通りすがりました2
河原に降りて川の水で喉を潤していたポンタに声を掛けると、元気に鳴いてこちらに駆けて来る。少し膝を突いて待っていると肩に跳躍してさらにいつもの定位置、頭の上にぺたっと貼り付く。
荷物からピスタチオを取り出して幾つか剥いたのを上げると嬉しそうに尻尾を振りながら齧り付く。
川の浅瀬を歩き、対岸の森に入る。
ここからは既にエルフの森の領域だ。森の中は陰鬱とした雰囲気は特になく、明るい木漏れ日の落ちる気持ちの良い森だ。
下草に落ちた血痕はこちら側では見つからなかった。
しかし踏み荒らした跡の様な道はあった。川を渡っている最中に傷を負い、向こう岸から血が付き始めたという事だろうか。
そうするとこの周辺に盗賊と思しき者達の警戒区域があるという事かも知れない。
そう思い周辺を出来るだけ丹念に探ってみるも、これ以上の痕跡による追跡は無理のようだ。あとは地道に歩いて探すしかない。
特に時間に追われている訳ではないので、ポンタとのんびり森の散歩をしながら探す。ポンタも時々気になる木の実を見つけては、風魔法で浮き上がって樹上の木の実を持って帰って来て、自分の頭の上で味見している。
やがて日が傾き、森の中の景色が徐々に茜色に染まりつつある中、一本の山道らしき様なものが見つかった。山道の幅はせいぜい馬車一台分の幅しかなく、適当に下草を刈った程度で辛うじて道と言える程度のものだ。
道は北東方面と南西方面に伸びている。
今日はもうそろそろ日も暮れるので、森に出る方角であろう南西方面に向って歩く。頭の上にいるポンタもそろそろ眠いのか、時々くあっと大欠伸する声が聞こえてくる。
森の中の山道を進んで行くと道の先の方から、人が争う様な喧噪と剣戟を打ち合う音が聞こえて来る。
山道を逸れて、藪の中に身を沈めながら草木を鳴らさない様に静かに進んで行くと、少し先で一台の荷馬車とその周囲の人の集団が、何やら武器を抜いて殺気立っているのが見える。
集団は皆同じ様な目立たない色の揃いの外套を纏っており、武器や盾を構えて馬車を守るように布陣を敷いているのを見ると、単なる寄せ集めの盗賊達とは違うという事は明らかだ。
集団のやや後方に停められた荷馬車の荷台には、何やら布が被せられており中身を知る術はない。ただ、荷台には人の気配が感じられるので誰かが隠れているのかも知れない。
荷台の横には一人の痩せ形の男が剣を抜いて構えてはいるが、こちらは前方に展開する集団とは違い腰が引けて剣先が震えている。
荷馬車の周りには矢を受けて物言わぬ屍になった者が三つ程転がっている。襲撃を受けているようだ。
また一人、前方の集団で気勢をあげていた体格のいい男が呻き声を上げたかと思うとその場に倒れ伏す。男が倒れ、視界が開けるとそこには剣を引き戻し、油断なく構え直した襲撃者の姿が目に入った。
そこには一人の美しい女性が細身の剣を構えて立っていて、一目見て普通の人間ではない事が見て取れた。
薄紫色の水晶の様な滑らかな肌に、雪の様に白く長い髪、鋭く尖った耳に周囲を睨め付ける双眸は、暗くなり始めた森の中で怪しく金色に輝いている。ただ尖った耳は以前会ったエルフ族の男の耳程長くはない。
身に纏った灰色の外套を翻し、長袖長裾の地味だが動き易い衣服に身を包み、その上に革製のコルセットの様な防具を装備している。
油断なく構える所作は歴戦の戦士を彷彿とさせる。
しかし、その地味な衣服に包まれた身体からは圧倒的な女性の主張が溢れ出していた。胸元は圧倒的なその質量を押さえる事が出来ずに今にも決壊間近、括れた腰の下には引き締まった臀部としなやかな脚が伸びる。
その美しい肢体に少しでも目を奪われようものなら、手に構えられた銀色に閃く剣が猛然と襲い掛かり、屈強な男達を次々と地面に沈めていく。
さらに彼女の立つ位置からさらに奥には、時々矢を放ち彼女を取り囲もうと奮闘する者達を牽制し、矢傷を負わせている者がいた。
奥に聳える大木の太い枝を足場に樹上から、その大木の幹を盾替わりにしながら矢を放つ者、それは以前ディエントの街近くで見た者と特徴が同じだった。
翠がかった金髪に翡翠色の瞳、長く尖った耳に細身の身体、──エルフ族だ。ただ矢を番えて放っている男は以前街の近くで見た者とは違う男だ。
二人の襲撃者は二十人近くいる手練れらしき集団を歯牙にも掛けない程、危なげ無く対処していく。このまま行けばあと数分で決着が付いて終わるかとポンタと静かに藪から観戦していると、後ろで震えて悪態を吐いていた男が馬車の方へと駆け出すのが見えた。
男は荷台の荷物に被せてあった布を引き剥がすと、剣をそちらへと向けて襲撃者の一人、女性の方に大声で呼び掛けた。
