境界都市フェルナンデス2
しかしどうやらこの街の街壁は全周を覆っている訳ではないようだ。
ちらりと後方へと視線を向けると、遠くに見える街壁が途中で途切れて無くなっている場所がある。向かっている先が南という事は、方角からいって北よりの西といった感じか。
フェルナンデスは川の傍に築かれた街だと聞いているので、恐らくあの街壁の無い方角には川が隣接しているのだろう。
分かり易い目印があるおかげで、これでおおよその方角に見当がつけられる。
やがて雑多に行き交う人々を躱し、時折見掛ける露店や屋台の品を冷やかしながら進んでいると、少し先に見える街壁に開けられた大きな門が見えてきた。
方角からして街の南門なのだろう。
その傍には幾つかの木製の柵で囲われた草地が広がっており、中には街で見掛けた大型の二足歩行鷲や、荷車を牽いていた大型山羊などの姿があった。
近くには恐らく厩舎であろう建物も幾つか見て取れる。
「街壁傍の厩舎って幾つかあるみたいね……」
「アーク殿、あそこではないでしょうか?」
「きゅん!」
腰に手を当てながら、周辺の景色に視線を巡らせていたアリアンが独り言を呟くのを聞き流していると、チヨメが一つの小さな囲いの中にいる一匹の生物を指し示した。
それに反応するように、チヨメの腕の中のポンタも興味深そうな視線をその先に向ける。
彼女が指摘したその放牧場だと思われる一角には、鷲でも山羊でもない動物が一匹だけ、他の乗騎から隔離された様な形で草地の中央に鎮座していた。
見た目からで言えばそれは巨大な爬虫類のようだ。
もっと言えばその形は小さい頃に飽きる程眺めた事のある恐竜図鑑に掲載されていた、あの有名なトリケラトプスに近い姿をしている。
体長は尻尾まで含めると四メートル以上、今は伏せているが体高もかなりありそうだ。
全身を赤茶けた鎧の様な鱗に覆われ、頭には二本の大きく突き出た角が生えている。しかし普通の恐竜と違って、やや幅広の背中の中央を白い鬣のような毛並みが尻尾の先まで靡いていた。
そして決定的に図鑑で目にした恐竜との違いは、その足が六本もある事だろう。
かなり厳めしい姿とは異なり、その恐竜のような生物は手近に生えた足元の雑草を引き抜いて、のんびりとした動作でむしゃむしゃと口を動かしていた。
「あれも乗騎なのだろうか?」
そう疑問を口にしながら、その恐竜が隔離されている柵へと近づいて行く。
ファブナッハの街中でも今迄見掛けた事の無い乗騎となれば、この変わった恐竜の様な生物が噂の虎人族が操るという乗騎だろうか?
そんな事を思案していると、一人の兎人族の初老の男が声を掛けてきた。
「おや、お客様。乗騎が御入り用ですかい? 失礼ですが、首都の近衛兵様でしょうか?」
身長の低いその初老の男は、此方の全身鎧を物珍し気な視線で見上げると、柔らかい物腰で丁寧に腰を折った。
「……我は北の大陸から来た、カナダの里の者だ。少し見させて貰っていた」
自分のその自己紹介に、アリアンが少し目を見開いたようにして此方を見る。
「そうですか、フェルナンデスにエルフ族の方がみえるのは珍しい。乗騎が入り用でしたら、足の速い白頭騎鷲が何頭かおりますが如何ですか?」
そう言って兎人族の男は、隣の柵に放牧されていた二足歩行の鷲の乗騎を示して、此方の反応を窺うように笑みを浮かべた。
どうやらこの放牧場を所有する乗騎売りの商人らしい。
自分はその兎人族の商人の言葉を手で制して、ここへと来た目的である虎人族について尋ねた。
「少し小耳に挟んだのだが、ここらで虎人族の乗騎を拾ったという乗騎売りを探しているのだが、其方に心当たりはないか?」
「……はぁ、それなら存じ上げておりますが、その者に何か?」
此方の話を聞いてやや訝しむような視線を向けてくる商人に対し、怪しむ事はないとばかりに肩を竦めて見せて此方の事情を語る。
