龍王フェルフィヴィスロッテ
開け放たれた扉を堂々とした態度で潜り、姿を見せたのは随分と大柄な女性──と思われる。
身長は二メートルはあるが、さらに側頭から二本の黒色の角が生え、それぞれに捩れながら天を突き刺すようにそそり立っており、それが彼女を一層大きく見せていた。
蒼紫色の長い髪を風に靡かせ、髪と同色の瞳はまるで爬虫類を思わせる縦長の瞳孔が室内に居る者たちへと注がれている。
背中には小さな翼が生え、人形のように白い肌を持つ豊満な肢体、惜しげなく晒された胸部と腹部は男の視線を否が応にも惹きつける。しかし、そんな大胆な姿に反して彼女の肩口から腕、腰から下はまるで重装甲のような黒い鱗状の鎧に覆われていた。
そして彼女の背後、腰のあたりからは彼女の身長を上回るような鎧状の尻尾が伸びており、尻尾の先端はまるで水晶で形作られた剣のような形状をしている。
その姿を見れば、人でない事は明白だ。
先程の話の流れと、彼女の言葉、そして彼女と似た様な姿の存在を知っていれば、目の前に立つ彼女の正体が自ずと判明する──。
「龍王、フェルフィヴィスロッテ殿か……」
自分の呟きに対して、彼女は此方を視界に収めると、その口元をにっこりと笑みに変えた。
「正~解ぃ~。 あぁ、確かこういう時はなんやったか、呼ばれて飛び出てぇ、じゃじゃじゃじゃ~ん、やったしらねぇ。合っとるぅ?」
そう言うと彼女は、人差し指を顎に当てて小首を傾げて見せる。
悩ましい程の肉体に厳しい鎧を纏い、その視線は他者を圧倒する威圧感を放つ──しかし言動はそれに反して間延びした似非京都弁のような喋りと、その個性はかなり強烈だ。
自分が知っているもう一人の龍王ウィリアースフィムのような、如何にも頂点の種族といった口調や雰囲気は彼女にはない。
しかし目の前に立つ存在の圧倒的なまでの存在感は肌で分かる。
自分の背中に隠れていたアリアンもそんな彼女を目の前にして、小さく喉を鳴らす。
そしてそんな龍王 フェルフィヴィスロッテの後ろにもう一人、こちらはアリアンと同じくダークエルフ族の女性で、髪は肩口ぐらいの長さで纏め、その力強い金色の眼差しが此方を真っ直ぐに見つめ睨んでいた。
その彼女の顔立ちはどことなくグレニスに似ていると感想を持つが、彼女に築いたアリアンが発した「姉さん!?」という言葉でその謎はすぐに解けた。
アリアンの姉、確か名前はイビン──イビン・グレニス・メープルだったか。
ディランは突然登場したフェルフィヴィスロッテに向けて苦笑いを向けてから、その視線を此方へと移動させると、小さく頭を下げてきた。
そんな彼の行動を見ていた龍王フェルフィヴィスロッテは満面の笑みを此方に向ける。
「ふ~ん、あんさんがアーク・ララトイアかいな。確かに面白い存在やなぁ。魂の有り様がちょい変わってはるなぁ。エヴァと同じような存在なんやろなぁ」
彼女が呟いたそんな言葉に、反応を示したブリアン族長が視界の端に映る。
だがフェルフィヴィスロッテは彼のそんな反応を一瞥する事無く、長い尻尾を悠然と振って自分の方へと近づいて来て、ゆっくりと周りを回って此方のつま先から頭の天辺までを眺め渡す。
「そこのディランから話は聞ぃとるよぉ。今回の戦にぃうちが力を貸す事は吝かやないんやぁ。ただちぃっと、うちに付き合ぅてくれたらええねん。どうや?」
そう言うとフェルフィヴィスロッテは、縦瞳孔を細めて此方を見つめる。
身長が自分とほぼ変わらず、目線の高さが一緒な事もあって視線を逸らす事ができない。
「ふむ、我にできる事であれば協力するが。我に何をしろと?」
そう言って目の前の彼女に返すと、彼女は此方の返答に両端の口角を上げて笑みを作った。
