巨人の進撃
戦支度は一時間も掛からない内に終わり、集まった武装した虎人族の戦士の一団はエナ一族の集落を発った。
エナ一族の集落を訪れていた他の六部族の長達も、エイン同様に供回りを引き連れ来ており、急遽それらの戦士達が今回の“巨人狩り”の一団に加えられていた。
その数百五十名程。
ほぼ全員が疾駆騎竜に跨り、一路巨人に襲われた集落へと向かっているのだが、大型乗騎である疾駆騎竜が大地を震わせて進軍する様は圧巻だ。
猛然と地響きを轟かせながら進む皆に付いて行くだけなので、今自分がどの方角へ向かっているかが判然としない。
正面の地平の遥か先に、高く聳える峰々が望める以外は、周囲は何処まで行ってもなだらかな丘陵地と平原が広がっている。
やがて集落を出てから一時間はとうに過ぎただろうか。
後ろに座るアリアンがお尻の痛さを訴えて、何やらごそごそと座り直したりする度に前にいる自分へしがみ付いたりするので、戦闘前だというのに何故か落ち着かない気分になってくる。
「アリアン殿、あまり動くと振り落とされるやも知れんぞ?」
そう言って後ろに視線を向ければ、雪色の眉を八の字にしたアリアンが情けない声を上げる。
「アークぅ、ちょっと休憩しない? もうお尻が限界なんだけど……」
疾駆騎竜が駆ける振動で、アリアンの両胸がうきうきと弾んで見えるが、本人はもうすぐドロップアウトしそうな雰囲気だ。
実際に此方の視線の行方も気付かず、うんうんと唸っている。
しかしここで自分達だけ休憩すれば、平原の真ん中で置き去りにされて、皆が何処へ向かったか分からなくなってしまう。
かと言ってここで「小休止しましょう」と言える様な雰囲気でもない。
周囲を見れば皆、同胞を襲った巨人を討たんと気炎を吐いており、元より乗騎で長距離を駆ける事に慣れているのか、アリアンの様に戦う前から打ちのめされそうになっている戦士の姿はない。
前に座るチヨメの方はと言えば、彼女もアリアンと同様に、あまり乗騎に乗る事に慣れ親しんでいるような様子は見せていないが、体重が軽いせいもあってか平気そうな顔をしている。
そんな彼女らの様子に気を取られていると、頭の上のポンタの綿毛尻尾が激しく振られた。
「きゅん! きゅん!」
兜をたしたしと叩くポンタの何かを訴えるような鳴き声に、視線を前に戻す。
すると少し小高くなった丘の上に、虎人族の集落が見えてきていた。
そして同時に集落の中から、巨大な人影がゆっくりと姿を現した。
手には事切れた虎人族だったと思われるモノを握り締め、胸部に開いた大口で丸齧りしている様はまさに化け物だ。
「野郎っ!!」
その姿を見た虎人族の戦士達から息を飲む様な、それでいて憎悪するような殺気が立ち昇る。
だが此方が巨人を認識したと同時に、奴らも地鳴りを轟かせて迫る此方に気付く。
『ヴぁわでぃあ!! がうっがっぁァアヴぁあ!!』
黒巨人の一匹がいやに聞き取りづらい言葉のような、それでいて獣が上げる咆哮のような声を口から吐き出して、自らの武器らしき巨大な石榑で出来た槌を握り締め、此方へと向かって走り出した。
それを切っ掛けにして集落で屯していた他の黒巨人達も武器を手に迫ってきた。
しかしその数は最初の一匹を入れて全部で五匹だ。集落にはまだ五匹程残っているようだが、何かを探すような仕草をしている。
ただ負傷しながらもエナ一族に報告に来たあの若者の言葉にあった、三十匹の巨人の姿が無い。
それに気付いている戦闘を走る族長集団は、しきりに周囲に視線を配って残りの巨人を探そうとしている。
だが、遮る物があまり無いこの平原の真ん中では、あれ程の巨体が二十体も隠れられるような場所はそうそう無いだろう。
今回の巨人討伐隊の首領役であろうホウ族長もそう理解したのか、眼前に迫る巨人に対応する事にしたらしい。
構えていた武器を天へと振り上げ、前方から向かって来る巨人へと向けて指し示す。
するとそれを合図に周囲から戦士達の雄叫びが上がり、それぞれの得物を天へと掲げる。
「うぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおぉぉ!!!」
疾駆騎竜が駆ける地鳴りのような音に虎人族の雄叫びが合わさり、さながら蛮族の襲来のようだ。
そして駆け抜け様に、虎人族は次々と己の武器を黒巨人の足へと振り抜いていく。
鈍い衝突音と武器が砕けるような破砕音、そして黒巨人達が振り下ろす純粋な力と質量が合わさったそれは、地面を砕き、穿ち、特大の破壊音を轟かせる。
巨人と戦士達の攻撃が交差し、吹き飛ばされ傷を負う戦士。しかし、なかには巨人に対して会心の一撃を叩き込めた者もおり、そんな一撃を貰った黒巨人の一匹が足を押さえて背中から倒れ込む姿なども確認出来た。
そして転がった黒巨人には、虎人族の戦士が止めを刺さんとその個体に群がり武器を振るう。
こちらを迎撃に出た五匹の黒巨人なら彼らだけでも十分対処可能だろう。
残った集落側に留まっている五匹は乱戦になる前に此方で魔法を使って早々に決着を付ける。
魔法の準備に入る為に疾駆騎竜の手綱を引いて足を止めると、後ろでアリアンは安堵した様に一息吐いて鞍から転がり落ちるようにして地面へと下りた。
アリアンはようやく鞍の上から解放されて、やや顔を顰めながら自らのお尻を揉み解し始める。
どうやら尻の痛みは相当だったようだ。
チヨメに手綱を渡して乗騎から降りると、少し開けた場所を探して辺りに視線を配る。
今回使う魔法は、以前ヒュドラ戦でも使った事のある召喚魔法だ。
辺り一面を攻撃する魔法は幾つかあるが、それを集落の中に向けて撃てば、まだ息を潜めて隠れている者がいれば一緒に吹き飛ばしてしまう。
しかし召喚獣も戦闘中は自動で敵を迎撃するので、建物を吹き飛ばさないという訳でもない事は、以前のライブニッツァ領での騒動で学んでいる。
そうなると直接敵を攻撃する型の召喚獣は何が起こるか分からない、なれば補助的な手段を得意とする召喚獣で集落から釣り出せば対処出来る──筈だ。
「アリアン殿、先に集落に残っている巨人を片付ける故、暫しそこで待たれよ」
「えっ!?」
そう告げて少し開けた場所へと向かい、そこで召喚魔法を発動させるべく構えをとった。
前方の地面に巨大な魔法陣が描き出され周囲に光が満ちていく様を見つめながら、今回の戦況に対応出来る召喚獣の心当たりを探る。
ゲーム時に使っていた召喚獣はだいたい決まっており、取得したものの使っていなかった召喚獣は記憶自体が曖昧で何を呼び出すべきか言葉に詰まって首を傾げた。
「……むぅ、喉元まで出かかっているのだが……」
確か弱体化系のスキル構成の下級召喚獣がいた筈なのだが。
そうやって暫く魔法陣が起動したままで、記憶の引き出しをひっくり返す。しかし脳裏に浮かんでくるのは上級以上のものばかりで、本格的に思考が迷走をし始めていた。
そんな此方の様子を見て、アリアンが様子を窺うように声を掛けくる。
「ちょっと、アーク。その魔法ってまさか、前みたいに大暴れする巨人のじゃないでしょうね?」
どうやら彼女は以前の時のような教会の大崩壊を思い出して、虎人族の集落を吹き飛ばすのではないかと心配しているのだろう。
しかし自分が少々都合の悪い事を忘れ易い性質だからと言って、あれを忘れる訳はない。
ただ、今ここで魔法の種別で頭を悩ませているより、一匹一匹を近接して排除した方が確実なのかも知れないな。
そんな事をアリアンの思案顔を見返して結論を導いていると、彼女の後方より突如一つの影が飛び出し、驚くべき速度で殺気を放ちながら此方へと迫って来た。
その殺気にはアリアンも気付いたのか、瞬時に後ろを振り返ろうとするが、迫る影の速度の方が圧倒的に速く、そして影の袖からギラリと光る刃が覗いて思わず彼女を突き飛ばす。
次の瞬間、影が繰り出した攻撃を受け止める間も無く、相手の武器の切っ先が正確に鎧の喉元の隙間を縫って頭蓋骨の内部へと侵入を許した。虚を突かれ、攻撃された事に因ってか地面に展開されていた召喚陣も消えてしまっている。