「なに、個人的な話なのだが、虎人族が持ち込むという悪魔の爪を少し譲って欲しくてな。他の商人に聞いた話では乗騎を拾ったという件の商人が虎人族の事情に明るいと聞いて、こうして訪ねて来たのだ」
その此方の話を聞いて、商人は納得したような笑顔で頷く。
「あぁ、あれですか。確かに、あれは獣への目潰しとしてはかなり効果が高いと聞きますしね、成程。実はそちらに居る乗騎──疾駆騎竜を拾ったのは私なんですがね……」
そう言って商人は自分の傍の囲いの中で寛ぐ、六本足の屈強な恐竜型の生物へと視線を向けて大きな溜め息を吐いた。
どうやらチヨメが見つけたこの生物が虎人族の操る乗騎で間違い無いようだ。
そうして対面する初老の兎人族の男を見る。
すると此方の意図を察してか、その兎人族の商人は額に刻まれた皺を深くして苦笑して見せた。
「虎人族にとってこの疾駆騎竜は一人前となった証でして、そして何より彼ら騎竜民族にとっては相棒でもあってですね、はぐれた乗騎を保護すればそれなりに見返りが期待出来ると思って拾って帰ったのですが、肝心の虎人族の姿を街で見掛ける事が無くなりまして……」
そこで一旦言葉を切ると、商人の男は柵の近くへと寄ってのんびりと草を食む疾駆騎竜を見上げるようにして、また大きく溜め息を吐く。
「ご覧の通り、疾駆騎竜は草を好んで食べはしますが、その量はかなり多く、ここへ留め置くにも何かと手間と食費が掛かるのですよ。かと言って、一度保護したものを再び野に放って、その事が後で虎人族に知れれば長年築いてきたうちとの信頼関係も崩れますし……」
そう言って悲哀に満ちた瞳で初老の男が此方をちらりと仰ぎ見る。
何やらすごく困っている風な猛烈なアピールをされている気はするが、兎耳の爺さんにそんな視線を注がれても反応に困るだけだ。
しかしこの商人が言うように、街で虎人族を全く見掛けないとなると、彼らが縄張りとしているクワナ平原まで足を運ぶ必要が出てくる。
「う~む、虎人族が暮らすクワナ平原までは、この街から何日程の距離なのだ?」
老商人の熱視線をやり過ごしながら、自分は虎人族が暮らすという平原までの距離を尋ねると、老商人の瞳の奥がギラリと光ったような気がした。
「この街傍のドジャス川を越えてシンガリーカ平原を乗騎で十日、キンレイ山脈から流れるシーラ川を越えた先からがクワナ平原になりますな。しかしさすがに広大な平原を乗騎なしで移動するのは無謀というもの、うちでは持久力のある黒頭山羊などもご用意出来ますが、如何ですか?」
そう言って老商人は奥の柵内で群れている、あの大型の山羊を示して笑みを浮かべた。
しかし今迄の自分達にとって移動はもっぱら転移魔法で移動してきたので、乗騎などはそれ程必要不可欠なものではない。
確かにこういった馬ではない動物に荷物を装備して跨り、外を駆け回るのはファンタジーな冒険感を満喫出来るだろうが──。
そう思って、チヨメの腕の中で後ろ足をぷらぷらとさせて抱かれているポンタに目をやる。
「きゅん?」
小首を傾げ此方の視線を問うようなポンタから視線を外し、柵内にいる乗騎となる動物達に視線を戻す。
「お客様、言っておきますが平原を徒歩で移動するのは無謀ですよ? 見晴らしのいい平原は、そこに生息する肉食系の魔獣などからも見つかり易いですから、逃げるには乗騎がいりますし、何より一番役に立つのが夜です。彼らはもともと平原に生きる動物達です、夜襲してくる魔獣には敏感ですから、夜番の供にも最適ですよ」
確かに昼間の平原ならば何ら問題にはならないだろうが、外灯もない夜の平原など転移魔法を使えるとは思えないし、夜の見張りとなるとアリアン、チヨメならばともかく、自分が暗闇に乗じて忍び寄る魔獣の気配を感じ取れるかは甚だ疑問だ。
そうして考えを巡らせていると、老商人がここが攻め時と見たのか、さらに畳みかけてきた。
