嗤う者
ノーザン王国王都ソウリア。
突如として王都周辺に現れた正体不明の不死者の集団に王都を包囲されて既に二日。
断続的に攻め寄せる幾万の不死の軍団を、王国の軍は少ない兵数ながら堅牢な街壁を使って何とか凌ぐというぎりぎりの攻防を繰り広げていた。
王国を守護する兵らの怒号と物言わぬ死霊兵、そして異形の人と蜘蛛の融合体らが壁を挟んで鬩ぎ合う喧騒──しかしそれは中央の王城まで来れば遠く、風に乗って時折耳に届く程度だ。
そんな戦場と化した壁際から離れた王都中央に聳える王城は、その地の長い紛争の歴史を物語るかのように武骨で堅牢な外観を周囲に示していた。
しかしそんな質実剛健な城であっても、貴人を迎える一室などは国の威信を示す上でもその内装は煌びやかで贅を凝らしたものである事が普通だ。
現に他国の賓客を迎えるその一室は、他国と比べても決して見劣りのするものではない。
その一室に置かれた対面式のソファには、二人の人物が向かい合う形で腰掛けていた。
一人は厳格そうな壮年の男で、身に纏う衣服は一見派手には映らないものの、その丁寧な仕事からは相当に値の張る代物である事が分かる。
それもその筈で、その衣服に袖を通しているのはこの国の最高権力者である国王アスパルフ・ノーザン・ソウリアその人だ。
普段は一国の王たる存在として威厳に満ちた態度で周りに接する彼だが、今目の前に座り、もったいつけたような仕草でお茶に口を付けている者の前では、それを抑えてやや下手に出たような口調でその者に話し掛けていた。
「ではパルルモ卿はこの地に自身の意思で残られたのか?」
国王アスパルフの問いに、相対する男は間を置いてゆっくりと頷いて見せる。
その人物はヒルク教の聖職者が身に纏う法衣より一段豪奢なものに袖を通し、飲んでいたお茶から口を離して温和そうな笑みを浮かべた。
黒い髪をきっちりと整髪料で撫でつけたその容貌は、やや神経質そうにも見える。
ノーザン王国の隣国、ヒルク教国の頂点である教皇を除いた中で最も位の高い七人の枢機卿。
その中の一人であるパルルモ・アウァーリティア・リベラリタス枢機卿は国王の問いにも人の好さそうな笑みをのせて答えた。
「神への信仰を説く私が、現れたのが数万とは言え不死者の群れに背を向けて逃げ出すなど──それでは私の信仰が疑われるばかりか、ここに住まう信者達からの不信を買う事に。そうなれば乱心した民衆によってこの王都は混乱の只中に放り込まれる事になりますよ」
そこまで言ってパルルモは一度大きく息を吐き出すと、真剣な眼差しを相対する国王に向けた。
「神は人の行いを見ておいでです。此度のこれも神の試練、人は一丸となってこれに挑まねばなりません。そしてそれを乗り越えた先に、この国は大いなる祝福を授かる事になる」
静かな祈りの仕草をとったパルルモに、国王は曖昧な頷きを返す。
「……確かに降って湧いた此度の国難、乗り切れれば少なくとも今この王都に居る者らとの絆は深まるだろうが……。しかし、それも乗り切れてこそ──」
そう言って国王は室内の窓に視線を向けて、その先に見えないものを見るように視線を細めた。
「我が子らが使者としてどれだけの援軍を持って来られるか、我らが幾日この壁の中で耐えられるのか──神の試練とは斯様にも困難なものなのか……」
指を組み合わせて力無く首を項垂れさせる国王に、濁った視線が注がれる。
国王が視線を伏せるその前で、パルルモの瞳の奥から愉悦の色が漏れ出していた。
しかし、下げられた視線の先に映るのは、磨き上げれられたテーブルに映る自身の顔だけだ。
「民を思うその御心、決して神は見落としたりはしません。だからこそ、私は今この場にこうしているのだと、神の御導きであると信じております」
そのパルルモの言葉に国王は伏せていた視線を上げて目を見開いた。
「……そ、それは、」
言葉を詰まらせる国王に向かって、パルルモ・アウァーリティア・リベラリタス枢機卿は朗らかな笑みを浮かべた。
「神の徒である我らも、この国の民と同様に人である事に変わりありません。人々を救うという我らの教義、救いを求める人に我らが手を差し伸べたとて何の問題もありません。既に私の配下の者を教皇様の下へと走らせております故」
その彼の言葉に、国王はまさに神の助けを得たというような顔で目の前の男を見た。
だが、ふとした疑問が頭を過り、国王はそれを口に出して問う。
「し、しかしよく包囲されたこの王都から使者を向かわせる事が出来ましたな」
国王のそんな問いに、パルルモの蟀谷が僅かに動く。
「私の配下はこれでも精強を誇る神殿騎士の者達ですからね、昨夜の内に少数の精鋭を送り出したのですよ。なに、信心など持ち合わせていない不死者などに後れはとりませんよ」
その余裕を浮かべた笑みのパルルモに、国王は得心したように頷いて返した。
「おぉ、成程。確かにあの連中は何故か夜になると途端に統率を失い、思い思いに行動を始めると報告が上がっておった。それに気付いておられたとは、流石ですな」
その国王の発言にパルルモの指先が微かに反応するが、何事もなかったかのように努めて澄ました表情を作り、次いで口元に笑みを浮かべた。
「これでも私も聖職者の端くれですからね、不死者になど後れをとる訳にはいきませんよ。後は希望の火を繋ぐために我々がここで耐え忍ばねばなりません」
パルルモのその言葉に同意するように、国王も力強く首肯してその瞳に決然とした光を宿らせる中で、不意にパルルモの感覚に触れるものがあって思わずその方角へと振り返った。
「? どうかされたのか、パルルモ卿?」
そんな彼の行動を訝しげに思って尋ねる国王に、パルルモは軽く咳払いをして顔を戻す。
「いえ、お気になさらず。ただの気のせい、というやつです」
そう言って答えを返すパルルモだったが、その瞳の奥には僅かに動揺の色が浮かんでいる。
しかしそんな彼の態度を追求する間も無く、部屋に迎えに来た臣下達に連れられて国王はその貴賓室を後にした。
アスパルフ国王の背中を見送っていたパルルモは、再び視線をある方角へと向けて瞳を閉じると、やがて眉間に皺を寄せて目を開く。
「よもや追手に出した死霊騎士二匹の反応が消えるとは……護衛はこちらが思っていた以上に手練れだったんでしょうかね。それにしても以前にも似たような事がありましたね……貧乏くじを引かされた気分ですよ」
そう言って不快げに鼻を鳴らすと、大きく溜め息を吐き出した。
「仕方がありません。今から送って間に合うかは分かりませんが、追加で四匹の死霊騎士を送っておきますか。流石に四匹も出せば十分でしょう……」
独りごちるパルルモの視線が、先程退席した国王が向かったであろう先に向けられる。
その彼の表情は嗜虐の笑みに歪められていた。
「さて、それでは私は民衆への啓蒙にでも励みますかな。ありもしない希望に縋りながら朽ち果てていく人々を特等席で見学するというのは、いつでも堪らない悦楽を齎してくれますねぇ」
まるで腹の底を震わせるような、それでいて静かな嗤いが室内に響き渡った。