パルルモ枢機卿
「これは何事ですか、アスパルフ国王様!?」
そう言って大股で国王の下へ近づいて来たのは一人の男だ。
撫でつけたような黒髪に、周囲からやや浮いたような豪華で派手な衣装はどこか聖職者の法衣を思わせるような意匠で、こちらの世界では珍しい眼鏡を掛けた男だった。
不意に現れて国家元首である国王に一礼をとる事も無く話し掛ける人物に、何者だろうかと疑念を向けると、程なくしてその答えは国王の口から齎された。
「パルルモ卿、教会の信者たちの方は宜しいのか?」
国王の口からパルルモ卿と語られたその男──どうやら“教会”の関係者のようだが、温和そうな顔をしてはいるが端々から覗く苛立ちのような感情と、それを隠そうともせずに国王に対する態度からも相当に身分の高い人物なのだろうと推測できる。
そして“教会”と名のつく言葉を聞いて、心穏やかでいられない者はこの場に少なくとも二人。
この地で教会の名を冠した相当な権力を持つ存在となれば、それはもう一つしかないだろう。まずヒルク教の関係と考えて間違いない。
アリアンとチヨメの耳が僅かに反応して、現れた三十代ぐらいの派手な装いの男を睨み据えた。
そんな彼女らの視線を感じたのだろう、男は国王の問いには答えず振り返ると、二人の姿を目に入れてその表情が驚愕へと変わった。
「国王よ! これはどういう事ですか!? 街中でもちらほら姿を見掛けた獣人に加えて、エルフまでもがこのような人族の領域で何をしているのですかっ!?」
先程までは辛うじて被っていたのであろう温和な表情が一変し、傍観する周囲の人々を叱責するような態度で声を荒げる。
そしてそんな彼の豹変した態度に、アスパルフ国王やその周辺の臣下らしき人々は非難の声を口にはせず、何やら苦渋と動揺をない交ぜにしたような雰囲気で顔を見合わせていた。
彼らのそんな態度から、両者の力関係が傍目にもはっきりと分かる。
「すぐにでも卑しいエルフや獣人どもを捕縛して、我らヒルク教の管理下に置く! 国王には此度の件、きちんと説明願いたいものですね! 誰か連中をすぐに捕縛しなさい!!」
そう言って吐き捨てるパルルモに、おおいに動揺した態度を示したのは国王や王都の危機に援軍として駆けつけた騎馬隊の兵らと二人の護衛騎士、そして自分達を雇入れたリィル王女だ。
何やら一触即発の事態に発展し始めたかと思った矢先、先に口火を切ったのは意外にもアリアンとチヨメの方だった。
「卑しいエルフや獣人ね──そういうあなたは人族でもなければ、ましてや生者ですらないようね」
アリアンの金色の瞳に剣呑な色が帯びて、腰に差していた自らの剣を抜き放つと、それに呼応してチヨメも短刀を抜いて構えると小さく鼻を鳴らして顔を顰める。
そんな彼女たちの行動に驚くのは自分だけではない──国王やリィル王女、ザハルらも同様で、しかも衝撃は彼らの方が上のようだった。
しかしそんな中で逸早く反応して見せたのはニーナだ。
アリアンの抜剣に半歩遅れる形ではあったが、剣を抜いて国王とリィル王女を自らの背中で守るように前へと進み出てこちらを睨み据えた。
「国王様の御前よ! 剣を納めなさい、でなければ叛意有りとみなします!!」
ニーナの鋭く非難する声に、アリアンは眉を顰めて苦笑を浮かべた。
「叛意って……私達は別にあなたの王様の配下でも何でもないわよ」
やや呆れたような口調で零す彼女に、自分はいったいどういう事かと探るような視線を送る。
すると此方の意が伝わったのか、パルルモから視線を外さずアリアンが小さく口を開いた。
「あそこに居る派手な格好した男、人間のふりをしているけど不死者よ、あれ」
その言葉に驚き改めてパルルモの姿を見やると、此方の視線に気付いたのか相手も睨み返すような視線を向けてきた。それに反応するように兜の上のポンタが威嚇して唸る。
「ウゥゥゥ……」
その唸り声に気を取られ、パルルモが剣を構えていたアリアンから意識が逸れた。
瞬間、まるで流れるような体重移動からアリアンが駆け出し、パルルモとの距離を一気に詰めると目にも止まらぬ銀閃が手に持った鞘から走る。