「もしお客様がクワナ平原へと赴かれるのならば、この疾駆騎竜も一緒に連れて行っては如何です? 御覧の通り、ちょっとやそっとの魔獣の牙など歯牙にもかけませんし、虎人族と会って交渉する場合には、失った疾駆騎竜の返還に応じれば優位に事が進める事が出来ますよ?」
そう言って老商人は静かな笑みを口元に浮かべる。
どうやら厄介払いをこちらに押し付けて、その上で恩を売ろうという気なのだろう。まぁ商人としては何も間違ってはいないし、これくらいの押しがある方が普通だろう。
何処かの気弱そうな笑みを浮かべる人族の青年商人の顔を思い浮かべて頭を振った。
「今なら疾駆騎竜をお引き取り頂けたなら、他の乗騎をお安くさせて頂きますよ」
なにやら揉み手するような仕草で笑う老商人に、自分はやや首を傾げた。
「いや、もしこの疾駆騎竜を引き取るなら、他の乗騎を買う必要はないのではないのか? 三人くらいなら楽に乗れそうだが」
そう尋ねると、隣で話を聞いていたアリアンも此方に同意するように頷いた。
すると老商人は手を勢いよく左右に振ってその考えを否定するような仕草をとる。
「いやいや、確かに乗れますが、そうではなく──失礼ですがこの疾駆騎竜という乗騎は自らが認めた者にしか跨って手綱を取る事を許しません。なので虎人族以外の者が疾駆騎竜を扱う場合、牽いて連れるくらいしか方法がないのですよ……」
老商人は額に手を当てて溜め息を吐く。
「では此奴に虎人族は普段どうやって自らを主と認めさせておるのだ?」
その自分の質問に、チヨメも興味があるのか答えを問うように老商人の方へと視線を向けた。
「……え、いや、認めさせる行為自体は割と単純なんですが……。その、虎人族は疾駆騎竜と力比べで主を認めさせるのですよ」
その答えを聞いて、目の前の柵内でのんびりと草を食んでいる巨体の爬虫類を見やる。
商人が嘆くのは頷ける話だ。この重量級の爬虫類と純粋な力比べをして、相手に認めさせるとなると、並みの者では到底無理だろう。
それが可能な者と言えば、自分の中で思い当たる者は数人──チヨメと同じ六忍に一人と、隠れ里の中で幾人か見掛けた熊人族などだろうか。
「では一つ、ここは我も力比べとやらを試してみるかな」
肩に担いでいた荷物を地面へと下し、腕を回しながら柵へと近づく。
するとその様子を見ていた老商人は此方を唖然として見た後、何かに気付いたように慌てて傍へと駆け寄って制止するようにする。
「いやいや、無茶ですよ! 今は大人しくしてますが、力試しとなると普通の者など一息で吹き飛ばされますぞ!? あの剛力無双の虎人族の者でさえ力負けする事もあるのですよ!」
その老商人の大声に周囲を通りかかった幾人かが興味深そうに此方に視線を向けて来る。
柵に手を掛けて、全身鎧の姿のままひらりとその柵を飛び越えて、草地の上に座る疾駆騎竜の傍へと足を進めて行く。
自らの縄張りとしている放牧地に他者が入り込んだ事に警戒したのか、疾駆騎竜は黄色の瞳の瞳孔を細めて此方に視線を固定した。
「おいおい、どっかの馬鹿が疾駆騎竜に力比べで挑むらしいぞっ!」
一人の野次馬が声を上げると、それを聞きつけた他の者達が興味を持って続々と近づいて来る。
「なんだあの鎧男が挑むのか? おい、そこの鎧の兄ちゃん、鎧の重さぐらいじゃ疾駆騎竜を押さえ込めやしねぇぜぇ?」
「虎人族じゃないのか、あの鎧男?」
周囲からは良い見世物だとばかりに、野次やら囃し立てるような声がそこかしこで上がる。
それらを聞き流しながら、自分は疾駆騎竜の正面に立って相手の目を見た。
疾駆騎竜のギラリと光る黄色の瞳孔が正面に立つ自分へと注がれる。
折っていた足を伸ばし、赤茶けた鎧を纏った様な巨体がのそりと立ち上ると、その体高は此方の身長程もあった。