そしていつもは戦闘になる際に首元に巻き付いているポンタは、まだ敵との距離も離れていた事もあってか、兜の上で様子を見ていた事が幸いして、その影の凶刃を逃れていた。
あまりに瞬時の攻撃に、ポンタが驚いた拍子にその場で大きなつむじ風を巻き起こして、自分の頭上から飛び上がるように舞い上がる。
その一瞬で巻き起こった風に煽られて、影の──刺客が全身に纏っていた黒の外套のフードを捲り上げてその奥にある顔が露わになった。
「ぬんっ!!」
「!!」
そしてその隙を付いて、剣の切っ先を突き込んでいた相手に渾身の力を込めて拳を振り下ろそうとするが、相手の方が此方が動いた事を察知して逸早くその場から飛び退った。
「アーク!!」
自分に突き飛ばされて驚き振り返ったアリアンは、何者かの凶刃に顔を抉られている此方の姿を見て悲鳴のような声を上げていた。
だがそれに軽く手を上げて応える事で自分が無事である事を伝える。
そんな自分の仕草に呆気にとられて双眸を見開くアリアンだったが、此方の鎧の中身を今頃になって思い出したのか、その薄紫色の頬には僅かに朱が差していた。
我を忘れて名前を叫んだ事が恥ずかしかったのかも知れない。
それにしても先程の攻撃は中身が骸骨の姿でなかったら、確実に致命となる一撃だった。
頭蓋骨の中身が空洞なので、敵も手応えの無さにすぐに気付いたのだろう。
此方が腕に力を込めた瞬間、既に足に力を溜めて逃れる算段を整えていたようだった。
外套に全身を沈めた敵は、そのフード奥から覗く赤い目を光らせ、瞬時に加速すると両袖から二本の剣を覗かせて再び襲い掛かって来た。
「ぬぅ!!」
「アーク!!」
アリアンは此方の状況を見て、即座に立ち上がろうとして足を押さえて顔を顰める。
どうやら突き飛ばす際に少し加減を間違えたのかも知れない。それに彼女は長時間鞍からの攻撃で尻にダメージが溜まって少し腰が引けていた。
そう考えれば彼女が動けなくなったのは、むしろ好都合だったかも知れない。この相手に、いつもの体調で挑めなければ、アリアンにも危険が及ぶ可能性が高い。
それ程の手練れである事は、素人の自分でも十分に分かる。
そしてそんな相手に、自分は今、素手で相対しているのだ。
いつもの剣と盾は疾駆騎竜に荷物として運ばせており、魔法を発動する際には手ぶらで降りた事が仇となった。
虎人族達が戦闘を行っている場所から少し離れているからと言って、かなり迂闊だった事は否定しようがない。
鋭い金属音が辺りに木霊し、相手の切っ先が此方の全身鎧の籠手に当たるのを目撃する。相手の動きが素早く、此方の大振りの攻撃は掠りもしない。
だが相手も此方が全身鎧であり、中身の構造がどうなっているのか判断出来ずにいるからか、先程のように深く入り込んで攻撃してこない為に、決定打に欠いていた。
それを見て、今度は此方から攻撃を仕掛ける。
全身の力を込めて速度と質量を乗せて正面から拳を突き込む。するとまるで空気が振動するような音が鳴って、此方の拳を紙一重で躱そうとした敵が風圧に煽られて態勢が崩れた。
その瞬時の隙を突いて相手に決定打を放とうと拳を突きだすと、その瞬間、相手が空中を蹴って崩れた態勢を立て直し、さらに振り被って隙の出来た此方の背中へと回り込んでいた。
まさかここで麦わら一味のコックと戦うとは思っていなかった。
完全に虚を突かれ、相手の二つの切っ先が両側からまるで鋏のように添えられる。
さすがに中身が骨で殆どが空洞といっても、首の骨を絶たれたらどうなるのだろうか。ここまで来たら後はもう相手の攻撃力か、中身の骨の防御力のどちらが上回るかの勝負だ。
とそう思った瞬間、相手が切っ先を翻し、また空中を蹴って此方の背後から逃れようとして鋭い金属が間近で響くのを感じた。
「ご無事ですか! アーク殿!」
それは此方に駆けつけていたチヨメだった。
「うむ、助かった、チヨメ殿。感謝する」
骸骨の身体では冷汗は出ないが大きく息を吐き出しながら、きちんと首が繋がっているかを確認するように首筋を撫でて溜め息を漏らす。
そして此方との間合いをとった敵は静かに切っ先を下げてその場に佇む。
