ララトイアへお出掛け1
見上げるような高さと太い幹の大樹、それらが辺り一帯に立ち並ぶ森の中、地面に張り出した苔に覆われた根に蹴躓かないように足を進める。
すでに空の東が白み始めつつあるが、鬱蒼と茂った木々の葉が邪魔をして地面に落ちる日差しは僅かばかりでしかない。
そんな中を背中に担いだ金貨入りの大袋三つが、歩く度にチャリチャリと中で音を鳴らしながら、木々の葉擦れと共に森の中で混じり合う。
ここは異世界の森、エルフ族が居を構えるカナダ大森林の真っ只中だ。
寝落ちする前にプレイしていたキャラクターの姿のまま放り出されたこの世界で、訳も分からず右往左往している時に何やら成り行きでエルフ族を助ける事になってしまった。
その事に関しては一ミリも後悔はない。日本人ならエルフ族や獣耳族が割を食っていれば人間を差し置いてでも助けようと思う、そんな民族の筈だ。多分。
前を歩くエルフ族の女性は、中でも数の少ない種族、ダークエルフと呼ばれる種族だ。薄紫色の水晶の様な滑らかな肌に、雪の如く白く長い髪、鋭く尖った耳はエルフ族の耳より短い。長身で長袖長裾の地味な衣服の上に革のコルセット型防具を纏っているが、その内に溢れる肉感的な肢体は男の視線を無意識に集めるには充分な魅力を放っている。
彼女の名はアリアン・グレニス・メープル。このカナダ大森林の森都メープルに所属する戦士の一人だ。腰には細身の剣が下げられていて、精霊魔法を得意としている。
そんな彼女の歩く度に上下に揺れる胸と、足を運ぶ度に振られる臀部に、後ろから付いて行く自分はまるでハーメルンの笛吹き宜しく、目線で彼女を追い掛けていると、不意に彼女が立ち止まりその金色に輝く双眸で一睨みしてきた。
どうやら視線に感づかれたらしい────。
この世界に来た時に得た身体は、寝落ちする前までプレイしていたゲームのプレイヤーキャラクターのそれだった。
細部にまで装飾が施され、白と蒼を基調に彩られた白銀の全身甲冑、まるで神話の騎士が身に着けていそうな豪奢な鎧。
風に揺られてはためくマントは夜の闇を思わせる漆黒、内側にはまるで夜空を切り抜いたような煌めきがマントの中に見え星空のよう。
背中には精緻なデザインで装飾された大きな丸い盾を担ぎ、背中の腰元には神々しい程の存在感を放つ大きな剣を提げている。
そして極めつけは、その鎧の中身が全身骸骨姿の身体だった事だ。
そのため鎧の中にある身体には眼はない。眼窩に蒼い人魂のような灯火が揺れているだけだ。
それでも彼女には視線を感じるらしい、女性の感覚とは恐ろしい。
そんな益体もない事を頭の中で思考していると、後ろから二人の女性の声が掛かる。
「随分と魔力を消費したわ。精霊魔法は打ち止めよ、何か武器を貸してくれない?」
「疲れましたぁ~。何処かで一旦休憩しましょぉ……」
それぞれ灰色と黒色の外套を身に纏い、後ろから付いて来る二人の女性。翠がかった金髪を長く伸ばし、特徴的な長い耳が髪の間から覗く。色白な肌にダークエルフであるアリアンとは違い、全体的にスレンダーな体型で鋭い目付きの彼女の名はセナ。
そしてセナとは違い、短かく切った髪で少し垂れ気味の目の女性はウーナ。
二人ともつい先程まで、人族のディエント領主に囚われていたエルフ族の女性だ。救出した際に着ていた服は些か扇情的すぎたので、今は自分とアリアンの外套を渡して被ってもらっている。
ディエントの領主の屋敷から、脱出する時に失敬してきた金貨の山は、今は全部で三つの大袋に入れて、全て自分で背負っている。手が塞がっている為、前後の彼女達に森の中で遭遇する魔獣から護衛して貰っている状態だ。
「そろそろライデル川に下りられる場所に出るわ。一旦そこの河原で休憩にしましょ。後はそこから少し上流に上がれば目的地ね」
先頭を歩くアリアンが振り返りながらそう告げたとおり、少し歩いた先に比較的川岸に下りやすい場所が見えて来た。
川幅も広く、木々の遮りが無くなり視界が明るくなる。