「女ぁ!! そのまま大人しく投降しろ!! さもないとコイツ等を剣で穴だらけにしてやるぞっ!!! 奥のエルフの男もだ!!」
男は青筋を立てて、唾を撒き散らしながら叫ぶ。
向けられた剣の先、荷台の上には大きな鉄格子が載せられており、その中には四人の少年少女が押し込められていた。金色の髪と翠の瞳に長い耳、中にいたのは全員エルフ族の子供達だ。
剣を向けられた子供達は恐怖の為か、猿轡を噛まされた口から嗚咽が漏れ、涙を瞳の端に滲ませている。
男の脅迫により彼女が振るっていた剣の動きが止まると、周囲の男達からは少し安堵の吐息が漏れる。それと同時に徐々に包囲を縮めだす。
「くっ! 恥知らずな人族が!!! ……此処で恭順して長き屈辱を強いられ生き永らえるくらいなら、森の民として誇りある死を選ばせる!!!」
彼女はそう叫ぶと、下がった剣先を再び構え直す。両眼からは先程より激しい憎悪と怒りが吹き上がり、どす黒いオーラが圧力を持って迫り、周囲の男達に二の足を踏ませている。
奥にいるエルフの男はどうするべきか迷っているようで弓を構えられずにいる。このままではエルフ族の人質に何人か犠牲が出てしまう事は明白だ。
それに少しでもあの薄紫色の肌の美女とお近づきになりたいと思ってしまうのは致し方ない男の性だろう。
「ふむ、手を焼いておるようだな。どれ、少し手を貸そうではないか」
一触即発の雰囲気の中へ、ポンタを襟巻にして頭の上から避難させた後、何食わぬ顔で声を掛けながら馬車の男に近付く。
一瞬、周囲の空気がざわめく。
藪の奥から黒の外套に身を包んだ白銀の鎧騎士が現れれば、誰でもそうなるとは思う、怪しさ全開だ。脅迫していた男は、先程の彼女の怒気に当てられて思考が追い付いていないようだ。「手を貸す? 手を……」と、こちらが言った事を反芻して呆けた顔でぶつぶつ呟いている。
そんな正常な判断を下せていない男を、油断させながら距離を詰めて行く。
転移を使って速攻で沈めても良かったのかも知れないが、多数の目があるこの状況では無暗に使うのを躊躇れた。この人攫いを討ち取った所で、彼女ら森の民と友好的な関係になれるかはまだ微妙な雰囲気でもあるし。
「よ、よし! あのダークエルフの女を捕獲できれば貴様にたっぷりと報酬をはずむぞ!!! あいつを生け捕りにしろぉ!!!」
「な!! なに考えてんだアンタ!!! そんな怪しい奴が信用できる訳ないだろ、正気か!!!」
思考回路が真っ白になっている男が名案とばかりに叫びながらこちらに指示を飛ばすと、それを聞いた前方の集団の男の一人が抗議の声を上げる。さすがにあちら側の人間はまだ正常な思考回路を保ってはいるようだ。
「煩い煩い黙れぇぇ!!! 女一人押さえ込めないような無能の癖に俺に指図してんじゃねぇぇぞぉ!!! さっさとその女を捕まえろよっ!! せっかくの希少種が逃げちまうだろ!!!」
身形のいい恰好をしているが、何故この集団にこんな無能が混ざり込んでいるのか判らない。この人攫い集団の監督係とかだろうか? こちらとしては大いに助かるので別に構わないが……。
それにしても彼女はダークエルフなのか……、エルフとはだいぶ様相が違う。自分のプレイしていたゲームでのダークエルフと言えば褐色肌に赤い瞳に長い耳を持つ種族だったが、この世界ではかなり姿が違うようだ。
しかも希少種と言うからには数が少ないのだろう。
そんな益体もない事を思考しながらも、無能男のいる位置まで一呼吸分の距離まで詰まると、一気に間合いを詰める。身体能力が格段に向上している現在の身体は全身鎧装備のまま、この距離を瞬き一つ分で迫れる。
剣を抜き放ちざまに先程から喚き散らす無能男に向って剣を振り抜き、斬り捨てる。
斬られた男は一瞬何が起こったのか判らず呆けた顔した後に驚愕の表情に変わりそのまま事切れた。
ずり落ち始めた上半身に遅れて、弛緩した下半身が仕立てのいいズボンの中に汚物を撒き散らしながらその場で崩れ落ちた。
その光景に全員が一瞬唖然とした表情を浮かべる。しかし次の瞬間、最も早く思考が戻ったのがダークエルフの彼女だった。
こちらに気を取られた男達に一瞬にして間合いを詰めると忽ち三人を撫で斬りにする。
慌てて周囲の男達が体勢を立て直そうとする背後に、今度はこちらが間合いを詰め一気に剣を頭上から振り下ろすと、まるで魚でも下すかのように人が二つに割ける。周囲の者達に動揺が走り悲鳴が辺りに木霊する。
逃げようとする者達には奥の樹上にいたエルフの男が頭上から矢を射掛けて次々と討ち取っていく。
ものの数分で辺りは虫の鳴く声と、風が起こす木々の葉擦れだけの静寂な空間に変わっていた。
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