王家の会談
室内の奥の扉が開き、そこからまず男女一組が室内に姿を現した。
女性の方は身長も年齢もチヨメより少し高いぐらいだろうか。
黄色味の強い緩いウェーブの掛かった金髪に、整った顔立ちには茶色の大きな瞳が瞬き、上等でありながらあまり華美でないドレスに袖を通し、草花の意匠の施された首飾りをしている。
気品に溢れ、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳には意思の強さが現れているようで、少女だという侮りを寄せ付けない雰囲気を纏っている。
そしてもう一人は若い青年だ。
背は高く、明るい茶色の髪に整った顔立ちに、やや怜悧な色を湛える瞳は青。
袖を通す衣装は豪奢で、どこか王子然とした雰囲気の物を違和感なく纏っている。
口元に浮かべる薄い笑みも相まって、なかなに食わせ者といった様子の青年だ。
そんな雰囲気が対極に位置するような両者が左右に分かれると、奥から一人の老貴人が部屋と入って来て、室内に居る面々を見回した。
年齢で言えば五十代から六十代頃だろうか。
やや白髪の交じった金髪に、青い瞳、白い顎鬚を蓄えて、額には深い皺が刻まれたその人物には、年齢と共に積み上げた確かな威厳を纏っているのが感じられた。
左右の男女が現れた初老の男に向かって頭を下げた事から、彼がこの国の国王なのだろう。
リィル王女もディランもその場で立ち上がると、彼らと同じく小さく頭を下げた。
それに一拍遅れて自分も頭を下げようかとした時に、初老の男がそれを手で制する。
「非公式の場だ。旅の疲れもあるだろう、今は堅苦しい挨拶抜きにして座りたまえ」
しかし彼の言葉にも誰も座る事無く、次いで前に少し進み出たのはリィル王女だった。
「ご配慮、痛み入ります、陛下。ノーザン王国第一王女リィル・ノーザン・ソウリアと申します。この度は拝謁の機会を頂けました事、誠に感謝致します」
緊張しているのか、それとも練習通りの挨拶だったのか──幾分固い挨拶を述べて、ドレスの裾を少し摘み上げる。
そんな小さくお辞儀をするリィル王女の姿に、目の前の初老の国王が破顔する。
「おぉ、其方がメリッサの所の──」
感慨深げに頷くと国王と、リィル王女の名を聞いて驚きの顔を向ける少女。
「私が国王のカルロン・デルフリト・ローデン・オーラヴという。君の伯父にあたるのだな」
目を細めて口元に笑みを浮かべたカルロン国王は、彼の両脇に控える二人を紹介した。
「先に紹介しておこう、こっちが君の直接の従姉になる私の娘、第二王女の──」
そのカルロン国王の紹介の言葉に、少女が前へ進み出てリィル王女と同じく綺麗なお辞儀をする。
「ユリアーナ・メロル・メリッサ・ローデン・オーラヴよ。気軽にユリアーナと呼んで頂戴ね」
小さなリィル王女に微笑みかけるユリアーナの笑顔に、自然と彼女にも笑みが零れる。
「そして、こちらは私の息子、第一王子だ」
「セクト・ロンダル・カルロン・ローデン・サディエ、と申します。以後、お見知りおき頂ければ幸いです。リィル王女様」
ユリアーナ王女に次いでカルロン国王が紹介したのは、第一王子だというセクト王子だった。
セクト王子は流麗な所作で一礼をすると、静かな笑みを湛えてリィル王女に挨拶を送る。
そしてカルロン国王が次に顔を向けたのが、ディランだった。
「先頃からあまり日も経っておらぬが、今日は私の姪の付き添いで来られたとか?」
眉尻を上げて尋ねるカルロン国王に、ディランは笑みを崩さず軽く頭を下げて挨拶をする。
「お久しぶりです、国王様。其方のお二方とも既に顔を合わせておりますが一応、カナダ大森林ララトイア長老、ディラン・ターグ・ララトイア。仰る通り、今日はリィル王女様の付き添いでこの場に臨席していますので、宜しくお願い致します」