「話が早くてええなぁ~あんさん。大丈夫ぅ、大丈夫ぅ。取って食ぅたりはせんからぁ。あんさんにはぁ、うちと余興をしてくれたらええねぇん」
武骨な籠手状の鎧に包まれた手をひらひらと動かし、彼女は指先を自身と此方へと指し示す。
そんなフェルフィヴィスロッテの要求に首を傾げていると、彼女はゆっくりと尻尾の先を持ち上げて、その先にある水晶の剣を足元に突き刺して見せた。
「うちとぉ、ここのメープルにある闘技場でぇ遊んで欲しいんよぉ。うちが楽しめたらぁ、今回の戦ぁうちがちぃとばっかり気張ったるでぇ? どうぉやぁ?」
不敵な笑みを漏らしながら、その豊満な肢体をくねらせるようにして此方に問い掛ける。
そのおかげで彼女の零れ落ちそうな胸が目の前で揺れて、話の内容が頭から抜けそうになる事に何とか耐えながら彼女を見返した。
普段のこの状況ならアリアンからの横やりが入りそうなものだが、龍王フェルフィヴィスロッテを前にしては、さしもの彼女も話に割って入る事はできないようだ。
後ろで事の成り行きに視線をじっと向けている気配が伝わってくる。
さて、フェルフィヴィスロッテが提示した条件が、闘技場という名の付く施設で遊ぶという事なのだから、二人で砂場遊びして山にトンネルを掘ったりする訳ではない事ぐらいは分かる。
ディランの様子から今回の事は既に把握していたのだろう。
彼が事前にフェルフィヴィスロッテに今回の戦への参戦を打診して、どういう話の流れからか、自分に興味を示した彼女が今回の条件を提示したのだと思われる。
ディランがそれを直前まで自分に黙っていたのは、自分ならば彼女と対等に渡り合えると踏んだからか、それとも事前の選択肢を断つ為か、もしくは目の前の龍王が口止めをしていたか。
龍王フェルフィヴィスロッテが怪しく、艶然と笑う。
彼女は先程、此方を見て「エヴァと同じ」と言った。
エヴァとは恐らく、この里の創始者、初代族長エヴァンジェリンの事だろう。その彼女と自分が同じ存在であるだろうとフェルフィヴィスロッテは語った。
口ぶりからしてディランから話を聞いた際に、既に此方の存在のだいたいの見当は付いていたと見るなら、彼女の興味の先がどうあっても自分へと向くのは止められなかっただろう。
そこまで思考して一旦、大きく息を吐き出す。
「勝負の規定と日時は如何に? フェルフィヴィスロッテ殿」
そう彼女に自分が問い掛けると、龍王フェルフィヴィスロッテが満足そうに頷いて見せた。
森都メープルに築かれた闘技場はかなり巨大な建築物だ。
外観は有名なローマの円形闘技場、コロッセオを彷彿とさせるが、外郭の壁には等間隔に真っ直ぐ伸びた大樹が柱のように立ち、石材で組まれた壁と融合しているなど独自の外観部分もある。
そして内部も随分と雰囲気が違う。
まず闘技場の総面積に対して、観客席となるような場所が少ない。
高さは二階か三階部分に相当する高さに観覧席が設けられているが、それは闘技場の舞台を取り囲むというよりも、むしろ外郭壁と闘技場の舞台の隙間の空間を観覧席にした、という方が正しい。
闘技場の舞台がほとんどの面積を占めているのは、この闘技場のそもそもの使い方が娯楽の為に建築された訳ではないという所にあるのだろう。
アリアンの話によれば、もともとこの闘技場は戦士たちの訓練など使う事が主な目的で、見世物などの娯楽としての用途に用いられる事は少ないそうだ。
訓練の用途として使われる設備の一つとして、この闘技場に東西に設けられた門が上げられる。東西の門のうち西側の門は頑強に造られた通路を通じて、この森都メープルの外──つまりはカナダ大森林に繋がっているのだという。
