侵入
エナ一族の集落を出た時にはこれ程重苦しい雰囲気は無かったが、今は何とも言えない雰囲気に包まれている気がした。
いや、虎人族の戦士らは巨人に対する怒りなどは依然とあって、討伐隊の雰囲気も少し緊張感のようなものはあるが、然程変わっていないのかも知れない。
ただそう感じる原因は明らかだろう。
乗騎の手綱を握るその腕の間、鞍の先頭に座るチヨメの表情は、上から見下ろす形となる自分からは窺い知る事は出来ない。
この大陸へと渡る際に乗ったリーブベルタ号の船上で、彼女は作ったクラーケンの潮干しを兄弟子であるサスケに土産として渡すと語っていた姿を思い出す。
今の骸骨の身である自分には、彼女の心の内を推察して何となしにその辛苦がどれ程のものか計れはするが、本当の意味での同情を寄せれる存在ではない。
しかしここで肉体を取り戻し、感情の波に囚われれば、この場でまともな判断を下せるかどうか怪しいものだ。それに自分自身にそれ程高い評価はしていない。
今こうやって勘考出来ているこの状態は骸骨の身であるからで、恐らくこの状態というのは歴戦の戦士などが持つ感情抑制に近いのかも知れない。
だが、チヨメはまだその域に達するまでには至っていないのだろう。
──歴戦の戦士ではない、かと言って何も出来ない少女でもない。
ふと息を吐き出して、頭を振る。
あまり頭を使う事が得意ではない自分があれこれと考えても仕方がない。
能力があるのならば前に出ればいい、敵を討つ剣があり、友を守る盾があり、己を守る鎧があるのだ。下手に思い悩むのはただ時を無為に過ごすだけだ。
──まぁしかし、先程は剣も盾も忘れていたのは反省せねばならないな。
あの集落跡地を発ってどれ程駆けた来ただろうか。
時折後ろからお尻の救援依頼が訴えられて、その度に回復魔法を掛けて進む事三度目。
速度を落とす訳にはいかないので、その都度魔法を発動させる座標を固定する為に後ろ手で魔法を発動させるという、傍目から見てアリアンのお尻を触ろうとしている姿に見えるのは何とかならないものだろうか。
知らない内に暗くなっていた気分に溜め息を吐いて、空を振り仰ぐ。やや日が傾きだしてはいるが、まだ夕暮れに入る程ではない。
おやつの時間を過ぎたぐらいだろうか。
やがて討伐隊の向かう先、少し丘を下ったそこに虎人族の集落が見えて来ていた。
集落自体はゲル式住居が十個にも満たない小さな集落だ。周囲には家畜の群れの姿もあり、集落の周辺に戦士の姿をした男達が、地響きを響かせて迫るこちら指差している姿が見える。
集落にはどこも襲撃を受けたような被害は無く、いたって平和で長閑な平原の景色だ。
どうやらここへはあの黒巨人は訪れていないらしい。
討伐隊の進行速度が緩まり、先頭にいたホウ族長が代表として集落の者に話を聞きに乗騎を降りて近づいて行く。
事情を把握しようと、自分も集落の近くへと乗騎を寄せる。
しかしすぐに話は済んだのか、ホウ族長は集落の戦士が示した方角を確認して頷くと、集落周辺で屯していた他の討伐隊の面々に向かって声を上げた。
「巨人共はこの集落の傍を通って北へと向かった! 行くぞ!!」
その号令と共に、討伐隊が方向を変えて集落を後する。
族長達を乗せた乗騎を先頭に一路北を目指す一行だが、族長達は何やら相談事をするように乗騎を寄せて話し合っているような姿を見せている。
何か問題でもあるのだろうか。
その答えは暫くの後の光景により判明した。
今、討伐隊が並ぶのは小高い丘となっている場所だ。
いや、今居る場所は平原から続く高さとほぼ変わらない位なので、目の前に広がる地がかなり低地なのだろう。
視線の先が低地なっているおかげで、右前方に海が広がっているのが見える。
そして今居る場所から坂を下った先に広がる低地には、まるで壁の様に続く人工の建造物がそこに国境線を引くかのように、東の海岸から西の先にまで続いていた。
その建造物の姿は街や城などでもよく見かけた城壁とよく似ており、それはあの有名な世界遺産でもある万里の長城を想起させる。
壁には城でもよく見掛ける四角い銃眼が幾つも等間隔で並んでいる事からも、あれが防衛を主眼に置いた防壁である事は明らかだ。
銃眼の大きさはかなり広いところを見ると、大砲か──無ければ固定の弩の類か。
そう言えばこの地に向かう際に乗った船上で、獣人族の男から平原の先に壁を築いて暮らす人族の話を聞いた事を思い出した。
ではこの壁の先は人族が支配する土地という訳だ。
