森都メープル
翌日、太陽が東の山脈から顔を覗かせ始めた早朝。
今自分の目の前に聳えるのは、ララトイアの里の転移の祠だ。
ディランの屋敷と同じく、大樹によって形成された建物で、視線を上げると立派な枝葉が四方に伸ばして、その下に揺らめくような影を落としている。
そんな祠の前に自分と頭の上に乗るポンタ、まだ欠伸を噛み殺しているアリアンに、そして今日の行先での案内人でもあるこの里の長老ディランの姿があった。
チヨメは山野の民だという事で森都メープルに入る許可は得られず、グレニスと共にこの里で大人しく留守番をする事になった。
転移の祠に入るとそこは背の高い吹き抜けの構造になっており、それを支える為の柱が幾本もその空間を維持する為に備わっていた。
その空間の中央には円形の舞台が配置されていて、そこには複雑怪奇な魔法陣が描かれ、その魔法陣自体も淡く光を帯びて足元を照らしている。
転移の祠の管理人だというエルフ族の男とディランが何事かを話してから、すぐに転移陣の上に移動すると、転移陣が起動されたのか魔法陣が眩く光って一瞬の浮遊感を味わう。
そして光が収まると、そこは別の場所に立っていた。
いや、建物の構造や置かれている物はあまり変わりはなかったが、建物の規模は大きく、その広い室内には幾つもの魔法陣──恐らく転移陣の円形舞台が配置されてあった。
先程とは打って変わって、多くの警備のエルフ族たちの姿があり、室内に施された多くの装飾や意匠の類らのその見た目からも転移の祠の中心──即ち、森都メープルの転移の祠へとやって来たのだろうと予測ができる。
ディランは自分たちを先導する形で前を行き、警備の者や他、幾人かと言葉を交わした後に振り返ってついて来るように言ってから、転移の祠の出口へと向かった。
「ふぅ、いよいよエルフ族の暮らす中心都市、森都メープルに到着であるな」
「きゅん!」
こんな状況であっても、今まで訪れる事ができなかったエルフ族の中心地へと足を踏み入れられた事にワクワクしていると、それが兜越しに頭の上のポンタにも伝わったのか、嬉しそうに綿毛の尻尾を膨らませて目一杯左右にワサワサと揺らして鳴く。
そんなポンタ──精霊獣の綿毛狐が珍しいのか、周囲のエルフたちの視線が集まってくる。
注目を集める中、転移の祠を出ると、そこは先程までとは風景が一変していた。
そこには長閑なララトイアの景観とは全く異なり、巨大な都市の姿が眼前に広がっていた。
ララトイアでは数が少なかった大樹の建築物がまるでビル街のように幾つも建ち並び、その根元には縦横に舗装された街路が張り巡らさせており、そこを多くのエルフ族の者たちが行き交っている姿は、まさに都会といった差し支えない光景だ。
通りには商店が軒を連ねているのか、この朝の早い時間にも拘わらず、客引きをする者や、それらを求める客の姿でごった返し、大層な賑わいを見せていた。
それは人族の街中での市場を超えるような熱気を感じる程で、そんな人々の往来を見ているだけでも不思議と元気を貰えるような気さえする。
そんな賑わいの多くのエルフ族の姿の中に、奇妙な姿の者が幾人も見受けられた。
身長にして百三十センチ程。
それだけならばただの小さな子供だが、丸太のように太く逞しい腕に、どっしり根を張った切り株のような身体、腰元まで伸びた髭に少しだけ尖った耳と、随分とエルフ族とはかけ離れた容姿の者たちがそこかしこに見えて、それらの者を自然と目で追う。
「アリアン殿、あれは……」
自分の口から出かけた言葉に、アリアンはその先の言葉を予想して答えを返してきた。
「そう、ドワーフ族よ。人族の世ではもうとっくに滅んだとされる種族だけど、ここのメープルでは結構な古株の住人なのよ」
そんな彼女の説明を聞いていると、前を行くディランが振り返って此方に釘を刺してきた。
「勿論、ここで彼らが暮らしている事は人族らには内密です」
自分とポンタが黙って同時に頷く姿に満足したのか、ディランは再び背中を向けて前を行く。