「ぎゃぁぁぁぁあぁぁ!!! 私の、私の腕がぁぁぁぁぁ!!!」
パルルモの悲鳴が木霊し、辺りに黒い血飛沫が飛び散ると共に彼の左腕が転がっていく。
一瞬にしてその場は騒然となり、ザハルやニーナ、他の兵士達も戸惑いながらも武器を構えた。
「何をしているっ! 私はヒルク教の枢機卿だぞ!? その私に凶行に及んだその野蛮人共を早く捕らえないか、いや殺せぇ!!」
がなり立てるような声を発するパルルモ枢機卿に、周囲に並んでいたザハル指揮下の兵士たちがそろそろと此方をとり囲むに動き始める。
それにしても高い身分にある男だろうとは思っていたが、まさか司祭や司教を通り越して枢機卿などという役職の人間だったとは。詳しい階位は知らないが、ほぼ頂点の位置に近い役職の筈だ。
そんな人物の正体が不死者とは、ヒルク教はいったいどんな宗教なのだろうか。
それに声を荒げているパルルモ枢機卿はどう見ても人間にしか見えない。だからと言ってアリアンやチヨメが言った事が嘘だとは思ってはいない。
だがのんびりそんな事を考えている暇はなさそうだ──。
急転した事態に国王を始め、リィル王女も混乱しており、兵士らにまともな指示を与えられていないようだ。今は口汚く喚くパルルモ枢機卿の指示に緩慢とした動作で従っている。
何とか奴が本性を現すように仕向けなければならないが、周囲の兵士や住民、ましてや国王など国の主要な人物に危害を与える訳にもいかないのだ。
「ふむ、やれやれ。面倒な事になった……」
そう勿体つけるような独り言を漏らして背負っていた剣を片手で抜き放つと、巨剣を軽く周囲を払うように回転させてそれを肩に担いで見せた。
剣を振った衝撃で風が唸りを上げた事が些か以上効いたのか、兵士たちは一斉に悲鳴を上げて後ろへと下がる。中には驚きのあまりに腰を抜かして頭を抱えて蹲る者までいた。
過剰に恐れられるのも問題はあるが、こういった時には何かと役に立つな。
「アーク殿! これはいったいどういう事だ!?」
場が混迷を極め始めた中で、ザハルが剣を構えた姿で此方に大声で事態の説明を求めてくる。
しかし今は口で何かを説明したとして、彼らには到底受け入れられない話だろう。
そんな此方のやりとりの様子を横目で眺めていたアリアンは、口元に薄く笑みを浮かべて視線をパルルモ枢機卿へと戻した。
「いつまでその下手な演技を続けるつもりなのかしら? こっちはエルフ族と獣人族なのよ? あなたが人でない事ぐらいすぐに見分けがつくのよ!」
そう言うやいなや、再び間合いを一足飛びに詰めたアリアンが第二の剣閃を放つが、今度はその攻撃をパルルモ枢機卿は大きく後ろに飛び退って躱して見せた。
その跳躍力はどう見ても人のそれではない。
それを見た周囲の人々はここ何度目かの驚愕の表情を浮かべ、さらに混迷の度合いを深めていく。
目の前の者が生者か、不死者か──これはエルフ族であれば不死者特有の“穢れ”を視る事によって判別が可能であるし、獣人族はその人より優れた五感で嗅ぎ分ける事が可能なのだ。
しかし人族にはそういった手段や能力がない、目の前に立つパルルモ枢機卿が不死者かどうかなど、先程までなら疑う余地などなかっただろう。
かくいう自分も一応のエルフ族ではあるが、不死者特有の“穢れ”を視る事はできないので、先程彼が披露した異常な跳躍力などを見ない限り判断は難しいと言わざるを得ない。
それにしても意志のある不死者はこれまでに遭遇した中では蜘蛛人と、タジエントで突如出現した正体不明の化け物ぐらいだった。
どちらも見た目が人のそれとはかけ離れた異形の化け物であったが、左腕を斬られて顔を顰める今のパルルモ枢機卿はどこをどう見ても凡庸な人の姿でしかない。
しかしその認識はすぐに覆される事になった。
「ちっ、忌々しい下等種族の分際で……。今日は本当に不愉快な日だ、この私が自ら計画の後始末をつける事になるとはな」
