アークの深謀1
翌朝、まだ辺りに日の光の恩恵が降り注がないような早い時間。
周囲にはまだ色濃く夜の気配が漂うような中を、城砦ヒルから領都キーンまで延びる街道の上を護衛騎士のザハルを先頭にした集団が南へと急いでいた。
一行の中央には護衛の近衛兵らの騎馬に囲まれるようにして、一台の簡素な馬車の姿がある。
その中には、今回の護衛対象でもあるリィル王女が乗車していた。
これは城砦ヒルに詰める国境警備の部隊が所有する馬車の一台で、破壊された馬車の代わりとしてリィル王女の為に用意された物だ。
そして最後尾には騎馬隊の群れを追い掛けるように、大柄な疾駆騎竜の紫電が自分とアリアン、チヨメを背中の鞍に乗せて追い掛けていた。
何度かの休憩を挟みながらリィル王女の一行は一路南下する街道を辿り、昼少し手前に差し掛かった頃になると目の前に領都キーンがその姿を現した。
城砦ヒルを守る城壁でも同様に感じた事だが、堅牢でしっかりとした造りの街壁はなかなかに攻め難そうな様子を窺わせる。
壁の向こうに広がる街並みもかなり賑やかで、領都へと通ずる幾つかの街道には多くの荷物を積載した馬車を持つ隊商の姿などもあって、かなり暮らしは豊かに見えた。
近衛兵らの中にもその光景を初めて見た者は多いらしく、サルマ王国に分断され孤立した伯爵領の現状に少しばかり驚きの目を向けていた。
そんな中で元々この領が出身だという近衛兵の言によれば、ルアンの森のせいで完全なる半島の封鎖が出来てはいないが、それでも城砦ヒルを始めとした城壁のお蔭で南下する程に魔獣の姿が減り、伯爵領の南部はかなり豊かなのだそうだ。
普通は魔獣への対策などを考慮して、あまり小規模な集落などは置かれる事は少ないが、伯爵領の南部には小規模集落を中心とした耕作地が多く広がっているという。
そんな伯爵領の物資の多くはクライド湾を越えてノーザン王国本土に出荷されたりもするが、この領の中心地でもある領主の膝元のキーンにも数多くの荷が運び込まれていた。
領都に物資を運ぶ隊商の列を横目に、ザハルを先頭とした王国からの使者は街道を一定の速度で進んで行く。
人の目が多くなるにつれて、武装した集団に守られた簡素な馬車と、その後ろに付き従う見た事もないような疾駆騎竜の姿に多くの視線が集まってくる。
街に近い街道ではどうしても人の流れが多くなり、速度を出す事が憚られるので致し方ない事だが、馬車の窓からはリィル王女が領都を前にして焦れたような表情を見せていた。
やがて領都キーンの街門に近づいて来ると、既に昨日先行した報せのおかげか、道沿いには衛兵たちが領民などを街道の端に寄せるなどの対処を行っており、街門を通過の際はザハルが馬上で敬礼をして通り過ぎるだけとなっていた。
そうして街中へと入ると、今度は衛兵の騎馬隊らしき先導が付き、街中を颯爽と進んで行く。
領主が住まう屋敷までの街道は他の衛兵達が通行の確保に動いており、沿道には何事かと好奇心に駆られた人々が人波を作っていた。
「……目立ってるわね」
自分の後ろに乗って、灰色の外套を深くかぶったアリアンが、そんな周囲の街の様子に視線を向けながら静かに呟く。
「まぁ、これは致し方あるまい」
そうこう話している内に一行は、この街の領主が住まう屋敷の前へとやって来た。
堅牢な石組みの壁は街壁よりは低いが、それでも五メートル近くある。
衛兵の騎馬隊が先導する形で、そこに設けられた大きな門構えへと入って行く。
その大きな門を抜けた先には、広い前庭をコの字に取り囲むようにして建つ三階建ての大きな屋敷が姿を現した。
屋敷の玄関前には一人の身形のいい老年に差し掛かった貴族らしき男と、屋敷の使用人らしき者達が十数人、整然と並んでこちらの馬車が到着するのを待ち構えていた。
敵国の領地を越えて遠路はるばるやって来たリィル王女の出迎えの為だろう。
そして、恐らくは使用人達の中央に立つあの貴族の男が、この地の領主か。
リィル王女の乗った馬車が屋敷前に到着し止まる。
その後ろからは紫電に跨った自分達の姿を確認して出迎え組の皆が一様に驚きの顔を見せるが、流石は貴族というべきか、すぐにその騒めきも鳴りを潜めて皆が腰を折って出迎えた。