黒い外套のフードが大きく裂けて風に靡いているのは、チヨメの攻撃が掠めたからだろう。
敵は視界を塞ぐそのフードを乱暴に引き千切ると、その素顔をこちらに晒した。
黒い髪色に頭頂部に生えた尖った獣耳、やや青白い肌に赤く光るような目が特徴的な姿──それは紛れもなく男の獣人族の姿だ。
尻尾などが外套の下に収まっているので、詳しい事は分からないが、耳の形を見るに、チヨメと同じ猫人族の様に見える。
そしてそんな彼の姿が露わになって、隣で絶句したように、そして普段からあまり感情を表に出さないチヨメが声を掠らせていた。
「……サ、スケ……兄さん……っ!?」
その震えるような声と、目一杯に見開いた彼女の目が全てを物語っているようだ。
彼女が口にしたその名、それは彼女の兄弟子であり、そして刃心一族を率いる六忍の名。
彼が六忍の一人であるサスケであるならば、何故この大陸にいて、何故この場所に居るのか。そして何故自分達を狙うのかが全くの不明だ。
だがチヨメが驚愕の表情で呼ぶ名の持ち主──それが今目の前で対峙している敵の名である事は疑いようがなく、そして偽物という訳ではないだろう。
「……サスケ! いったいどういう事ですか!? それに、……それにその姿はっ!?」
チヨメの動揺したような声に、相手のサスケが赤い目を細めて二つの剣を構えた。
サスケにはチヨメの声が届いていないのか、その動きにはまるで躊躇いがない。
しかしこの場でのサスケとの戦闘は叶う事がなかった。
『ふぁふぁおチふぁ!! ちあぁおぁああっぁあぁ!!!』
突如として集落内を彷徨っていた五匹の黒巨人が一斉に咆哮を上げるように叫ぶと、手に手に大振りの石器を構えて此方へと目掛けて走り込んで来ていた。
その手前で五匹の始末に追われていた虎人族の戦士達は、突如として集落内から飛び出して来た黒巨人達に追い立てられるように散るが、巨人達は彼らを全く意に介してしないようだった。
そしてそんな巨人達の奇行を見た、サスケが此方を一瞥だけすると、その身を翻して文字通り、まるで空中を駆けるかのようにして走り去って行く。
それを見たチヨメも、慌ててサスケの後を追うように走り出した。
「ま、待って!! サスケ兄さん!! どういう事ですかっ!?」
しかしサスケの足はチヨメの駆ける速度より格段に速く、みるみるうちに引き離されていく。
そして彼女自身の動揺が足にでたのか、駆けていた足をもつれさせてその場で派手に転ぶ。
「っ!」
そんなチヨメを助け起こそうと、彼女の元へアリアンが駆け寄って行く。
顔面を蒼白にしたチヨメを心配そうに覗き込みながら、アリアンが何かを語ろうと口を開く。
「……チヨメちゃん、あのサスケって人──」
「!!」
しかし、その彼女の言葉の先を言わせまいとするかの様に、チヨメは激しく首を横に振ってその言葉を遮った。
その二人の表情はかなり深刻な色を湛えており、只事でない事だけは確かだ。
そんな彼女達に視線を向けていると、不意に周囲の気配が揺れたような感じを受けて視線を戦場になっていた場所へと移す。
すると今迄此方に向かって来ていた黒巨人達が遠ざかって行く姿が目に入った。
そしてその黒巨人達が雄叫びを上げる様にして消えた方角は、あのサスケが走り去った方角でもあった。普通ならば逃げ去るサスケという獲物を、追って行ったと考える状況だ。
しかし周りには未だ沢山の虎人族の者達がおり、さらには此方へと迫っていたにも拘わらず、急激な方向転換をして、わざわざサスケを追って行った──。
集落内に居た五匹は元から何かを探す風な仕草をとっていた事からも、もしかしたら初めからあのサスケを探していたのかも知れない。
「……いったい何が起こっているのだ?」
自分のその疑問の声は、集落外で黒巨人達と対峙していた虎人族の喧騒に掻き消された。
多くの鬨の声が上がったそちらを見ると、どうやら残っていた巨人が討たれたようだ。
誤字、脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。