その理由が、大森林で誘導した魔獣などを闘技場内へと引き入れて、この場でその魔獣との戦闘訓練や習性の観察などを行えるようにしてあるそうだ。
勿論、門を開け放ち、入って来た魔獣を迎え討つという、一種の力試し的な余興にも使われるが、それは戦士団内で行われる行為であって、見物客を呼び込む為ではないらしい。
だが今、目の前の闘技場の舞台、その周囲に設けられた申し訳程度の観覧席には、多くの見物客が詰め掛けており、そこかしこで盛り上がる話し声が聞こえてくる。
エルフ族、ダークエルフ族、そしてドワーフ族までもが観客席に座って闘技場の舞台に熱い視線を送る彼らは、いったい何処から今回の話を聞きつけたのだろうか。
少し前に、森都メープルにある巨樹の塔──ディランによると中央院と呼ばれているそうだが、そこの会議室で突如現れた龍王フェルフィヴィスロッテから、今回の戦で彼女が参戦する際の条件として提示されたのはこの自分と彼女とが剣を交わす遊興の場だった。
準備もあるだろうからと、闘技場に昼を過ぎた頃合いで訪ねて来るようにと言われて来て見れば、既にご覧の有様だったという訳だ。
彼女自身が触れ回ったのか、娯楽に飢えた人々多かったのか、とりあえずここまで来てしまえば彼女の望み通り、余興に付き合うしかないだろう。
今回の不死者大侵攻を食い止めるには、二正面で敵を倒す必要がある。
デルフレント王国侵攻側の敵と、サルマ王国侵攻側の敵の両方叩くには片方は自分が主力を張るとして、もう一人強力な味方が必要だ。
相対した時の口調や言い回しはかなり奇妙な彼女だが、その纏う雰囲気は龍王ウィリアースフィムのそれとは別格だ。
彼女のヤル気を引き出す為には精々彼女を楽しませる必要があるのだろうが、果たしてそれが可能かどうか──些か自信がないのは、この世界には本当の実力者という者が多く存在するからだ。
龍王フェルフィヴィスロッテ、彼女もまたその一人だろう。
周囲の観覧席を見渡すと、他の席よりも一段高くなった場所にアリアンや彼女の姉イビン、ディラン長老にブリアン族長や十人の大長老たちまで観戦しに来ている。
そして緑色の毛玉、ポンタはアリアンの腕の中で、イビンに突き回されていた。
そんな彼女らの様子を見上げながら闘技場の東門を潜り、舞台の中央に足を進める。
まだフェルフィヴィスロッテは姿を現してはいない。
自分が舞台に姿を現した事によって人々の反応が大きくなる。
見物人の多くは戦士風の姿のエルフ族が多い事から、今度の戦でも肩を並べる者も中にはいるのだろうと思うと、あまり格好悪い姿を見せては今後に差し障りがありそうだ。
自分は舞台の中央に進み出て、『テウタテスの天盾』を構え『聖雷の剣』を抜く。
それを待っていたかのように突如、空に向かって旋風が吹き荒れると、闘技場の上空に背中の小さな翼をはためかせて飛ぶ人の姿をした龍王フェルフィヴィスロッテが現れた。
どうやら龍形態と戦う訳ではなさそうだ。
彼女の龍形態がどれ程の大きさになるのかは知らないが、ウィリアースフィム以上の大きさだった場合、闘技場で暴れられるサイズではないだろう。
最悪の場合、闘技場が瓦礫の山と化す事が容易に想像できる。
──一先ずは安心という訳だ。
フェルフィヴィスロッテが闘技場の舞台へと降り立つと、巻き起こっていた風が止む。
闘技場の見物客たちからの歓声が彼女を迎えた。
「ちぃとばっかし騒がしくなってもうたけどぉ、ふふふ、余興は楽しゅうないとなぁ? ほんならぼちぼち、始めまひょか」
そう言うや否や、フェルフィヴィスロッテが地面を蹴って此方への間合いを一瞬で詰めて来る。
いや、その速度は間合いを詰めるというよりも、ミサイルの如く突っ込んで来たと表現した方が正しいだろう。彼女はその鎧のような手甲で覆われた手を貫手の形にして打ち込んでくる。
