不用意な一言
そこに描かれていたのは、目録に登録されてあった品の姿を写したもので、菱形の宝石のような物が描かれていた。
そしてその絵の横には、その宝石の特徴などが備考欄に記されており、その特徴からも絵に描かれたそれが、“刃心一族”の秘宝である『契の精霊結晶』である事が分かった。
「ザハル殿、ここに記されている宝石なのだが、これはまだこの宝物庫にあるのだろうか?」
書に描かれたその絵を見せながらザハルにそう言って尋ねると、彼は此方から書を受け取って周辺に纏められた書類などを確認して静かに首を振った。
「残念ながら、この宝石は以前にヒルク教国への贈答品として贈られたという事が記載されているので、もうこの宝物庫には無い品のようだ」
彼のその言葉を聞きながら、自分やチヨメは成程と合点がいった。
そしてこの宝物庫に侵入し、脱出した者がサスケであった事が確実となった訳だ。
彼はこの宝物庫へと侵入し、ここでこの目録に記載された記録を読んでヒルク教国に向かい、そこで教皇の手に落ちた──というのがだいたいの経緯だろう。
チヨメも暫くその目録に描かれた『契の精霊結晶』の写しに視線を落として、既にこの世から姿を消した兄弟子のサスケの事を考えているのか、その瞼を静かに閉じた。
そんなこちらの様子を黙って見ていたニーナが突然眉を顰めるようにして前へと進み出ると、腰に差した剣の柄に手を掛けてチヨメを睨み据えるようにして口を開いた。
「どうもおかしいと思っていたのだ。貴殿らが調べているのは宝物庫に侵入したその獣人の賊なのだろう? 王家の宝物庫に不法に侵入するなど、言語道断! 貴殿らとその賊の関係、疚しい事が無ければこの場で釈明する気はあるか!?」
その彼女のその剣幕に、リィル王女は顔を青くして此方とニーナの顔を双方に向けて何かを弁明しようと口を開くが、言葉が出てこないのか視線だけが忙しなく泳いでいる。
そして問い質してきたニーナ自身も目の前にいるチヨメが自身の腕では到底敵わない事を理解しているのだろう。柄に掛けた手が震えているのが傍目に見ても分かる。
気付いたとしても黙って目を瞑っていればいい事なのだが、彼女の生真面目な性格がそうさせるのか、それとも人族の獣人族へ向ける偏見や色眼鏡のせいなのか。
ザハルは此方が調べている事のおおよその見当は付けていて、それでも気付かないふりをして話をしていたのだろうが、ニーナの猪突な対応に頭を抱え制止しようと口を開いたが、それはチヨメの有無を言わせない言葉によって遮られる事となった。
「……調べていた賊が知っている者だとして、それでボク達をどうにかする気ですか?」
ゆっくりと開かれた蒼い瞳に凍てつくような怜悧な光が宿り、チヨメの周囲の空気が文字通り凍りつくように一気に温度が下がると、彼女の言葉と共に白い息が吐き出される。
空気中に含まれる湿気が氷となって、それが明かりの魔道具の光に照らし出されてキラキラと空中に星の瞬きを見せるように漂い始めていた。
チヨメの実力は昼間にパルルモ枢機卿との戦いでニーナや他の者も知っている筈だ。
見た目には年端もいかない少女だが、その彼女の実力は人族の騎士一人や二人程度で到底抑えられるようなものではない。
だからこそ、その場にいる全員が蛇に睨まれた蛙のように身動きできないでいるのだが。
チヨメもヒルク教国へと向けていたサスケを失った無念が胸中に渦巻いている所に、ニーナの無遠慮な問い質しが勘気に触れたのだろう。
チヨメがゆっくりとした動作で一歩前へと進み出ると、それに呼応してか彼女の足裏に接触した石床の表面が白く凍りついていく。
氷が形成される時に生じる空気の響きが、押し殺したような室内にいやに木霊する。
「あなた達はこれが何処から、この宝物庫へと持ち込まれたのか知っているのですか? 山野で隠れて暮らすボク達の同胞が何故、人族の街で鎖に繋がれているのか知っているのですか? 人に蔑まれ、追われ、囚われた同胞の多くは何の咎によって捕らえられたのか、知っているのですか?」
「そ、それは……」
静かで儚い声、それでいて研ぎ澄まされた氷のような殺気。
それにあてられたニーナは首筋に冷や汗を流して、思わず言葉を詰まらせた。
周囲に放たれるその見えない切っ先が腹の底へと潜り込むような感触を覚えながら、そろそろ止めないと不味いなと思ってチヨメに声を掛けた。
「チヨメ殿、そこまでだ」
その自分の一言で、彼女から放たれていた冷気が僅かに緩む。
「明日はこの王都の獣人族が解放される宣言が成されると、リィル王女から聞き及んでいる、チヨメ殿がここでニーナ殿一人に迫ったところで意味はない。それよりも明日、解放されたチヨメ殿の同胞達の処遇を今から検討しておく方が建設的だとは思わぬか?」
いや──言葉にして問い詰め答えを求める事に意味はある。しかしここで拳を振り下ろしては彼女の主張する正当性が揺らぎ、有耶無耶となってしまう。
「リィル殿、確か明日であったな?」
