転移見聞録
それから四日後、救援隊を乗せた魔道帆船はドラントの里があるというルアンの森が広がる海岸線の沖を進んでいた。
船上から見る限り、ルアンの森はカナダ大森林のような巨木の森という訳ではないようだ。
やや湾状になった沿岸に沿って船が静かに進んで行くと、森の木々が少し奥まって広い砂浜が広がる場所が見えてきた。
そんな砂浜のある海岸線には長く延びた幾つかの桟橋が海の上にまで張り出している。
それらの桟橋に停泊しているのはどれも近場で漁をする為のような小舟ばかりで、こちらの魔道帆船の姿を見て、漁をしていた者達が遠目にざわついているのが見えた。
遠くからでも長く尖った耳と、翠がかった金髪からして間違いなくエルフ族だろう。着ている衣服などもカナダの里で見掛けるエルフ族の民族衣装と同じだ。
やがて魔道帆船はこれ以上の浅瀬への侵入は出来ないと判断したのか、桟橋からやや離れた沖合に錨を下して停泊し、甲板に括りつけるようにして備えてあった小舟を海へと浮かべ始める。
そして最初に向かう小舟には今回の救援隊を率いて来た長老のディランと、それを守る戦士数名という少人数が乗船して、ざわつく海岸へと進んで行った。
「我らは、ディラン殿が向こうの長老からの許可を得てからでないと上陸出来ないそうだ」
手で廂を作り、長い桟橋の一つへと寄せていくこちらの小舟の行方を視線で追いながら、傍らに居るアリアンへと話を振る。
すると彼女も自分に倣って空から降り注ぐ太陽光を遮る廂を額の上に作り、その金色の瞳を細めてディランの様子や海岸に集まるエルフ族らを船上から窺う。
「思ったとおり、あまり歓迎されているようには見えないわね」
海岸でざわつくエルフ族の姿を、ダークエルフの優れた視力で捉えていたアリアンが、呆れにも似た色を声に滲ませて興味なさげに呟いた。
そんな彼女の横で、チヨメも舷側から興味深そうに海岸の様子を窺いながら問い掛ける。
「ドラントの里とは普段あまり交流はないのですか?」
「ん~たしか、四、五年に一度は交易のようなものをしてるとは聞いたけど……」
まるでオリンピックのような間隔だなと、そんな感想を抱いて腕を組む。
交易としてというよりは、とりあえずの交流を保っているという名目だけの行事に近い。
「あっちにしたらカナダは純粋なエルフ社会を否定して、他種族と共闘する事で勢力を回復した誇りのない集団って認識らしいし……」
アリアンの憤懣やるかたないといった風のその言葉の端に、僅かに引っ掛かりを覚えて、自分はその疑問を彼女に向けた。
「他種族、とはダークエルフ族以外の事も差しているのであるか?」
そう言って尋ねた問いに、アリアンは何やら視線を彷徨わせる。
「あぁ、まぁアークも里の正式な一員になったから追々知る事になるし、今はいいのよ」
彼女のその答えになっていないような答えに、曖昧に頷き返す。
だがどうやら彼女の反応を見る限り、カナダ大森林の勢力には自分も知らない勢力が加わっているようだと推察出来た。
今のところカナダ大森林に住まう中で知り得た種族はエルフ族とダークエルフ族、あとは交易などの関係で出入りを見掛ける獣人族ぐらいだ。
他には姿を見た事がないが、もっと東の里で暮らしているのだろうか。
そんな新たな種族との邂逅を夢想していると、上陸したディラン達の方で動きがあった。
小舟を係留し、桟橋へと上がっていたディラン達一行の下に、森側からやって来た数人の集団が挨拶を交わしていた。
ディランに対面しているエルフ族が恐らくこの辺りの統率者なのだろう。
周囲に護衛らしき数人を連れたそのエルフ族の男とディランが言葉を交わし、男がこちらの船を一瞥してから何か頷く仕草をして、再びディランに向き直って握手をする。
するとディランの取り巻きだった一人が船に向かって手信号を送り、それを見た船に残っていた乗組員たちが一斉に動き始めた。
「許可が下りたぞ! 上陸組は速やかに準備しろ! 船の数が足らないから往復だ!」
船員であろう者の指示が飛ぶと、それに他の船員達が同調して声を張る。
そうして救援隊である二十名近くのエルフ族らと、補給の為の船員達に交じって、荷物を担いだ自分達も上陸を果たした。
