不死者
クワナ平原のただ中にある、かつて虎人族の少数部族が暮らしていた集落跡。
突如として南にある“黒の森”から平原へと姿を現した巨人達は、平原に居を構える虎人族の集落を襲いながら北上している──らしかった。
それは集落外に出て来ていた五匹の巨人達を葬った戦士達の話を小耳に挟んだからだ。
そして今は集落内に生き残っている者がいないか、その探索の為に戦士達がかつての集落だった跡地をひっくり返していた。
しかしその彼らの顔の曇りを見れば、そこに何も希望がない事ぐらいすぐに分かる。
元々それ程大きくない集落に、十匹もの黒巨人が屯していたのだ。
エナ一族の集落へと助けを求めにやって来たあの者だけが、この集落の唯一の生き残りだろう。
先程までは巨人を討伐した高揚感から戦士達の顔に活気があったが、集落内で同胞だった者達の変わり果てた姿を目にしてその雰囲気はすぐに霧散していた。
蘇生魔法を使える自分でも流石に頭を失った者や、逆に頭だけが残って身体全部が巨人の腹の中にある様な者達の蘇生をする事は出来ない。
それはかつて野盗に襲われて命を落としていた一団を蘇生して回った時に知った事実でもある。
そんなまるでお通夜のように重苦しい雰囲気の中で、同じく沈痛な面持ちでいるのはチヨメも同じだった。
あのサスケの逃走から、チヨメは押し黙ったまま口を開く事はない。
普段からあまり口数の多い方ではない彼女だが、今回のそれは全く雰囲気が違う。
アリアンの方もそんな彼女の様子になんと声を掛ければいいのか分からず、眉尻を下げている。
そんなアリアンに対し、自分は努めて明るく普段通りに声を掛けた。
「アリアン殿、足と腰の調子は問題なさそうであるか?」
その此方の問い掛けにアリアンも此方の意図を察したのか、明るい表情を作って頷いた。
「大丈夫よ、足も腰も、もう平気よ。ありがとう、アーク」
そう言って彼女は言葉を返しながら自らの腰を擦る。
本当は彼女の腰に問題があったのではないが、乗騎用の鞍で負ったお尻へのダメージの話を、面と向かって女性に話す事はしない方がいいと了解していたからだ。
まぁあまり冗談が言えるような雰囲気でないのもその原因ではあるが。
それにしてもお尻に蓄積した負荷に対しても回復魔法の効果があるとは思わなかった。これならば時折彼女のお尻に回復魔法を掛ければ、長時間の乗騎移動も案外容易いかも知れない。
そんな考察をしていると、エナ一族の族長であるホウが他の虎人族を数人引き連れて此方へと向かって来ているのが視界の端に映った。
ホウ族長は然ることながら、彼の後に続く者達も恵まれた体格と、他の戦士達より少し派手で豪奢な様子の戦装束を見るに、六部族の族長達なのかも知れない。
ホウ族長は自分に相対しながらも、その視線を傍らにいるチヨメの方に向けたまま、重々しい口調で此方に質問を投げ掛けて来た。
「アーク殿、そちらの猫人族のお仲間は確か、同じ北の大陸からの連れだと言っていたな?」
彼の事実確認をするような問いに、首を傾げながらもその問いを肯定するように頷き返す。
「集落を襲っていた半数の巨人達が、突然現れた猫人族の男を追って行った……」
かなりの乱戦だったとは言え、全く目撃者がない訳ではない。
「何故巨人共はあの者を追って行ったのだ? あの者が巨人を引き連れ我らの集落を襲わせていたのではないのか!?」
まさに憤怒といった表情を露わにしてホウ族長が言葉を発する、しかし何故それを自分達に問い質すのか、不思議に思っているとその答えはすぐには分かった。
「言い逃れは出来んぞ! そこのちびっこい女! 貴様はあの者と面識があるのだろ! 話をしている所をうちの者がしっかりと見ていたんだ!!」
族長の一人であろう男の一人が、チヨメに詰め寄るようにして声を荒げる。
どうやらあの時のやりとりを見られていたようだ。
しかし事実を言うならば、話し掛けはしたが、話はしていない──ただ今そんな事を言っても些細な違いでしかないだろう。
そんな頭に血が昇った族長の前に、アリアンが進み出て来てチヨメを庇うように立った。
身長で言えば虎人族の族長達が圧倒的に高く、体格も彼女を遥かに上回るが、全身から淡い炎のような光を揺らめかせて睨み据えるアリアンの姿には言い知れぬ凄みがある。
