ランドフリアの里1
翌日の早朝、一旦チヨメを隠れ里にまで迎えに行ってからララトイアへと戻り、今日はいよいよ南の大陸への交易船が出ているエルフの里ランドフリアへと向かう事となった。
前日の内に旅支度を済ませており、その背には各自が旅に必要と判断した物を一纏めにした背嚢を背負っていた。
と言っても皆それ程かさばる物を持っている訳ではなく、カナダ大森林の中を魔獣討伐の為に何日も野営して過ごすエルフの戦士であるアリアンも、北の大陸内を縦横無尽に活動する事に慣れた忍者のチヨメにとっても旅支度は慣れたものだったようだ。
「準備出来た?」
「うむ」「はい」
「きゅん!」
アリアンの確認の声に自分とチヨメが頷き返して答えると、足元で尻尾を揺らして今か今かと待機していたポンタも返事をするように鳴いた。
「それじゃ里の転移陣の祠からランドフリアまで飛ぶから付いて来て」
そう言ってアリアンは里の中央に聳える一本の大樹を示して歩き出す。
そんな彼女の後ろをチヨメも黙って付いて行く。その二人の後ろ姿を眺めながら、これから向かう先を思い出して先頭を行くアリアンに声を掛けた。
「アリアン殿、こんな事を言うのも今更なのだが、チヨメ殿をエルフ族のその祠とやらに案内しても大丈夫なのであろうか?」
アリアンが先程示して見せた里の中央に立つ大樹には、エルフ族が対外──主に人族に対して秘している転移陣の祠が収まっている。
そこに山野の民であるチヨメを連れて行く事は、それはそのままエルフ族の秘密をばらす事だ。
しかしまだ仮とは言え、エルフ族の一員として迎え入れられた自分が単身で転移魔法を操る事が出来るという事を彼女に知られている時点で今更な話でもあった。
するとアリアンはそのほっそりとした顎に指をやってから小首を傾げる。
「ん~、その辺はもう既に許可が下りてるって聞いたわ。それに、これから行く先のファブナッハ大王国にも転移陣の祠はあるのよ。あたしもまだ実際に見た事はないんだけど……」
そんな彼女の言葉に驚きの声を上げたのは自分だけではなく、普段はあまり大きな感情を表に出さないチヨメも同様だった。
「転移陣の祠、というのはアーク殿のあの瞬時に空間を渡る術ですよね? あれがエルフの里にも、これから向かうボクらの同胞達が築き上げたという国にもあるのですか?」
チヨメのその疑問には自分も同様だったので、その答えを求めてアリアンへと視線を向ける。
この北大陸にある人族の国家には、”転移陣の祠”のような物流に革命を起こすような施設は存在せず、それどころか人族に対してはその存在を秘していた為、エルフ族の中だけの機密だと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。
「もともと転移陣の祠は初代エヴァンジェリン様が考案して造り出された物で、当時建国されたばかりのファブナッハの初代王と交流を持った際に、エヴァンジェリン様があちらに渡って幾つか建造された物があるって話よ」
カナダ大森林のエルフ族とは建国当初からの関係という事か。
「ん? しかしこれから南の大陸に向かうのに船に乗る手筈であったが、大陸間を繋ぐような転移陣の祠はないのであるか?」
そんな彼女の話を聞いていて、ふと疑問に思った事を口にすると、心底呆れたような視線を此方に返して寄越した。
「初代からの親交と交易があるって言っても、あくまで他国なのよ。人員を瞬時に行き来させられる祠でそれらを繋ぐような事はさすがにしないでしょ」
「おぉ、そうであるな」
その彼女の尤もな指摘に、後ろ頭を掻いて笑って誤魔化した。
カナダとファブナッハは親交はあってもあくまで他国、瞬時に双方を行き来できるような施設があるならば相手の喉元に軍事力を送る事も可能という事になる。
しかも転移陣の祠はエルフ族の技術によって齎された物となれば、その取扱いについてはファブナッハ側よりはカナダ側に優位性が傾く。
ファブナッハ側がきちんとした”国”としての統治機構を持つならば、それは安全保障的な観点から言ってもあまり歓迎出来ない事態だろう。
他にも色々と事情などはありそうだが、ここではそれらは特に重要事ではない。
チヨメを伴って祠を利用できるという事は、南の大陸へと渡る時期が早くなるという事だ。
「ではランドフリアまでは一っ飛びで行けるわけか。我もエルフ族の使う転移陣の祠なるモノに入るのは初めて故、少々楽しみでもあるな……」
視線の先をこれから向かう祠へと移す。
