リィル王女の決意
目の前の景色が暗転し、少しばかりの浮遊感を身体で感じたと思った瞬間、先程まで室内だった風景が一変し、目の前に崩れて残骸となり果てた、王都ソウリアの南街門の姿があった。
日は随分と傾き、西に連なる山脈の峰々に触れそうな太陽は空の色を暖色へと変えている。
「おぉ、ここが……話に聞いたノーザン王国の王都ですか。しかし、派手にやりましたね……」
ディランは転移魔法の効力に感嘆しながらも、南街門の周辺に広がる夕暮れ色に染まる焼け焦げた大地と、周辺に転がる無数の不死者兵が残した鎧の残骸を眺め渡す。
そこには天騎士となって『焔源の熾天使』と共に暴れ回った爪痕がくっきりと残っていた。
しかしそんな焼け野原となった中を、幾つもの人影が動き回る姿が目に入った。
よく見れば、彼らは背中に背負った籠に焼け残った鎧や武器の残骸を集めて回っているようで、中には人族だけでなく、獣人族の姿も見受けられた。
恐らくあれら残骸を鋳潰して、また武具や道具に加工し利用するのだろう。
見れば南門傍の街壁には多くの修理工らしき者達の姿も見え、崩れた箇所には簡易ながら木材と石材の破材などで組んだ侵入防止用の障壁が置かれていた。
その様子を見ていると、徐々に街の復興に動き始めているのだという事が分かる。
「ふむ、逞しい姿であるな」
「そうね」
自分のそんな感想にアリアンも相槌を打って返す。
「さて、まずはチヨメ君を捜しつつ、ここの王様に挨拶をするんだったかな?」
ディランは一通り周辺の景色を見終わると、腰に手を当てて王都ソウリア振り仰ぐ。
自分とアリアンもそれに頷いて、修復作業に追われている南街門へと足を向けた。
南街門近くには自分たちの事を知る人物が何人か配されており、すんなりと王都内へと入る事を許された。恐らくこの人事はアスパルフ国王の計らいだろう。
加えて、チヨメが街中に残っていた不死者の残党狩りに力を貸していたようで、擦れ違う兵士や衛兵から彼女にお礼を言っておいてくれと、言伝を方々から預かった。
「ちょっと心配だったけど、大丈夫そうね」
そんな彼女の活躍を聞いて、アリアンはほっと大きな胸を撫で下ろしていた。
アリアンのそんな言葉聞いて、ディランは何やら意地の悪い笑みを浮かべる。
「彼女はなかなかに大人だからねぇ、誰かのように門番を魔法で握り潰そうとはしないからね」
ディランのその言葉にアリアンの肩が震えて、顔を明後日の方向に逸らした。
とりあえず二人とも怒らせない事が肝心だ、という結論に落ち着くのだろうか。
そんな事を考えていると、いつの間に目の前の街路に一人の黒ずくめの少女が立っていた。
忍び装束に猫耳、長い黒い尻尾を揺らし、音も無く歩く姿の少女は間違いなくチヨメだ。
チヨメはこちらにディランの姿を認めると、ちょこんと小さく会釈して応対する。
「チヨメちゃん、こんな所で何してるの?」
そんなチヨメにアリアンが何をしていたのかと問うと、彼女は頭の上の猫耳をパタパタと動かして、腰に差した短刀を少しだけ抜いて見せた。
「街中の不死者の残党を狩っていました。解放された同胞の中に戦える方はこの掃討戦に参加していますよ、ボク達は鼻が利くので」
チヨメはそう言って自身の鼻を少しヒクヒクと動かして見せるが、埃を吸い込んだのか、小さくクシャミをして鼻をすすった。
「ところで、アリアン殿やアーク殿の方は無事に済んだのですか?」
気を取り直した彼女はそんな質問をこちらに向けてるが、自分とアリアンは互いに顔を見合わせて微妙な雰囲気になる。
「まぁ、全て順調にとはいかぬが、概ね良い方向に動いてはいる、と思うがな」
「そうですか、次は何処へ向かうのですか?」
此方の微妙な言い回しに小首を傾げたチヨメだったが、話題を変えて今後の予定を聞いてくる。
その彼女の問いにはディランが答えた。
「まずはこの国に王様と会って、少しばかり情報を共有しておく事かな」
「そうですか、では急ぎましょう」
チヨメのその催促に急かされるように、自分を含めた一行は王都の中心である王城を目指す。