だいぶ日の光も明るくなり、朝日が森の木々を照らし出して、木漏れ日を徐々に増やしつつあった。
金貨の詰まった大袋を下し、適当な岩に腰を置く。他の三人も思い思いの場所に腰を下ろして一息吐く。
気持ちのいい場所だ。
川のせせらぎと、そこに吹く風が木々を揺らし葉をざわめかせる。鳥の鳴き声などに混じり、時折獣か魔獣の鳴き声も聞こえてくるが、比較的ここは穏やかな時間が流れている。
頭の上に貼り付いていたポンタもここは安全だと判断したのか、河原に下りて水を飲み、その後は前足を水面に浸けたりして遊んでいる。
ポンタは体長六十センチ程のキツネに似た動物だ。尻尾が身体の半分も占めており、その尻尾はまるでタンポポの綿毛のようで、顔はキツネそのままだ。ただ、前脚と後脚には被膜の様な物が付いており、そこだけはムササビみたいな印象を受ける。柔らかそうな毛皮は、薄い草色の翠の毛が背中全体を覆い、腹の毛は白い。
エルフ族が言うには精霊獣と呼ばれる珍しい動物らしく、通称は綿毛狐と呼ばれているらしい。精霊獣は滅多に人に懐いたりしないそうだが、餌をやると案外すんなり懐いてしまったポンタを見ていると、その言には多少の疑問を抱かざるを得ない。
ポンタが遊んでいる河原、ライデル川の上流に目を向けると、幅一メートル、体長が二メートル弱もある巨大なトンボ擬きが何匹も、その長く垂れ下がった尾を水面に浸けて飛んでいる姿が見える。
そして時折、巨大トンボ達が尾を跳ね上げ、尾の先に喰いついた魚を空中に放り出しては、それを器用に空中で咥え込む姿が見られる。
「あれはドラゴンフライよ。産卵期じゃないから近付かない限り襲ってくる事はないわ」
此方の視線の先に気付いたのか、アリアンがトンボ擬きの正体を教えてくれる。産卵期だと襲われるらしいが……。
この森は魔素が濃く、多種多様な魔獣が生息しているらしい。現にここに来るまでの間、結構な頻度で魔獣と遭遇して襲い掛かられた。
前後にいた三人が難なく撃退はしていたが、その影響でセナは魔力をかなり消費してしまっているようだった。
「セナ、あたしの剣を使って。あたしはまだ魔力に余裕あるから」
アリアンは魔力切れになったセナの為に、自分の腰に差した剣を引き抜き、それを彼女に手渡した。
その様子を眺めていてふと思い出し、金貨の入った大袋の一つを手繰り寄せて中身を探る。すると金貨に埋もれた中から一振りの剣が顔を出した。
セナとウーナの二人を助ける為に潜入した、ディエント領主の館で見つけた剣。名品級の剣で、柄には獅子の頭のレリーフがあしらわれ、眼には紅の宝石が嵌め込まれている。 銘は『獅子王の剣』。
荷物の中に放り込んで来た物を、今迄すっかり忘れていた。
「アリアン殿、良かったらこれを使うといい」
もうすっかり板についたロールプレイの騎士口調で、彼女に獅子王の剣を差し出す。彼女はその剣を受け取り、軽く目を見開く。
「いいの? 随分といい剣よ、これ」
「なに、構わぬよ。ディエントの館で埃を被っていた代物だからな。それに我にはもう此れがあるしな……」
そう言って腰裏に斜めに差した一メートルの剣身を超える両手剣、神話級武器の『聖雷の剣』を示して見せる。
彼女は一瞬呆れたような顔をしたが、特に何を言う事もなく、剣を抜き握りや振りを確かめた後、一人頷き鞘に戻す。
「ありがとう、アーク。助かるわ」
厚めの唇に笑みを乗せて彼女は礼を言うと、その剣を腰に差す。
「そろそろ休憩を切り上げて、川の上流に向かうわ。アーク、頼めるかしら?」
「承知。荷物を持って我に掴まるといい、上流まで一気に転移で移動する」
そう言って、自分も河原に下した金貨の大袋を三つ担ぎ上げる。水辺で遊んでいたポンタも察したのか、自ら生み出した精霊魔法の風に乗って滑空すると、一直線にいつもの定位置、兜の上に貼り付いた。
全員が自分の身体に掴まるのを確認した後に、川の上流に目を向ける。
「【次元歩法】」
