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骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中  作者: 秤 猿鬼
第六部 王国の危機
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城砦ヒル

 日は既にだいぶ傾きつつあり、空の色が徐々に茜色に染まり始めていた。

 それに伴って丘陵地の緑も空の色を映し始め、景色全体が同じ色調へと変わりつつある中を、地面に長く伸ばした影の一団が一路南へと向けて進んで行く。


 今回偶然行き会ったのは、ノーザン王国のリィル第一王女との事だった。

 御年十一歳という彼女だが、その言動や振る舞いはさすがに王族といったところか。

 今はディモ伯爵領へと向かう一団の中程、護衛騎士の一人であるザハルに抱え込まれるような恰好で騎乗している。


 そんなまだ幼い王女リィルは、時折ザハルの腕の間から顔を出して後方にいる此方を窺っていた。

 彼女の表情には離れていても分かる程、心配そうな様子が見て取れる。

 そしてリィル王女が見つめる先にいるのは自分ではない。


 一団の殿を務める事になった自分は、周囲の驚く顔の近衛兵らを前に、馬とは別格の巨躯を持つ疾駆騎竜(ドリフトプス)の紫電に跨り、その積載量の多さを理由に気を失っていたもう一人の護衛騎士ニーナを運ぶ事になったのだ。


 リィル王女の視線は真っ直ぐに彼女に向けられていた。

 最初は護衛隊の長であるザハルの馬に彼女を乗せて運ぶ予定だったらしいのだが、丈夫な軍馬と言えども運べる人数はせいぜい二人が限度だ。

 すると肝心のリィル王女を馬車も無くなった今、どうやって連れ行くかの話の段になって、王女自身は迷わず此方の乗騎の紫電を見上げて同乗を願い出た。


 しかし流石に自国の王女を他国どころか、他種族である自分達に託すのは色々と差し障りがあるというザハルの言に今の状況に落ちついたのだ。

 今、ニーナは簡単な帯紐のような物を用いて、自分の背中に背負わせる形で括りつけられていた。

 そしてそれを後ろから支える格好で、アリアンが座っている。


 流石に疾駆騎竜(ドリフトプス)の巨体とはいえ、四人も背中に騎乗するのは難しいという事になり、チヨメは急遽戦死した近衛兵が使っていた馬を借り受ける事になった。

 これまで馬に乗った事のなかったチヨメだったが、運動神経がいいと言えばいいのだろうか──すぐにコツを飲み込んで早駆けさせる程度ならば問題なく手綱を取れるぐらいにはなっていた。


 彼女のような獣人種族である者はその優れた身体能力もあってか、森や林の中を難なく走破する事が出来るそうで、平地でしか速度を上げられない馬は今まで無用の長物として見ていたそうだ。


 たしかに人族に住む地を追われ、山や森に隠れ住むようになった彼らには今まで必要はなかったかも知れないが、風龍山脈を越えた先で見つけた新天地ではそれなりに平野部などもあった。

 これから開発して森林などを切り拓けばさらに平野部も広がるだろう。

 そうなれば長距離の移動手段の一つとして乗馬も覚えておいて損はないだろうし、何なら幾頭か馬を運ぶ事も視野に入れておいた方がいいかも知れない。


 馬を操る段になってチヨメは馬を走らせる事に関心を覚えたのか、乗騎する馬の首筋を撫でるなどして交流を図り、馬の調子を見ながら見事な手綱捌きを見せた。

 傍から見ればそれは熟練の乗馬者に見える。


 やはり獣人種族には動物と心を通わせたりする能力のようなものがあるのだろうか。

 そう思って目の前の、紫電の(たてがみ)に絡まりながら暢気な欠伸をしているポンタに視線を落とす。


 人族に滅多な事では馴れないという精霊獣──その綿毛狐と呼ばれる種類のポンタもチヨメと仲良くなるのは一瞬だった。

 自分に対しても最初は警戒感でいっぱいだったが、餌で釣ってからはすぐに懐いていたのであまり参考にならない。

 それともポンタには最初から自分が人族ではなく、エルフ族の亜種だと分かっていたのだろうか。


「きゅん?」


 自分の視線に気付いたのか、ポンタが此方を振り返って小さく小首を傾げて見せる。

 そんなポンタに何でもないという風に首を振って、視線を前に戻す。


 しかし先程王女らの一行と合流した際に様子を見ていたが、特にリィル王女に対しては人馴れない様子は見せなかったが、護衛騎士のザハルやその周囲の近衛兵らには近づこうとしなかった。