虎人族の戦士の中には、この城壁を見た事がない者もいたのだろう。驚きを露わにしている者の姿も幾人も見受けられる。
確かにこれだけ壮大な人工物を見せられれば素直に驚愕する他ない。
そしてそれを作るのに、いったいどれだけの時間と労力が注がれたのか──想像するだけで気が遠くなる。
「ちっ、巨人共を追い抜いたとは思わないが、まさか人族の暮らす北の半島にまで来るとは」
そう言って、忌々しい物を見る様な目でホウ族長は眼下に伸びる城壁を睨む。
どうやらこの先の土地は半島になっているようだ。
するとあの城壁は、半島の根元に壁を築くようにして築かれているのか。
しかしその築かれた堅牢そうな城壁を見て奇妙な点に気付く。
城壁には等間隔で楼閣のようなものが高く聳える壁の上に築かれている。恐らく見張りの為の櫓の役目と兵の宿舎として利用されているのだろう。
だがここから見える楼閣には人影も人の気配さえ見えない。向こうからも丘に一列に並ぶ百五十騎からなる戦士の集団を見れば、警戒も露わに騒ぎになる筈だが、それもない。
「城壁に人の姿がない、ここはいつも無人なのか?」
隣で顎を擦りながら眉間に皺を寄せていたホウ族長に問うと、彼はますます眉間の皺を深くして此方を睨むようにして見返して来た。
「いや、いつも何名かの兵士どもが居て、こちらが姿を見せれば嫌がらせの様に弓を引いてくる」
その言葉に今一度城壁の方へと視線を向けるが、反応は無い。
むしろ遺跡になったのではないかと思いたくなる程だ。
「ホウ様!!」
そこへ東の方角から一騎の疾駆騎竜に跨った戦士が、ホウ族長の元へと駆けて寄って来た。
周辺の様子を探る為に出した、言わば斥候役の者だ。
そしてその顔を見れば急ぎの報である事はすぐに分かる。
ホウ族長は黙って顎先だけで報告を促がすと、その男は乗騎の竜首を再び東の方角へと巡らせて族長をすぐに先導出来るような恰好で報告を上げた。
「この先東へ少し行った場所の壁が崩れていました! 戦闘の痕跡多数に、巨人共も何匹か討ち取られているのを確認致しました!」
その報告に近くにいた族長達は言うに及ばず、周辺の戦士達もざわつく。
「壁が崩れているだと!? どれ程だ!?」
「完全に向こう側に抜けていました! 恐らく巨人共が人族の築いた壁を攻撃したものと!」
周囲の戦士達が一層ざわつき、族長達もその表情を驚きの色に染める。
ここから見る城壁の高さは、正確には分からないが十メートル近くはある筈だ。
黒巨人の身長は六メートル程だったが、あの膂力と固さで攻め入れば大した障害にはならないのか。
何匹か巨人も討ち取られているという事は、人族でも多少あの化け物に対抗出来たという事。胸部に張り付いた目や口を弩で狙えればそれも有り得る話か。
「あの壁が崩れたのか!? 今迄幾度となく越える事の出来なかった、あの壁を!」
「もしかして奴ら巨人達の狙いは、最初から人族の街だったのか!?」
ホウ族長以外の族長達が何やら高揚したように声を震わす中、ホウ族長は思案するような仕草で斥候役だった者に視線を向けた。
「全員、壁の崩落地点まで移動するぞ!!」
その号令で、皆一斉に東へと向かう進路をとって走り出す。
そしてその場所は本当にすぐ傍だった。
それまで延々と築かれていた城壁の一部が瓦礫の山と化して、そこで壁が途切れていた。そこから向こうの大地が覗いているのが見える。
周辺の城壁にはあの巨人達が付けたであろう無数の破壊痕が残っており、城壁前には幾本もの太い杭の様な矢が刺さっていた。
破壊された城壁の手前にはあの黒巨人が六匹程倒れており、そのいずれもが杭の様な矢に胸部を貫かれている。人族の兵士の遺体も幾つも転がっているが、生存者の姿はない。
そこへ崩れた瓦礫の山を越えて、平原へと転がり出る様に駆ける人影が目に飛び込んできた。
「あれはっ!?」
討伐隊の中から上がった声に、その人影に皆の視線が集中する。
年の頃は二十代ぐらいか、頭頂部にある獣耳は片方が引き千切れて、尻尾もかなり短く、何という種族かは分からないが、獣人族である事は確かだ。
足と首に黒い鉄枷を嵌めているが、そこから伸びる鎖は途中で切れている。
襤褸切れのような服を着て必死に走る彼の姿を見て、そのだいたいの事情を察した。
恐らく城壁で働かされていた獣人奴隷なのだろう。巨人の襲撃で壊滅した城壁で身を潜めていた所に、虎人族の巨人討伐隊の姿を見つけて助けを求めに来たのだ、