しかし桟橋に上がった所で、向こう側の里の戦士であろう男から厳しい声が掛かった。
「お前たちが里へと入る許可は下りていない! ここからあまり動くなよ!」
戦士の装いの男は居丈高な物言いでこちらを制止すると、その視線を順に移して鼻を鳴らした。
「ダークエルフだけでなく、獣人まで取り込んだのかカナダの連中は……」
強い侮蔑の色を含んだその声に、今まで静かだったアリアンから剣呑な気配が漏れ出す。
「それとそこの全身金属鎧の貴様、顔を見せろ!」
男の声が海岸に響き、周囲の者達からも自然と視線が集まる。
自分はその男の言葉に従って、兜の上に鎮座しているポンタごと脱いでその場に顔を晒した。
「きゅん!」
「なんだ? 貴様、何処の種族だ?」
男は此方の黒髪で紅眼、褐色肌の姿を見て眉を顰める。
念の為にと上陸前の船上で、水筒に汲んできてあった龍冠樹の霊泉を飲んで骸骨の姿から肉体を取り戻した状態であったのが功を奏した。
「我ら三人はこの森を抜けて人族の領域であるサルマ王国領の方へと抜けたいのだが、通っても構わないだろうか?」
再び兜を被り直しながら、因縁をつけてきた男に話を持ち掛けるが、相手は盛大に眉を顰めて大仰な仕草で肩を竦める。
「それは許可出来ないな! 余所者がルアンの森を通り抜けるなど断じて──」
そんな此方のやりとりを見ていたディランが、言葉を交わしていた統率者の男に何事かを話すと、取り巻きの一人が慌てた様子で駆け寄り、絡んできていた男に耳打ちをした。
するとそれまで声高に絡んできていた男が眉根を顰めて、此方を一瞥した後に悪態を吐いて踵を返した。どうやらディランが上手い事取りなしてくれたようだ。
そして絡んで来ていた男が立ち去るのを見送ったもう一人の男──統率者の言葉を耳打ちした男は此方に一度目礼をしてから口を開いた。
「長老らの計らいで貴方達の森の通行許可が下りた。海岸から延びる向こうの道を行けば、半日もすれば人族の領域へと出られる。だが森を抜ける許可は出たが、里に入る許可は下りていない」
それだけを一方的に言い終えると、その男も踵を返してディラン達の元へと帰って行く。
丁度、ディランとその周囲の救援隊が里へと入る為に移動を開始したようで、ディランが一度此方に視線を向けて手を挙げた。
それに自分とチヨメは礼をしてから、未だに立ち去った先程の男らを睨んだままのアリアンに今後の行動方針を確認するべく声を掛ける。
「アリアン殿、ドラントの里から許可が下りたのなら、我らは早速向かうとしよう──」
「本当になんなのよ、あの態度! 長老会も何であんな連中を支援するのよ!?」
自分の言葉に被せるように、アリアンはドラントの里の者達に向かって憤慨して足を踏み鳴らす。
その横ではチヨメが澄ました顔で小さく息を吐いた。
「森を通れるようになっただけ良かったです」
彼女の言葉に自分も同意して頷く。
まさかここまで来て船に押し込められたままなど勘弁してもらいたい。
ただ、いざとなれば【次元歩法】を使ってこっそり森を抜ける事も可能なので、此方としては遅いか早いかの問題でしかなかったが、正規で移動できるのはありがたい。
「では行くか」「そうね」「はい」
「きゅん!」
自分の呼びかけに、アリアン、チヨメ、ついでにポンタが返事をした。
これから人族の領域に入るという事で、チヨメは獣人の特徴である耳や尻尾を隠せる帽子や服装をしており、アリアンも以前に人族の街などに潜入する際に使っていた灰色の外套などを纏っている。
準備万端整えて、自分達は先程ドラントの里の者が示した海岸から延びる道を進んで行く。
やがて前方になだらかに盛り上がった丘状の土地があり、その周囲に配される形で巨大な樹木が三本聳え立っていた。
まるで螺旋階段のようにうねる巨大樹の幹、龍冠樹ほどの威容はないが、それでもカナダ大森林に生える大樹よりは遥かに巨大だ。
そしてその根元を取り囲むようにして、幾つもの住居が軒を連ねた街が造られている。
あれがドラントの里なのだろう。
それはカナダ大森林内にある里とはまた趣を異にしていた。街の周囲に巡らせているのは木材と石材を組み合わせて出来た城壁のような壁だ。