一瞬の判断──左の盾でそれを弾こうとするが、次の瞬間、襲い掛かってきた衝撃に盾が腕ごと持って行かれそうになって思わず後退るが、すぐに次の攻撃が襲ってくる。
「ぐっ!?」
闘技場内にまるで重量級の金属塊が衝突し合うような衝撃音が響き渡る。
「ほらぁほらぁ、防いどるだけやと埒があかんでぇ?」
彼女の声が弾み、一瞬脳裏に感じた嫌な予感に、身体が反射的に後ろへと飛ぶ。
その予感は正しく、彼女の腰から長く伸びる鎧状の尻尾、その先端の水晶の剣が一瞬で伸びてきたかと思うと頭上から振り下ろされた。
その一撃を紙一重で躱すが、振り下ろされた水晶の剣が闘技場の舞台である地面を砕き、その場所に抉られたような穴ができあがっていた。
「おやぁ、死角を突いたぁ思たのにぃ。なかなか、反応はよろしおすなぁ」
フェルフィヴィスロッテはそう言ってころころと笑い、再び尻尾を振り回して攻撃してくる。
あんな一撃を喰らえば流石の自分も無傷では済まないだろう。
迫り来る水晶の剣を同じ剣で弾き返してまた一歩下がる。
防御をしているだけでは圧倒的に此方が不利だ。
相手は両手に加えて自由自在に動く尻尾、さらには彼女の攻撃能力ならば両足ですら致命の一撃を放つ事ができるだろう。手数が違うのだ。
彼女の怒涛の一撃をなんとか捌けているのは、自分の高い動体視力とグレニスとの戦闘訓練の賜物と言っても過言ではないだろう。
一撃、一撃がまるで巨人の攻撃のような衝撃を受ける。
一度大きく下がり、向こうがそれに追い縋ろうと前に出た瞬間、此方も同じく前に出て手に持った『聖雷の剣』を振るう。
激しい火花が散ったかと思うと、彼女が鎧を纏った手で剣の刃を握って止めていた。
普通の魔獣程度ならあっという間に真っ二つにできるような神話級の武器で、さらには同じ龍王であるウィリアースフィムの身体も斬った事のある剣だったのだが、彼女の鎧にはまるで歯が立たないようだ。
金属同士が擦れ合うような、嫌な摩擦音が闘技場内に響き、耳の中で軋みを上げた。
見物人の多くもその音に顔を顰めている様子が横目に映る。
自分としては目一杯の力を込めているのだが、彼女は片腕を支えに使って、もう一方の腕で剣を掴んだまま、不敵な笑みを浮かべていた。
「本当にぃ、うちの膂力に真正面から対抗するぅやなんて、ほんま驚きやでぇ?」
まだ彼女には身長を超える長さの尻尾がある──この拮抗状態は彼女が作り上げた隙なのだ。
その好意には十分に甘えさせて貰う必要がある。
「【岩石鋭牙】!」
フェルフィヴィスロッテの周囲の地面が盛り上がり、次々に牙状に変化した岩が彼女を襲う。
しかし彼女はそれを悠然とした動きで後ろへと宙返りして躱し、次いで襲い掛かる岩の牙を尻尾の先端の水晶の剣で一閃する。
それだけで全ての岩の牙が断ち切られ、その残骸が辺りに散らばった。
彼女の防御力なら、最初の一撃を躱す必要もなかっただろうが、律儀に攻撃を躱す事でこの場の戦いを楽しんでいるのだろう。
まさに彼女にとってこの場は余興なのだ。
「一瞬での魔法発動ぉ、なかなかやわぁ。まぁ威力はいまいちぃやけどなぁ」
艶然と笑う龍王に、最初は傷を負わせてしまうかもと思った自分だったが、それはまったくの杞憂、どころか彼女に傷一つ付ける事もできていない。
遠慮は無用という事なのだろう。
「【飛竜斬】!」
ある程度の間合いが離れた中距離、彼女の尻尾の攻撃範囲の外から衝撃波を伴った斬撃を叩き付け、さらにそこに二撃、三撃と同じ【飛竜斬】を彼女に見舞う。
しかし彼女はその悉くを腕で弾き、尻尾で切り伏せて此方の攻撃は届かない。