馬車の扉を御者が恭しい態度で開けると、そこからリィル王女が静かに降り立つ。
その彼女の横にはいつの間にか馬を下りた護衛騎士のザハルとニーナの姿もあり、護衛らしく王女の両脇を固めるようにして立っていた。
リィル王女は一旦周囲の様子を眺め回すと、未だに腰を折ったままの姿でいる老年の貴族の前に進み出て声を掛ける。
「出迎えご苦労なのじゃ。其方がこの地を治めるディモ伯爵じゃな?」
その彼女の言葉に、目の前の老年の貴族は深く腰折ったまま応対した。
「はっ、左様に御座います、リィル王女様。私が当地を任されております、ウェルムア・ドゥ・ディモと申します」
王女の問いに丁寧な返事をして顔を上げた伯爵は、少し丸顔に白髪の髪形はどこか音楽教室に飾られてあるバッハのような髪形を思わせる。
「うむ、伯爵。早速で悪いのじゃが、わらわがここへと来たのは既に先触れから知らされているとは思う。是非、伯爵には王都救援の援軍を編成し──」
そこまでリィル王女が言ったところで、ディモ伯爵が慌てた様子で言葉を差し挟んだ。
「リ、リィル王女様! お言葉の途中に大変申し訳ないのですが、先触れから知らされたのは王都での一件が落ち着くまでのリィル王女様の保護と聞いておったのですが?」
伯爵のその言葉に、リィル王女は一瞬目を丸くした後に、脇に控えていた護衛騎士の二人を見上げて両者に鋭い視線を送った。
「どういう事じゃ、ザハル、ニーナ!? わらわは父上より王都救援の援軍を頼む使者としてこの地へ来たのじゃぞ!? 何故わらわの保護などという報せを走らせたのじゃ!?」
己の護衛騎士に非難の視線を向けるリィル王女だったが、ザハルがその場に跪いて彼女のその問いに毅然とした態度で返した。
「これは国王様の御意思でもあります。王都救援の為の援軍はテルヴァ様やセヴァル様にお任せになり、リィル王女様はこちらの地に暫く身を置くようにと……」
「何故じゃ!? あの時、父上はそのような事一言も言っておらなかったではないか!」
王女の目尻にうっすらと涙の粒が溜まる。
そんな彼女に向かってニーナは優しい眼差しを向けた。
「リィル王女様は民思いの心優しいお方です。国王様もそれを承知されていらしたからこそ、逃げるようには御指示なされなかったのですよ」
ニーナの優し気な声に、リィル王女はそれを振り払うかのように首を大きく横に振った。
「父上がわらわを大事に思ってくれているのは知っているのじゃ! じゃが、だからと言ってわらわがここでじっと事が収まるのを待っておっては民に示しがつかんのじゃ!」
そこまで言い切ると、彼女は目尻に溜まった涙を拭って毅然とした態度をとる。
「伯爵! 王都救援の援軍、どれ程の数を出せるのじゃ!?」
有無を言わせないような、そんなリィル王女の言葉にディモ伯爵はその丸い顔を強張らせた。
「リィル王女様、我々も王国の危機とあれば今すぐにでも駆け付けたいとは思います、しかし現状この地から王都へと向けて兵を送り出すのは現実的でありません」
次いで伯爵は額に吹き出た汗をハンカチで拭いながら、現状の伯爵領の事情を明かした。
「今、この領都キーンに常駐している兵は五百がせいぜいで御座います。王女様方がお越しになった城砦ヒルには千と五百。合わせて二千程ですが、これを全部、王都救援に向かせる訳にはいきません。サルマ王国が王都ソウリアと我が領地を分断している現状、城砦をもぬけの殻にすればサルマ王国が攻め入って来る可能性も御座います」
そこまで言って伯爵は一息吐くと、眉尻を下げて更なる問題点を指摘した。
「それにです、多くの兵を編成して再びサルマ王国領を抜け、本国へと向かうのは難しいでしょう。少数ならばいざ知らず、兵数をある程度揃えてとなれば相手に察知されてしまいます。だからと言って船を使ってクライド湾を渡って本国へと向かう交易の経路などは、どんなに急いでも五日、ないし六日は掛る恐れがあります。兵の準備など合わせればそれ以上に時間を要します」
ディモ伯爵の説明にリィル王女の瞳には失望の色がありありと浮かび、力無く頭を垂れた。
「そんな……では、わらわはここで王都が沈むのを黙って見ている事しか出来ぬのか……?」
