王都ソウリア
まだ破壊されて間もない王都ソウリアの南門。
自分が放った最後の一撃が最初の破壊痕を大きくしてしまった事が原因で、百五十騎あまりの騎馬隊が進むにも随分と余裕がある広さにまで拡張されていた。
この巨大な街門を修繕するとなったらいったい幾らぐらいかかるのだろうか?
とりあえず国王と交渉の場を持てたならば、不死者軍団の掃討の為の不可抗力を理由に街門の修繕費の請求は回避したいところだ……。
そんな事を考えながらザハルが先導する騎馬隊に続いて街門を潜る。破壊された門前は瓦礫が散乱しており騎乗したままでの踏破は危険と判断したのか、騎馬隊は馬を引いて門を越えていく。
街門を越えた先の広場では幾体かの不死者兵の姿があったが、それもザハルの指揮下にある騎馬隊の兵士らによってすぐに掃討された。
周囲には人の気配無く、閑散とした街並みが広がる景色はどこか幽霊都市を思わせる。
「街門が突破され、戦線は恐らく第一街壁まで下げられている筈だ! 最短距離で行く!」
広場を確保後、ザハルが全隊に向かって号令をかけると街の大通りに馬首を向けて、そのまま騎馬隊を率いるように馬を早足で進める。
自分とアリアンは紫電の両脇を固めながら、彼らに合わせて駆け足でついて行く。
時折、街路の角から不死者兵が数体現れるが、対応する騎馬兵らによって難なく処理されていく。
数は少ないが、異形の化け物である蜘蛛人もちらほらと姿を現して此方に襲い掛かって来る。
巨大な蜘蛛の体躯に人の形をした上半身が二体、まるで溶けて混じり合ったような姿に人の腕が四本生え、その手にそれぞれの得物を構える姿は異様の一言でしかない。
その巨体から繰り出される人のそれを超える力はまさに脅威ではあるが、開けた街壁外の平野部と違って狭い街中では数で押し寄せる事ができない為に、既に自分やアリアンの敵ではなかった。
「【飛竜斬】!」
蜘蛛人を視認次第、遠距離から牽制の攻撃を放つ。
剣を振って放つ衝撃波が真っ直ぐに蜘蛛人へと襲い掛かれば、蜘蛛人はそれを持っている盾で防御するか、不意を突かれて巨体を支える蜘蛛足を斬り飛ばされて動きが止まる。
『──業炎よ、全てを飲み込み、全てを焼き屠れ──』
そうなればすぐに間合いを詰めたアリアンが中距離から決定打を放ち、止めを刺しに行く。
剣に纏った炎が蛇のようにしなり、鞭の如く蜘蛛人の巨体を襲う。
蜘蛛人の視野はかなり広いようだが、最初の攻撃を防ぐ際の死角から上手く炎の蛇を襲わせるアリアンの腕は、流石と言うべきか。致命傷を負わせれば後は煮るなり焼くなり、好きにできる。
建物の高所から隙を窺う敵に関しては、紫電に乗るチヨメや五感に優れるアリアンがすぐに察知して牽制を放つので、今のところ不意を突かれる事は無い。
「『水遁、水手裏剣!』 アーク殿、屋根右です」
逸早く敵の存在を捉えたチヨメは、紫電の手綱を握りながら術を放つ。
そして隊の最後尾というのは、他の兵士らに見られる事無く転移魔法によって敵との距離を詰める事ができるので、何かと好都合だった。
「承知!【次元歩法】! 【強打盾】!!」
建物の屋根に張り付いていた蜘蛛人を見つけその目の前に転移すると、蜘蛛人が明らかに動揺する様が見受けられるが、自分はそれに構わず蜘蛛人を持っていた盾で屋根から叩き落す。
『貴様ハ、イッタイ何者ダァァッ!!』
驚愕に見開かれる人型の頭に幾つも並ぶ不揃いの眼球、しかしそれは下で待ち構えていたアリアンの剣技によってすぐにこの世の光を捉える事はできなくなる。
落下による衝撃と、斬撃による致命傷。さらには騎馬隊の兵らによる追撃のおまけまで。
そうして蜘蛛人は断末魔を上げてその巨体を震わせると、やがて街路の上で溶け崩れ、黒いヘドロの染みを残してその姿を消していく。