恐らく彼女が全身に纏っているあれは精霊の光なのだろう、獣人族である虎人族には見えてはいない筈だが、彼女から発せられる覇気のようなモノを肌で感じ取れるのか、首筋の毛が逆立っているのが分かる。
族長達の喉から息を飲む音が漏れ、そこにアリアンが徐に口を開いた。
「彼は確かに、かつては彼女の仲間だった人のようだけど、……もう彼は彼女の仲間ではないわ」
そのアリアンの言葉に、後ろで顔を俯かせていたチヨメの肩が跳ねる。
しかし彼女のそんな言葉にすんなりと納得する族長達でもなく、その内の一人が声を荒げた。
「貴様のその言葉を誰が信用出来る!? そもそも何故我らの戦に部外者がいる!?」
彼の言葉に周囲の虎人族の者達の視線がこちらへと突き刺さる。
事態が急を要した事もあって、此方の参戦はホウ族長から聞き及んではいるだろうが、そもそもの理由などを説明する暇などなかっただろう。
ウィリ一族とその族長のエインは何となしに此方の事情を知っているが、ここにいる大多数がそれを知らぬ者で占められている。
そんな彼らに向かってアリアンは、意を決したように目を見開いた。
「先程の彼は既に生ある者では無く、不死者だったわ」
それは自分も少なからず驚愕の内容だった。そんな彼女の話に族長達も驚きの表情を浮かべ、事実確認をするように互いに顔を見合わせている。
だが周囲の他の戦士連中は、何の事かさっぱり分からないといった雰囲気が多数だ。
そんな彼らの様子や端々から漏れ聞こえる会話から窺える事は、どうやら不死者という存在自体にあまり馴染がないという事だった。
そんな周囲の反応を見て、アリアンはさらに言葉を継いだ。
「平原ではあまり不死者を知る者は少ないと思うけど、簡単に言えば歩き彷徨う死者の事よ。あたしのようなエルフ種は不死者が纏う“死の穢れ”を視る事が出来るわ」
そう言って一旦言葉を切ると、周囲の反応を窺うようにその金の双眸を周囲に配る。
彼女達エルフ族の目には人族などには見えない精霊やその類の現象を視る力がある。
あのサスケが姿を現した時、彼女は不死者が纏うという、“死の穢れ”を視ていたのだろう。
そして獣人族であるチヨメは不死者が纏うその死の穢れを視る事は出来ないようだが、死の臭いを嗅ぎ分ける事が出来た。
あの距離で鼻の利く彼女の事だ、目の前に立ったサスケの状態をも気付いてはいたのだろう。
しかしかつての仲間だったであろう者が、不死者として目の前に立つという状況は流石に察するに余りある。
今でもアリアンの言葉は聞こえてはいるが、押し黙る彼女はその事実を認めたくないのかも知れない。
だが彼女達の目や鼻は、人のそれよりも事実を仔細に知り得る力を持っている。
骸骨の姿である自分にはその死の穢れが無い事から、アリアンらエルフ族の者達には、今では姿が変容する呪いを受けた身としての認識をされている節があるが。
それは獣人族である刃心一族のチヨメ達も同様だ。
そんな彼らの特殊な能力があったからこそ今はこうして彼らと時を共に出来ているが、それが無ければ見た目には不死者でしかない自分は今頃どうなっていた事か。
「きゅん!」
此方のそんな考えを察したのか、頭の上に乗っていたポンタが励ますように声を上げる。
「そうだな、お前は人の姿に左右されんな」
ポンタの頭を撫でて礼を言いながら、目の前の現状を確認する。
チヨメの仲間であったかつての六忍サスケは、何故かこの南の地で不死者として姿を現した。
自分から見たサスケの様子は血色が悪かったとはいえ、殆どチヨメ達と姿は変わらない。
だが、アリアンが視て、語るその話は紛れもない事実なのだろう。
「……仮にそれが事実だとして、今この場でそうであった事を証せぬだろう!?」
族長の一人が声を上げたその言葉に、他の族長も同意する様に頷く。
ただ一人、いや、ウィリ一族のエイン族長とエナ一族のホウ族長の二人だけは、アリアンや此方の顔を窺うようにして事実であるかを探してる。
しかしここで悠長に事の是非を問い質していても意味はない。
「我はチヨメ殿達の詳しい事情までは分かりかねるが、彼女達の一族が彼の行方を捜していたのは知っている。彼女がここで変わり果てた姿となったかつての仲間と遭遇したのは偶然だ。そもそもこの地に旅する事を提案したのは、他でもない我なのだから」