そのディランの言葉にカルロン国王が訝しむような視線を彼に向けた。
「貴殿らがノーザン王国とも親交があったとは驚きだ」
「まぁ色々と縁が重なりましてね、こういうのを奇縁というのでしょうか?」
探るようなカルロン国王の言に、ディランはあっけらかんと答えて笑う。
「ふぅ、まずは席に着いて、話はそれからにするとしよう」
国王は小さく溜め息を吐いた後、部屋に置かれた席の一つに腰を下ろすと、それに倣うように両脇のユリアーナ王女とセクト王子も席に着く。
リィル王女も小さく一礼してから席に着いて、ディランも同じく腰を下ろす。
しかし護衛であるザハルとニーナは相変わらずリィル王女の後ろに控えて立っていたので、こちらも遠慮して席に着く事はなかった。
カルロン国王の視線がこちらにチラリと一度向けられ、向かいに座るディランに誰なのかという問いに対して、ディランはあっさりとした口調でその質問に答えた。
「あそこにいる彼らも今日は付き添いです、私の娘と、同郷の者、それと友人ですよ」
その答えにはカルロン国王の目が見開かれた。
「……あまり君に似ていないのだな」
国王の素の感想に、ディランが苦笑を浮かべる。
どうやら消去法でアリアンが娘として特定されたようだ。
「まぁ、娘は母親似ですからね」
ディランの言葉にアリアンが難しい顔をして視線を横へと逸らした。
耳が僅かに赤く染まって見えるのは気のせいだろうか。
カルロン国王の視線が次いで自分とチヨメに注がれたが、特に何かを口するでもなく、少し首を傾げた後にその視線をリィル王女に戻した。
「それで、今日ははるばるノーザン王国から伯父である私を訪ねて来てくれた、という訳でもないのであろう? 火急の用件でも?」
そう言って場を仕切り直したカルロン国王の言葉に、リィル王女が一枚の書状を取り出し、それをテーブルへと置く。
それを後ろに控えていたザハルが持って、カルロン国王の手元へと差し出して下がった。
「今日はカルロン伯父様には是非、お聞き届け頂きたいお願いが御座いましてお訪ね致しました。詳しい事は父のアスパルフ国王陛下からの書状に記されております」
リィル王女は真剣な表情ながら、相対するカルロン国王にローデン王国の王に対してではなく、彼女の伯父に頼み事をするという装いで話し始めた。
対するカルロン国王はそれを特に咎めるでもなく、手元の書状の封蝋を開封してから丁寧な所作でそれを広げると、中に書かれた書状に目を通していく内にみるみる表情が強張り、驚愕したような顔に変わっていった。
そんなカルロン国王の変貌ぶりに、ユリアーナ王女やセクト王子の視線がリィル王女に向かう。
「ヒルク教国が隣国の三国──サルマ、ノーザン、デルフレントに侵攻を始めたという、この話は本当なのだな……? それにこの隣国を攻め入る敵の数が二十万と書かれているが……」
書状から視線を上げたカルロン国王のその問いに、ユリアーナ王女は大層驚いた顔して思わず声を上げ、一方のセクト王子は眉根を寄せて顎を引くという、何とも言えない表情を作った。
「ちょっと失礼します、お父様!」
先程まで優雅に席に着いていたユリアーナ王女は、打って変わってその場で勢いよく席を立つと、まだ書状の続きを読んでいる途中のカルロン国王の横から押しのけるような形でその書状の内容を覗き込み始めた。
「よしなさい、ユリアーナ。まだ私が読んでいる最中だ」
娘のいきなりの暴挙に苦言を呈する国王だったが、ユリアーナ王女は途中まで目を通した書状のその内容の真偽を確認しようと、呆気に取られて座っていたリィル王女らに視線を合わせた。
「この、ここに書いてある、教国が死者を操る邪法で他国に攻め入ってるって、本当なのかしら!?」
「ほ、本当なのじゃ! わらわも化け物に襲われて、もうダメかと思ったのじゃ!」