「おぉ、そう言えば街の兵士やらがチヨメ殿に礼を言っておったぞ? 随分と不死者狩りで活躍していたそうではないか」
先程、来る途中に兵士や衛兵から言付かっていた伝言をチヨメに話すと、彼女は蒼い瞳を瞬かせた後に「そうですか……」と一言だけ言い置いて背中を向ける。
そんな彼女の尻尾の揺れは先程よりも幾分か幅が広くなっていた。
やがて王城の城門を衛兵に呼び止められる事も無く潜り、近くの衛兵を捉まえて案内と謁見を頼むとすぐに許可が下りたのか、城内の奥の部屋に通された。
通された部屋には、あの時と同じくアスパルフ国王と隣国のブラニエ辺境伯が席に着いており、こちらの一報を今や遅しといった表情で待ち構えていた。
そして自分とアリアンの他に見ない顔のエルフ族の姿を認めたアスパルフ国王は、目礼してからその見慣れないエルフ族──ディランに話し掛けた。
「そちらの方は?」
「カナダ大森林でララトイアの里の長老を務めております、ディラン・ターグ・ララトイアと申す者。以後、お見知りおきを」
ディランはそれに答えて、ゆっくりとした動作で頭を下げた。
彼のその名乗りにアスパルフ国王とブラニエ辺境伯の二人が僅かに前のめりなる。
カナダ大森林で長老を務めていると紹介したので、早速援軍の件に話が及ぶと思ったのだろう。
しかし、ディランはそれを察してか、首を振って認識を正す為の言葉を掛けた。
「申し訳ないが、私は今回ルアンの森に派遣された部隊の代表という立場なので、ここの三人が要請すると言った中央からの援軍の類という訳ではありません」
ディランの言葉に二人の権力者が落胆を隠す事無く、椅子の背もたれに身体を預けた。
そんな二人の様子に笑みを浮かべたままの彼は、次いで希望の言葉を語る。
「しかし、中央もルアンの森をこのまま捨て置く事はないでしょうし、そのルアンの森の里、ドラントの者たちの大半が今回の戦いにおいて、人族と共闘する事を選択、受け入れました」
アスパルフ国王とブラニエ辺境伯の瞳が見開かれ、静かにディランを見返す。
静まり返った室内で、誰かの喉の音が鳴った。
「あとは私が中央へと出向いて、中央からの戦力確保を何とか引っ張ってくるだけ、でしょうか」
そう言って軽く手を打ち合わせる彼に、二人の人族の支配者が喜色を浮かべた。
「おぉ、そうか。まだ希望を捨てずにいられるのか……」
アスパルフ国王は、まるで声に覇気のないような声音でそんな心情を吐露する。
入って来た時にはすぐに気付く事はできなかったが、その顔にはどこか憔悴したような雰囲気が漂っており、同席していたブラニエ辺境伯もそんな国王の様子を物憂げな表情で窺う。
何かあったのだろうか?
そんな自分の疑問を感じている所に、一人の衛兵が足音煩く室内へと駆けこんで来た。
国家の非常時として、常に報告の為の窓口を開けているのだろう。
しかしそんな衛兵の姿を見るなり、アスパルフ国王は苦い顔を浮かべてすぐに取り繕うと、自分たちの姿を認めた衛兵が報告を躊躇っていた所を手早く報告するように促がした。
「はっ、失礼致しました! 先程、デルフレントの王都に忍ばせていた者から“鳥”が届きました! 『王都、謎ノ化ケ物ニ蹂躙サレツツ有リ、陥落モ時間ノ問題。敵数無数』との事です!」
読み上げられたその報告の内容に、その場に居た全員が愕然とした表情となった。
確か、デルフレント王国はノーザン王国の北側に位置する国──だったか。
──そこは、確か、
「チヨメ殿、デルフレントと言えば、ゴエモン殿らが向かった先だったと思うが?」
自分の問い掛けにアリアンやディランたちの視線が自然とチヨメに向かう。
彼女は特に表情は変えずに頷くと猫耳を僅かに動かし、それを見ていたポンタが同調する。
「ボクの所には何の報せも届いていません。王都の位置を把握していないので何とも言えませんが、ここと同じ規模の不死者の大軍なら、ゴエモンたちが気付かない訳はないかと……」
