再びのローデン王国
翌日、王都ソウリアの中心に聳える王城の一角。
一般の者は立ち入る事のない一面緑の芝が茂る庭園に十数人の人影があった。
その中心に居るのはリィル王女と二人の護衛騎士、ザハルとニーナ。そして彼らの後ろに控えるのは八人の近衛騎士たち。
今回のローデン王国への使者として向かうノーザン王国の者はたった十一名という、ごく少数で編成された一団だった。
そこにカナダ大森林のエルフ族としてディラン、アリアン、そして自分とポンタの三名と一匹に加えて、“刃心一族”であり獣人族のチヨメが一名で、合計が十五名と一匹が今回のローデン王国への使節団の全員だ。
あとは使者としての格好をつける為に四頭立ての馬車が一台、庭の中央に待機しているのと、ザハルとニーナの護衛騎士用の騎馬がそれぞれ一頭ずつ。
各自装備や準備する物などを点検し、最終確認を行っている所だ。
庭の隅では見送りの為にアスパルフ国王や国の主だった役職の者まで、その庭での作業を眺めては何事かを話し合っていた。
城内の一部識者に認識され始めたエルフ族が扱う伝説の“精霊の小道”を一目見たいのだろう。
そんな取り巻きたちからの視線を浴びながら、ディランはリィル王女の馬車を見上げて何か一心不乱に考え事をしている最中だった。
「どうしたのだ、ディラン殿?」
彼のそんな態度を不思議に思った自分が問い掛けると、彼は困ったような顔を向けてきた。
「いや、リィル王女は使者としてノーザン王国の紋章を配した馬車に乗り込めば一目瞭然だけど、エルフ族の私たちが対外的に示す物がないから、何かないかなと思ってね」
ディランの返答に、それに何の意味があるのか分からず、思わず彼の娘のアリアンに視線を向けると、彼女はこちらに振るなとばかりに眉根を寄せて困った顔を作る。
「目立たせるなら先頭をアークに歩いて貰えばいいんじゃないの?」
アリアンのその言に、ディランは小さく首を横に振った。
「彼の場合、鎧は派手で目立つけど、エルフ族でる事が外からじゃ分からないからねぇ。今回のリィル王女の訪問は何の外交手続きもなしで行くから、少し周囲の印象を派手にしてすぐに上に取り次いで貰えるように工夫しようかと思ったんだよ」
彼のその説明で、何となくやろうとしている事が理解できた。
ローデン王国とノーザン王国の王家同士が縁戚にあるからと言って、いきなり訪問してきた使節団の者をすぐに本当のノーザン王国の者であると断定するのは難しい。
下手すれば事情聴取と身元確認だけで数日掛かる恐れがある。
そこへいくと、つい最近ローデン王国の首脳部と会談してきたというディランなら、すぐに素性を特定する事が可能な上に、誰が見てもエルフ族である事が一目瞭然だ。
確かに、彼が先頭で目立つ事によってローデン王国と早急に繋ぎを付けられるなら、後ろのリィル王女を中心とした使節団への橋渡しも案外すんなりと事が運ぶ可能性が高い。
そうなると──、
考えを巡らせながら、リィル王女と彼女が乗る馬車を見て、次いでディランとその後ろにあれば目立つ物──その何かを想像し、透かし見るように目を細める。
そこで自分は、はたとある重要な事に気付いて手を打った。
「そういえば紫電を王城の厩舎に預けたまま忘れておった!」
「あっ」「!」
自分のその声に、アリアンとチヨメの二人も同じような反応で互いに視線を交わした。
王城の衛兵の案内で厩舎に行くと、そこには馬用に造られた厩舎に入る事ができず、小さめの放牧場の真ん中で鎮座している姿が目に入った。
「紫電、迎えに来るのが遅れてすまんな」
紫電に近寄りながら声を掛けるが、紫電は此方をチラリと一瞥してさっと尻尾を振るだけで、また蹲ったままの姿勢で視線を前に向ける。
「この子、完全に拗ねてるでしょ。アークが忘れるから……」
「アーク殿、共に戦場を駆けた相棒を置き去りにするのは……」
アリアンとチヨメの相次ぐ非難の言葉に、此方も負けじと反論を試みる。
「我が悪いのは認めるのだが、アリアン殿もチヨメ殿も今まで忘れておったではないか」
自分のその言葉に、すいっと視線を逸らす二人。
しかしこのまま紫電をこの厩舎において置く訳にいかないと、その場で懐柔作戦が実施された。