里の中心に聳える一本の大樹の祠、その裏には里を東西に分断するように朝日を反射させてキラキラと光る小川が流れており、そのせせらぎの中には小鳥たちが囀りながら餌を求めて羽ばたく姿が目に映る。
そんな長閑な光景に樹冠で木陰を作る大樹の根元──祠の周囲には木製の簡易的な囲いが置かれており、それらは祠との境界線の役割をしているのみで特に厳重な施設という風でもない。
構造的には長老の屋敷と同じく、祠という建造物を大樹が飲み込んだような姿をしている。
その祠の入り口にあたる扉の前には、腰に剣を提げた見張りのエルフ族の戦士が二人、祠へと向かう此方に注意を払うように視線を向けていた。
そんな彼らにアリアンは軽く挨拶をして二言、三言、言葉を交わす。
すると既に話は通っているのか、二人の見張りは道をあけるように左右へと寄り、中へと入るように促してくる。
アリアンはそれに軽く会釈をして祠の入り口へと入って行き、その後をチヨメとポンタを乗せた自分とが追い掛けるように続いた。
大樹の祠の中は屋敷程広くはないが、それよりも高い吹き抜けが大樹の中を貫いている。周囲には太い柱がぐるりと取り込んでおり、この吹き抜けの空間を維持するような形になっていた。
中央の少し高くなった円形の舞台のような場所が、祠の中に設置された魔道具である水晶型ランプの明かりに照らし出されて浮かび上がっているように見える。
その円形の舞台の足元には複雑怪奇な魔法陣が描かれており、魔法陣自体も仄かに発光して吹き抜けの空間を照らしていた。
その光景はまさしくファンタジーの名に恥じぬ光景だと言えた。
自分とチヨメが祠の内部に置かれたその転移陣などに目を奪われている隙に、アリアンは近くへと寄って来た一人の小柄なエルフ族の男と何事かの言葉を交わした後、その光る舞台の上の転移陣へと上がって行った。
「アーク、チヨメちゃん行くわよ。早く転移陣の上に乗って」
彼女のその催促に頷いて、自分とチヨメもいそいそとその転移陣の上に足を乗せた。
すると足元の魔法陣から眩い光が溢れて目の前が真っ白に染まり、思わず目を背けたところへ不意に足元に浮遊感を伴って身体が傾ぐ。
今度は一転して眩い光が消えて、辺りの景色が急速に色を取り戻した始めた時には、既に周りの景色に変化があった。
先程まで転移陣の外側に立っていた小柄なエルフ族の男の姿が消え、今は目の前に三人のエルフ族の男女が応対するような形で立っているのが目に映った。
それ以外の室内の様子は然程大きく変化した様子は無く、心持ち転移陣の祠の規模が大きくなっているような雰囲気の変化しか感じられない。
三人の内の二人は祠の前で立っていた見張りのような恰好で武器を提げたまま待機しており、真ん中に立つ女性は武装の類は一切無く、エルフ族特有の民族衣装を纏って柔和な笑顔で此方の三者の顔を窺っていた。
見た目の印象はどこか秘書のような雰囲気を思わせる。
「お待ちしていました、ララトイアからのアリアンさんですね?」
「はい、お世話になります」
その女性の問いにアリアンは首肯して返事をすると、女性は「長老がお待ちなので、ご案内致します」とだけ静かに返して背中を向けて先へと進み始めた。
その背を追うようにアリアンが続き、自分とチヨメも後に続く。
転移陣の置かれた祠から外へと出ると、そこは景色が一変していた。
周辺には幾本もの大樹が聳え立ち、そのどれもが住居となるような建造物としての機能を持ち合わせて立ち並んでいるのが分かる。
それらの木陰が落ちる足元には煉瓦のようなブロックで舗装された道が敷かれており、そこを多くのエルフ族が行き交い、その中にはちらほらとチヨメと同じ山野の民の姿も見受けられた。
その様子を隣に居たチヨメが軽く目を見開いて眺めている。
「なんとも賑やかな里であるな……」
「ここは南のファブナッハとの玄関口だから、カナダ内でも有数の規模の里なのよ」
自分のその独り言に、アリアンが振り返りながら答える。
やがて先頭に立って案内役を務めていた女性が一軒の──いやこの場合は一本のだろうか、大樹の屋敷の立つ敷地への門を潜って入った。
ララトイアの里にあるような大樹と屋敷の融合した建築様式だが、その形は随分と違う。
周囲の背の高い大樹の建造物に比べてその高さはかなり低い。
しかしその屋敷の基礎となる幹の太さは周りのそれらよりも遥かに太くどっしりとした構えで、まるで周囲の大樹をそのまま平たく圧縮して出来たかのようなフラスコ型をしていた。