勢い込んで問うユリアーナ王女の様子に、リィル王女も慌てて返答するに至って、いつもの素の彼女の言動が表に出てくる。
しかし彼女は細かい事を気にしない性質なのか、眉根を寄せてぶつぶつと独り言を唱え始めて、考え事のせいかウロウロと室内を歩き回り始めた。
「でも、ヒルク教って結構歴史は長かったわよね? 教義自体はありきたりな部類だし、そんなに邪教じみた宗教じゃなかったと思うのだけど……」
そんなユリアーナ王女を見て、カルロン国王は大きな溜め息を吐くと、彼女をそれ以上注意するでもなく書状の続きに目を通し始める。
ややあってからカルロン国王が書状から顔を上げると、その視線を未だに笑みを浮かべて座っているディランへと向けた。
「ここにはカナダのエルフ族も参戦する予定だと書かれているのだが、本当に貴殿らがこの──言うなれば人族の領土争いに介入するというような事があるのかね?」
懐疑的な目を向けるカルロン国王に、ディランは笑って頷いた。
「今回は相手があのヒルク教ですからね。我々としては排除、もしくは弱体化できるなら願ったり叶ったりですし、大長老様たちを説得する自信はありますよ?」
そのディランの答えを聞いてカルロン国王が渋面を作る。
「ではまだ議会の承認も得ずに、今回の話を進めているというのかね?」
カルロン国王は信じられないといった表情でディランを見るが、彼はそれを何でもないという風な様子で頭を振って答えた。
「確かに承認も取っていない、一里の長老が決定できるような事柄じゃありませんね」
ディランのその言葉に今まで話を聞いていたリィル王女や、護衛騎士の二人まで顔色を悪くして彼の方に訴えるような視線を向ける。
──彼女らがそんな表情になるのも頷ける。
今回のヒルク教国からの不死者を使っての三ヶ国同時侵攻から国を防衛するには、エルフ族の戦力による参戦は欠かせないだろう。
それがもし、このまま中央のメープルの大長老会で承認されず、戦力が送られない事態になれば、ノーザン王国は周辺の国と一緒に亡国となり果てる事が確定するからだ。
だが、そんな彼女らの心配を余所に、ディランは何かを確信しているかのようだった。
「心配いりませんよ。我々カナダの者はルアンの森の者を救うという、大事な名目もありますしね。何より、今回の戦いは我々も参戦せざるを得ない──そういう戦いなのですよ」
その彼の言葉に誰もが不思議そうな顔をしていたが、セクト王子は何かに気付いたのか、顔面に薄い笑みを張り付けてディランに向かって挙手をする。
それに気付いたディランが、そちらに顔を向けて首を傾げた。
「何でしょうか、セクト王子様?」
「貴殿らが参戦する事が既定事項だとして、カナダが協力する際のノーザン王国への見返りは何なのですか? まさか、相手に何も求めず手を貸す程甘くはないでしょう?」
セクト王子からのその問いに、カルロン国王やユリアーナ王女も興味があったのか、ディランに窺うような視線が集まる。
「これはノーザン王国、サルマ王国ブラニエ領共に先に口約を頂いていますが、エルフ族、獣人族の奴隷解放と今後の両種族の違法な隷属化の禁止、これが今回の我々の報酬、ですかね」
ディランの答えにセクト王子の目が細まる。
「それは、なかなか大きく出ましたね。エルフ族はともかく、獣人族までとは……」
セクト王子の視線が自分の隣に立つチヨメに注がれると、彼女はそれを受けて蒼い瞳に研ぎ澄ましたような殺気を込めて相手を見返した。
そんな彼女の眼力にセクト王子は肩竦めて、口元に笑みを貼りつける。
「いや、失礼。それらはただの口約でしかないもの、それを守る保証があると言えるので?」
少し意地悪そうな笑みを浮かべるセクト王子の問いに、リィル王女は憤慨して頬を膨らませた。
「わらわの父上は、約束した事を違えたりはせぬのじゃ!」