魔法士の補助魔法スキル、短距離転移の魔法を行使すると、今迄立っていた場所の風景が一瞬で変わる。先程目標に設定した、川の上流にあった大岩の上に転移していた。
「はぁ、便利な魔法ですねぇ~。さっきの森も、これで進めば良かったんじゃないですかぁ~?」
ショートヘアのエルフ、ウーナが辺りの様子を見廻しながらそう呟く。
先程まで立っていた河原は、今いる位置から見ると川のかなり下流の方に見えている。
「森のような、あまり見通しの良くない場所では飛べる範囲が限られるのでな」
移動にこの上なく便利な魔法だが、自分が視認できる範囲にしか飛べない。下草の多い森などは飛んだ先の足元が沼だったり、崖だったりすれば一気に足を掬われてしまうのであまり多用するのは禁物だ。
「そうなんですかぁ。それでもやっぱり便利ですねぇ~」
ウーナは何度ものんびりとした相槌を打って感心しきりであるが、それを軽く流しながら、さらに転移を繰り返して川の上流へと向かう。
やがて川の分岐までやって来た。
北に聳えたつ風龍山脈から流れ込むこの川は、この場所で二つに分かれる。
自分達が遡って来た方の川をライデル川、そしてもう一方の川をリブルート川と呼ばれているらしい。
川の幅はかなり広く、水の深みのある色を見れば水深もかなりあるようだ。水量が多く流れも急なので、普通なら対岸に渡るにはさらに上流に遡るそうだ。
四人でここまでやって来たのは、エルフの里の一つ、『ララトイア』へと向かう道標となる起点となる事と、ここで合流予定の者たちがいるからだ。
各々が辺りを見廻していると、ライデル川沿いの近くの森の木陰から複数の人影が現れるのが見えた。
麻色の外套を纏った一人のエルフ族の男が周囲に気を配りながら歩くなか、その周りにいた四人のエルフ族の少女がこちらを見つけ駆け寄って来る。
ディエントの街の人攫いの拠点に一緒に乗り込んだエルフ族の戦士ダンカと、囚われていた少女達だ。
真っ直ぐ此方に走り寄って来るので、それを迎えようと膝を突く。
すると、頭の上に乗っていたポンタが地面に降り立ちお座りをする。たちまちそのポンタをエルフの少女達が取り囲んでしまった。
……どうやら人気は全てポンタに持って行かれたようだ。
「思いの外早かったな……。まさかとは思うが、この鎧男も連れて行くのか?」
ダンカは低めのよく通る声でアリアンに尋ねながら、膝を突き休憩している風を装っている此方をちらりと見やる。
「今回は彼に散々世話になったからね……。ちょっとした事情もあってララトイアの長老に会ってもらおうかと思ったのよ」
「……あまり親父さんには迷惑を掛けない事だな……」
アリアンの返答に、暫し瞑目したダンカはそれだけを言って口を閉じる。
彼女は白い髪を少し掻き上げて肩を竦めて見せて、「わかってる」と一言小さく返しただけだった。
「それじゃ、時間もないから先に進むわよ。アーク、渡河役お願いできる?」
鎧の肩をノックされての問いに、腰を上げて軽く頷く。
渡河と言っても、対岸に【次元歩法】を使って転移するだけだ。さすがに全員一気には無理だが、三度に分けてもそれ程時間は掛からない。
少女四人を全員、肩に担ぎあげて対岸に転移してやると、皆大はしゃぎしていた。ポンタに可愛さでは負けるがワイルドさでなら勝負できそうだ。
渡河を特に何事もなく終え、またそこからさらに森の奥へと分け入って行く。
また金貨の大袋を背負っての道程だったが、自分以外の全員がエルフ族で、大なり小なり精霊魔法が使えるとあって、道中に出る魔獣に関しては全く危なげがなかった。
ポンタも精霊魔法で風を起こしていたが、主に樹上にある木の実や果物を見つけては飛び上がって取って来るだけだ。ただ休憩中などに食べる事の出来る実を素早く発見して来るので道中の食糧には困る事はなかったが……。
やがて空の色が紅く染まり、森の影が色を濃くしていく時間になって、ようやく目的の場所に辿り着いた。
メリークリスマス♪
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