「きゅん! きゅ~ん!」
とりあえずポンタの説得と、
「……では、今度、紫電の故郷の草原に走りに行くというのでは、どうだ?」
後日の慰安を兼ねた里帰りで何とか手を打って貰う事ができた。
「ギュリィィィィィン!」
紫電の足並みも軽くなった所で、再び王城の庭園へと戻ると、既に使節団の他の面々は準備を終えて今や遅しとこちらを待ち構えていた。
「ディラン殿、この紫電に騎乗してリィル王女の前を行けば、人族の街中では否が応でも目立つと思うのだが、どうだろうか? 手綱は我が引いて行けば問題はない筈だな、紫電」
「ギュリィン」
紫電の鼻面を撫でながらディランに問うと、彼も紫電を見上げて納得したように頷いた。
「確かに、これ以上は望むべくもないだろうね。では時間も押しているようだし、すぐに出発するとしようか? アーク君、頼んだよ」
ディランを紫電の鞍へと乗せ、次いでアリアンも彼の後ろに座らせる。
チヨメちゃんは自分の隣に控えており、騎乗はせずに歩くようだ。
周囲の見学者たちに下がるように指示を出してから、いよいよ長距離転移魔法を発動させる為の準備に入った。
ローデン王国へ向かうのは随分と久しぶりな気がする。
そう言えばローデン王国の転移箇所はまだ記憶だけが頼りで、まだ転移図画に各所を描き写していないので、これを機に少し各地を回って転移箇所を忘れない内に描き写しておいた方がいいかも知れない。
そんな先の今後の予定を考えつつ、まずはローデン王国の王都オーラヴの何処に転移するか、記憶から脳裏に転写する。
一番よく覚えている景色は、チヨメ達と捕まっていた彼女の同胞を助けてカルカト山群の方へと逃れた際に、振り返った王都の景色だ。
「【転移門】!」
今回はリィル王女の乗る馬車や、乗騎の紫電など、体積の大きい物が並んだ状態での転移なので、いつもより力を込めて展開される魔法陣の大きさを使節団の足元一杯に広げる。
一瞬の暗転の後、使節団の面々が気が付いた時には、既に目の前に懐かしきローデン王国の王都の威容が視界に入ってきていた。
あの日、目にしたように騒然とした雰囲気の王都オーラヴではなかったが、それでもチヨメ、アリアン共に何やら感慨深いものが込み上げてくるのか、しばらく黙ってその景色を眺めていた。
今回のノーザン王国からの使節団の一行は、一瞬にして目の前の王城の庭園の景色が一変し、自分たちが立っている場所を忙しなく見回して確認している。
普段は滅多な事では動じないように訓練されているであろう近衛騎士たちも、その文字通り魔法に掛かったような現象に驚きざわついていた。
「す、すごいのじゃ! まったく知らない場所にいるのじゃ!」
リィル王女も馬車から飛び出し、北側に聳える幾つもの山々の景色に関心を抱いていた。
王都ソウリアは周辺に高い山は無く、これ程近くに多くの山々が並ぶ景色は物珍しいのだろう。
紫電は早速空気の変わった景色に首を巡らせ、次いで足元に生えた草を口にして味見をしている。
「それでは時間も多く残されているか分からない状況です、すぐにでも王都オーラヴの方へと向かいましょう。リィル王女様はお早く馬車に」
「わ、わかったのじゃ」
ざわつく一向にまず声を掛けたのは、疾駆騎竜の紫電に騎乗するディランだった。
そんな彼の言葉に従い、一行は南に広がるローデン王国の王都を目指した。
生憎と転移した場所が舗装された道や街道の類の場所から離れていたので、少しリィル王女を乗せた馬車を移動させるには少し苦労したが、それも王都へと続く街道に出てからは順調だ。
確かこの道は西の港街ランドバルトに向かう際に通った道だったのではないか。
あの時は道を間違えてブランベイナという荒野の傍の街に辿り着いたのだったなと、そんな懐かしい事を思い出しながら前へと進む。
既に多くの街道を行く人々から物珍しげな視線を一心に集めている状態で、徐々に近づいて見えてきていた王都の街門付近では何やら忙しなく動く衛兵などの姿が見てとれる。
確かに、先頭に体長四メートルもの巨躯を誇る、六本足に角を持った疾駆騎竜が先導する馬車の一行など、騒ぐなと言う方が無理であろう。