しかしそちらの問題は大丈夫だとしても、ノーザン王国の置かれた状況はと言えば……北と南の国の王都に攻め入る化け物の大軍、それらが侵攻して来るとなると、この国は挟撃される事になりかねない。
アスパルフ国王は衛兵に労いの言葉を掛けて下がらせると、その場で重い溜め息を吐く。
それはブラニエ辺境伯の方も同様で、厳しい顔をしているにも拘わらず、その疲れは明白だ。
両者共に、普段は上に立つ者として、他者にあまり動揺などを見せたりはしないのだろうが、ここに来てはそれも中々に難しいのかも知れない。
そんな重苦しい空気が支配する中で、いつも調子を崩さずに話し始めたのはディランだった。
「これは少し困りましたね。カナダから戦力を引っ張って来ると言いましたが、知っての通りエルフ族というのは人族程あまりその数は多くないのです。確実に叩くのなら片方に戦力を集中する必要がありますが、サルマ王国の王都からこの王都ソウリアまでの距離はどれ位かご存知で?」
ディランのその問い掛けに、アスパルフ国王は顔を上げて眉根を寄せて唸った。
「む、確か、馬の足で十日以上は掛かる筈だ……」
その答えに一度頷いたディランは、今度はデルフレント王国の王都との距離を尋ねる。
「むぅ、詳しく把握していないが、だいたい七日、八日といったところだったと思う」
アスパルフ国王の答えを受けて、ディランはチラリと傍らのブラニエ辺境伯に視線を向ける。
「ではサルマ王国の王都からブラニエ領までの距離は?」
「およそ馬の足で七日、領境を越えるだけなら六日といったところだ」
既に聞かれる事を把握していたのか、ブラニエ辺境伯はディランの質問に悩む事なく答えた。
しかし、両者の答えを考え合わせると、
「迎え撃つ場所を定めたとして、二つの大軍の行く先次第だけど、ほぼ同時期に侵攻が重なるわね」
アリアンが溜め息混じりに零すと、その場の空気が一段と重くなった気がした。
「それにしても、ヒルク教国は三国同時に侵攻していたのか。保有している不死者兵の数はいったいどれ程なのだろうな……サルマ王国にデルフレント王国、ノーザン王国で撃破した数と本国に置いているであろう数を合わせれば、ざっと五十万は下らないだろうな」
自分はとりあえずの現状把握の為、相手方の戦力数の予測を口にするが、それはますます厳しい現実を突きつけるだけの行為だったようだ。
アスパルフ国王もブラニエ辺境伯も視線を伏せて、両肩を震わせていた。
「とりあえず、どちらの進行速度も不明な時点で片方に戦力を集中するのは難しいね。不死者の大軍が真っ直ぐここに向かう保証もないし、他所の街を襲うなどすれば到達時期も随分と変わってくる。やはり、もう少し戦力が欲しいところだね……」
ディランは変わらない調子で現状の分析を独り言のように呟いてしばらくした後、その場が静まり返っている事に気付いて、ふと視線を上げた。
そこでようやく顔を上げたアスパルフ国王とディランの視線が交差する。
ディランの何かを尋ねる視線に、国王の止まっていた思考が動き始めた。
「あ、あぁ、戦力か。我が息子の一人、テルヴァがもうすぐ国内貴族の私兵を連れて戻る筈だ。あとは……アーク殿の御力を借りられるのならば、ローデン王国の方に我が国から求めれば、多少なりとも援軍を期待できるかも知れぬ」
確かに、ローデン王国とこのノーザン王国はブルゴー湾を挟んで交易などの交流があるようだが、湾とはいえ海を越えた先の隣国に、それだけで援軍など送るだろうか。
自分の疑問が顔に出ていたのか、アリアンも同じような顔で視線を交わし首を振る。
チヨメの方は此方とは関係なく、何かに気付いたのか、部屋の外に猫耳を向けていた。
その意味を知ろうと顔を動かすが、そこにアスパルフ国王が語る事情に再び視線が彼に戻る。
「ローデン王国の現国王の妃、メリッサは我が妹でな。既にメリッサは他界しているが、向こうのユリアーナ王女は我が姪にあたる。その誼で何とか都合をつけて貰う他ないだろう」
国王のその言葉に、自分は少なからず驚いたと同時に、何かを忘れている気がしてならなかった。
──はて、何だったか?