自分が発した問い掛けに、ようやく話が振られた事に気付いたリィル王女は、慌てて何度も頷き返して問いへの肯定を示した。
「そ、そうじゃ! 明日、父上が王城前の広場に彼らを集めて宣言する事になったのじゃ!」
その言葉にチヨメの瞼がゆっくりと落ちて、深く息を吐き出した。
そうしていつの間にか凍りついていた床は溶け、張り詰めたような雰囲気が霧散すると、リィル王女を始めとした人々の口から大きな溜め息が漏れた。
「すみません、アーク殿。少し熱くなりました。ボクは先に出ています」
そう言ってぺこりと小さく会釈したチヨメは、そのまま宝物庫の扉を潜って外へと出て行く。
彼女の背中を見送りながら、自分は視線をアリアンの腕の中に収まっていたポンタへと向ける。
「ポンタ、任務だ。チヨメ殿の事を頼んでも良いか?」
「きゅん!」
自分の言葉に理解の色を示したポンタは、アリアンの腕から飛び出して一目散にチヨメの足元へと駆けつけ、彼女の周りで尻尾を揺らして纏わり付いていく。
チヨメがそんなポンタを抱きかかえて二つ目の扉を潜るのを見送ってから、視線をリィル王女らの方へと戻して先程の彼女の件を詫びた。
「すまぬな、ここに記されたこの宝石は元々彼女の一族に伝わる秘宝なのだ。我もどういった経緯で秘宝がこの宝物庫へと運び込まれたのかは知らぬが、今の獣人族と人族の関係を鑑みれば、それは決して愉快な話などでないのだろう」
そんな自分の話に、ザハルが真っ先に反応して頭を下げた。
「そのような代物だったとは知らず、失礼致しました。アーク殿」
ザハルのその言葉にリィル王女も慌てて此方に駆け寄って来て自身の騎士の対応を詫びてくる。
「我に謝られても困るな。それに、チヨメ殿も少々虫の居所が悪かっただけだろう」
ここで拗れて報酬の内容が白紙なっては目も当てられない。
未だに呆然とする者が多い中で、自分はなんでもないという風に軽く手を振って答えた。
明日、この王都の獣人族が解放され、今後この国での獣人族の罪人以外での奴隷は正式に違法になる運びだが、それで両種族の溝が今日、明日で塞がる訳ではないのだ。
今まで奴隷種族として扱ってきた者、それに反発し力で対抗してきた者、互いに信用ならない者という認識が色濃い両者にとって、チヨメとニーナの先程のような光景はこれからも諸所で見られる事になるのだろう。
「す、すまぬのじゃ、アーク! ニーナには後できちんと言って聞かせるのじゃ!」
そんな中でリィル王女は慌てて此方へと駆け寄ると、自身の護衛騎士であるニーナの失態を謝り、その灰色の瞳を潤ませて見上げてくる。
ニーナはそんな自分の小さな主が此方に対して謝罪をした事に、自らの浅慮によって主に恥をかかせた事を恥じ入るようにきつく瞼を閉じて、その場で深く頭を下げた。
その場を何とか収めて宝物庫を出ると、扉の脇にポンタを抱えたチヨメが立っていた。
「すみません、アーク殿」
しんなりと猫耳を伏せて尻尾を垂れた姿で謝ってくるチヨメに、自分は鷹揚に手を振って何でもないという風に手を振った。
「別にチヨメ殿が謝ることではないであろう?」
そう言ってみるも、彼女は黙って首を横に振って瞳を伏せた。
チヨメのそんな態度に、ポンタは彼女の腕の中で慰めるようにゴロゴロと喉を鳴らす。
彼女は腕の立つ戦士ではあるが、まだ年端のいかない少女でもある。感傷的になっていた場面で勘気に触れる言葉を聞き逃す程、まだ器用ではないのだろう。
そういう面を見せてくれるというのは寧ろ安心できる要素でもあると言える。
「明日はこの王都と隠れ里、それに新天地である里にも飛んで、受け入れられる人数や、移り住む希望者の数、色々と調整せねばならん事は多い。忙しくなりそうだな」
自分は努めて明るい口調で明日の予定を指折り挙げて、今後のやる事の多さに盛大に溜め息を吐いて見せると、チヨメは僅かに口角を上げて笑った。
「今日はもう疲れたから、早く寝ましょ。この城の部屋を貸してくれるそうだけど、アークに頼んで今日は里へ一旦戻って休む?」
アリアンは人族の王が用意した部屋ではチヨメの心が休まらないと判断したのか、自分の転移魔法でどちらかの里に移って休む事を提案してきた。
しかしチヨメはその提案に首を振って、改めポンタを抱きかかえた。
「ボクは問題ありません。明日に備えて今日は早めに寝る事にします」
顔を上げて答えるチヨメの顔を覗き込んでいたアリアンは、その姿に満足そうに頷くと彼女の腕を取って先を歩き始めた。
「じゃあ、今日はチヨメちゃんと私で同じベッドに寝るわね。あ、勿論アークは別の部屋よ?」
既に決定事項だと言わんばかりの口ぶりで笑うアリアンに、チヨメは僅かに目を見開くが、その提案を却下するでもなく小さく頷いて返した。
彼女の腕の中ではしっかりとポンタが抱きしめられているので、どうやら今日は一人で寝る事になりそうだなと、王城の廊下から覗く月明かりの夜空を見上げながら独りぼやいた。