その屋敷の中へと足を踏み入れると、そこはアリアンの実家であるララトイアの屋敷とは完全に趣を異にしていた。
精巧に組まれたような寄せ木細工のような紋様の床に、精緻な装飾の施された、しかし決して華美ではない柱や壁と天井、そして品良く並べられた調度品の数々などは何処かエルフ族の暮らす屋敷というよりは、人族の領主などが住まう屋敷に似ていた。
恐らくここがこのランドフリアの里を治める長老の屋敷なのだろうが、アリアンも今迄に足を踏み入れた事がないのか、自分やチヨメと同様に珍し気に屋敷の中を眺め回している。
そんな此方の様子を察してか、秘書風の女性が二階へと向かうその足を止める事無く歩きながら解説を加えてくれた。
「ここは南のファブナッハだけでなく、リンブルトとの取引のあるサスカトゥンからの品も入って来ますので、色々と他の里で見ないような品が多いのです」
「ほぉ、なるほど」
その彼女の解説に相槌を打ちながら、改めて周囲を見渡す。
リンブルト大公国はローデン王国の隣国であり、唯一このカナダ大森林のエルフ族達と交易をしている人族の国家だ。
サスカトゥンという名は初めて聞くが、話に拠ればリンブルトとの交易の窓口となっている里の名前なのだろう。転移陣の置かれた大きな里でもあまり此処ほどに人族の品などが入って来ていないところを見るに、それら交易の品々は転移陣以外の手段によって運ばれてきているらしい。
ここが大陸間で交易をする港街であるならば、その手段は自ずと船という答えに行き着くが、そうするとサスカトゥンという里も沿岸に置かれた港町という事になる。
それらの事から推察すると、恐らく転移陣だけではあまり多くの荷物を移動させる事に適していないように思えた。
あれだけ行き来に便利な転移陣を使えば、普通は里間の荷物のやり取りは至極簡単な筈だ。
それこそ他の里でも人族の品などを目にする機会は多くなる筈だが、ここ何日かで里内を歩き回っていたがそういった様子もなかった。
転移に掛かるコストが高いのか、それとも転移陣に於ける制約が厳しいのか。
そんな事に思考を埋没させていると、不意に先を行く女性が「ここで暫くお待ち下さい」と言って自分達を残し、その姿を奥の部屋へと姿を消した。
そこは待合室として使われている部屋なのだろうか、先程の一階とは違い目ぼしい調度品などの類も殆どなく、少し凝った細工で飾られた椅子と丸テーブルが何脚か置かれているだけで、簡素な造りになっている。
自分はその内の一つのテーブルに、背負っていた荷物を下して中から革の水筒を取り出した。
それを見たアリアンが、此方に訝しむような視線を向けてくる。
「ちょっと、なんで今ここで水筒なんて取り出すのよ?」
「いや、さすがに長老と会って話をするには、兜を被ったままとはいくまい」
そう言いながら荷物の中から藁を取り出して、それを水筒の飲み口へと差す。
アリアンはそんな此方の様子を見て、何かを思い出したような顔をして頭を振った。
「忘れてたわ……。そんな事を忘れるなんて、慣れって怖いわね。今回は途中で姿が元に戻ったりはしないでしょうね?」
独り溜め息を吐いて呟くアリアンを眺めながら、自分は水筒の中に入った今朝方に調達してきた温泉水を兜の隙間を通した藁ストローで吸い上げた。
「我を偏見無く受け入れてくれるアリアン殿には感謝しているぞ。それに今回のは今朝汲んできたばかりのものだ、会談中に戻る事はない」
そう言って胸を張ると、アリアンは胡乱気な視線で此方を見やる。
そんな彼女に同調するかのように部屋の隅に気配を絶つようにして立っていたチヨメも、その透き通った蒼い瞳を意味ありげに細めて此方に向けてきていた。
どうもこういった件に関してはあまり信用が高くないらしい。
「きゅん!」
項垂れている此方を元気づけるように、頭の上から下りて肩へと移動して声をかけくるポンタを撫で回して癒されていると、先程の秘書風の女性が奥から顔を覗かせて声を掛けてきた。
「ノラン様がお会いになります、奥の方へどうぞ」
その彼女の案内に促されるようにして奥の部屋と続く扉を潜った。
「わざわざ呼び出してすまないね」
部屋へ入るなり、そう言って声を掛けてきたのは一人のエルフ族の男性であった。
翠がかった長い目の金髪を三つ編みにして両横と後ろに垂らした独特な髪形で、纏っている服もエルフの民族紋様をあしらった服に袖を通している。
その表情は柔らかな笑みを湛えているが、エルフ族の特徴でもある翠色の瞳が収まる目元はどことなくブランベイナであったカーシーに似ていて、彼らが兄弟である事を想起させた。