「きゅん?」
そんな此方の疑問に同調して頭の上のポンタも不思議そうな声で鳴く。
とりあえず記憶の片隅にある問題はこの際おいて置くとして、先に考える事はローデン王国へ援軍を求める為の使者を誰にするかだろう──。
ノーザン王国とローデン王国の王家が縁戚の関係にあって、それを頼って使者を送るのなら、やはりここは王家の者が妥当だろうか。
それはディランも思い到ったのか、軽く手を打ってアスパルフ国王に誰を候補にするかを尋ねた。
「ローデン王国に使者を送るとして、やはり向こうと縁戚のある王家の者を向かわせるのが普通なんでしょうかね、この場合。私も向こうの方々とは少し前に顔合わせていますので、その使者殿との多少の橋渡しは承りますよ?」
アスパルフ国王はその問いに対して、渋面を作ってしばらく口を閉じた後、ややあって、
「今はその候補に上げられるのはリィルしかおらん……」
重い口調で彼はそれだけを語った。
彼のその口調からはリィル王女を使者に向かわせる事に抵抗があるようだった。
年齢で言えば十かそこらの少女だ、彼がそう思うの致し方のない事だろう。
リィル王女は確かにしっかりしてはいるが、ディン伯爵領からここまで来るまで色々と重責を担っていたりして、親としては彼女をしばらく休ませてやりたいのだろうと、その時は考えた。
しかし、その国王の配慮を突っぱねる人物が一人、扉を勢いよく開いて室内に飛び込んで来た。
「わらわがその使者の役目を承るのじゃ!」
その幼い少女の声に、皆の視線が一斉に部屋の入り口へと向かう。
そこには目元を赤く腫らしたリィル王女が、眦に溜まった涙を袖口で拭きながらも毅然とした態度で、席に着いていた父親──アスパルフ国王に訴えかけていた。
その彼女の只ならぬ様子に、王都に留まっていたチヨメに事情を窺うように彼女を見る。
しかし、此方の視線に気付いたチヨメは、小さく首を振ってそれに応えた。
それもそうだ、彼女は自分たちが出掛けている間、王都の新市街を駆け回っていたのだから。
「リィル、お前にはしばらく休んでいるように言ってあったではないか……」
国王のというよりは一人の娘の父親として、彼女を心配するように声を掛ける。
だが彼女は頑としてそれに首を横に振ると、今一度、アスパルフ国王に使者の件を願い出た。
「セヴァル兄様の為にも! わらわが少しでも力になれる事があるなら、この国が明日に残す為の手伝いをしたいのじゃ! セヴァル兄様が泣いて悔しがるような、そんな国する為にも……」
そう言うと彼女はまたボロボロと大粒の涙を零しながら、必死でそれを止めようと、既に重く湿った袖口で何度も涙を拭っていた。
そんな彼女の嗚咽を聞きつけたのか、もう一人の人物がその場に姿を現した。
入り口で一礼して入って来たその人物は、リィル王女の傍で跪くと、懐から取り出したハンカチで彼女の目元を拭ってやると、アスパルフ国王に向き直ってその場で深く頭を下げた。
「申し訳ありません。少し目を離しました所、部屋を抜け出されてしまい──」
リィル王女の護衛騎士の一人であるニーナがアスパルフ国王に向かって謝罪の言葉を述べている所に「よい」と、彼女の謝罪を遮るように言葉を掛けた。
「リィル、使者に送るローデン王国はここより遥か東だ。この使者の話は其処のアーク殿の──」
「我ならば良いぞ?」
アスパルフ国王が途中まで言い差して、何を言わんとしているのか察した自分は、その彼の言葉に被せるように自身の意見を表明した。
全員の何かを問うような視線が此方に集中するが、自分は胸を張ってそれに答える。
「リィル殿をローデン王国に使者として送り届けるぐらいなら請け負うぞ。ついでに援軍が得られたならば、その援軍のここまでの送迎も我が面倒を見よう」
「きゅん!」
自分の宣言に、頭の上のポンタも胸を張って鳴く。
「そ、それは、本当か。アーク殿」
アスパルフ国王がリィルを見つめていた視線を上げて、此方を眩しそうに見上げる。
「ここまで来たのなら、我の力の及ぶ範囲での助力は惜しまぬつもりだ」
今度は片腕を上げて力こぶを作って見せるような仕草を取ると、頭の上のポンタも何故か尻尾をぶんぶんと振り回し始める。
そんな一人と一匹の様子を見上げていたリィル王女が、涙を拭いて小さく笑みを零した。
アスパルフ国王もそんな彼女を見て決意を固めたのか、席を立って彼女の前に腰を下ろすと、少し跳ねていた髪の毛を手で梳くようにして話し掛けた。
「では、今日はもう日が暮れるだろうから、リィルは明日の準備をして早めに休みなさい。ローデン王国への書状は私が今夜中に準備しておこう。それと──」