そうして白い鬣を風に靡かせ前脚を掻きながら、象牙のような二本の白い角を狙いを定めるように此方へと突き付けてくる。
それを見やりながら挑発するように拳を二度、手の平に打ち付けて見せた。
「我の全力を以て相手をしてやろう」
『ギュリィィィィイィ!!』
そう言って構えた瞬間──疾駆騎竜がその巨体に似合わないような高い咆哮を上げ、此方を押し潰すが如く突進して来る。
鈍い重量級の衝撃音が響き、周囲の野次馬から火の着いたような歓声が沸く。
二本の角を取り、脇の下に鼻先を抱きかかえてがっつりと組み合った形で疾駆騎竜の突進を止めて見せると、一層の歓声が沸いて次にどちらが勝つか、あちらこちらで賭けが始まる。
そんな外野の声を聞き流しながら、ジリジリとその巨体で此方の身体を押し切ろうとする疾駆騎竜に笑いかけた。
「ぬぅぅ、流石に力自慢の乗騎なだけはある……この我の力に真正面から対抗しうるとは」
それは自分の紛れもない本音だ。
天騎士はその職業の特性上、魔法剣士に分類される。純粋な戦士系には及ばないものの、最大レベルまで上げた力は常人のそれを遥かに上回る膂力を持ち合わせていた。
しかしこちらの世界の生物の中には、そんな力に真っ向から対抗できるような者が普通に存在するのだ。改めて力押し一辺倒の戦いが如何に危険か、思い知らされた心境だ。
しかし、だからと言ってここで負ける訳にもいかない。
ずるずると自分の二本の足の裏が草地に溝を掘る感触を覚えながら、相手の靡く白い鬣に額を擦りつけるように腰を落として重心を下げた。
『ギュリイギュリィィィイィィィ!!』
此方の拘束を解こうと、疾駆騎竜が左右に首を振ろうとするのを両腕で抱え込みながら押さえて、僅かに体重をその流れにのせる。
「ぬぅぅうぅぅっぅううんんっ!!!」
そうして気合いを入れて、相手の首振りに合わせて全力を込めて体重が片寄った瞬間を狙う。
疾駆騎竜の片側の足が浮き、周囲から悲鳴のような動揺するような声が上がる。
そこに止めとばかりに疾駆騎竜の首を抱えたまま捻ると、鎧の鱗に覆われた巨体が派手な土煙を上げて横倒しとなった。
「うおぉぉぉ、マジか!? 虎人族の奴でも横倒しまで持ち込める奴は少ねぇってのに!?」
「信じられねぇな、本当に勝っちまいやがった!!」
あまり柄の宜しくない、何処か傭兵家業のような男達がそんな歓声を上げる中、柵の外ではアリアンが何やら呆れたような顔で肩を竦めていた。
そこへ再びのそりと立ち上がった疾駆騎竜の動作に、周囲で湧いていた歓声が止む。
『ギュリィィ』
やや憮然とした様な雰囲気はあるものの、疾駆騎竜は此方の前で静かに膝を折って首を垂れた。
どうやら無事に乗り手として認めて貰えたようだ。
鎧の様な鱗を持つ体躯とは違い、頭頂部から尻尾の先まで生えた風に靡く柔らかそうなその白い鬣をそっと撫でてやる。
疾駆騎竜はその爬虫類独特の瞳孔をやや細めて、ぐるぐると喉を鳴らしていた。
ゆっくりと背中の方へと回り、軽く跳躍して疾駆騎竜の背に跨る。
『ギュリィイィィ!』
それを合図に、疾駆騎竜が自分を乗せたままゆっくりと立ち上がった。
流石にこれ程の高さのある背に跨ると、視線の位置が随分と高くなる。
ふと柵の近くにいる人垣に視線を落とすと、先程まで制止しようとしていた老商人が口を開けたまま此方を仰ぎ見ている姿が目に留まった。
疾駆騎竜の背に跨ったまま少し踵で合図を送ると、此方の意図を察したのか六本の足をゆっくりと動かし老商人の傍へと寄る。
「商人殿、とりあえず此奴を引き取る故、鞍など都合して貰えないだろうか?」
そう言って上から笑いかけると、老商人は精一杯の笑みを張り付けて頷いて返した。
とりあえずこれで虎人族の住まうクワナ平原までの道案内を確保した、と思っていいだろう。
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