そう言ってパルルモ枢機卿は眉を顰めて怨嗟の声を吐き出すと、それまで苦痛に歪めていた表情がすっと引き、次いで斬られた筈の左腕の先から肉が盛り上がり新たな腕が生え始めた。
「な、なんだあれはぁ!?」
誰かの悲鳴にも似た叫び声に、パルルモ枢機卿が口元に凶悪な笑みを浮かべた。
『喜べ、ここに居る全員この七枢機卿が一人、パルルモ・アウァーリティア・リベラリタスが手ずから死出の案内人を務めてやろう! 安心して逝くが良い!!』
腹の底から響くような禍々しい声と共に、パルルモ枢機卿の身体全体をまるで別の生き物が服の下で這い廻るかのようにして蠢き、その肉体が人の殻を破るように盛り上がる。
そしてその豪奢な聖職者の法衣の背中が割けて二本の肉の突起が付き出し、それが徐々に形を変えて新たな腕が生み出された。全身からは体毛が噴き出し、膨れ上がった顔は猿にも梟にも見える。
黒く細長い尖った嘴にはずらりと並んだ牙が覗き、尻の辺りからは以前荒野で見たようなサンドワームにも似た細い二メートル程の触手のような尻尾が伸びていた。
全身が盛り上がった筋肉に覆われた肉体、身長は優に三メートルを超えて四メートル近い。
丸い大きな眼鏡を掛けたような眼球は血走り、赤い瞳が周囲の人々を睥睨する。
全体的な見た目の印象で言えば腕が四本もある巨大なリスザルのようにも見えるが、そのおぞましい姿には可愛らしさなど微塵も持ち合わせてはいない。
ただの人で在った存在が見た事もないような化け物へと変わる──その衝撃は多くの魔獣や、様々な種族が暮らすこの地の人々にとっても驚天動地の事態であったようだ。
周囲の人々は恐怖と驚愕に表情を染め、ただただ震える者、悲鳴を上げて腰を抜かす者、地面を這うようにしてその場から逃れようとする者達で騒然となった。
国王やリィル王女らも事態の推移についていけず、ましてや目の前の恐怖から震える足で僅かに後ろへと下がるのが背一杯のようだった。
そんな国王らの姿にパルルモが視線を向けると、嘴状の口の奥からくぐもった嗤い声を響かせて、ゆっくりとその巨体を彼らの正面に向けた。
『ハハハハ、まずはこの王国を地図から消す事から始めよう……』
禍々しいその言葉と共に、パルルモは瞬時に加速して跳ねるような動作で真っ直ぐにノーザン王国のアスパルフ国王を目指して、その距離を詰める。
一瞬の間、不意を突かれた格好のザハルはそのパルルモの言葉と行動の意味を悟り、剣を構え直して周囲の兵士らに向かって声の限りを尽くして指示を吼えた。
「国王様をお守りしろぉ!! 奴の狙いは国王様だ!! 全員で奴を止めろぉ!!!」
その声にようやく兵士らが弾かれたように動き出した。
「リィル姫様、お下がり下さい!!」
ニーナもリィル王女を庇うような恰好で剣を構えて声を上げて前へと出る。
行く手を阻もうとする兵士らだったが、パルルモにはたいした障害にもならないようで、進路上にいた兵士を二人纏めて両手で叩き潰した。
さらにその後ろで悲鳴を上げた兵士を背中の振り被った拳で吹き飛ばすと、兵士は近くの建物の壁に潰れた肉塊のようになって張り付くが、パルルモはそれを一顧だにせずに国王との間合いを詰める為に跳ねながら突き進む。
──速い!
アリアンもパルルモを追って動き出しているが、相手の身長差と跳躍力による移動力の方が上だ。
兵士達もまったく盾の役割を果たせていない。
最後に前へと出たザハルの一撃を難なく跳躍で躱すと、そのままアスパルフ国王の目の前に異形の姿となったパルルモが着地する。
『まずは貴様から地獄へと送ってやろう、国王!!』
「父上ぇ!!」
愉悦を含む粘ついた声音で嗤うパルルモの言葉にリィル王女が悲鳴を上げて国王の下へと駆けだそうとするが、それをニーナが必死で止めようとしていた。
パルルモが振り上げた拳の動きがひどくゆっくりに見える。
ここからではどう考えても間に合わない。そして今は余計な事を考えている暇はない。
「ポンタ落ちるなよ! 【次元歩法】!」
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