分け入って行く。
彼女の荒んだ心がポンタの寝顔で癒される事を願いながら、【転移門】の転移目標となる目印を探す。
やがて十分もしない程の所に少し開けた場所に出た。
その開けた草叢の中央には大岩を抱きかかえるように一本の大木がそそり立っていた。
そこは森の中にあって、印象的な風景の場であった。
大木は辺りを睥睨するかのようにそそり立ち、その周囲が退いた空間にただ一本、枝葉を隆盛させていた。
もし日本に同じ様な場所があれば、確実に注連縄が施され祀られていただろう事に疑いようがない景色だ。
「ふむ、ここならば問題はなさそうだ」
一人森の中で呟きながら、その神秘的な空間を記憶に焼き付ける。幸い印象的な風景のためにそれ程苦労する事無くその作業を済ませてその場を後にする。
森の木々の間から零れ見える空は随分と曇り、灰色に塗り込められたその空から雨粒がぽつぽつと零れ落ち始めていた。
これは一旦ララトイアまで飛んだ後、天気しだいでは森の行軍はここまでになるかも知れないなと空を仰ぎ見る。
【次元歩法】を使いアリアンとポンタの待っている場所へと急ぎ戻り、森の藪から抜け出る。
すると目の前ではポンタの腹毛に顔をうずめてグリグリと擦り付けているアリアンの姿が目に入った。
「ポンタちゃ~ん、お腹をわしわししちゃいますよ~♪」
「きゅん☆ きゅん☆」
アリアンが普段出さないような猫なで声を出しながらポンタに楽しそうに話し掛け、ポンタもくすぐったいのか、楽しいのか、元気に鳴いてじゃれ合っている光景をしばし無言で眺めていると、彼女がようやく此方の存在に気付いたようだった。
「ア、アーク! も、戻るのが早かったですね! 目印はあの、その見つかったんでしょうね?!」
薄紫色の頬が紅潮しているのがこの距離からでも分かる程に赤くなり、少しどもりながらの口調で問い掛けてくるが、後半は少し八つ当たりに聞こえる。
しかし、普段は凛々しい感じの彼女の完全に油断した姿を目撃してしまったのだ、その心情を慮って努めて冷静に答える。
「うむ、この先に丁度いい場所があった。一旦ララトイアまでホーンテッドウルフを持ち帰ってから、天気しだいでは今日の行程はここまでにした方がいいかも知れぬ」
「そ、そうね。あなたの転移魔法があるから無理して悪天候の森を行く事もないわね」
アリアンも咳払い一つして気持ちを立て直したのか、此方の提案に肯定を示して頷く。
吊り下げられた三匹のホーンテッドウルフの下の地面には流れ出した血を受ける為の簡易的な溝が掘られてあり、アリアンはそれを精霊魔法で埋め戻す。
埋め戻された地面の上にホーンテッドウルフを枝から下ろし、アリアンを手伝いそれらを綺麗に並べる。
血が抜けて若干軽くなったとは言え、二メートルもある体躯の狼を上げ下ろしするアリアンの腕力は相当なものだろう。
ポンタは足元で動かなくなったホーンテッドウルフの鼻先を前足でたしたしと突いて様子を覗っている。
「ではララトイアまで飛ぶとするか。ポンタ、後で我も腹をわしわししてやろう」
「きゅん!」
そう言うと何故か横からアリアンの肘鉄が脇腹に繰り出された。
脇を見ると腕組みをして視線を逸らした彼女が立っていて、後ろからでも頬が膨れているのが見える。
どうやらコミュニケーションに失敗したようだ。いや、ポンタは嬉しそうに顔に貼り付いたので半分は成功のようだ。
ポンタをいつもの定位置に置き、気を取り直して魔法を発動させる。
「【転移門】!」
今回の転移にはいつものメンバーに加えて大物のホーンテッドウルフ三匹の輸送も加わったので、少し気合を入れて魔法を唱えた。
するといつも発動後に展開する光の魔法陣の直径が三メートルから四メートル程に拡大されて魔法が発動した。
一瞬の景色の暗転の後、森の風景は一変し、つい先日見た大樹の屋敷の前に立っていた。
足元に視線を落とすと、先程森の地面に横たわっていたホーンテッドウルフもきちんとその場に転移されて来ていた。
気合を入れての【転移門】発動は、展開される魔法陣が大きくなる事によって大荷物を運ぶ際にもかなり役に立ちそうではある。
ただ力の入れ加減などはこれから少し練習が必要だろう。
「もうこっちは雨が降り出し始めてるわね」
アリアンのその言葉の通り、森の中では降り始めたばかりの雨だったが、ララトイアではだいぶ雨足が強くなり始めているようだった。
このまま雨の中、外で立ち呆けていると中身に水が入り込んで、水琴窟のような音色を奏で始めかねない。