ディランの背中を追いかけながら、アリアンから彼らドワーフ族がここで暮らし、何故その存在が秘匿されているのかという歴史の勉強を受けながら、大樹のビルの谷間を縫うように進む。
「ほぉ、ドワーフ族の冶金技術を得る為に、人族から追い回されておったのか……」
アリアンの歴史講座に相槌を打つと、彼女は人差し指を立てて、それを此方に示してくる。
「そこを初代族長のエヴァンジェリン様が彼らを保護したの、だからこの事を里外に漏らしたりしないようにしないといけないのよ。わかってるの、アーク」
念を押すように此方の顔を見上げて、ぐいぐいと迫ってくるアリアンに、
「分かっているとも、我ももう“ララトイア”の名を持つ者であるしな」
「きゅん!」
と、胸鎧を叩いてその旨を了解した事を伝える。
ポンタもそれに同調して頭の上で胸を張っていた。
そんなやりとりを彼女としていると、周囲からの視線に晒されている事に気付いて我に返った。
白銀の鎧騎士の格好というのはどこに行っても目立つようで、周りを見渡せば周辺の全員から見られているような状態だった。
アリアンはそんな視線を嫌ってか、先に進むディランを追いかけてその場を足早に去ろうとし、自分もそんな彼女を追いかけて、結局二人して駆け足となってその場を後にした。
森都メープルの景色はどこを見ても自分にとっては新鮮な光景で、大樹の高層建築群はまさにビル街を彷彿とさせるものだが、有機的な植物が建物としての機能を備えて建ち並ぶ姿は幻想的な光景であるのと同時に、どこか未来的な風景を思わせる。
特に大樹の構造物同士の間に空中歩道が設けられて、そこを行き来する人々の姿は現代での建築技術でもってしてもなかなかに実現が難しいのでは思える程だ。
そんなあちこちに目を奪われていると、先を急ごうとするアリアンにマントの端を握られて強引に引かれながらディランの後を追いかける事になった。
「森都見学はまた今度にすればいいでしょ? 今はチヨメちゃんや他にも待たせてる人が多いんだから、先に済ませる事を済ませてからよ。気持ちは分かるけど」
「すまぬ、つい珍しい光景だったのでな……」
アリアンのそんな言葉もあって、自分も浮かれていた気持ちを引き締め、改めて今日の目的地へと向かう足取りを速めた。
やがて大樹の建造物群に阻まれていた視界が開け、目の前に広大な空間が現れた。
その広大な空間の中心には、これまでの建造物のどれよりも遥かに巨大な塔を思わせるような建造物が天を突くかのように聳え立っていた。
樹冠の大きさは然程大きくなく寧ろ疎らで、しかし幹回りは龍冠樹よりも太く大きく高さは見上げる程、そんな人が想起する「樹木」としての本来の形から逸脱した巨樹の塔は、全体的な形状だけを見ればどこかバオバブの木を連想させる。
「……まるで神話のバベルの塔のようだな」
不意に口から漏れ出た感想に、自分でも「まさに」と思わず頷いてしまう。
先を行くディランは真っ直ぐにその巨樹の塔へと向かっているようだ。
そんな樹木で造り出されたと思われるバベルの塔の根本、正面の広い玄関口には多くの警備の為の戦士が配置されており、近づいて行く此方に向けて警戒の視線が注がれる。
先導する形のディランがそれら警備の者に声を掛けて何事かを話して、すぐに通るように促されて自分やアリアンはそのまま建物の中へと入った。
中はまるで高級なオフィスビルの玄関ロビーのような雰囲気で、入り口の正面には受付のカウンターのようなものまで設置され、エルフ族の女性がにこやかな笑みで迎えてくれる。
そしてディランの姿を見つけた受付の女性が何やら合図を送ると、奥から別の案内係だと思われる女性が出て来て、自分たちを奥へ進むように促してきた。
その案内係の女性に連れられて、自分たちは奥にある丸い円筒状の部屋が幾つも並んだ一画に案内され、その内の一つの部屋に通された。
円筒状の部屋は一つ一つはあまり広くはなく、その中心には台座のような物が設置されており、台座の上部には丸い水晶玉が半ばまで埋め込まれていた。
まるで魔法使いの占いの小部屋のような印象だったが、案内係の女性がその水晶玉に手を翳すと、静かに水晶玉が発光して、急に身体に浮遊感が襲ってくる。