 ただ気を失って倒れていたもう一人の護衛騎士、ニーナの傍には興味深そうに近寄っては彼女の鼻先で自分の綿毛尻尾をそよがせてくすぐるという、何とも感心しない悪戯を行っていた。

 可愛らしい仕草を装っているが、あれは単に好奇心が強く、気を失っているものは強気なのだ。


 そんな事を考えながら一行が進む先の景色に意識を戻すと、不意に背中の方で動く気配があった。


「う……っあ……! な、なんだこれは……」


 やや擦れた声を上げて身を捩る反応を見せたのは、今まで気を失っていたニーナだ。

 徐々に意識が戻り周囲を認識し始めたのか、自分がいま何故全身鎧を着込んだ者の背中に紐で縛られるような形で背負われているのか──訳が分からないといった風に暴れ出した。


「なっ、ここは何処だ!? 貴様はいったい誰だ!?」


 一団の最後尾に付いて、しかも彼女の視線を塞ぐように目の前に自分の全身鎧しか映らず、記憶が曖昧となっている彼女にとっては何が起こったのか混乱しているのだろう。


「暴れるでない、ニーナ殿」


 彼女に背中越しに話し掛けながら、紫電を少し先へとやってザハルとリィル王女が乗る馬へと近寄って声を掛けた。


「ザハル殿、リィル殿、少し止まってくれ。ニーナ殿が気が付いた」


 自分のその言葉に、リィル王女が彼女の姿を見ようとザハルの腕から身を乗り出してきた。


「ニーナ!? ニーナ、目を覚ましたのじゃな!? 良かったのじゃ……」


「……っ姫様! これはいったい……」


 気が付いたニーナの姿に喜色を浮かべて喜ぶリィル王女に、ニーナは見知った主の顔を見つけて、ようやく落ち着きを取り戻したように背中で暴れるのを止めた。


「ニーナ、気が付いたのか? 腕の具合や身体に違和感はないのか?」


 ザハルが馬の脚を止めると同じく、自分も紫電の手綱を引いて止まると、背負っていたニーナを縛っていた紐を解いた。

 そうしてようやく倒れた際の記憶が戻ってきたのか、大きく目を見開いて自身の腕を見つめる。


「確か……不覚をとって私の腕は……落とされた筈なのに」


 そこまで言って彼女は、斬り落とされた右腕を何度か動かした。


「ニーナの腕はそこの鎧を着たアーク殿が治癒魔法で治してくれたのじゃ!」


 まるで狐につままれたような面持ちのニーナに、リィル王女が満面の笑みを浮かべて事情を語ると、ザハルの腕から抜け出して地面へと跳び下りた。

 それに倣うようにニーナも紫電の巨体から滑り降りると、駆け寄って来る主君に片膝を突いてそれを出迎えた。


「良かったのじゃ! 心配したのじゃ、ニーナァ!」


「御心配をお掛けして申し訳ありません、姫様……」


 ニーナの胸元に飛び込む小さな王女を、彼女は(こうべ)を垂れて謝罪を述べる。


 しかしリィル王女はそんな言葉などいらぬとばかりに、目尻に涙を溜めながら彼女の鼓動を確かめるようにその胸元に深く顔を埋めた。

 しばらくそうしていると、馬を寄せて来たザハルが馬上からリィル王女に語り掛けた。


「姫様、今は一刻も早くこの地を出ねばなりません。ニーナの無事を確認されたならばお早く」


 そう言って周囲を警戒するように辺りを窺うザハルに、リィル王女は不満そうな顔を向けるが、彼の言い分も理解してか、ややあってニーナの胸元から立ち上がった。


「わかっておるのじゃ、城砦ヒルまではあと少しなのじゃろ?」


 リィル王女のその問いに頷いて返したザハルから視線を外し、再びニーナへと視線を戻す。


「本当に良かったのじゃ、其方からもアーク殿にはよくよく礼を言っておくのじゃぞ!」


 それだけを言い終えると、彼女は再びザハルの馬に同乗するべく駆け戻って行った。

 そんな彼女の背を見送っていたニーナが、此方を振り向いて何かを口にしようと開いた瞬間、自分の背中越しに顔を覗かせたアリアンの姿に目を見開いた。