涙目でテーブルを叩くリィル王女の姿に、カルロン国王やユリアーナ王女から咎めるような視線をセクト王子へと向けると、彼は小さく溜め息を吐いて謝罪の言葉を述べた。
「これは申し訳ない。あなたの父君を悪く言うつもりはなかったのですよ。ただ私は少し心配しているのです。確約とは言えぬ条件、それで果たしてエルフ族のお歴々が納得して今回の参戦の理由として足り得るのかどうかとね。あなたの父君の人となりを彼らは知らないでしょうから」
そんなセクト王子の言葉に、再び不安にかられたリィル王女だったが、彼女の目に入ったのは可笑しそうな笑みを浮かべるディランだった。
「いや、失礼。そこは心配していませんよ。彼らに先の条件を反故にする蛮勇はないでしょうしね」
そう言ったディランは此方に顔を向けて、意味ありげに笑う。
セクト王子の方はそんな彼の態度に首を傾げていた。
別に自分は今回の条件を、彼らを脅して突き付けた訳ではないつもりなのだが、傍から見ればやはりそういう風に見えるのだろうか。
(まぁ、あれだけ派手に暴れた後なら、誰も首を横に触れないでしょ……)
半ば呆れたような声音で囁き肩を竦めるアリアン。
だが、それは何も自分だけの功罪ではないと、小さく反論する。
(我のアレを直接見たのはリィル殿らと他少数程、アリアン殿がパルルモ卿と戦った時に街の一角を沼に沈めたアレは、確かアスパルフ殿の目の前だったと思うのだが?)
自分とアリアンの視線が交差し互いに譲らないでいると、そこにポンタが尻尾で参戦してきた。
「きゅん!」
目の前がもさもさの毛で何も見えない。
どうやらポンタなりの仲裁のようだ。
そんなこちらの静かな攻防を置いて、リィル王女の方の話は先へと進んでいた。
「カルロン伯父様、どうかノーザン王国を救う為に、力を貸して欲しいのじゃ!」
リィル王女の懇願とも言える願いに、ユリアーナ王女も父親であるカルロン国王を見つめる。
「仮に、仮にカナダのエルフ族も参戦したとして、三国同時侵攻を進めているいうヒルク教国の不死者軍、それらとぶつかるまでの猶予はどれぐらい残されているのだ?」
カルロン国王のその問いに、答えたのはディランの方だった。
「早くてあと七日程でしょうか?」
「な、七日!? それは殆ど時間がない事と同義なのではないか!?」
ディランの回答を聞いたカルロン国王は、驚きで僅かに声が裏返る程だった。
「七日だと、この王都から今すぐ発ったとして、東の港街のランドバルトに辿り着ければいい方ではないですか? ブルゴー湾を越えて、さらにその先の隣国の王都までとなると……」
そう言って冷静に日数を数えるのはセクト王子だ。
彼の指摘にカルロン国王も認識しているのか、姪であるリィル王女を不憫そうに見やりながら、
「セクト、よしなさい。アスパルフ殿も苦渋の思いで彼女をここに来させたのだろう」
と言って、セクトの話を遮る。
ユリアーナ王女も悲しげな表情でそんなリィル王女を見つめていた。
三人の今の目には、滅ぶ前に国から出された一人娘のリィル王女という図式だろうか。
まぁしかし、彼らの認識が普通の感覚だろう。
そんな三人の視線の意味に気付いたのか、リィル王女は慌てたように弁解する言葉を探す。
「だ、大丈夫なのじゃ! わらわが城を出て、ここへと赴いたのは今日なのじゃ! アーク殿がいればその点は心配いらないのじゃ!」
言葉を選ばず焦って説明しようとしたのか、何やら支離滅裂な言葉で「問題ない」というだけの彼女の拙い説明では、他の者の同情を誘う要素にしかならない。
「どうするのですか?」
可哀そうな国王の姪を見やりながら、そう問いかけるセクト王子。
しかし、カルロン国王が何かを言う前に、その答えを示す言葉を語ったのはディランだった。