そこだけを見ればどこか人族の建造物に似ていなくもない。
しかし巨樹の迫力で圧倒はされるが、街の守りとしてならカナダにある里の樹壁の方が目の前のドラントの里の城壁より遥かに高そうだ。
そしてそんなドラントの里の街門へと向かっている一団がここからでも見える。ディラン達救援隊の一行と案内役達だ。
その後ろ姿を見送りっていると、不意にアリアンが此方に不満そうな視線向けてきた。
「それはそうと、アーク。いつの間にあの温泉水汲んで来てたのよ? あいつが顔を見せろと言った時にちょっと動揺したじゃない……」
「あぁ、あれか」
自分は先程のやりとりを思い返して、担いだ荷物の袋から紙束を紐で綴じたような一冊の冊子を取り出して見せた。
「こんな事もあろうかと、船室をきっちりと記憶出来るよう描き写しておいたのよ」
そう言って冊子のページを繰ってその場所をアリアンに見せる。すると、横からチヨメもその冊子を覗き込んできて頭の上の猫耳をバタつかせた。
「これは、以前ランドフリアの里の露店で買った物ですね。……乗船していた船室の風景ですか」
彼女が覗き込んだ紙の一枚には、船室の様子を丁寧に模写した絵が描かれている。
これは今朝早くに船内を模写したものだ。
自分の持つ長距離転移魔法の【転移門】は、一度行った場所で且つ記憶にしっかりと風景を思い描ける場所でなければ転移出来ないという条件がある。
しかし特徴的な風景を持つ場所ならいざ知らず、今回の場合のように室内などのありふれた風景では上手く転移出来ない。恐らく室内という印象の薄い景色では、それ程鮮明な記憶が残っておらず、転移する際の座標設定となる条件が満たされていないからだろう。
自室の風景は長い時間暮らしている事から記憶を喚起しやすいが、泊まった先のホテルの室内を事細かに覚えている人はそう多くはない筈だ。
そこで転移する際に必要な記憶を鮮明にさせる為に、この風景冊子を用いる事で不確かになりやすい記憶を補完して転移移動出来る箇所を増やしたのだ。
この冊子には今まで色々と立ち寄った場所などを描き込んでおり、これから先も新たな転移場所を増やしていけば世界中あちこちに気軽に立ち寄れるようになるだろう。
そんな未来の旅行計画を思い描いていると、アリアンが描き込まれた風景の冊子をひったくってその金色の瞳を大きく見開いた。
「ちょっと、アーク! これ! 私じゃないの!?」
そう言って彼女が示して見せたそれは、船室のベッドの上で気持ちよさげな顔をして就寝しているアリアンのあどけない姿が描かれていた。
「うむ、自分でもなかなか美人に描けたと思うのだか、どうだろうか?」
自信作に胸を張ってそう返すと、彼女は何か言いたそうに何度か口を開閉させたが、そのまま冊子を閉じて乱暴にそれを此方に押し返してきた。
「べ、別になんでもないわ……」
尖った耳の先を朱に染めて呟くアリアンの横で、チヨメも改めて絵に視線を落とす。
「……ボクは布団を被って寝ていて尻尾しか見えていませんね」
少し残念そうに呟くチヨメ、それと頭の上で抗議するようにたしたしと兜を叩くのはポンタだ。
絵の内容は見ての通り、自分の寝ていたベッドの視点から描いているので、自分と同じベッドの上で寝ていたポンタは絵の中にはいない。
とりあえずポンタの絵はまた今度描くとして、今回も新たな転移場所を描きとめておこう。
「人族の領域へと出る前に、小一時間ほど時間を貰ってもよいか? ここの里の風景も一応描きとめておきたいのでな」
何かあった時はすぐに社まで転移魔法で飛ぶ事は出来るが、そこまで戻ってしまうと再びこの地まで来るのが大変になってしまう。
特徴的な風景であるドラントの里なので近々飛ぶ程度なら問題ないだろうが、記憶が曖昧になってからでは飛べなくなってしまう──いわばこれは保険だ。
それに転移出来る場所が一覧で表示出来るというのも、今後何かと役に立つだろう。
「分かったわ。でも向こうがまた何か絡んできたら面倒だから少し離れた場所に移動するわよ」
アリアンのその指示に自分もチヨメも賛同して、里から離れた場所へと移動した。