「エルフ族!?」


 その彼女の驚きは、さらに紫電の近くに馬を寄せて来たチヨメの姿でますます大きくなった。


「獣人族がなぜっ!?」


 彼女のその言葉に、ザハルに抱え上げられていたリィル王女から注意が飛んだ。


「ニーナ! その方らは其方の恩人で、今はわらわ達の道行の警護を頼んでおるのじゃ! ゆめゆめ無礼な言動は控えるのじゃぞ!?」


「はっ、申し訳ありません姫様!」

 リィル王女の言葉に、半ば反射的に返したニーナは此方に向かって礼の姿勢をとった。


「アーク殿、貴殿には大変世話になったようだ。脅威であった化け物を討つどころか、私の命まで救って頂き感謝する」


 ザハルよりは随分と若いニーナだが、そう言って謝辞を口にする彼女の姿は流石に騎士を拝命しているだけの事はある。


 やや日に焼けた肌に切れ長の瞳、女性でありながら精悍なその顔つき。だがそんな彼女の瞳に映ったチヨメとアリアンの姿に、僅かに垣間見せた態度。

 それは当のチヨメやアリアンも気付いただろう。

 やはりヒルク教の教えが広まるお膝元だからか、あからさまな侮蔑や非難の目ではなかったが、人族である彼女の中には確かに線引きのようなものを感じた。


 だがそれは仕方のない事なのかも知れない。


 宗教などの教義によって長年培われてきたであろう価値観や観念などを、そう簡単に払拭するような事は出来ないのが普通だ。

 むしろそういった事を微塵も表に出さないリィル王女の方が特殊なのだろう。


「なに、礼には及ばぬ。少女が悲嘆に暮れる姿を我が見たくなかっただけ、唯それだけの話だ」


 そう言って返すと、ニーナは頭を下げて後ろを振り返った。


「私の馬はあるか?」


「はっ、ここに!」


 ニーナの呼び掛けに、一人の近衛兵が一頭の馬を牽いて前へ進み出る。

 気を失って乗れなくなっていた彼女の馬を、配下の者が牽いて来ていたようだ。

 彼女は馬の手綱を受け取ると、怪我をしていた身体とは思わせない軽い身のこなしで馬上の鞍へと上がった。

 そうして他の兵らから剣などの装備を受け取った後に、ザハルの騎馬へと寄せる。


「御心配をお掛けして申し訳ありません」


「うむ、復帰間もない身には酷だろうが頼りにしている」


 ニーナの言葉にザハルが相槌を返した後、彼は手振りで後続の者達に指示を出した。

 それを合図にして足を止めていた一行は、再びディモ伯爵領へ向けての行軍の再開する。



 

やがて茜色に染まっていた空の裾野が藍色に変わりつつある頃、ようやく目の前の景色に変化が現れた。


 日の光が落ちて見通しが利かなくなってきていた矢先に、目の前に長大な影の壁が現れたのだ。

 壁の高さは十メートル弱といった程。影に沈んでいて分かりづらいが、材質は石造りの壁のようで、それが左右に延々と延びて行く先を防いでいた。

 その光景は以前に南の大陸へと渡った先で、人族の領域を確保するために築かれたタジエントの城壁を想起させる。


「この壁は何の壁であるか?」


 紫電の手綱を握りながら、視界の先に見える壁の左右に視線を向けて手近にいた近衛兵の一人に尋ねると、彼は安堵した表情を見せて口を開いた。


「あれはディモ伯爵領との境界に築かれた城砦ヒルの城壁です。あれを越えれば伯爵領ですよ」


 その彼の言葉が示す通り、今までの道中にあった緊迫感が壁の出現によって和らいでいた。


「ようやくここまで来たのじゃ」


「姫様、城門のある場所はもう少し東です」


 リィル王女も安堵の一言を漏らすが、後ろで彼女を支えているザハルが(かぶり)を振って見せ、彼は自身の馬に括りつけてあった小さな荷物鞄の中から一枚の折り畳まれた布を取り出した。