とそう思っていたが、次の瞬間、城壁の一部が轟音を立てて崩れ落ちる様を──そしてその土煙の中から一匹の黒巨人が現れたのを見て、勘違いだったと悟る。
平原に巨人の雄叫びが響き、その声に身を竦ませた獣人奴隷の青年が足をもつれさせた。
「全員、巨人をあの者に近づかせるなっ!! 巨人を討ち取れぇ!!」
ホウ族長の烈火の如き号令に、戦士達が一斉に鬨の声を上げて猛然と坂を下る。
しかし自分はと言えば、その突撃の列には参加せず丘の上に残っていた。
だがそれも致し方無い事なのだ。突撃というのは一見ただ突っ込むだけに見えるが、全速で駆ける中で隣との距離を適切に保ち、さらに前後との距離を着かず離れずを維持しなければならない。
はっきり言って素人が見様見真似で出来る技術ではないのだ。
地響きを轟かせ、土煙を上げて迫る討伐隊の姿に、巨人もそれに気付いて咆哮を上げた。
しかし討伐隊と巨人との間にはまだ距離があり、奴隷青年との距離は巨人の短い足でも十分に近いと言える。
巨人の黒目がちな眼が、奴隷青年の方に再び向く。
あのままだと間に合わない、魔法で牽制をしてその隙を討伐隊に任せるしかないだろう。
「全・力! 【火炎弾】!!」
全身に力を込めるように、前方に突きだした手の先で魔法の発動を念じると、目の前に巨大な炎の塊が形成されて兜の表面を容赦なく炙る。
周囲に残っていた戦士た族長達の誰もがその炎の塊を見て驚愕の表情に変わった。
そして皆の視線が炎の塊に固定された次の瞬間、空を切るような音をさせてその炎の塊が巨人へと目掛けて発射された。
それは一瞬で突撃する討伐隊の頭上を飛び越え、余所見をしていた巨人の弱点が集中する胸部へとぶち当たると、派手な爆発音を響かせて弾け飛んだ。
「おや、当たったぞ? アリアン殿!」
「何よ、それ? 狙ったんじゃないの!?」
自分としては巨人の身体の何処かに当たって、少しでも動きを封じられればと思っていただけで、その為に出の速い基本魔法を魔力たっぷりで玉を大きくしたのだが。
討伐隊の先頭が巨人へと辿り付いた時には、既に巨人は真っ黒焦げで仰向けに倒れ、ピクリともしなくなっていた。
元から黒い体毛に覆われているので、焦げたかは定かではないか。
目を丸くしている族長達に奴隷青年の処遇をどうするか尋ねると、皆我に返ったようになって、慌ててその青年の元へ向かった。
「──他の同胞達は巨人が城壁を破った際に、皆やられちまって……オレだけが」
回復魔法で傷を癒やした青年は、ホウ族長の問い掛けに悔しそうに答え、拳を握り締めた。
着る物もボロボロで、身体つきも痩せていて明らかに栄養失調の気がある。
「それでこの先の人族の街、タジエントだったか? はまだ多くの獣人族が捕まっているのか?」
さらなるホウ族長の問い掛けに、青年は黙って頷き俯いた。
青年のその言葉に、族長達は今後の対応をどうするか──口々に意見を語る。
「どうしますか? 人族の築いたこの壁が崩れた今が好機ですよ?」
「正直、巨人共がタジエントで一悶着を起こしているなら、混乱に乗じるのは容易いかと」
「早く決断しないと、今は押されている人族だが、一度大勢が整えば付け入る隙がなくなるぞ」
「街の規模がどれ程かは知らないが、東のフェルナンデス程もあれば全部を回るのは不可能だ」
「では全部を見捨てると?」
それら族長達が議論するその周囲では、戦士達も各々意見を交わしながら、その視線を中央で仁王立ちしているホウ族長へと向けていた。
そして何かを決断したように、ホウ族長は組んでいた腕を解き、目を見開く。
「我らはこれより、人族の街へと赴き、獣人族の虜囚を開放する! 人族の連中は我らの同胞の集落を襲って虜囚とした者達だ。しかし今回は連中には構わず、獣人族の開放にのみあたれ! 巨人共は立ち塞がるなら倒せ! 撤退の合図を聞き逃すなよ!!」
そこまで言い終えると、周囲の戦士達から歓声が上がった。そしてその流れで百五十名からなる討伐隊を七つの部隊に分けて、タジエントの街へと潜入するらしい。
ちなみに八番目の部隊は自分達一行で構成されている。
とんだ巨人VS虎戦に巻き込まれたものだと肩を落とす。
そして鞍の手前で周囲に視線配っているチヨメの姿を目にして、こちらの問題も残っていた事を思い出した。
とりあえず、出たとこ勝負だ。
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