「そんな事──っ!」
その自分の言動に、一人の族長は反論を上げようとするのを制する様に言葉を重ねる。
「──それに良いのか!? 報告であった巨人の数は三十、この集落で見つけた数は十、そして倒した数は五だ! 巨人が何故あの者を追っているかは知らぬが、去った方角にはこれ以上集落はないのか、どうなのだ!?」
此方のそんな問い掛けに、族長達だけでなく、周囲の戦士達もざわつき始めた。
反応から見るに、どうやらサスケが去った方角には集落の心当たりがあるのだろう。
族長達の周囲には戦士達が詰め掛け、巨人達の追撃を進言する者達の姿が多くある。
そのざわつきに終止符を打ったのは、族長達の中心にいたホウ族長だった。
「我らはこれより巨人共の追撃と、その先の集落の安否の確認、保護に向かう!!」
そのホウ族長の声に呼応する様に、戦士達から鬨の声が上がる。
次々と戦士達が自分達の疾駆騎竜に跨る姿を目で追いながら、此方へと歩み寄って来たホウ族長に意識を向けた。
そして擦れ違い様に、ただ一言を発した。
「……我らに示せ!」
それだけを言うと、ホウ族長は他の族長達を従えて自分達の相棒である乗騎へと戻って行く。
言われた事の仔細は分からないが、おおよその事は理解できる。
交渉時に恩を売っておけば、その後のやり取りが円滑になると思ったのだが、何やら今回の疑惑を拭う為に奔走する羽目になったらしい。
「……すみません、アーク殿」
そんな一連のやりとりを見ていたチヨメが、押し殺したように言葉を発して頭を下げてきた。
「チヨメ殿が謝る筋の話でもあるまい。ここから先は我だけでも構わぬぞ?」
黒巨人相手ならばいいが、巨人の後を追うという事はチヨメにとってかつての仲間だったサスケと対峙するという事でもあった。
此方のその言葉に、チヨメは静かに首を横に振って此方の目を見返す。
「いえ、これはボク達一族の問題です。それに……」
そこまで言葉を漏らすチヨメだったが、自らの拳を握り締めてその後の言葉を飲み込むと、その場で目礼して乗騎の元へと歩み去って行った。
何処か表情が抜け落ちた様な、まるで幽鬼のような彼女の姿を目で追いながら、同じく彼女のそんな姿を心配して見ていたアリアンに声を掛けた。
「アリアン殿、あのサスケ殿の事なのだが──不死者であるという事だが、あの様な不死者はあまり珍しくもないのか?」
その此方の問いに、アリアンは眉根を寄せて顔を顰めた。
自分の不死者に対するイメージで言えば、腐乱死体や骸骨などが一般的で、サスケの様な熟達した戦士の動きをするようなイメージはあまりない。
吸血鬼とかならばそのイメージに近いものがあるが、この世界ではまだ見た事がない上に存在するかどうかも知らない。
この世界で動きが機敏な不死者と言えば、あの龍の咢の洞窟内で見たグールワームという存在だが、あれは既に容姿からして人から外れた異形体だった。
そこへいくとサスケの姿は見た目はほぼそのまま、普通の猫人族の男だ。
エルフ種はその身体に死の穢れを視る事でそれが不死者かどうかを判断出来るらしいが、生憎とこの世界のエルフ種とは異なる自分は精霊の発する光は視えても、死の穢れは視えない。
「私もあんな普通の姿を保った不死者は初めて見たわ……。父さ──里の長老とかに聞けばそういった存在に心当たりがあるかも知れないけど」
アリアンはそう言って、サスケが去った方角を見やり首を振った。
しかし今からエルフ族の里へ戻って話を聞く様な時間はない。それにここで分からない事をあれこれと考察していても仕方がないだろう。
「──そうか、とりあえずはまず巨人の後を追うしかないな」
身を翻して、ほったらかしにして周辺の草を食んで寛いでいた疾駆騎竜の元へと歩み寄って、その背に預けていた鞍へと飛び乗った。
近くで立ち竦んでいたチヨメを鞍へと引き上げ、乗騎の手綱をとってアリアンの傍へと寄ると、彼女は盛大な溜め息を吐いて渋々後ろへと座る。
視線を虎人族の者達の方へと向けると、先頭でホウ族長が合図を送っているのが見えた。
その合図で他の乗騎に跨った戦士達が、再び平原へと駆け出して行った。
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