 そんな彼の行動に疑問を抱いたリィル王女は、首を傾げてその様子を見守っている。


「なんじゃそれは?」


 彼女の質問にザハルはそれを広げて見せた。布はかなり立派な代物のようで、真ん中に何やら仰々しく飾り立てられた紋章が色彩豊かに刺繍されてある。

 恐らくはノーザン王国の紋章、といったところだろう。

 ザハルはその立派な旗布を自らの剣の鞘に紐で括りつけると、即席の王国旗を作り上げる。

 そうして出来た王国旗を配下の近衛兵に渡すと、彼はそれを掲げ持って先頭を走り始めた。

 彼らは自分達の所属を示す物を一切掲げていなかったが、それは他国の領を横断するにあたっての対応だったのだろう。


 そして今度は城壁の向こう側にいる味方に向けて、所属を示す旗を掲げている。

 日が落ちて辺りの暗がりが濃くなっている今、果たして旗の紋章に気付くかどうかは分からないが、壁に近寄って来た集団が何かを掲げているという事実は相手方に確認の作業を強いるのだろう。

 向こうが紋章をきちんと確認するまでは相手から攻撃を受ける可能性が減る、といった所か。


 肩越しにそんな様子を眺めていたアリアンも、興味深そうにその行為の意味を理解してか、金色の瞳が影の塊になりつつある城壁の上に向けられた。

 そんな彼女の様子を背後に感じながら、自分はふとした疑問を彼女に尋ねる。


「アリアン殿、エルフ族も里の所属を示すような類の物はあるのか?」


「あるわよ、主に外で活動する戦士くらいしか持たないけど」


 自分の質問に肯定するように頷くアリアン。

 どうやらエルフ族の戦士にも所属を示す品はあるらしい。


「人影が見えるわよ」


 それがどんな物なのかを聞こうとした矢先、アリアンが向かう先の城壁の上に何かを見つけてそれを指し示した。

 彼女の視線の先、今まで影の色に沈んでいた長大な壁にぽつぽつと篝火(かがりび)のような松明が等間隔に置かれて、その先には城壁の上に小さな城砦の姿が空を背景にして浮かび上がる。


 なるほど、城壁の上には見張りとして幾人かの姿があり、その誰もが壁沿いに走るこちらの姿を確認して、何やら騒いでいる声が走る馬の蹄の音の隙間を縫うようにして聞こえてきた。