打ち拉がれたように沈むリィル王女の灰色の瞳が潤み、目元からぼろぼろと滴が零れ落ちて地面に小さな染みを作る。
小さな肩を震わせて、押し殺したような、しゃくり上げるような王女の声が周囲の静寂した空気の中に響き、近衛兵らもそのリィル王女の悲嘆にくれる声に耐えるように顔を伏せていた。
しかしそんな重苦しい空気の中で、一番に顔を上げたのはリィル王女だった。
付いていた涙の筋を拭い、決然とした灰色の瞳が見開かれる。
「わらわは諦めんのじゃ! 王都は強固な二重の壁に囲まれておるし、父上がそう易々と負けはせん筈じゃ! たとえ日数が掛かっても、わらわが援軍を率いて王都へと向かうのじゃ!」
リィル王女の決意の宣言に、二人の護衛騎士が慌てて彼女を諫めるように口を挟んだ。
「お待ちくださいリィル様! 援軍を王都へと向かわせるにしても、姫様が自ら援軍を率いるなど以ての外です! もし姫様に何かあれば、私達は国王様に申し開きのしようがありません!」
「リィル様、今一度お考え直しを──援軍の指揮ならばこのザハルが拝命致します故」
二人の護衛騎士の諫言にも、王女は激しく首を振って抗議する。
「もう、嫌なのじゃ! ただ守られてるだけは嫌なのじゃ!」
リィル王女の瞳からぽろぽろと涙の粒が零れ落ち、小さな手を握り締めて肩を震わせた。
そんなまだ幼い王女の姿に、ディモ伯爵をはじめとした周囲の者達からは憐憫の眼差しが向けられるが、彼女はそんな視線に涙を堪えた瞳で見返す。
大人達にとってはそれは単なる子供の聞き分けのない我儘に映ったのだろう。
だが彼女のまだ拙い語彙だけでは、それも致し方ない事なのも事実だ。
唯一、二人の護衛騎士であるザハルとニーナには、国を思う普段の彼女の心を知っているからか、苦渋の思いを滲ませた顔を伏せていた。
「……それに王都に攻め寄せた不死者の数を考えれば、この地も決して安全ではないのじゃ」
リィル王女が小さく漏らしたその言葉を聞き取れたのは、傍に控えていた二人の護衛騎士と、耳が常人より優れたエルフ種族と獣人種族である自分を含めたアリアンやチヨメ達だけだった。
「きゅ~ん……」
場の雰囲気に流れる空気の重さを敏感に感じたのか、ポンタは紫電の鬣の中から様子を窺うように周囲を眺めて、すぐにその首を引っ込めた。
自分は自分で当て込んでいた流れにならない様子に、どうしたものかと腕を組む。
それはチヨメやアリアンにとっても同じようで、二人の視線が此方に向かって暗にどうするのかを尋ねていた。
「……う~む」
そんな自分の思案する声を敏感に聞き咎めたのか、リィル王女が振り返って此方を見つめた。
「……」
「む?」
彼女と視線が合った事に不意を突かれ、首を傾げる此方に向かってリィル王女はその小さな身体を目一杯大きく見せるように大股で近づいてきた。
皆の視線が一様に此方に集まる中、リィル王女が足元で此方を見上げてくる。
「アーク殿、ここまでの道中の護衛、誠に大義であったのじゃ!」
話題が急に変わった事に戸惑いを覚えた自分は、首を傾げながらも一応の礼儀として彼女の前で跪いてその言葉を黙って受けた。
「其方には十分な礼をするが、今一度わらわを助けてはくれぬじゃろうか?」
その彼女の一言に、周囲の者達が騒めいた。
「ふむ、と申しますと?」
何となく彼女の言わんとしている事を察して、その先の言葉を促がすように相槌を打つ。
「わらわは王国本土へと戻り、援軍を出して貰えそうな領主の元へと赴くのじゃ! エルフ族というのは武勇に優れた者達だと聞いた、其方には再びその道中での護衛を頼みたいのじゃ!」
リィル王女のその申し出の内容に、護衛騎士らやディモ伯爵も驚愕の表情に変わった。
そして最も驚きの声を上げたのはディモ伯爵だ。
「リィル様、今何と申されましたっ!? 今、この者達がエルフ族だと申されたのですか!?」
「驚くところそこなの?」
彼のその驚きの言葉に、後ろで会話の流れを静観していたアリアンが思わず小声で漏らす。
まぁアリアンの気持ちも分かるが、ディモ伯爵の方の気持ちも分からないではない。
何せあのルアンの森の居丈高なエルフ族と領地を接しているのだ、恐らく互いにあまりいい印象は持っていないのだろう。