ここに住む人々にとって疾駆騎竜の紫電など、新たな魔獣のようにしか見えないのかも知れない。
王都の街門──恐らく西街門から二頭の騎馬が飛び出し、こちらに向けて駆けてくる姿が目に入ると、使節団一向に少しばかりの緊張が走った。
偵察か、こちらの目的を尋ねる為の者たちだろう。
リィル王女が乗る馬車だけでは今回のような騒ぎにはならなかっただろう事から、ディランの目論見は成功したと言える。
駆け寄って来た二頭の騎馬はそれぞれ、初めて見る疾駆騎竜の威容に怯える馬を宥めながら、こちらから少し離れた場所に止まって誰何の声を掛けてきた。
「止まれ! 其方の所属と名、此度の訪問の目的を速やかに開示せよ!」
一人の衛兵らしき男が声を大にして問うと、その男が騎乗する馬がその声に驚いて暴れる。
そうしてようやく馬を落ち着かせる事に成功した衛兵の一人が、紫電の鞍の上に座る人物にようやく注意が払える段になって、その者が何者なのかをやっと理解した。
「私はカナダ大森林所属のディラン・ターグ・ララトイア。以前この国を訪れた際には、こちらの国王様から拝謁の栄誉を賜りました。今回は隣国のノーザン王国の使者殿の橋渡し役として同道致しております。此度の件、火急の要件にて速やかに国王様にお取次ぎ願いたい」
紫電の鞍から見下ろすような恰好で語るディランだが、その口調はあくまでも丁寧だ。
片方の衛兵の指示で、一人がもと来た道を全力で駆け戻り、街門へと入った言伝はディランの願い通り、速やかに王宮へと齎された。
その一報は瞬く間にローデン王国の王宮内を駆け巡り、一時はその来訪の目的に様々な憶測が飛び交って騒然となっていたが、カルロン国王の「まずは会って話すべきだろう」という一言によってその場は収まり、事態は前へと動く事になった。
斯くして、その日に予定されていた全てが後に回され急遽、会談の場が設けられた。
そしてそのカルロン国王の決断はすぐに伝令によって、ディランの下へと届けられる。
その回答を得られたリィル王女以下、使節団の皆が大きく息を吐き出して、まずは最初の懸念が払拭された事を喜んだ。
どうやらすんなりと国王と会う段取りが整ったようだと自分も胸を撫で下ろしていると、ディランは何やら難しい顔をして今回の行動の反省をしていた。
彼曰く、「最初の衛兵の誰何の際に用件を綴った書状を用意しておくべきでした」と語った。
一応リィル王女が、ノーザン王国国王からローデン王国国王へと宛てた書状を託されてはいるが、確かにその前段階で知らせる書があれば、もう少し街の外での待機時間が減ったかも知れない。
衛兵の騎馬隊に先導される形で、ディランを始めとしたノーザン王国の使節団はローデン王国の王都オーラヴの街門を潜る事になった。
この王都オーラヴの街の規模で言えば、ノーザン王国の王都ソウリアよりも遥かに大きく、街を取り囲む四重に巡らされた街壁のそれだけをとっても、その事実を物語っている。
使節団の面々はそんなオーラヴの景色に興味仕切りで、リィル王女も馬車の窓から流れる景色を食い入るように眺めていた。
「まさかこのような形で、またこの街へ戻って来るとはな」
「そうですね」
自分の呟きは街の喧騒にほとんどの人の耳には届かなかったが、隣を行くチヨメの耳には入ったようで、相槌を打ってその特徴的な猫耳を周囲に巡らせる。
かつてこの王都で人族の奴隷商会に不当に囚われた獣人族の人々を闇夜に隠れて解放して回っていたチヨメが、その姿を表に晒して歩いている様子を見ると、少し不思議な感じだ。
それは彼女も同じなのか、口元を忍び装束で覆って少しそわそわと尻尾が揺れ動いていた。
まだ現状、この国では獣人族が奴隷として以外に表を歩く事はないのだろうが、ディランが以前に言った事が実現すればその事情も変わってくるのだろう。
それに王城へと向かう使節団を物珍しげに眺める王都の人々は、威容を誇る疾駆騎竜に驚愕の声を上げ、それに跨る二人のエルフ族に興味を示すも、その後ろに追随するノーザン王国王家の紋章を配した貴人の馬車に恐れて遠巻きにしている。
この状況で獣人族であるからといってチヨメにちょっかいをかける命知らずはいない。