「お?」
そんな驚きの声と共に円筒状の部屋の床が浮き上がり、それが音も無く上昇し始めると、円形の床はそのまま円筒状の部屋の上部へと吸い込まれるようにして上っていく。
それはまさにエレベーターそのものだ。
いや、仕組みを考えるともっとこちらの方が高度かも知れない。
部屋自体をワイヤーで吊し上げるような事も無く、床自体が浮いて上へと上昇していくのだ。
このようなエレベーターなどSFのアニメで見るぐらいで、実際に目の当たりすると好奇心に駆られて、思わず上昇する床の上をあちこち歩き回ってその不思議な感触を堪能してしまった。
そんな此方を見て、案内係の女性は苦笑し、アリアンは顔を赤くして頭を押さえていた。
やがて上昇する際の浮遊感が薄れ、床の動きが止まると、案内係に降りるように促される。
エレベーターから降りると、そこは巨樹の塔の外周に設けられた渡り廊下のようで、外周に沿って設けられた吹き抜けの窓からは森都メープルが一望できた。
自分はそんな目を見張るような景色に誘われるがまま窓辺へと寄って、そこから見渡せる景色を思いっきり目の中へと収める。
「おぉ、この眺めはすごいとしか言いようがないな……」
大樹の建造物が建ち並ぶ街の姿が足元に広がり、少し外れた場所に視線を向ければそこには円形の競技場のような建造物まである。
正面にはどこまでも巨大な海のような湖が南北に延びて、その湖面に立ち込める朝霧の雲の中を、何艘かの船がまるで空の上に浮いて漁しているかのような姿が目に映る。
それはまさしく溜め息が出るような美しい風景で、個人的にはこの景色だけで世界遺産に推薦したいと思える程だ。
しかしその基準でいくと、この世界には推薦したい風景が数多くあった事が思い出された。
巨大な大地の裂け目の龍の咢や、龍王の住む龍冠樹、魔獣の多さに目を瞑ればカルカト山群の山並みや南大陸の黒の森なども美しかった。
そんなこの世界で見てきた様々な風景を脳裏に甦らせて溜め息を吐いていると、不意に後ろからアリアンの手がマントへと伸びて現実へと引き戻すように力強く引っ張られた。
「ちょっと、早くしないと置いていかれるわよ」
視線を声のした方へと向けると、アリアンの困ったような顔と、その奥で既に先へと行っていたディランと案内係の女性が、此方が追いついて来るのを振り返って待っていた。
「すまぬ、ついな……」
眉を顰めるアリアンに謝り、先へと進むとやがて正面に豪華な扉が見えてきた。
それは木製の両扉で、扉には植物とそれに絡む蔦の意匠が施され、色鮮やかに彩色されてある。
事前のディランとの打ち合わせ通り、自分は腰に下げた水筒を取り出して、それを藁を使って兜の隙間から中の、今朝汲んで来たばかりの龍冠樹の霊泉を飲み干す。
その自分が準備している間に案内係の女性が先に中へと入り、やがて中から入る事の許可が下りると、ディランを先頭にその扉を潜って中へと足を踏み入れた。
中は扉の派手さとは打って変わって落ち着いた雰囲気で、華美な装飾や調度品の類も少ない。
部屋の広さはかなりあるようで、その中で一番存在感を放っているのが、部屋の中央に置かれた巨大な丸テーブルで、それを取り囲むように十一名の男女がその席に着いていた。
上座も下座もない、円卓会議というやつだろうか。
座っている人物の多くはエルフ族だが、中にはダークエルフ族と思われる厳しい武人のような者や、今朝、街中で見かけたドワーフ族の者もいた。
着座している数からして彼らがこのカナダ大森林の頂点に立つ者──、
即ち、十大長老と三代目族長なのだろう。
彼らは部屋へと入って来た自分たちを見て、各々席が近い者同士で言葉を交わし合い始める。
その視線の多くは自分へと向いているのが分かったが、見た目が全身鎧の相手ではそれも致し方のない事だろう。ここは黙って話題の種になる他ない。
「久しぶり──という程でもないかな、ディラン長老」
そう言って騒めいていた場で第一声を上げたのは、奥の席に座る一人のエルフ族の男だった。