「援軍へと向かう為の日数ならば問題ありませんよ。その為に今回は同胞のアーク君を同道させていますからね。今回に限っては距離の制約は考えなくても結構ですよ」
笑みを浮かべながら語るディランの説明に、余計に意味が分からないと顔を見合わせる三人。
その彼らに「論より証拠」を提示した方が早いと彼は考えたのだろう、視線を此方へと向けて笑い掛けてくるディランが何を求めているのかはすぐに分かった。
そんなディランに頷いて見せ、自分はすぐに魔法を発動させる。
「【次元歩法】」
移動する箇所はカルロン国王の背後だ。
「なっ!?」「えっ!?」「!!?」
目の前から忽然と姿が消えた鎧騎士が、一瞬の内に背後に現れる姿はさぞ衝撃的だろう。
目一杯見開かれた三者の目──文字通り目を丸くして、言葉を発する事も忘れている。
驚愕に目を見開いているのは何も彼らだけではない。
部屋の隅立って控えていた使用人たちもまた同様だった。
「【次元歩法】」
再び魔法を発動させて国王の背後からアリアンの隣へと移動して見せるが、まるで皆言葉を発する事を忘れたかのように、静寂に満ちた室内で自分が歩く音だけが響く。
そんな沈黙を破ったのは意外にもセクト王子だった。
「…… “精霊の小道”ですか。御伽噺の類だとばかり思っていましたよ」
そのセクト王子の言葉にカルロン国王とユリアーナ王女が顔を上げて、笑みを浮かべるディランに向けられると、彼は黙って頷き返した。
“精霊の小道”、人族の間ではそれなりに知られたエルフ族に関しての逸話なのだろう。
もしかすると、カナダ大森林を築き、転移の祠を造り上げたという初代族長エヴァンジェリンの逸話が何らかの形で人族の世界で語り継がれたのかも知れない。
「むぅ、よもやこのような能力まで持っていたとは……。しかし何故だね、ディラン殿」
額に汗を掻いて難しい顔をするカルロン国王は、不敵な笑みを浮かべるエルフ族に視線を合わす。
「なんでしょうか?」
この状況を少し楽しんでいる節も垣間見せるディランは、静かな声でカルロン国王の呼び掛けに返して小さく首を傾げて見せた。
「秘匿していたであろう能力まで見せてでも、今回の人族国家への協力は貴殿らにとって意味の大きいなものになるのかね?」
そのカルロン国王の問いに対して、ディランはやや苦い笑いを漏らす。
「ある意味においては、そうですね……。先程も申し上げましたが、これは我々にとって避け得ぬ類の代物ですが、それはそのままこの国にも当てはまるのですよ」
そう言ってディランは、意味ありげに国王の傍に座るセクト王子に視線を送った。
それを受けたセクト王子が小さく息を吐き出し、国王の傍に寄って何事かを耳打ちする。
「むぅ、そうか。そういう事か……」
それを耳にしたカルロン国王は、先程よりも大粒の汗を額に浮かべて唸り声を上げた。
国王のそんな態度に訝しんだユリアーナ王女は、セクト王子に睨みを利かせるが、彼はそんな事はどこ吹く風とばかりに笑って国王の傍を離れた。
再度手元に広げられた書状の内容に目を通していたカルロン国王は、何かを決意したように顔を上げて笑みを浮かべるディランと、成り行きを緊張した面持ちで見守るリィル王女に向き直った。
「どうやら我々もこの状況に座している訳にもいかないようだ。あまり時間の無い状況で集められる数は恐らくだが、五千がやっとだろう。しかし、五千でもそれなりの兵数だ、この人数を本当に移動させられるのか?」
「問題ありません」
カルロン国王が派兵を決意し、大勢の兵士の輸送に一抹の懸念を抱くが、ディランはその懸念にはおよばないと返した。
「そうか、ではノーザン王国への援軍には実際の指揮は別として、セクト、お前に全権を預けるので、今回の作戦に参加する事を命ずる」
その国王の決断にリィル王女に喜色が浮かぶ。