ザハルが率いる騎馬隊は街への進行当初、蜘蛛人が見せる圧倒的なまでの膂力とそのおぞましい異形の姿に恐慌状態だったが、今は此方の助けもあって徐々に対処可能だと判断するにつれて本来の兵士らしい統率の取れた動きを見せるようになっていた。
そんな中で一人の視線が屋根の上にいた自分へと突き刺さり、ふとそちらの視線に顔を向けると、そこには驚愕の表情で此方を見上げるニーナの姿があった。
──すっかりニーナがリィル王女の傍に付いていた事を忘れていたな。
敵を排除する事に集中していて、咄嗟に使い慣れた術を使ってしまい、ニーナに転移魔法を使う瞬間を目撃されてしまったようだ。
他には目撃されていないかと周囲をキョロキョロと見回してみるが、他の兵士らは前方と側面の方を警戒していて気付いていなかったようだ。
リィル王女もチヨメの背中にしがみついて、先を行く前方の騎馬隊に視線が向けられている。
しかしそんな此方の様子に、首を左右に振って蟀谷を押さえたアリアンは、何やら深い溜め息を吐いて紫電に先を促がすように指示を出す。
ここで今更兵士らに転移魔法が露見しなかった事を安堵しても意味がないのだ。既にニーナに目撃された事で後は同じ騎士のザハルや彼女の直接の主であるリィル王女、さらにはこの先会うであろうノーザン王国の国王にも話は及ぶだろう。
「ふ~む、これは後でアリアン殿の小言を覚悟せねばならんな……」
そう言って肩を竦めると、頭の上ではポンタが気にするなと言う風に、兜をタシタシと前足で叩いて一声鳴くと、元気に尻尾を振って此方を気遣うような仕草をする。
「きゅん!」
「そうだな、今は目的地へと着く事を優先せねばな」
ポンタの声に答えながら、自分は向かいの建物の屋根から姿を見せた蜘蛛人を一瞥すると、持っていた剣をすぐさま振り抜いた。
【飛竜斬】の斬撃が蜘蛛人を襲い、それを追うように瞬時に転移魔法で向かいの屋根へと転移して、間合いの内側から蜘蛛人に致命の一撃を加える。
斬り飛ばした蜘蛛人の人型部分が絶叫を上げながら屋根の上を転がり、巨体の蜘蛛の下半身は地面へと落下した。
それを一瞥した後、周囲に視線を巡らせながら屋根の上から騎馬隊の進行方向を眺める。
「ふむ、第一街壁とはあれの事か……」
視界の先──王都ソウリアの街並みの屋根が続く景色の奥には背の高い壁の姿が目に入った。
そうして背後を振り返って侵入してきた南門の方角を見やり、おおよその位置と距離を測る。
「あと半分程といった所か、もう少しだな」
「きゅん」
自分の独り言にポンタが相槌を打つように鳴くと、屋根の上から再び紫電の傍へと転移して部隊の後方へと戻った。
そんな自分にニーナは改めて驚きの顔を此方に向けるが、今この場で言及する事ではないと判断したのか、黙って視線を警戒の方へと戻した。
やがて真っ直ぐに通りを進んでいた部隊が少し開けた第一街壁前の広場に出ると、その奥には最初に潜った南門よりやや規模の小さい固く閉ざされた街門が姿を現した。頑丈そうな鉄格子の後ろには丈夫な木製門扉による二重の街門はまさに最後の砦といった様相だ。
そしてその街門の傍に以前は監視の為に使われていたであろう見上げるような角櫓が聳えており、そことそこに続く街壁の上には多くの王都の兵士らの姿が見える。
彼らは不死者を蹂躙しながら通りを突き進む騎馬隊の姿を既に見つけていたのだろう、外壁の上から鬨の声のような歓声で迎え入れてくれた。
中には最後尾についてきた疾駆騎竜の紫電の姿を見て驚きの声を上げる者もいたが、その背に騎乗するリィル王女が手を振って自身の存在を誇示した事でそれはすぐに歓声へと変わり、重苦しい雰囲気だった街中に活気を取り戻させるに到った。
そんな兵士らの歓迎の声に、騎馬隊の兵士らの士気も目に見えて上がっているのが分かる。
ザハルはそんな彼らを広場に入るや、部隊を三つに分けて周囲の不死者を掃討して安全を確保するように命じた後、自身は壁内との応対をする為に前へと進み出た。
