旅は道連れ
それから二日。
喫緊でする事も特に無く、自分はひたすら温泉水を飲んで生身の姿へと戻り、戦闘時の感情を制御するという稽古をアリアンに付き合って貰う形で日々を送っていた。
朝、昼とアリアンに稽古をつけて貰った後は、生身の身体で真剣を振って鍛錬をしたり里に馴染む為に畑の手伝いをしたりなどして過ごす。
テレビもゲームもネットもない中で日々の時間を過ごすというのは、存外に一日が長く感じられて有意義な一日を送れていたと思う。
いや、裏を返せば何かをしていないと一日の時間が長くて退屈だったとも言えるが。
そうしてその日の夕刻、アリアンの実家である屋敷の風呂から上がり、夕食を二階にある食堂で摂る段になって、ようやくグレニスから例の件の許可が下りたという知らせを聞いたのだ。
「先方のランドフリアの里から連絡があって、許可が下りたわよ」
その一報を聞いて自分は勢いよく立ち上がって、グレニスへと迫った。
「おおぉ、それは誠か!? それで、交易船の出航はいつ頃になりそうであるか?」
「ちょっと落ち着いて。それに条件もあるから、今すぐにって話にもいかないわ」
グレニスがそんな此方の勢いを制するべく、手で遮る仕草をして此方に視線を向ける。
「条件、とは?」
南の大陸にある獣人達の王国、そことエルフ族との間で使う交易船に同乗するのだから、それなりの条件や対価があって然るべきかと思い直し、少し腰を落ち着けてその条件を彼女に尋ねた。
「向こうの長老に話を通したら、二人に会って話を聞きたいって」
そのグレニスの返答に、最初に反応したのはアリアンだった。
「え、あたしも?」
怪訝そうな面持ちで問い掛ける彼女に、グレニスは頷きながら続けた。
「そ、二人から直接兄と会った際の話を聞きたいんだって」
そのグレニスの言葉に、自分とアリアンは互いに顔を見合わせて首を傾げた。
彼女の話をそのまま理解するのなら、自分とアリアンの二人はランドフリアの長老の兄と面識がある──という事なのだろうが、生憎と先程目を合わせたアリアンも心当たりがないのか不思議そうな顔をして此方を見つめ返していた。
アリアンのこの反応を見るに、これまで自分がララトイアの里で言葉を交わしたエルフ族の中には目的の人物がいない事になる。
「我はランドフリアの長老のみならず、その兄という者にも心当たりがないのだが……」
そう言葉を口にしてから、里の外で今迄に会ったエルフ族の姿を思い返して、一人のエルフ族の姿が脳裏に過った。
それには隣に居たアリアンも同じ事を思い出していたのか、僅かに見開いた金の瞳が此方を見返してきて、自分と同時に声を上げていた。
「カーシー!?」「カーシー殿か!?」
カーシー・ヘルド。
それはローデン王国のブランベイナ領で人族の中に雑じって暮らし、周辺の魔獣研究をしていたちょっと変わり者の学者エルフの事だ。
自分達の答えに満足そうな笑みを浮かべて頷いたグレニスは、その先にある条件に対する此方の答えを視線だけで促してきた。
「うむ、我の方は会う事に特に支障はないが?」
ちらりとアリアンの方へと視線を向けてから了承の意を表すと、アリアンの方も同調するように頷いて返した。
そんなアリアンの反応を見て、グレニスは嬉しそうに手を打って笑みを浮かべる。
「そう、よかったわ。あなたにはアーク君の同行者としても交易船に乗船して貰うつもりで、もう中央の許可も取って来てあるから」
そうあっけらかんと話す母親に、アリアンは呆気にとられた顔で見返していた。
「え、ちょっと、あたしもファブナッハに行く事になってるの?」
「それはそうよ。残念ながらアーク君はまだ正式に里の一員じゃないもの。今回はお祖父ちゃんの伝手とかも使って大長老様の一人に口利きして貰ったりしてるのよ。それに……」
グレニスはそう言葉を続けながら此方を一瞥してから、アリアンの耳元で何事かを耳打ちすると、彼女の顔色がさっと朱に染まって笑みを浮かべる母親を無言で押しのけた。
意外と今回の自分の我儘がグレニスに壮大な根回しを頼んだ事に気づいてやや申し訳なく思いつつも、変な顔になっていたアリアンの方に気を取られてそちらの方に声を掛ける。
「? どうしたのだ、アリアン殿?」
「きゅん?」
そんな自分の尋ねに、彼女から無言の有無を言わさないような視線を向けられた後、グレニスの方へとその視線を戻して項垂れた。
足元でその様子を眺めていたポンタが不思議そうな顔をしてアリアンを見上げる。
「な、なんでもないわよっ! わかったわよ、行くわよ……」
何やら諦めたような面持ちで大きく溜め息を吐いたアリアンに、笑顔のままのグレニスがさらなる提案をついでにとばかりに彼女に持ち掛ける。