「これの運び込みと解体の手伝いを呼んで来るから、アークは家で待ってて」
彼女はそう言って此方の返答を聞かずに、集落の家屋の多い方へと走り去って行く。
その後ろ姿を見送り、改めて足元の獲物に視線を移す。
先程の森の中では普通に見えた尻尾だったが、今はホーンテッドウルフの特徴であろうその尻尾が蒼白い燐光を放つように輝いている。
それは曇天で暗くなった下で見るとより強く、神秘的にも見える。
たしかにこれから作られる生地ならいい贈り物になりそうだ。
そんな事を考えていると、頭の上でポンタが雨に降られ毛先に溜まった水を振り払う為に盛大に身体の毛を振り乱した。
「おお、すまんな。とりあえず中に入れて貰おうか」
大樹の屋敷の玄関を叩き、中から誰何する返事に答えると、扉が開き中から不思議そうな顔をしたグレニスが顔を出した。
「あら? 随分と早い帰宅なのね」
「うむ、アリアン殿が姉上殿の婚儀の際に贈る為の品を手に入れたのでな。それもあって一旦此方へ戻る事になったのだ」
グレニスに説明しながら視線を屋敷の庭先に置かれたホーンテッドウルフに移すと、彼女の視線もそれにつられてそれを視認する。
「あら、随分と立派なホーンテッドウルフねぇ。しかも三匹も」
グレニスは庭先に並べられたホーンテッドウルフを感心したように見てから、雨足の強くなりつつある空を仰ぎ見る。
「とりあえず中に入って。アリアンは猟師に引き取りを頼みに行ったんでしょ?」
「ではお言葉に甘えて」
先日発った屋敷の玄関を再度潜り、彼女の案内で二階の食堂へと通され、そこでお茶を振る舞われる。
兜を外し、暖かいお茶に口をつける。お茶の色は紅茶色で砂糖は入っていないが、味も紅茶と殆ど遜色ない。
隣の椅子の上では、ポンタが湿った毛を舐めて必死に毛繕いをしている最中だ。
それを眺めながら紅茶を飲み、やがてポンタが居眠りを始めた頃には三杯目の紅茶を啜っていた。
「遅いわね、あの子。もう今日はここに泊まって行きなさいな、外はもう雨よ」
彼女の言葉が告げた通り、食堂の窓から見える外は本格的に降り出した雨が窓硝子を叩き、十六時くらいにも拘らず既に辺りは暗くなり始めていた。
アリアンは恐らくホーンテッドウルフの引き取りを頼んだ猟師に同行しているのだろうから、まだ少し時間が掛かるかも知れない。
ならば奇しくもララトイアのアリアンの実家まで戻ってきたのだ、此方の新たな目的の一つを叶えるために行動を起こすのもいいだろう。
そう決意を新たに、眼前に座るグレニスに声を掛けた。
「グレニス殿。この家には風呂があると聞き及んでいるのだが、それを使わせては貰えないだろうか? 勿論湯を沸かす為の代金は支払う」
「お風呂? まぁそれは別に構わないわよ。代金も特に要求したりはしないけど……、入るの? あなたが?」
此方の真摯且つ、真剣な態度の嘆願に彼女は風呂の使用を快諾してくれたが、少し首を傾げられてしまった。
「骸骨のあなたが身体を温める必要性の有無は脇に避けるとして、ポンタちゃんも一緒に洗ってあげればどう?」
「うむ。たまにはポンタも洗って綺麗にしてやるとするか」
眠りこけているポンタを担ぎ、グレニスの案内で通された風呂場は一階の離れのような場所にあった。正面の玄関からは大樹の屋敷の影で見えない所だ。
小川から取水してそれを風呂釜で焚き、大きな木桶風呂に溜める構造のようだ。ただ風呂釜の火は魔石を燃料とした魔道具らしくかなり近代的だった。
人族の貴族などにもこれらの給湯器的魔道具はそれなりに普及しているそうだ。
そんな割と使い慣れた形式の風呂にポンタと一緒に戯れながら入り、すっかり骨の芯まで温まり屋敷に戻った頃にはアリアンもすでに戻って来ていた。
エルフ族の纏う民族衣装的な着流しのような羽織をして、頭蓋骨にポンタを乗せ肩に手拭いスタイルで戻った自分をアリアンは呆れ顔で迎えてくれた。
「随分寛いでるわね……、骨の身体で何か得るものはあったの?」
「うむ! やはり風呂は命の洗濯だな!」
自分的には満面の笑みで答えたが、如何せん表情筋のない顔ではあまり相手には伝わらないようで、彼女は「それは良かったわね」と一言で流されてしまった。
その日は再びアリアンの実家の世話になり、一泊する事になった。
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