自分はそんな彼を横目にしながら兵士らの手伝いでもと思い剣を手に動き始めたが、不意に街壁の上で兵士らの喧騒に変化が訪れてそちらに視線を動かした。
兵士らの騒めきの中心となっているのは、街壁の上の角櫓に続く入り口──そこから王国の兵士らとは違う装いの人物が慌てた様子で出てくる。
年齢で言えば壮年の男、身形は周りの兵士らとは違い、だからと言って華美ではない装い。
そしてそんな彼を追い掛けるようにして現れた者達も、どこか貴族の身形をした者達が中心で、それは周囲の兵士らの畏まった態度からも明らかだった。
その人物には見覚えは無いが、現れた瞬間に二人の護衛騎士であるザハルとニーナの居住まいを正す姿と、紫電の背に乗っていたリィル王女の喜色を浮かべた表情からすぐに察しがつく。
「父上! リィル・ノーザン・ソウリアが只今戻りました!」
彼女のその言葉に、街壁上にいたリィル王女の父親──国王であろうその壮年の男が大きな声で周りに何やら指示を飛ばして、周囲の兵士の数名が慌ただしく駆け出していく。
「開門、開門!!」
やがて何処からか閉じた街門の開門指示が下りると、重そうな鉄格子がせり上がり、その後ろの巨大な木製の門扉の片側が軋みながらゆっくりと開いた。
「リィル様、お早く門の中へ! 他は周囲を警戒しつつ順次後退して速やかに門内へ!」
先頭で指揮を執っていたザハルが紫電に騎乗するリィル王女とその手綱を握るチヨメに先を促がすように指示をして、次いで周囲に展開していた騎馬隊の兵士らにも急ぎ門内へ入るよう指示する。
チヨメはそれを受けて小さく頷いて、紫電を門内へと誘導していく。
自分とアリアンはそれについて行くように小走りでその背中を追って門を潜ると、その先では多くの兵士や遠巻きにしている王都の住民らによる感嘆と歓喜の声に迎えられた。
「人の数が多いな……」
「そうね。もう後がなかった、といった感じね」
自分の呟きに相槌を打ったアリアンは、第一街壁内の様子に眉を顰めた。
第二街壁が突破された今、この第一街壁の傍は言うなれば最前線だ。そんな最前線に近い場所に多くの住民の姿があるという事は、既に収容数に余裕がないという証左だろう。
この状態で籠城戦を続けた場合、後何日持ち堪えられたか怪しいものだ。
かなりの強行軍で援軍として駆けつけたのだが、タイミングとしてはギリギリといった所か。
そんな事を二人して考えていると、角櫓から先程の国王らしき男が駆け出して来て紫電に乗っていたリィル王女の下へと向かう。
それに気付いたリィル王女の方も、紫電の鞍から飛び降りて小走りに駆けて行く。
「リィル!」
「父上!」
二人は互いの存在を確かめるように抱擁し合い、互いに喜びを噛み締めているように見える。
国王でありリィルの父親でもある男は、リィルの額や頬に口付けを落としては何やら小さく祈りの言葉を呟いて天を仰ぐ様子からは、彼女への並々ならぬ思いが窺えた。
そんな父親の様子にリィル王女の方も満更ではない表情でそれを受け入れている。
しかしやがて落ち着きを取り戻した国王は、厳しい目をして自身の愛娘へと向けた。
「リィル、何故戻った? お前にはディモ伯爵の下へと向かうように言った筈だ」
そう言って小さくも強い口調で言葉を発した後、その鋭い眼差しはリィル王女の背後に控え、今は跪いて頭を垂れている二人の護衛騎士に向けられた。
背後で大きな軋みを上げながら再びゆっくりと閉じられた門扉の閉まる音。門内に響いていた音が止み、それと共に国王の静かな勘気にあてられた人々の静寂がその場に満ちる。
国王のその鋭い視線の意味するところ、それは即ち何故リィル王女をこの危険な王都へと寄越したのかという至極もっともな親の怒りだ。