「あと南の大陸に行くならあの子も誘って上げれば? あの山野の民のチヨメちゃん!」
その彼女の態度は、まるで近所のお出掛けに友達を誘って来なさいと言わんばかりの気軽さだ。
しかし、これから向かう先の国を治める者達の種族の事を思えば、その誘いもあまり不自然なものでもないだろう。
彼女の口から出たチヨメという名は、この北大陸で暮らす山野の民──人族の言うところの獣人種族である猫人族の少女の名前だ。
彼女の所属する一族は、人族の迫害から同胞である山野の民の開放と保護を目指す一族で、自分と同じく、かつてこの世界へと渡って来た半蔵と名乗る初代族長の手によって纏められた忍者を生業とする集団だ。
刃心一族を名乗る彼らの中でも、最も実力のある六忍の一人として選ばれその任に着いている彼女とは、以前の王都奴隷解放作戦などで何度となく顔を合わせた仲ではある。
「しかし、交易船に乗船するにあたって我はこの里への加入を表明したのだが、チヨメ殿の場合はどうするのだ? それにチヨメ殿もああ見えて責任のある立場であろうし、あまり気軽に誘っても良いのだろうか?」
今回の交易船への乗船の条件は、自分がこのエルフ族の里の一員となる事で認めらたという認識があるので、あくまで部外者の立場にある山野の民のチヨメの乗船はどういった形になるのか、それが問題にならないのかをグレニスに尋ねる。
そして何より今回の南の大陸へ向かう目的が自分の食材調達が主な目的な為、そんな旅の同伴に隠れ里の戦力の要でもある彼女を近所に遊びに行く風に誘っていいものかという思いもあった。
そんな此方の心配を知ってか知らずか、グレニスは笑みを浮かべたまま小首を傾げて見せる。
「あら、交易船が向かう国はチヨメちゃんのような山野の民達が治める国よ? 交易船にはエルフ族以外にも山野の民達が乗船してこちらの里に出入りしてたりするわ。それに、チヨメちゃんの一族は北の大陸の地理には明るくても、流石に海を越えた事はないでしょ。彼女達一族の見聞を広める為にも一度ファブナッハ大王国を見てくる事もいい経験になるんじゃないかしら」
どうやら交易船にはチヨメの様な山野の民も同乗しているようで、その辺りは問題ないようだ。
あとはグレニスの言う大陸を出て見聞を広めるというのも大義名分としてはもっともで、人族が多くの支配権を獲得している北大陸から出て、広い視野で世界を見るというのは今後の彼ら山野の民にとっても有意義なものとなる可能性は高い。
その事に思考を素早く巡らせ、ちらりと隣に居たアリアンへと視線を向ける。
「アークの転移魔法があれば移動にそれ程支障もないし、あたしもせっかく里外で友達が出来たから誘うのに問題はないわよ」
自分の視線を受けてアリアンはグレニスの意見に賛同の意を表す。
「うむ、ではチヨメ殿は明日、隠れ里の方へ誘いに行ってみるか」
「きゅん! きゅん!」
とりあえず結論を出して明日の予定が決まると、夕食のお預けをくらっていたポンタが自分の皿を咥えて急かすように鳴いた。
翌日、朝の稽古をアリアンに付き合って貰った後に朝食を摂って里を出た。
里を出たと言っても、里に設けられた門戸から出入りした訳ではなく、長距離転移魔法の【転移門】を使っての移動なので、正確に言えば里から消えたといった方が正しいかも知れない。
今目の前に広がっているのは、ローデン王国の北部中央に広がるカルカト山群と呼ばれる山岳地帯で、やや高台となった場所からは山間に築かれた集落が見下ろせた。
魔獣の跋扈する山奥に築かれたあの集落こそ、山野の民が暮らす隠れ里の一つで、今現在は刃心一族が拠点としている里でもある。
里の周囲に張り巡らされた木杭による外壁と石垣による内壁との二重の防壁が置かれ、外敵の侵入を阻む鋭く尖った返しが組まれたその姿は、里山にある村というよりは要塞のような雰囲気だ。
跳ね上げ式の開閉扉となっている入り口はしっかりと閉じられており、傍の両脇に置かれた物見櫓には見張りの者が周囲に目を光らせている様子が窺えた。
一度あの里には入って中の風景を覚えているので、【転移門】を使えばいきなりララトイアの里から隠れ里の中へと瞬時に移動出来たが、やはりここは節度を守って訪れた方がいいだろうという事でアリアンと二人、外から向かう事になったのだ。
山野の民は身体能力が人族などよりも優れており、その耳や目もかなり利く。
加えて、山の木々の合間にちらつく此方の全身に纏った豪奢な白銀の鎧と風に靡く漆黒の外套は遠くからでもよく視認出来る事だろう。
