何やら事態が進行中1
ディエントの東門付近には歓楽街が広がっている。道幅はあまり広くなく、怪しい店が軒を連ねている。
そこかしこに飲んだくれて蹲っている者達や、陽気に鼻歌を歌いながら顔を赤くして千鳥足になっている者達が見受けられる。
ただこの時間帯は殆どの店が営業を終了している時間なのか、店から漏れる明かりも少なく、疎らに建てられたランプの頼りない街灯が路地の闇を一層深めている。
街路を照らす一番の光源である月明かりも、建物が密集する路地ではその光もなかなか届かない。
そんな路地をエルフの戦士ダンカを先頭に静かに進んで行く。石畳の道を行く足音は夜陰の静けさの中ではなかなか大きく響いて聞こえる。
しばらく進み先頭のダンカが不意に止まると、続いていたアリアンも足を止める。
ダンカが路地の角から顔を出しアリアンに向って顎をしゃくると、彼女は示された先のその建物に視線を移す。
どうやら目標の建物まで来たようだ。
二人が様子を窺っている建物を後ろから覗きこむ。そこは東門界隈にしてはまだ幅のある通りの前に建てられた建物で、石造りの三階建てだった。
建物同士は密集していて横の建物との幅は殆ど無い。建物の正面には鉄格子で作られた門扉があり、その手前には見張りの用心棒らしき風体の男が二人立っている。さらに鉄格子の向こうは建物内の前庭のような構造で、そこには男達が四人程ランプの明かりを取り囲んで座り、何か喋っては時折下品な笑い声を上げているのが見える。
手前の見張り二人を倒しても鉄格子内からは外が丸見えなので、奥にいる見張りにすぐに気付かれ奇襲し難い構造だ。頑丈な鉄格子を盾にすれば正面突破も早々許さないだろう。
襲撃して建物の前で間誤付けばすぐに周囲に異変を察知されてしまう。単独での襲撃は中々難しいだろうとは思う。
ダンカが目線でアリアンにどうするか問い掛けている。アリアンはその視線をそのままこちらに向けて流すと、フードの下から覗く艶やかな唇の端を少し持ち上げる。
それを見たダンカが憮然とした面持ちでこちらを睨め付ける。
「夜間の潜入にその鎧は何とかならなかったのか……音で敵に気付かれるだろ」
今身に着けている鎧はそこら辺の安物の鎧とは違い、やたらとガチャガチャと音が鳴ったりはしないが、完全に無音ではない。
たしかに潜入ミッションにはあまり向いてない装備ではあるが、中身が骸骨の自分には脱ぐという選択肢はあり得ない。
そんなことを考えながら何か言おうとすると、アリアンの方が先に口を開いた。
「どうせ仲間を助けたら中の連中はみんな始末するんだから、気付かれるのが遅いか早いかの違いでしょ、それより……」
確かに彼女達からして見れば人攫いの集団から仲間を助け出しても、組織そのものが残っていればまた誰かが被害に遭う可能性が高い。それならここで元凶を絶つのが自明の理だろう。
そうやって彼女は平然と言って退けると、建物の屋根にある小窓を指し示す。
「アーク、あそこに見える小窓まで飛べる?」
路地からは三階建ての屋根の上に三角の小さい屋根付きの小窓が見えている。窓からは明かりが漏れておらず、屋根裏の窓なのかも知れない。
「うむ、あそこまでの転移なら造作もない」
「良かった、なら路地の奥に移動してそこから飛ぶわよ。あなたの転移魔法は発動後の魔法陣が光るから、ここじゃ連中に感づかれるわ」
「いや、【転移門】は使わず【次元歩法】で移動する。こちらの方が短距離を転移するには向いている」
その言葉にアリアンの形のいい眉が微かに持ち上がり、驚きながらもその中に呆れの色が混じる声を上げる。
「短距離専用の転移魔法なんてあるの? 本当にあなた何者?」
「屋根まで飛ぶ。肩に掴まるが良い」
短距離転移である【次元歩法】は自分が触れている物を一緒に転移させるが、触れていなければどんなに近くにあっても一緒には転移できない魔法だ。ポンタはいつも頭の上に貼り付いているので飛ぶには支障はない。
アリアンとダンカの二人が肩に手を掛けるのを確認すると、転移先である小窓のある屋根に視線を向ける。
「【次元歩法】」
辺りの景色が瞬時に切り替わり、目線の先には月明かりに照らされた家々の屋根が広がっているのが見える。足元には先程までの路地裏の石畳ではなく、屋根瓦に変わっていた。屋根には当然傾斜があるため少し腰を屈めてバランスを取る。
全身甲冑の身で屋根に上がるのは結構心臓に悪い。いつ自重に耐え切れず屋根に穴が開くか内心ハラハラする。
「すごいな……」
ダンカは屋根に膝を突く形で屈み、周りの様子を眺めながら呟く。