斬撃の衝撃波を彼女が相殺する際、生まれる余剰の力が周辺の土を吹き飛ばし、その場に土煙が蔓延して彼女の姿がその場から消える。
此方から見えなくなるという事は、向こうも同じく此方が見えていない筈──。
「【雷撃豪雨】!!」
物理特性の高い土系統では彼女の防御を突破できない、という事で今度は雷撃系で攻めてみる。
辺りの気圧が急激に変化し、周辺の空気がざわつく。
次の瞬間、空気を切り裂く雷鳴と、それが地面へと落ちる衝撃で耳を劈くような大音響が轟き、辺り一帯に目も眩むような雷光が降り注ぐ。
闘技場はかなり広いので観覧席の者には当たらないだろうと踏んでの使用だったが、先程の閃光と大音量による二次被害が多く発生しているようだった。
多くの見学者たちが耳を押さえて蹲っている。
耳がいいというエルフ族の特性が裏目に出たのかも知れない。
そして肝心のフェルフィヴィスロッテの方はと言えば、彼女の周囲の地面はあちこち焦げて黒くなっているにも拘わらず、彼女の足元は円周状に綺麗なまま残っていた。
その様子から見て、此方の雷撃を防ぐ防壁みたいなものを展開していたのだろう。
ここまで来ると何でもアリだな……内心でぼやきながら次の方策を考える。
「はぁぁ、びっくりしたぇ。ほんまぁにぃ。でもぉ、ちぃと威力、落としたぁやろぉ?」
「むぅ……」
フェルフィヴィスロッテはそう言って長い蒼紫色の髪に付いた埃を掃って、此方の魔法攻撃の際のちょっとした機微すら察知して指摘してくる。
あまり広範囲に放っては周囲の被害が広がると思い、無意識に制動を掛けてしまった事を見抜かれたようだ。いったいどんな感覚を持っているのだろうか。
そんな事を考えていると、今度は彼女の方が先に仕掛けてきた。
「ほなら、こっちももぉちょぉっといくでぇ!?」
その言葉と同時に、彼女の周囲に六つ程の光球が次々と浮かび上がると、それらが一瞬で加速し、此方へと一直線に飛んできた。
空気を一瞬で切り裂き、鈍い音を響かせながら次々と襲い掛かってくる光球を躱すと、光球はそのまま闘技場の舞台に着弾し、その場所で小規模な爆発が起こる。
それらが幾つも襲ってきて、何とかそれらを躱すが、周囲は爆発であちこちに地面に窪地ができ、避ける場所が次々に無くなり、足をとられそうになっていく。
フェルフィヴィスロッテの周囲には発射されたしりから、新たな光球の生み出され、それらも次々に此方へと殺到してくる姿が視界の端に入った。
──このままでは射的の的だ。
「【次元歩法】!」
短距離の転移魔法を発動させて、彼女の死角である斜め後方へと飛ぶ。
自分の姿が掻き消えて、瞬時にフェルフィヴィスロッテの後方に現れた事によって、観覧席の人々から驚愕した声があちこちで聞かれた。
「【聖雷の剣】!」
蒼い紫電が走り、光の帯のような剣身が通常の倍ほどの長さへと伸びて、紫電を纏った長大な雷光の剣へと変貌して、周囲の空気を侵食するようなバリバリという音が手元から発せられる。
「うぅん? それぇ、面白いなぁ」
既に自分の居場所を把握していた彼女が、雷光の剣を認めてニンマリと口元を歪める。
それと同時に生み出された光球が一斉に飛来してくるが、それらを『聖雷の剣』で薙ぎ払うと、一部の光球が消し飛び、弾き飛ばされた光球の一部が闘技場内のあちこちで爆発する。
まるで朝靄のように漂う土埃が風下に立っていたフェルフィヴィスロッテに流れていくのを見て、またとない機会だと思い、一気に転移魔法で彼女の死角へと入ってその間合いを詰める。
「【次元歩法】」
既に雷光の剣を構え振る態勢──転移魔法を何度か重ねて飛んだ先で、彼女の背後からその雷光の剣を振り下ろす。しかし──、
バチィィンン!