村の入り口へとゆっくりと近づく此方の姿に、見張りの者が逸早く気づいて里の内部に何か呼び掛けているのが遠くから見る事が出来る。
「あっと言う間に見つかったわね」
そんな様子を隣で見ていたアリアンが、此方の姿に視線を向けて言葉を漏らした。
しかし、こんな隠密性皆無の姿は逆に相手の記憶によく残るものらしい。
村の入り口付近に立って此方が手を振ると、向こうも武器を構える事無く手を上げて応じ、此方の用向きを問うてきた。
「何用か?」
「チヨメ殿に取次をお願いしたい」
此方がそれに簡潔に答えると、すぐに里の扉が開かれて中へと促される。
既に里の中の人々は朝の仕事に取り掛かっているのか、あちこちから賑やかな声や子供達の笑い声が聞こえ、以前訪れた時より里の中の雰囲気は幾分か明るくなっている気がした。
既にこの手狭な里で支え切れる人数を超えた状態にある現状だが、見つかった移住先の話が既に周知されているのか、擦れ違う人々の顔には明るい笑顔があった。
そんな人々の中から一際体格のよい一人の猫人族が姿を現した。
身長は百八十程、白髪頭に猫の耳を生やし、長い眉と顎鬚のせいでどこか仙人を思わせる姿でありながら、それに似合わず真っ直ぐに伸ばされた背筋が老いを感じさせない。
「アーク殿にアリアン殿、こんな山奥へのご足労、痛み入る。して今日は何用で?」
静かに笑みを浮かべて軽く頭を下げたその猫人族の男は、刃心一族を束ねる長で、二十二代目のハンゾウと呼ばれている男だ。
此方も軽く頭を下げて挨拶を返し、早速とばかりに今日来た用件をハンゾウに伝える。
「実はチヨメ殿に用があってな……」
その自分の言葉に反応してなのか、ハンゾウの隣に音も無く姿を現した一人の猫人族の小柄な少女が自分とアリアンの二人にそっと声を掛けて来た。
「アーク殿、アリアン殿、ボクに用があるそうですが、なんでしょうか?」
少し短めに切り揃えられた黒髪に、透き通るような蒼い瞳で此方を見据える少女。
全身を黒で統一した装束を纏って、腕には籠手、足には脛当て、腰には短剣を差して武装した姿はまさに忍者といった出で立ちだ。
「おぉ、チヨメ殿」
自分のその呼び掛けにその忍者少女、チヨメが僅かにその頭を下げて応える。
「実は今度、我はエルフ族の交易船に乗って南の大陸に渡る事になったのだが、その乗船にチヨメ殿も誘ってはどうかとのグレニス殿に提案でな。向こうには山野の民達が築いた巨大な国があるのだから、これを機に見聞を広めてはどうかという話なのだが、どうだろうか?」
「え? 南の大陸、ですか」
此方の提案にチヨメはその蒼い瞳に逡巡の色を宿らせて、視線の先を隣に立つハンゾウへと向けて窺うようにする。
それを受けてハンゾウは、口元に笑みを浮かべて好々爺といった雰囲気で頷き返した。
「サスケの事ならツボネも動いてくれとる、心配せんでも大丈夫じゃろ。それよりも若い者が見聞を広めるいい機会、里の子供らの土産話の種にも行って来なさい。子供たちに示す道は多ければ多いほど、それに越した事はないからの。ホホホ」
そのハンゾウの返答に、チヨメも小さく頷くと此方へと顔を向けてぺこりとその頭を下げた。
「ご同行の誘い、喜んでお受け致します」
「また暫く宜しくね、チヨメちゃん」
チヨメの返答に、アリアンも笑みを零して小さく手を振る。
この二人はあの龍冠樹の傍の温泉で、自分が七日も気を失っている間に友人関係を築いていたようで、アリアンの反応に普段あまり表情を変えないチヨメが口元に笑みを浮かべて、彼女の背に隠れていた長い尻尾が嬉しそうに揺れていた。
若干の疎外感を感じながらも、とりあえず南の大陸に行くメンバーが揃ったと一息吐く。
「とりあえず、また暫く三人の旅であるな」
そう言葉を口にした自分に、いつもの様に頭の上に陣取っていたポンタが何かを抗議するように前足で此方の兜を叩いて鳴いた。
どうやらメンバーの数に入っていない事への抗議なのかも知れない。
「おぉ、すまんすまん。そうだな、ポンタも一緒だったな」
「きゅん!」
大きな綿毛の尻尾を忙しなく揺らすポンタの顎先を撫でながらも、その逸る気持ちはここではない南に広がるという大陸の風景に思いを巡らせていた。
この度、オーバーラップノベルスから発売している「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」のⅡ巻とⅢ巻の再びの重版が決まりました。
これも偏に、いつも応援して下さる皆様のお蔭でもあります。誠にありがとうございます。
ちなみにⅣ巻の発売予定日は7月25日を予定しております、これからも骸骨騎士様を宜しくお願い致します。