 やがて幾つもの篝火によってその姿を夜闇の中に浮き上がらせていた城砦の元に辿り着くと、その城壁の上で整然と並んだ兵士達の姿が自分達一行を出迎えた。


 兵士達が並ぶ城壁の丁度真下辺りには、大きな門構えがあるのが見える。

 あそこが城壁の出入り口となっているのだろう。


「何者か!? これより先の地はノーザン王国ディモ伯爵が預かる所領と知っての事か!?」


 そんな中で一人の老年に差し掛かった男が城壁の上に姿を現してこちらを誰何してきた。

 それを受けてザハルは馬上にリィル王女を残して下りると、その馬を牽いて門前へと進み出た。


「私の名はザハル・バハロヴ! ノーザン国王息女、第一王女リィル・ノーザン・ソウリア様の筆頭護衛騎士を拝命している。そしてこちらがそのリィル姫様である」


 ザハルは城壁の上にいる指揮官らしき男に向かって大音声で名乗りを上げ、門前に並べられた篝火の明かりの中に馬を進めた。

 その横には先程王国旗を掲げ持っていた近衛が一歩下がる形で追従していく。


「わらわの名はリィル・ノーザン・ソウリア! 国王である父の使者として、ウェルムア・ドゥ・ディモ伯爵への目通りの為に来た! 開門を要求するのじゃ!」


 馬上で堂々とした佇まいを見せるリィル王女の姿を見て、城壁上の指揮官が慌てて後ろに向かって指示を下す声が聞えてきた。


「開門! 開門せよ! リィル姫様をお迎えせよ! 開門!!」


 彼らが城壁を挟んで睨む地は敵対国であるサルマ王国だ。

 それがその地を渡って自国の姫様が少数の護衛だけを連れて来るという事自体が想定外だったに違いない。

 城門が重々しい音を軋ませながら開くのと時を同じくして、中から先程の老年の指揮官が息を弾ませて転がり出て来ると、ザハルが牽くリィル王女を乗せた馬の傍で跪いた。


「申し訳ありません、リィル王女様。まさかサルマ王国領を越えて来られるとは露ほどにも思っておりませんでしたので……!」


 そう言って平伏する指揮官に、リィル王女は鷹揚に構えて返事をした。


「よいのじゃ、サルマの侵攻を食い止めている其方らの働きは理解しておる。今回は王都で急を告げる事態が起こったのでな、ブラニエを横切ったのは苦肉の策じゃ」


 王女の言に指揮官は驚きの顔を見せていたが、背後の城門が開ききった音を聞いて再び頭を下げた。


「とりあえず中へお入り下さい。少々粗忽者達が集う地ですから、姫様にはどうか御容赦を」


 指揮官のその言葉に、ザハルが頷き返して後ろに続く者達に合図を送る。

 そうしてリィル王女が乗る馬を先頭に、護衛である近衛兵らが続き、最後尾の自分達も紫電を駆ってそれに続いた。


 しかし流石に紫電の巨体が篝火の明かりの前に出て来た瞬間、大きなざわめきが起こった。

 老年の指揮官も目を丸くして傍のザハルに視線を送るが、彼は何も言わずただ頷いて先を促がすようにするだけで、指揮官は此方に時折ちらちらと視線を向けながら城砦内へと入って行く。


 城砦内へと入れば。弥が上にも紫電とそれに騎乗する怪しげな鎧騎士である自分に注目が集まるようで、不意に兜が脱げたりなどすれば厄介な事この上ない。

 そう思って腰に下げていた水筒を取り出して、中の霊泉を藁を使って啜る。

 とりあえずこれで不意の兜を脱ぐ、脱げる場面に遭遇してもエルフ族である事が発覚する程度に抑えられる筈だ。


「きゅ~ん」


 ポンタは紫電の頭の上で大きな欠伸をして目をしぱしぱさせている。

 もう辺りはすっかり夜闇の支配下にあり、明かりは雲の隙間から落ちる薄い月明かりと、城砦内に焚かれた篝火だけだ。


 アリアンやチヨメは周囲の人の目を避ける為か、今は外套や帽子などで種族の特徴を隠した姿で、物珍し気に城砦内の様子を窺っている。

 城砦内の様子は一言で言えば武骨な前線の砦といった様子で、どうもここに領主のディモ伯爵が居るわけではないようだった。


 しかし、辺りは既に日も暮れて街灯も無いとあって見通しが利かなくなっている。

 今日はここで一旦夜を明かす事になりそうだと、傍らのアリアンに視線を向ければ彼女と視線があった。何やらお尻のあたりを気にしている様子から、長時間の騎乗に結構疲労が溜まっていたのかも知れない。


 そんな事を考えていると、城砦内へと一番初めに門を潜ったザハルとリィル王女との言い争いが耳に入ってきた。


「なぜじゃ、ザハル!? この城砦ヒルからなら、伯爵のいる領都キーンまでは後半日もないというのに、なぜ今日はここまでなのじゃ!?」


 リィル王女の悲痛な訴えに、護衛騎士であるザハルが首を横に振った。


「だからです、姫様。王都を出て二日、敵国の領内を越えた今だからこそ休む必要があるのです」


「しかし、こうしている間にも王都は──っ!」


 なおも訴えかけるリィル王女の前に、もう一人の護衛騎士であるニーナが進み出る。

 王女の必死な視線に向かい、真っ直ぐと視線を合わせてゆっくり噛み含めるように話した。


「姫様、今ここで無理をして、もし姫様が倒れでもされたならば……、誰が伯爵に王都の窮状を訴えて力を借りるのですか? それに今すぐに向かっても結局は戦力を集めるにも時間は必要です」


 彼女のその言葉に、リィル王女は小さな肩を震わせて視線を伏せる。

 そこへ、今まで黙って話を聞いていた城砦の指揮官である老年の男が恭しく口を開いた。


「何やら我らが王都にただならぬ危機が訪れているとお見受け致します。ならば伯爵様への用向きなどは、ある程度の事情を文にしたためて早馬で先に領都キーンへと走らせておきます故。姫様には今日のところはこの城砦ヒルで英気を養って頂きたく」


 そう言って男は再び(こうべ)を垂れてリィル王女の裁可を持つ姿勢を取った。

 リィル王女はそんな彼を馬上から見下ろして、次いでその両脇に控える己の二人の護衛騎士の顔を窺うと、ようやく諦めたように俯いて小さく返事をした。


「わかったのじゃ……。領都キーンへの連絡、良しなに頼むのじゃ」


 その王女の答えに三人の顔に安堵の色が浮かぶ。


 そんなやり取りの後、この城砦の指揮官に王都での現状の様子などが伝えられ、その報せとリィル王女が急遽参じた理由が綴られた文を持った使者が、早馬を使い夜の街道を領都へと向かった。

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