「里を飛び出してから長年音信不通だった兄の行方が、まさかこんな形で分かるなんて……。世の中は何処でどう繋がるか分からないものだね」
挨拶をした自分達に、この里の長老であろう男性が苦笑気味に零すのを見て、部屋の隅で控えていた先程の秘書風の女性が軽く咳払いをした。
「あぁ、すまない。私がこの里を預かる長老で、ノラン・ヘルド・ランドフリア──君達が人族の街で会ったという魔獣学者カーシーの弟でもある。よろしく」
カーシー・ヘルドの弟だと名乗るランドフリア長老の弟ノランは、部屋の一角に置かれた応接スペースへとこちらを促して、早速とばかりに人族の街で暮らすという兄の話を持ち掛けてきた。
カーシーに会った事のないチヨメは隅で出されたお茶を啜りながら、カーシーとの出会いを話す自分とアリアンの話に耳を澄ませている。
アリアンの話がカーシーの魔獣研究に付き合わされてサンドワーム捕獲に同行する件になると、ノランは呆れたような顔して「兄さんはいつまで経っても変わらないみたいですね」と零しながらも、何処か明るい笑みを浮かべていた。
何処でも繋がる通信機器がないような世界では、離れた者とのやりとりは自分が思っている以上に大変で、別れはそのまま一生の別れにもなりえるのだろう。
こうして行方知れずだった家族の近況を人伝にでも聞く事が出来るというのは、家族にとっても安心出来る嬉しい知らせとなるようだ。
他愛ない彼の兄の近況を一通り聞いた後、ノランは徐に立ち上がって此方に礼を述べた。
「今日はわざわざ足を運んで貰ってすまないね。兄の居場所が分かり、元気にやっている事も分かった。場所が場所だけにあまり連絡のとりようがないけど、これで父や母にもいい報告が出来る」
そう言ってノランは深々と頭を下げて再度礼を言った後、こちらがこの里へと訪れた目的に関しての話に及んだ。
「君達が乗船する予定の交易船だが、荷物の積み込みなどは今日にも終わる筈だから、出航は明日の朝一になる予定だ。今日はこの屋敷に部屋を用意してあるから、ゆっくりすればいいよ」
その彼の言葉に、船に乗る心積もりでいた気持ちに肩透かしを食らった気がして肩を落とした。
「そうか、今日が出航日ではなかったのか……」
そんな自分の独り言に、隣に座っていたアリアンがすかさず指摘を入れてくる。
「出航日に港に来るなんて普通ならしないわよ。いつ予定が変わるか知れないのに……」
「そんなものであるか……」
彼女の指摘に相槌を打ちながらもやや首を捻る。
考えてみれば、元の世界でも定刻通りに交通の便が行き交うというのは非常に難しい事なのだ。 高度に発達した管理されている社会ですらそれなのだから、天気に左右され易いこの世界の帆船などは以ての外という事だ。
こういった社会での旅は普通、前後に何日かの余裕をもって行動する事が常識なのだろう。
今迄転移魔法の移動に頼って快適な旅をして来たので、そういった感覚にまだ追いついていないのかもしれない。
長老の部屋を辞した後、秘書風の女性に案内された部屋で荷物を下して、備え付けられた木製のベッドの傍の窓から外を覗く。
まだ日は高く、屋敷の敷地外には多くの人が行き交っている姿が見える。
ここで明日の出航の時間まで暇を持て余すのも勿体ないなと、剣を置いて荷物からお金の入った革の小袋を取り出した。
部屋の外へと出ると、そこにはもう一つの客室から廊下へと出て来ていたアリアンとチヨメの二人の姿があり、此方と目が合った。
「アークも外へ行くつもり?」
アリアンが此方の様子を見て自分のこれからの目的を言い当てる。
「うむ、まだ日も高い故な。明日乗る船も事前に見ておきたいのと、港近くなら何か珍しい物が見られるかもと思ってな」
「それじゃ、あたし達も同行するわ。一人だと何かと心配だしね……」
自分がアリアンの問いに頷いて返すと、彼女は此方を半眼で見返して同行する事を告げてきた。
彼女のその反応を見ていると、まるで自分が行く先々で問題を起こしているかのような錯覚を覚えるのだから不思議だ。
……不思議だ。
冗談はさておき、ランドフリアの地理に明るくない自分が一人でウロウロとするよりは、アリアン達に同行する事の方が何かと便利なのは確実だ。
自分も彼女のその提案に頷き返し、屋敷の者に言伝を残して港へと向かった。
誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。