しかし、カルロン国王のその決定に異議を申し出た者が一人、ユリアーナ王女だった。
「待って下さい! エルフ族との共闘をとるこの度の援軍、私に参加させて下さいませんか、お父様。エルフ族の皆様とこれからの友好を深める為にも是非!」
そう力強く宣言するユリアーナ王女だったが、カルロン国王は首を縦には振らなかった。
「だからだ、お前には他にやって貰いたい事は山とある。此度の件はセクトに任せる。これは決定事項だ。そしていい加減に席に座りなさい」
その頑として譲らない国王の姿勢に、ユリアーナ王女は不服そうに頬を膨らませる。
そんなユリアーナ王女を置いて、セクト王子がカルロン国王の前に恭しい態度で跪いた。
「御下命、承りました。このセクト、陛下の期待に必ずやお応え致しましょう」
そのセクト王子にカルロン国王はただ頷いて応じる。
「これで決まりましたね、援軍の編成が済み次第、こちらでノーザン王国へと送り届けますので」
そう言ってディランは此方を見るので、自分は同意を示すようにそれに頷いて返した。
それを切っ掛けとして、カルロン国王はこの場での会談を終了する宣言を出した。
皆がそれぞれ今後の行動の為に動き始めた姿を眺めながら、自分も今後のやるべき事の整理を頭の中で巡らせ始めた。
五千人の兵員輸送など初めてだが、一度に最大どれ程の数を運べるだろうか。
その前にまずは、この城内のどこかを転移図画に描き写して、ノーザン王国とローデン王国を結ぶ転移目印を用意しておかないとならない。
そんな事を考えていると、セクト王子が退室する際にディランへと近づいていく姿が目に入った。
ディランは特に何も言わずに、そんな彼を見上げる。
「ディラン殿、今回のノーザン王国への援軍、帝国の方に頼む予定はないのですか?」
セクト王子の小声が僅かに自分の耳にも入る。
確かに、兵数を集めるだけなら帝国に参加して貰えれば人族の戦力としては申し分のないものになるだろうが、まずそれは無理だろう。
「生憎と我々には帝国への伝手がありませんので……」
ディランはセクト王子の問いに、そう言って笑って返す。
──その問題もある。
しかしそんな彼にセクト王子はさらに問いを重ねてきた。
「では、その伝手がなんとかなる、と言えば可能でしょうか?」
「……我々にも事情がありますので、今回は帝国への参加の打診は考えておりません」
申し訳なさそうに頭を下げるディランに、セクト王子の瞳が細められる。
今回の援軍の要請はあくまでノーザン王国が主導し、そこにエルフ族も参加するという形を取るつもりでディランは動いているのだろうが、それ以外にも致命的な理由がある。
自分の転移魔法では帝国へと飛べないのだ。
正確に言えば、転移魔法で移動できる帝国領の候補がほとんどないと言う方が正しい。
長距離転移魔法の【転移門】は行った事のある場所で、尚且つその景色が明確に思い出せる場所に限られる。行った事の無い場所には飛べないのだ。
そう言えば、あのヒルク教の教会をふっ飛ばした街は帝国領だったか──今頃はどのような状況になっているのだろうか?
そんな事を懐かしく思い起こしていると、セクト王子が此方に薄っすら笑みを向けてきた。
「そうですか、それは申し訳ない。今回の件、両者の未来の為にも尽力させて頂きますよ」
そう言うとセクト王子は、小さく会釈をして部屋を退室して行った。
格好はまさに王子然とした王子様の体現者ではあるが、なんというか全体的に“食えない奴”という印象が強い人物だなと、そんな感想を自分の中で抱くが、それはアリアンもチヨメも同じだったようで、二人とも胡散臭そうな顔でその背中を見送っていた。
「骸骨騎士様」の書籍Ⅶ巻とコミックスⅠ巻の同時発売日、一週間前になりました。
発売日前後はなにやら落ち着かない気持ちになります。