その圧を以て射貫くような視線を感じて、代表でもある護衛騎士のザハルが下げた頭をさらに低くして謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ありません、国王様。全ての責は私──」
しかしそんなザハルの言葉を打ち消すかのように声を上げたのは、自らの小さな身体を張って両者の視線に割って入るように動いたリィル王女だった。
「違うのじゃ、ザハルやニーナらに責はないのじゃ! ここへ来る事を決断したのはわらわの意思なのじゃ! わらわだけ何もせずに……国が滅ぶのを見ているなんて──」
二人の責は自身にある事を父である国王に訴えながらも、自らが父の願いを裏切った事にも心を痛めたのか、彼女の声にはいつしか涙混じりになっていた。
王族であるといってもまだ年端もいかない少女なのだ。
それでも周りの人の目を意識しているのか、詰まらせた言葉を何とか口にしようと必死で瞳に力を込めて前を見据える姿に国王は目を細めて彼女の頭を優しく撫でる。
「すまなかったな、リィル……私も国王である前に娘を心配する一人の父親なのだ」
娘であるリィルの少し癖のある金色の髪を撫でながら、国王は僅かにその瞳を伏せて彼女の耳元で小さくそれだけを言うと、今までの表情を国王のそれに引き戻して此方を見据えた。
「して、この者達の素性と目的は教えて貰えるのだろうか?」
先程までとは違い、国王の発する威厳に満ちた問い掛けと、アリアン、チヨメ、そして自分へと順に巡らされる鋭い視線に此方は一礼してそれに応えた。
しかし先の国王の問いに答えたのは目の端に溜まった涙を拭ったリィル王女だった。
「彼らは、わらわが王都救援の為に雇い入れた者達なのじゃ! 彼らの力が無ければわらわは今ここに立ってはおらなかったのじゃ」
その彼女の説明に国王の視線が再び順に巡らされた。
「獣人族にエルフ族……なのか?」
チヨメと、その隣で成り行きを見守っていたアリアンの姿に国王は僅かに首を傾げてから、此方にも目を向けてきたので、自分はその場でポンタと一緒に兜を脱いで顔を見せて頭を下げた。
勿論事前に龍冠樹の霊泉を飲んでのこの場である為、兜の下から現れたのは世にも恐ろしげな骸骨の顔──ではなく、褐色の肌に黒髪、赤眼の壮年姿のダークエルフだ。
自分とアリアンの姿を見た国王は、しばし頭に疑問符を浮かべたような顔つきでさらに疑問に思った事を口にした。
「伝え聞くエルフ族の姿とはやや違うようだが、其方らはルアンの森の者か?」
少し前に聞かれた同じような質問に、アリアンは首を横に振ってそれを否定した。
「違うわ、私達はカナダ大森林の方の出よ。私はダークエルフで、そっちのゴツイ鎧の方はまぁ……ちょっと変わったエルフ族なのよ」
アリアンの何やら雑な紹介に苦笑しながら、自分は霊泉の効力が切れる前に兜を被り直した。
「エルフ族であるしかも遠方の森の出身である其方らが何故我ら人族の国の手助けなど、理由を尋ねてもよいか?」
国王は難しい顔つきで此方を見据えると、自分達の狙いをずばり尋ねてくる。
そこに今までリィル王女の後ろに控えていたザハルが、徐に国王へ口を開いた。
「国王様、その事に関して少しお話が──」
そう言いながらザハルは跪いた姿からやや中腰で国王の下へとすり寄ると、彼の耳元で他の者が一切聞き取れないような声量で何事か事情を語ったようだ。
見る間に国王の表情が驚愕の色に染まり、次いで此方を一瞥した後に再びその視線をザハルに戻すと、小さく「本当なのか?」という擦れたような声と共に瞳を見開いた。
その国王の驚きぶりから考えるに、ザハルは此方が行った「援軍」としての働きの一端を国王に語って聞かせたのだろう──国王の首筋には冷や汗らしきものが伝うのが見えた。
そんな彼らの静かなやりとりを見守るような静寂が場を満たす中、その静寂を破って周囲の人垣の群れを押しのけて声を上げた者がいた。