この街の建物は三階建て以上の高さの建物の数が少ない為、屋根の上からでは視界が開けており街の様子が見渡せる。南西の方角には小高い丘の中心部に建つ領主の城が黒いシルエットとなり、満天の星空の下にその威容を浮かび上がらせている。
「ほら、さっさと行くわよ」
アリアンは屋根の上にあった三角屋根の小窓に近付きながら抑えた声でそう言うと、木窓を少し開けて中を覗き込む。窓ガラスの様な物はなく、単に木製の蓋の様な窓だ。ガラスはまだ高級品らしいのでこんな屋根裏の窓には使ったりしないようだ。
「大丈夫、中には誰もいない。ここから侵入できそうね」
そう言って彼女は窓を全開にすると、その身を室内に滑り込ませようとするも豊満な胸と尻が邪魔をして少しもがいている。
下から見た時もそうだが、近くから見てもこの窓はかなり小さい。アリアンやダンカも細身ではあるが、結構ギリギリの幅だ。
全身甲冑の自分には、この小窓から侵入することはどう考えても無理な話だ。となればやることは一つだ……。
アリアンが無事通過してダンカも問題なく小窓からの侵入に成功する。いよいよ自分の番になると開いた小窓から室内の様子を目視すると、【次元歩法】を発動させてすんなり中に侵入を果たす。
(ちょっと! そんな方法があるなら先に言いなさいよ!)
それを見ていたアリアンが抗議の声を小さく上げる。どうやら胸と尻が閊えたことが恥ずかしかったようだ。暗い部屋の中でも彼女の頬が朱に染まっているのが分かる。
別に太っているわけではないので、そんなに恥ずかしがる必要もないと思うのだが。
「どうやら此処はただの物置部屋のようだな……」
彼女の抗議の声を聞き流しながら、ダンカはその低くよく通る声でマイペースに呟きながら辺りの分析をしている。
物置と化しているのか、雑多な荷物が適当な配置で積まれている。スペースの割にはあまり荷物が置かれておらず、あまり人の出入りも無いのか、空気が埃っぽい。
ダンカは板張りの床を音を立てないようにゆっくりと進み奥にあった細い階段まで行き階下を覗き込むと、静かにしろと言う様なジェスチャーをする。
アリアンと互いに目線で頷き合うと、ダンカはそれを確認してからまた階下に繋がる階段をゆっくりと降りて行った。
暫くすると階下でダンカが何やら動き回るような気配がして、再び屋根裏の部屋に顔だけ出すと手で『来い』と合図を出す。
それを見てアリアンと一緒にダンカの後を追って階下へと続く階段を下りる。
そこは四つの二段ベッドが置かれた部屋だった。
生暖かい鉄錆の臭いがするだけで、部屋の中央にいるダンカ以外、人の気配はない。ベッドの上には四人の男が横たわっていたが、誰もが皆喉を一突きにされたのか血を流して事切れていた。
ダンカが男達の頭から毛布を掛け直し寝ている様に偽装工作を施す中、アリアンは部屋の中央にある扉へと近づき外の様子を覗っている。
どうやら大丈夫のようだ、アリアンがこちらに向かって手招きしている。偽装工作を終えたダンカと一緒に扉近くまで行くと、アリアンが無言で指示を出す。
ダンカは右、アリアンが左、自分が中央奥と言うことらしい。三人で頷き合い、扉を開く。
扉を開けた先には廊下があり、その奥には四角い吹き抜けが見える。吹き抜けの両脇には等間隔で三つずつの扉があり、その奥にも扉が一つに下へと続く階段が見える。
廊下には所々ランプが設けられており、建物の中全体を照らし出していた。
この明るさなら吹き抜けに近付けば階下を見渡せるが、向こうもこちらを視認できてしまうので両脇の扉を調べるには身を屈めないと危ない。
アリアンとダンカは低い姿勢で音もなく両脇手前の扉へと近付くと耳を澄ませて中の様子を探り出した。やがて扉をゆっくりと開けて二人が室内に滑り込んで行く。今この階層の廊下にいるのは自分だけになった。
足音を立てずに金属鎧の具足で板張りの床を歩くのは無理なので、奥に見える扉まで【次元歩法】を使って移動する。あまりこの魔法ばかり多様していると足腰が弱くなりそうだなと、益体もないことを考えつつ扉に近付く。
木製の扉で周辺の部屋の扉の様に簡易的なものではなく、装飾の施された重厚な扉で金属製のドアノブが取り付けられている。
扉の奥からは一人分の人の気配がするが、こちらが気配を探っているのを気付いたのか気配に警戒するような雰囲気が漂ってくる。どうやら向こう側の人物にこちらの気配を感づかれたようだ。