長大に伸びた雷光の剣、それを彼女は物理的な剣のない部分を掴んで此方を振り返る。
「あきまへん、あきまへんなぁ。そぉんな、大きゅう音鳴らしはってたらぁ、不意打ちなんて無理でっしゃろぉ? 後ろからを卑怯とは言いまへんけどぉ、もうちぃとばっかし、工夫せななぁ?」
そう言って静かに笑う彼女に、自分は手持った剣を握ったまま相手を見返した。
「ぬぅ、どうやって『聖雷の剣』の剣を掴めておるのか、聞いてもよいか?」
未だに紫電を纏っている剣身は触れれば勿論、物質的な剣でない部分を掴むなど、普通は不可能だと思いっていたのだが、目の前の彼女はしっかりと掴んでいて、纏った雷光の影響も見られない。
薄っすらと彼女の身体全体が淡い光のようなものを纏っているが、これは──?
動きが止まった事により相手の状態をはっきりと認識できると、彼女と視線が合う。
「うちら龍王の鱗にはそう易々と傷はつけられへぇえんよ。それになぁ、この鱗が本当の真価を発揮するんわぁなぁ、こうやってぇ精霊力を纏うと魔法も弾くんよぉ?」
そう言って彼女が笑った瞬間、彼女の尻尾がうねるように持ち上げられて、先端の水晶の剣が此方に襲い掛かって来た。
自分は思わず彼女が掴んでいた剣を引き剥がそうと、ありたっけの力を込めて対抗しようとすると、剣が纏っていた雷光が局所的に肥大して、彼女の手を弾いていた。
「っ!?」
フェルフィヴィスロッテが驚愕の表情に変わり、互いがその時の反動で大きく後ろへと下がると、襲って来た彼女が操る水晶の剣を寸での所で雷光の剣で弾き返す。
互いの剣の衝突がその場に甲高い悲鳴のような音が響かせ、間合いを少し開けて彼女と睨み合う。
実体のない雷光の剣を握れるという事は、魔法が彼女の身体に到達し得ないという事を端的に表している事の証左だろう。
薄っすらと全身に光を纏うような龍王は、魔法に分類される攻撃を高い精度で無効化できるとなると、彼女があの状態では通常の物理攻撃も魔法攻撃もほとんど届かないという事だ。
攻撃が利かない時点で自分に勝利の目はないのだが、果たして──。
しかし、先程の彼女の反応──、彼女の予想を裏切ったと見ていいのだろうか。
だが、もうそれに望みを賭けるしか方法はあまり残されていない。
今まで、魔法の威力はなるべく抑えて制御する事を重視して、そういう練習を重ねてきた。
それはこの世界ではゲームとは違い魔法に魔力を注いだ分だけその魔法の威力が上がる分、制御が格段に難しくなってくるからだ。
制御を失くした魔法は、自分の意思とは異なり、標的以外にも被害を齎す。
だから社やララトイアの里では空いた時間に魔力を控えて制御に重きを置いていた。
しかし、軽い魔法では彼女の誇る鉄壁の鎧の鱗は貫けない。
ここは一撃必殺──、
持っていた盾を放り投げ、握っていた剣の柄を両手で構えて相手に向ける。
「来たれ、時の番人! 【時の蛇獅子】!」
自分の足元に光る巨大な魔法陣が現れ、まるで機械式時計のような幾つもの発条で構成された召喚の為の魔法陣が規則正しく回転を始める。
そして足元の魔法陣が大きく撓むと、そこから獅子の頭を持った巨大な蛇が現れた。
獅子蛇はそのままゆっくりと、しかし素早く此方の足に巻き付くと、そのまま身体中に纏わりついた状態で這い上がって来る。
相手のフェルフィヴィスロッテはその光景を面白い物を見るような目で眺めていた。
強者の余裕という訳ではないだろう、互いの技を観衆に見せつけてこそ余興なのだ。
やがて獅子の頭が肩口にまで登ると、その鋭い牙を覗かせて一気に首筋へと噛み付き、それと同時に、獅子蛇が白銀の鎧に絡むような紋様へと変わって、身体中が淡い虹の光に包まれる。