「ルアンの森のエルフ族とは互いに不干渉を貫いていた筈ですが、何故そのエルフ族がここに!?」
伯爵の驚愕の声に、アリアンは鬱陶しそうに灰色の外套のフードを脱ぎ去ってその顔を見せた。
「!? 私の知っているエルフ族とは少し様子が異なるようですが……」
薄紫色の肌に少し尖った耳、金色の瞳に雪のような髪、彼の領地に接しているエルフ族とは違う特徴に目を瞬かせて、怪訝な顔で首を傾げている。
「当たり前よ! 私はルアンの森のエルフ族じゃないわ。私はカナダに住むダークエルフ族よ」
そんな彼女の投げやりな返しに、伯爵は目を見開いて傍らの王女の護衛騎士らに目を向けた。
「この地へ向かう道中に、王都を襲った敵方の追手に掴まったところを助力して貰ったのです」
伯爵の視線を受けて、ザハルが簡単に事の次第を話す。
「しかし、エルフ族などと表立って関係を持てば、教国に目を付けられますぞ!?」
なおも脱線した話題を言い募る伯爵に対して、リィル王女は声を荒げてその言葉を遮った。
「そんな事は今はどうでも良いのじゃ! 今はわらわを連れて本土へ帰る道中の護衛をアーク殿らに頼んでおるのじゃ!」
その彼女の言葉にようやく護衛騎士の二人も本題を思い出して慌てる。
「姫様! どうか、それだけはお考え直しを!」
ザハルがリィル王女に強い口調で迫りながら、その勢いで此方へと歩み寄って来た。
それを見て王女は咄嗟にザハルの手を逃れて、此方を盾にするように背中へと回り込む。
さて、図らずもリィル王女がノーザン王国本土へと戻る際の護衛の指名を本人から貰った訳だが、この後はどうするべきだろうか。
自分達にとっては彼女の国の王都にある宝物庫の調査に入りたいので、この依頼はまさに渡りに船なのだが、一つ気になる事がある。
リィル王女は一度ノーザン王国本土へと戻って、他の領主に援軍を要請して王都へと向かうという事を言っていたが、果たしてその間に王都が陥落するような事はないのだろうか。
そして問題は目の前にもある。
護衛騎士の二人やディモ伯爵などはリィル王女が再び王都へと向かう事に反対しており、このまま引き受けても彼らと対立する事になりそうだという事だ。
懇切丁寧に説得を試みるのも有りだろうが、そんな悠長なことをしている間に、これもまた王都の陥落を招く恐れがあった。
この場をなんとか収め、そして迅速にノーザン王国へと入り、逸早く王都へと向かう──さらには此方が提示する報酬を相手に飲ませる……。
なかなかに難しい状況だが、交渉してみるしかない、か。
そんな事を思案しながら、背後で身構えるリィル王女を一瞥し、成り行きを見守っているチヨメへと視線を移す。
チヨメのいつもと変わらないような表情の奥で、彼女の蒼い瞳が緊張しているように見える。
事の成り行き次第で今後の行動が大きく変わるだろうから、それも致し方ない。
そうして視線を前に戻すと、目の前に立ったザハルの鋭い視線が待ち構えていた。
「アーク殿、リィル王女をこちらへ。貴殿らにはここまでの道中の護衛の謝礼を渡そう」
そう言って彼がその太い腕を伸ばして此方に手を差し出してくる。
背後にいるリィル王女の小さな手が、自分の白銀の鎧である『ベレヌスの聖鎧』を強く掴む感触を、肌のない骸骨の身ながらも感じ取れた。
「ザハル殿。我は此度のリィル殿の依頼、受けようと思っている」
自分のその言葉にザハルはしばし呆気にとられ、背後のリィルからは小さな歓声が上がった。
いつも評価、感想等、ありがとうございます。
さて、最近短編を一本上げましたので、お暇な時にでもご一読頂ければと思います。
そして今月末に発売の書籍版についてですが、ご購入者の方で「あとがきのアトガキ」というものの存在を御存知でない方はおられるでしょうか?
出版社様の方で購入者様を対象にしたアンケートを行っており、それにお答え頂いた方にはオマケとして「あとがきのアトガキ」が読める仕様になっております。
自分はいつも短編のSSを仕込ませて頂いているので、もし宜しければご回答頂ければと思います。
活動報告の方に、今までの短編SSの一覧を掲載しておきますので、ご活用頂ければ幸いです。