しかし向こう側から警戒するような声を上げる素振りがない。ここでずっとこうしている訳にもいかず、観念して扉を開けようとノブに手を掛けるがどうやら鍵が掛かっているようだ。ドアノブの鍵穴を覗き込むと扉の向こう側の部屋が見えた。鍵穴の向こうが見えるものなど、小学校の時の古倉庫の鍵以来だ。
鍵穴の向こうに見える部屋を視界に入れながら目標地点を定めると、【次元歩法】を発動させる。
廊下から鍵穴を覗き込む姿勢のまま明るい部屋の中に転移する。そこは廊下より明るい室内に何やら派手な調度品が両脇に所狭しと並べられた部屋だった。
部屋の中央には背の低いテーブルと革張りのソファ、部屋の一番奥には飴色の執務机が置かれている。その執務机には突っ伏したまま微動だにしない身形のいい太った男。
さらにランプの明かりに照らされて、周辺には武装した男達が三人程血塗れで倒れているのが見える。既に全員事切れているようにしか見えない……。
すると執務机の影から一人の黒ずくめの人物が頭を出してこちらを覗うようにして前に進み出て来た。
「扉の鍵は閉めてあった筈ですが、鎧のお兄さんは今どうやって入ったのですか?」
黒ずくめの人物は少しくぐもった声でこちらに話しかけて来たが、それには何も答えずに思わずといった感じで声が漏れた。
「忍者……」
思わず漏れた言葉に、全身黒ずくめの人物の小さい眉が少し釣り上がった。
それと同時に頭巾で覆われた頭頂部に付いた耳がピクリと反応して動いている……。
目の前の人物は小柄な少女だと思われる。全身を黒の布地服で包む姿は特に萌える要素はなく純然たる忍者の出で立ち。足には脛当て型の金属製の防具、腕には籠手をして、頭には黒く焼いた金属板を縫い付けた鉢金を巻き、腰裏には直刀の短剣を差している。
肌の露出は目元付近のみで綺麗な蒼色の瞳があまり感情をのせずに覗き、頭巾の上には三角型の黒い獣耳が付いている。さらに今気づいたが、腰には黒い尻尾を巻き付けたベルトの様な恰好になっていて、時折尻尾の先がふりふりと動く。
耳や尻尾は何処にも作り物めいた雰囲気はなく、どう見ても生きている反応を示している。この世界でエルフ族に次ぎ新たな種族に出会えたようだ。
忍者少女も全身黒の外套に身を包み頭に緑のキツネを乗せた鎧姿の自分を観察しているらしく、目線が全身を注意深く探っているのが見てとれる。
「ここの人間ではなさそうですね。何か目的でもあったのですか?」
忍者少女がこちらの観察を終えて再び質問を投げ掛けてくるが、自分は答えに窮することになってしまう。こちらの敵ではなさそうだが、部外者にここへの侵入の目的を安易に話してしまうのは不味い。
どう答えるか考え込んでいると、先に忍者少女の方がこちらの目的に見当を付けてきた。
「エルフ族の救助といったところですか……。それなら地下牢に囚われているようです」
その少女の言葉に驚きを隠しきれなかった。こちらは全身鎧姿なので中身が人族かエルフ族かなど判りようがない。アリアンもダンカも今は別の部屋を捜索中なので、傍にエルフ族もいないのにこちらの目的を淀みなく言い当てたのだ。
ちらりと彼女の足元に転がる元護衛達に視線を送る。
これらは彼女の仕業だろう。華奢な体格ながら、かなりの手練れのようだ。彼らからここに囚われている者の仔細を聞き出したのか。
自分の態度にこちらの目的を確信した彼女は目元を少し細くする。
「お主もエルフ族の解放を目的に此処に潜入したのか?」
態度を落ちつけてこちらからも彼女に質問するも、どうやら違ったらしい。彼女は静かに頭を振ってこちらの推測を否定した。
「ボクの探し物はここにはありませんでした。囚われたエルフ族の方達をどうしようかと思案していたところですが……、どうやらあなた達にお任せしてしまって良いようです」
彼女は机に置かれた大き目の重そうな革袋を手繰り寄せると、それを背中に背負いロープでキッチリと括り付ける。部屋の壁の横に開いた窓に寄りそこに足を掛け、忍者少女は振り返って別れの挨拶を口にする。
「あとはお任せします、貴方とはまた会う機会がありそうですので。それではまたお会い致しましょう……。そうそう、領主城にもお二人程エルフ族の方が囚われていますよ……」
そう言うや否や、背中の革袋の中身をジャラリと重そうな音をさせながらも、それを感じさせない動きで窓から屋根の縁に掴まると、くるりと一回転して屋根の上にその身を消して見せた。
やがて少女の薄い気配が遠ざかると、あっと言う間に夜の帳の下りた街中にその痕跡すら残さずに消えて行った。
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