時の番人により術者の時間を固定し、あらゆる障害を三分だけ跳ね除ける──とんでも召喚獣の一つだが、消費魔力も高く、効果時間も短い。費用対効は著しく悪いが、現実では無敵の時間を僅かでも生み出せるというのは破格の能力だろう。
彼女の攻撃をいちいち防いでいては持たない──その為の【時の蛇獅子】だ。
そして──、
「【聖雷の剣】!」
自分の中の魔力をいつもの発動以上に、一点に集中する勢い注ぎ込んでいくと、剣に纏わり付いていた紫電が膨れ上がり、辺りに眩い閃光が走り始める。
際限なく大きくなり始めようとする剣身を元の形に止めようと、その制御に全力を傾ける。
「ぬぅぅぅぅ!!」
のたうち回るような雷光の剣を睨み据えながら、つい先日降臨させて大暴れして記憶に新しい『焔源の熾天使』が使っていた戦技を思い出す。
彼女が使った戦技の内の一つ【紅焔執行剣】、極大の魔法を纏わせた炎の剣でありながら、彼女の意思に従ってそれは正確無比な力を発揮して見せた。
あの時の感覚を何とか引き出し、今の状況に当て嵌めて何とか全力で出力しながら、それを全力で制御する──この相反するような感覚の鬩ぎ合いはまったく以て口では説明しづらい。
雷光の剣が幾分形のある物に落ち着くが、この状態を維持するのは難しい──。
「いざ、参る!」
気合いを一喝、両手に握った剣を握り締めて、真っ向から彼女に突進する。
転移魔法すら扱う余力が今の自分にはない。
フェルフィヴィスロッテはそんな此方の様子を見て、本当に楽しそうな笑みを浮かべると、その彼女の周囲に先程までとは桁違いの数の光球を生み出し、それを一斉に此方に向けて浴びせかけるように仕掛けてきた。
まるで無数の流星のような光弾の嵐を、防御なしの全力で突っ込んで行く。
着弾した光弾が先程以上の威力をで爆発し、周囲の全てを巻き込み地面が吹き飛ぶ。
光弾が直撃しても、【時の蛇獅子】によって隔てられた時の障壁がその悉くを弾き飛ばして行くが、巻き起こる土煙と爆発の嵐で前はまったく見えない。
「うぉぉおぉぉぉぉおおぉ!!!」
見えない恐怖を振り払うように雄叫びを上げながら、我武者羅に前へと突き進む。
次の瞬間、土煙の中から現れた光弾が頭を掠め、爆発し、被っていた兜が後ろへと吹き飛ぶ。
【時の蛇獅子】の効力が切れたのだ。
『聖雷の剣』の制御に手間取り、残り時間がかなり短くなっていたようだ。
次の光弾が当たれば防ぐ事はできない──そう思った瞬間、目の前の煙が途切れ、フェルフィヴィスロッテの凄惨に笑う視線と激突する。
彼女の尻尾の水晶の剣が目にも見えない速度で反応し、自分と彼女が交差する──。
「ぐふっ……」
彼女の水晶の剣が自分の首筋に乗って僅かに食い込み、血が身体に伝う感触はあるが、致命的な傷ではなく、僅かに皮を斬っているという感触だ。
対して自分が握っていた『聖雷の剣』は既に纏っていた雷光が消えうせてはいるが、その剣身の半ばまでがフェルフィヴィスロッテの腹部に突き刺さり、そこから血が溢れ出していた。
その光景に自分は勿論、観覧席で息を飲んで見守っていた人々も驚愕の表情に変えた。
思わず握っていた剣の柄を離し、自身の手が震え、彼女の血で赤く染まった光景を見る。
フェルフィヴィスロッテがその場で頭を垂れるように、崩れ落ちて両膝を突く。
「アーク!! 何やってるの!? 回復魔法!! 早く!!」
真っ白になった頭にやけに響く聞き慣れた声。
それに視線を向けるとアリアンが必死の形相で叫んでいる姿が目に入り、ようやく思考が僅かながら戻り、自分は慌てて彼女の傍へと駆け寄った。
しかし、次の瞬間、今すぐにもその場で倒れ伏しそうになっていたフェルフィヴィスロッテが、自分の腹部に深々と刺さっていた『聖雷の剣』を無造作に引き抜くと、何の警戒感も無く近寄っていた自分に向けて思い切り振り払われた。
ガァイィン!