雑多に立ち並ぶ市街地を抜け、瀟洒な住宅街の脇を通り、豪奢な屋敷が並ぶ貴族街を過ぎれば、目の前にはもうこの国の王が住まう居城が見えていた。
変わった形の屋根を持つ尖塔、それらを繋ぐように築かれた宮殿は、長い間所領争いが絶えなかったノーザン王国周辺の質実剛健な造りの城砦とは趣を異にしており、その優美な姿を目にした使節団の者からは感嘆の溜め息が漏れていた。
そうしてその王宮前の広場へと衛兵の騎馬隊に案内された使節団一行は、広場前に並んで待機していた多くの人々によって迎え入れられた。
彼らはこちらの多種多様な面々に驚きながらも、案内役の者だという男から今回の使節団の代表を問う声が掛けられた。
「で、では今回の代表者は?」
その声に一人の小さな少女──リィル王女が前に進み出る。
「わらわじゃ」
そんな彼女の姿を見て、男は何の冗談だと言わんばかりの視線を向けてくるが、彼女の後ろに控えるザハルとニーナ、その後ろから自分とアリアン、チヨメが睨みを利かせると、すぐに笑顔を取り繕って先を促がしてきた。
「わ、わかりました。では、ご案内いたします」
男はリィル王女の横で笑みを浮かべるディランをチラチラと見ていたが、それ以上は何も言わずに黙って王宮内を先導する形で先へと歩いて行く。
王宮前に留め置かれた馬車や紫電などの世話は八人の近衛騎士たちに任せて、リィル王女は案内役の男の背中を追いかけた。
彼女は自身の知る王城の様子と違う、ローデン王国の王宮に並ぶ煌びやかな調度品や、飾られた様々な美術品などに関心を示して、小さな子供らしく目を丸くして眺め回していた。
長大な宮殿内を進んだ一行は、やがて案内役の男が足を止めた先の景色を目で追う。
「こちらでお待ち下さい」
と、男が振り返り恭しく示した先の部屋の扉が、見張りの衛兵たちの手によって開かれる。
表情を引き締めたリィル王女は、居住まいを正すとその案内された部屋へと足を踏み入れた。
次いでそこに二人の護衛騎士のザハルとニーナが続く。
笑みを浮かべたままのディランはその後ろをゆっくりと進み、最後に自分とアリアン、チヨメの順に室内へと続く扉を潜った。
そこは一国の主と対面する為の所謂、謁見室のような場所ではなかった。
どちらかと言えば広い会議室のような雰囲気の場所で、部屋の隅には使用人らしき女性が幾人か立って待機していた。
こういう場所で働く彼女たちは普段、あまり表情を表には出さないのだろうが、流石に入って来た顔ぶれに面食らったようで、驚きの顔をして慌てて表情を戻している人もいた。
「しかし、まさか我がこのままの格好で通れるとは思わなかったな」
そう呟く自分の姿と言えば、全身鎧姿で人の背丈もあるような剣もそのまま所持しており、さらには頭の上にポンタが鎮座しているのだ。
それはアリアンやチヨメも同様で、腰に差した武器に関して咎められる事はなかった。
やはり一行の中に以前、国王と折衝した事のあるカナダ大森林の代表者の一人であるディランの姿があった事が大きいのだろうか。
ディランがこのローデン王国を訪れた際、他にも多くのエルフ族の戦士が同道したという話だったから、もしかすると、交流試合と名を変えた互いの戦力示威行為でも行ったのかも知れない。
エルフ族の戦士は武器を持っていても強いが、それが無くても人族の騎士数人程度では抑えれるものではないだろう。
正直な話、アリアンの母であるグレニスなら、折れない剣が一本あればこの王宮を制圧する事も可能だろうと、本気で思えるぐらいには桁違いのだ。
ローデン王国側は下手に刺激しないようにしているのかも知れない。
見張りに立っていた衛兵らにも妙な緊張感が漂っている。
肝心の会談相手の姿が室内に見つからず、先に席に着いたのはリィル王女で、その隣にディランが腰を掛けて、ザハルとニーナはその後ろに控えて立っていた。
とりあえず彼らに倣って自分やアリアン、チヨメはディランの後ろに控えて立つ事にする。
会談までしばらく待たされるのかもと考えたが、すぐに別の扉の奥から足早にこちらへと向かう足音が響いてきた。
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