優しげに声を掛ける彼はリィル王女の髪を梳く手を止めると、徐に懐から草花の精緻な装飾が施された首飾りを一つ取り出した。
リィル王女が僅かに目を見張っている所に、アスパルフ国王はその首飾りを大事そうに彼女の首に掛けてやると、少し離れてその姿を見つめて微笑んだ。
「父上、この首飾りは?」
リィル王女はその首飾り不思議そうに眺めた後に、父親である国王に問い掛ける。
「それはお前の叔母メリッサがローデン王国へ嫁ぐ際、私が彼女に送った首飾りと同じ物だ。お守り代わりに持って行きなさい……」
アスパルフ国王のその答えに、リィル王女は灰色の瞳を瞬かせた後に礼を述べた。
「ありがとうございます、父上」
「ニーナ、リィルを頼む」
そんな彼女から視線を移した国王は、傍らに控えていた護衛騎士のニーナに後を託すと、彼女は深く一礼してリィル王女を部屋の外へと促した。
「リィル姫様、部屋に戻って明日の準備を致しましょう」
促がされて部屋を後にするリィル王女の背中を追いかけるニーナだったが、途中でチヨメと視線が合って、彼女の足がその場で止まる。
あわや以前のような一触即発の雰囲気かと思ったのだが、どうもそうではないようだ。
しばらくしてニーナがチヨメに向かって小さく会釈をすると、先日の件で謝罪の言葉を掛けた。
「チヨメ殿、先日は私の不用意な発言で不愉快な思いをさせてしまい、申し訳なかった。ここでは障りがあるので、また後日、改めて謝罪に窺わせて貰う」
そう言ってニーナが再び小さく頭を下げると、チヨメは彼女から視線を逸らして素気なく返した。
「別に……、ボクはもう気にしていない」
「……そうか」
やや気落ちしたようなニーナだったが、そっぽを向いたチヨメの頭部の猫耳がぴくぴくと彼女を窺うように向いているのを見て、口元に少し笑みを浮かべた。
「り、リィル殿の傍に居てあげなくて良いのですか? また折檻されますよ」
何やら後頭部に視線を感じたチヨメは、居心地が悪そうにそう言って尻尾を振ると、今度はニーナが「うっ」と言葉を詰まらせて胸を押さえた。
「……で、では、私はこれで。チヨメ殿、ありがとう」
何とか立ち直ったニーナは、チヨメの下を離れる時に小さくそれだけを言い置いて、先に部屋へと向かった小さな主の背中を追いかけて行った。
チヨメはそんな彼女が出て行った部屋の入り口付近に視線をやっていたが、やがて視線を戻して小さな溜め息を吐く。
どうやら明日のローデン王国への渡航に際しての不安要素が一つ、無くなったようだ。
ニーナとチヨメのやりとりに胸を撫で下ろしつつ、視線をアスパルフ国王へと向ける。
先程のリィル王女の様子、何となくだがだいたいの想像はつく。
「アスパルフ殿、先程のリィル殿の事だが、あれは」
そこで一旦言葉を区切り、再び席に深く腰掛けた国王の様子を窺うと、彼はしばし瞑目した後に、その事情を語った。
「今日の昼頃、貴族領から一報が来たのだ。この王都ソウリアが不死者の大軍に取り囲まれる前に、各地の領主に援軍を募る使者として外へと出した二人の息子、その内の二番目のセヴァルが、追っ手として現れた化け物の襲撃に倒れたとな」
アスパルフ国王は感情を抑えながら、ゆっくりとした口調でその話をしてから瞼を閉じる。
リィル王女がこの部屋に現れた時の態度や、言動である程度の予想はできていたのだ。
それはアリアンやチヨメも同じだったようで、二人ともリィル王女を気遣うような視線を、彼女が出て行った戸口に向けていた。
同席して聞いていたブラニエ辺境伯の方は既に知っていたのか、特に驚く事なく、ただ静かにアスパルフ国王の話に耳を傾けているようだった。
兄の一人が死んだと聞かされて悲しみに暮れながらも、それでも兄が救おうとした国を守る為に、自身ができる事を率先して行うというその意思の強さは、彼女の年齢でなくとも中々持てるものではないだろうな、と。
どちらかと言えば意志薄弱の自分は、そんな彼女の逞しさに胸を打たれた思いだ。
「明日は我らも気を引き締めねばならんな……」
ポンタも気合い十分なのか、いつにも増して綿毛の尻尾が膨らんでいる。
自分のそんな独り言に、アリアンが何やら力強い眼差しを此方へと向けて口を開く。
「気合いを入れ過ぎて、余計な方向に空回りしないでよ」
彼女のその一言に自分は小さく頷いて返す。
心なしか、頭の上の毛玉の嵩も小さくなったような気がした。
誤字、脱字などありましたらご連絡、宜しくお願い致します。