不意に眼前に迫った剣の峰を躱す事ができず、自分はそれを兜の被っていない顔面に直撃されて思わず、後ろに倒れ込んでしまっていた。
今回の余興前に飲んでいた龍冠樹の霊泉の効果で肉体を取り戻した状態だった為に、鉄塊のような剣に顔面を打たれて鼻から血が溢れ出していた。
起こった事態に訳が分からず顔を起こして見ると、そこには『聖雷の剣』を悠々と肩に担ぎ、此方を指鉄砲で指し示した彼女が笑顔を向けていた。
「隙ありぃ~やでぇ?」
「!?」
混乱する頭で彼女の腹部──先程まで深々と『聖雷の剣』が刺さっていた場所を見やるが、そこには何処にも傷痕の類が無く、綺麗なお臍が惜しげもなく晒されていた。
「……いったい、これはどういう??」
痛む顔面と鼻を押さえながら、何とか上半身を起こして彼女を見上げる。
すると彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて何でもない風に自らのお腹を撫でて見せた。
「うちら龍王の人型形態いうんわなぁ、ちぃとばっかし特殊でなぁ。あれくらいの傷では大した怪我にもならんのよぉ。詳しい事は秘密やけどぉ、人には絶っ対真似できんえぇ?」
そう言って笑う彼女を見て、ふと龍王は不死身なのだろうかという疑問が浮かぶ。
「言うとくけどぉ、不死身っちゅう訳やないからなぁ?」
まるで自分の考えを読んだかのように答える彼女に、底の知れない思いを抱いて身震いする。
「しかしまぁ、十分楽しめたしぃ、余興はこれで終いにしょおか」
そう言うと彼女は肩に担いでいた『聖雷の剣』をその場に突き刺して、その視線を一段高い観覧席に座るブリアン族長らに向けた。
「それじゃぁ、ここからは今後の戦の話やでぇ!!」
彼女の発言に対して、ブリアン族長が大きく頷くと、周囲の十大長老たちも立ち上がった。
「皆の者、我らはこれより、カナダ大森林が築かれて以来の大きな戦をする事になった! この戦いは我らの同胞を守る為であり、隣人を守る為でもあり、我ら自身のこの里を守る為でもある!!」
ブリアン族長が闘技場の観覧席に詰め掛けていた人々に向かって語り始めた話、それは彼に熱狂を以て迎えられる事となった。
とりあえず、戦力の確保という大役は務める事ができたと、自分はその場で大の字になって倒れ、自分の顔面に回復魔法を掛けてから大きく溜め息を吐いた。
「ふ~む、今日は随分とくたびれたな……」
そんな事をぼやきながら、自分は闘技場の舞台の上から晴れた青い空を眺めていた。
第七部の本編はこれに終了です。
明日は終章を上げます。
そして、出版社より最新刊の七巻とコミックスの一巻の献本を頂きました。
コミックスの方は書き下ろしのおまけのお話なども付いているので、良かったらお手に取って頂けると嬉しいです。^^